第二十話 矢場杉栄吉の覚醒

竹神チエ

第二十話 覚醒

 僕の趣味は小説書きだ。

 だから、僕は野々原さんに提案した。


「舞台の脚本、少しだけアレンジしてみませんか?」


 野々原さんは、小道具のナイフを使うと女優が錯乱するお芝居『こちら楽園の酔っ払い戦線で箏の調べと見習い勇者のうきんのはなうたを捨てていく金糸雀カナリヤ』に出演するのを恐れている。もしかしたら、自分も錯乱――役者殺しにあうかもしれないからって。


 だったら、上演しても役者がその後、錯乱しない方法を考えたら、安心できると思ったんだ。


 それに、いままで僕の身に起こった不可思議な現象も、この役者殺しを鎮めれば、解決するかもしれない。小道具のナイフが何かを握っている気がして仕方がないんだ。


「たとえばですね。女優がナイフを恐れるようになる現象までを脚本にするんです。で、無事正常に回復するまでを描く。そして、最後はハッピーエンド、てのはどうでしょう」


 僕の案はこうだ。


 元々の脚本は、まるごとそのままにするんだけど、その前後に物語を追加する。ある若手女優が、いわくつきの舞台を演じることになって……から始めて、舞台上演後、ナイフを恐れて日常が狂う姿を描いていき、周囲の助けを借りながら平穏な日々を取り戻す……というように。


「上演時間が長くなるかもしれないですけど。カットできるところはカットして」


 僕は夢中になってアイディアをあげていった。脚本家でも演出家でもない、まったくの部外者の僕が、いくら張りきったところで実現するはずもないのだけど。


「……で、CAが忍者なんですけど、妖刀を、あ、このナイフが妖刀なんです」


 僕はテーブルに置いていた小道具のナイフを手に取って、チャンバラの真似事をした。脳裏でフラッシュバックする、様々な奇々怪々な場面が浮かび上がったけど、いまは野々原さんの不安を払拭するのが先決だ。僕は全部無視して、めちゃくちゃにナイフを振り回した。


「ヤーブス。そうだ、ヤーブスを登場させましょう」


 二人で見た映画……一緒に見たわけじゃないけど、僕と野々原さんを引き合わせてくれた大切な映画だ。あの映画のアイディアも参考にして……。


 しばらく一人で熱く語っていた僕だけど、野々原さんがクスクス笑っているのに気づいて、ぴたりとくちを閉じた。


「あ、ごめんなさい。僕、他人との距離感、狂ってて。つい、調子に乗ってしまいました。えーと」


 しゃべりながらナイフを振り回していたせいで、汗ばんできていたのに、冷や汗まで出てくる。そんな僕の慌てぶりに、野々原さんは「いえ、違うんですよ」と、手を振って否定した。


「矢場杉さんのお話、おかしくて。どうしよう、ずっと笑っちゃう」

「え、あ、そ、そうですか? あはは」

「楽しいです。私、とても不安だったんですけど」


 野々原さんは上目遣いに僕を見て、それから、恥ずかしそうに視線をそらした。


「私、矢場杉さんと出会えて本当に良かったです。好きになっちゃいました」

「えっ」


 ドキッとして、つい真顔で硬直してしまった。

 やだな、からかわれたんだな。僕は笑ってごまかす。


「も、もー。やめてくださいよ。真に受けちゃいますよ」


 好きは好きでも、ラブじゃなくライクのほうに決まっている。こんな可愛くて才能があって性格も良くて最高の女性が、自分みたいな男を相手にするわけが……。


「本気、ですよ。私」


 野々原さんは真剣な顔をしていた。


「あ、あの」


 まさか、まさか。

 いや、これも虚構なのかもしれない。現実にこんなことが起こるわけがない。


 映画を観てから、僕は自分で自分の目も耳も、判断力さえ信じられなくなっている。一体何が現実で、何が虚構なのか、もうわからなくなったんだ。


 だから、人生最大のチャンス、モテ期到来だったかもしれないのに、僕はヘタレぶりを発揮してしまった。どうしたらいいのかわからず、照れ隠しに、髪を整えようと、頭頂部に手を伸ばした。あのナイフを手にしたままだったのに。


 グサッ。


 と、音がしたのは覚えている。それから、野々原さんの叫び声。


 ぐら、と視界がひっくり返って、僕は……矢場杉栄吉は意識を失った。


 野々原は、矢場杉が白目を剥いたのを見た。頭のてっぺんにナイフが突き刺さっている矢場杉。でもおかしいじゃない。だって、あのナイフは小道具、偽物のナイフなのに。


 でも現実に目の前の矢場杉の頭に、小道具のナイフが突き刺さっているのだ。救急車を呼ばなくちゃ。


 野々原はバッグを探り、携帯を取り出した。と、シューシューと蒸気が噴くような音が聞こえてくる。


「えっ」


 矢場杉の尻から煙が発射されていた。シューシューシューシュー。あっというまに、稽古場の倉庫は煙で充満する。


「矢場杉さんっ。ど、どうしよう」


 携帯を操作しようにも、手が震えてうまくいかない。涙目でパニックになる野々原だったが、床をするような足音に顔を上げた。矢場杉だ。意識がないのか、白目を剥いたまま、口からはヨダレを垂らして、自分に近づいてくる。


「あ、あの。い、いま、救急車を」


 怖かった。野々原は逃げ出したい気持ちをなんとか押しとどめて、携帯を操作しようとするのだが、震えは激しさを増すばかり。


 シューシューシューと、矢場杉は尻から煙を噴射し続けている。

 どうしよう、どうしよう。


 と、シュー、プッ、と音がして、煙の噴射が止まった。


「矢場杉さん?」


 恐る恐る、野々原が声をかけると、


 ピッカーーーーーーン!!!!


 矢場杉の頭頂部が発光した。ナイフがメリメリと頭部に深く刺さっていく。野々原は恐怖のあまり声も出せなかった。ただ発光する矢場杉を凝視する。


 矢場杉栄吉の頭に刺さったナイフは根元まで入ってしまうと、そのまま下へ、ものすごい勢いで突き抜けていった。矢場杉が真っ二つに割れる。そして、強烈な光が周囲を激しく照らしたあと、そいつは誕生した。正義のポリスメン。


「ヤーーーーブス・アーーーーカアーーーー!!!!」


 まるで怪獣の咆哮のように、そいつは叫んだ。


「う、そ、でしょ」


 その言葉を最後に、野々原チエコは気を失った。



(バトンは続く)

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