第15話

「朋子さん。さっきから何をおっしゃってるんですか?僕にはなんの事かさっぱりなんですが……」

「ですから気安く下の名前で呼ばないでください。わかってるんですよ。庭に私の父が埋まってることを」


 真実を話した翌日、休日にも関わらず朋子先生は真偽を確かめに椿御殿にやって来た。いつもの優しい笑顔は何処かに消え、瞳の奥に憎悪が見え隠れしている。今にも真っ黒な炎で身を焦がしてしまいそうな憎悪だ。

 暢気のんきな父は家庭訪問でもないのに先生が訪れたことに舞い上がり、自宅に上がるように勧めたが案の定固く固辞された。その代わりに舞台を庭へと移し、現在に至る。

 父が期待していた幸せな時間は一瞬にして崩れさった。そもそも母と離婚してるわけでもないのに土台無理な話だったんだ。


「信じてくれ!僕は誓ってそんな恐ろしい真似はしていない!」

「じゃあ……誰がこんな恐ろしい真似をしたんですか?残るのはお爺様しかいらっしゃらないはずですが」

「待ってくれよ!そもそも君のお父さんと支倉家はなんの関係もないんだぞ?それなのにどうして疑ってかかるんだ。何か証拠でもあるのかい?」

「それは……いや、いいです。庭を掘り起こして父が見つかればその時点で警察に連絡しますから」

 その後の操作は悔しいですが警察に任せます、と先生は準備していたスコップを片手に椿の根元をスコップで堀り始めた。

「ちょ、ちょっと!勝手なことされたら困るよ」


 まさか自宅の敷地内に白骨死体が埋められていると聞かされれば、否が応でも取り乱すだろう。

 現に隣で顔を蒼白くさせて立ち尽くしている父の姿は、どこにでもいる非力な男性にしか見えなかった。

 これが殺人事件だとしたら、とても父がしでかしたとは到底思えない。良くも悪くもそこまで大それた事件を起こせるような人ではないのは、息子の自分がよく知っているから。

 ただ、ナニかを知っている――順調に掘り進める先生を、歯痒い顔でただただ見つめて止めることすら出来ない横顔を見ると、そんな風に思えてならなかった。


 あともう少しで白骨死体を見かけた深さに到達しようとしていたその時、気分が優れずに床に臥せっていた祖父が、庭の異変に気付いたのか床を踏み抜く勢いで縁側まで姿を現した。

 その顔は怒りと困惑で真っ赤に染まりきっている。


「貴様っ!!何を勝手に人様の敷地内を掘ってるんだ!!」

「許可なんているんですか?ここに私の父が埋まってるんですよ!」

「――智晴ともはるの娘か……?」

 祖父の気迫に負けじと言い返す先生の顔を眺めた祖父は、一瞬たじろいだ様子で僕にしか聴こえないくらいの声量である名前を呟いた。


 ――智晴って、先生のお父さんの名前じゃないか……。どうしてお祖父ちゃんがその名前を知ってるんだよ。


 渋い顔でしばらく睨み付けると、ドスの利いた声が庭に響く。

「いいか。今すぐその手を止めろ……。さもないとお前は後悔することになるからな」

 祖父の手には家庭用包丁が握られていた。錆び付いているのが余計に恐怖を駆り立てる。

 どうやら隠し持っていたらしい。


「先生……もう帰って。きっと僕の見間違いだったんだよ!ね?だから今日は帰って」

「でも……指輪が」

「お願いだから帰って!どうなるかわからないよ!」


 そこまで言ってようやく朋子先生は恨めしそうに帰っていった。心中は穏やかではないはず――あともうちょっとで宿願の父親との対面を果たせたたはずだったのだから。

 だけど、止めなくてはならなかった。あの祖父の眼は、本気の眼だったから。

 僕が一度も見たことのない殺意が芽生えていた。

 たぶん放っておいたら、誰かしら血が流れていたと思う。


 その日の夜は祖父からこれでもかというほど杖で殴られた。口の中は何ヵ所も切れて血の味しかしない。普段拳で殴られることはあったけど、それとは暴力の種類が違っていた。

 ただどす黒い負の感情を僕にぶちまけているようにしか思えなかった。


「朝までここから出ることは許さん」


 身体中が痛みもぞもぞと動くことしかできなかった僕を、祖父は父に納屋まで運ばせ閉じ込め、御丁寧に外側から鍵まで掛けた。

 夜中はまだ凍える寒さだというのに、どうやら使われていない納屋に閉じ込められ、朝まで出してはもらえないらしい。


 いったい僕を閉じ込めてどうする気なのか――


「まさか……口封じ?」

 思うように動かせない体とは対照的に、頭は不思議と働いた。不意に思いついたその可能性に身震いをした。

 昨日目にした土の下で眠る白骨が自分の数時間後の未来と重なった気がして、その夜は一睡もすることができずに朝を迎えた。


 近所から鶏の鳴き声が聞こえ始めた頃、ようわく扉が開かれた。

 山の稜線から射し込む陽の光が寒さと痛さで縮こまった体をほんの少しだけど暖めてくれた。

 どうやら父が一人で迎えに来たようだが、まるで別人のような暗い眼で僕を外に連れ出した。

 一体昨夜に何があったのか、尋ねても答えが返ってくることはなかった。


 ただ一言――迷惑をかけてすまん――真っ暗な瞳から涙を流して絞るように語った父の姿が、最後に見た生前の姿になるとは思いもしなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る