第13話
雪に閉ざされていた椿村にも少しずつ春の気配が近づき、少年探偵団が自然消滅した頃に僕は祖父から無言で真新しい半纏を手渡された。
それは庭師の仕事を叩き込む時に祖父が袖を通していたものと、サイズこそ違えどデザインは一緒だった。
藍色の生地に白文字で支倉の二文字を背負ったそれは、庭師に興味はなくとも心惹かれる伝統の重みというものを感じた。
「それはな。初代から続く支倉の伝統そのものだ」
普段余計な感情は表にしない祖父が、そう語ったときだけは言葉に力がこもっていた気がした。
「父さんは……貰ってないのですか?」
「あんな不出来な男に袖など通させるわけにいくものか」
父は、僕と同い位の頃から祖父に手解きを受けていたらしい。僕なんかよりもよっぽど真剣に五代目を目指していたようだけど、天は理不尽なもので望んでもいない僕に庭師としての才能を与えるくせに、血反吐を吐いてまで技術の習得に励んでいた幼い頃の父には
怒鳴られ――殴られ――蹴られ――
当時、現役真っ盛りの祖父の苛烈さは今では想像できないし、したくもないけれど、それでも父は認められようと耐えた。
だけど、結果は祖父が
半纏を手渡された日の深夜。
トイレで起きた僕は居間で一人酒に溺れる父の背中を見てしまった。
なんで、なんで、和夫ばかり――
そう呟く父の心境は理解できないけれど、きっとまだ諦めがついていないんだろうなと思った。
そして、僕は父の才能を全て奪って生まれてきたのではと、後悔することになる。
「そんな顔してどうしたんだい?」
部屋に戻るといつの間にか女が立っていた。いつもそうだが、不意の出現にはドキリとさせられる。
もう神出鬼没なのは気にならなくなっていたが、未だに正体が掴めない。
もし妖怪の類いならとっとと悪さをするだろうに、この女ときたら一向になにもしてこないのだ。
それに――テレビに写るどの女優よりも綺麗なのが厄介だった。怖いのに、あまりに美しいものだから近寄らずにはいられない。父が女の姿を求めさ迷うのも少しは納得できる。毒みたいな女だ――子供ながらにしてそう認識していた。
だからこそ、敢えて冷たく接していた。
でないと毒が回って心まで持っていかれそうだったから。
「父さんは僕が嫌いなのかな」
「どうしてそう思うんだい」
「だって――」
それから眠気も覚めてしまったこともあり、居間で見聞きした出来事をつい女に話してしまった。
「和夫ばっか――と言ってたんだね」
「うん」
「それは違う意味で言ってるんだろうねぇ……」
「どういうこと?僕の事嫌ってるからあんなこと言ったんじゃ」
「嫌ってるなんてもんじゃないよ。一人の男として嫉妬してるのよ」
「嫉妬?なんでそんなことを……」
「それは――」
女が確信に触れようとしたその時、自室の扉が勢いよく開かれた。
「なんだ……まだ起きてたのか。さっさと寝ろよ」
突然扉が開かれ、部屋に入ってきたのは父だった。
ひとしきり室内を見渡して何も無いことを確認すると、息子を見るにしては酷く冷たい目で一瞥してから扉を閉めて去っていった。
――嫉妬してるのよ。
女の言葉が脳裏をよぎる。
何に対して?
いつの間にか姿を消した女は、その夜再び姿を表すことはなかった。
翌日、学校で一人の時に朋子先生から声をかけられた。
「和夫君。ちょっといいかな」
「なんですか?」
先生は辺りを見回して誰もいないことを確認すると、空いている教室に僕を連れ込んだ。
「実はね。先生昨日大事な写真をうっかり落としちゃったのよ。和夫君拾ったりしてないかな」
「あ……二人で写ってる写真ですか?」
「そうそう。返してくれないかな」
「今家に置いてあるんで、明日でもよければ」
「うーんそっかぁ。じゃあ放課後ご自宅にお邪魔しちゃおうかしら。先生の車で送ってあげるわよ」
「あ、はい」
少し強引に話を持っていかれたような気がしたけど、きっとそれだけ大事な写真なんだと思い、そのときはそれ以上深くは考えなかった。
放課後、約束通りに朋子先生の運転する車で自宅まで送り届けてもらい、写真を取りに部屋に戻ると女が写真を手にし薄ら笑いを浮かべていた。
「それ、先生に返さなきゃいけないから返してよ」
「はいどうぞ」
あっさりと写真を渡した女は、ゾッとするような笑みで恐ろしいことを言った。
「その写真に写っている男だけど――もうこの世にいないわよ」
「急に何言い出すんだよ。そりゃあ、もしかしたら生前の大事な写真って可能性もあるけど」
「違うわ。亡くなったのは二年前――この椿御殿でね」
「は……?どういうこと?」
女はしばらく黙っていると、ゆっくりと庭の椿を指差して告げた――
「あの椿の下を掘ってごらんなさい。そこに貴方の探し物があるわよって先生に伝えておいて」
――先生の父親がここで死んだ?探し物?いったい何を言ってるんだ。
「先生を待たせても悪いんじゃないかしら」
そうだった。思考の海に潜りそうだったところを引き上げられ、急いで外で待っている先生のもとへ駆けていくと、その隣には父が立っていた。
僕が来るまで世間話でもしてたのだろうか――それにしてはやけに父の顔が
よく見ると朋子先生に近すぎなような気がするし、父の勢いに弱冠顔がひきつっているではないか。
耳をすますと、何処に住んでるのか――独身なのか――とかなり踏み込んだ質問をしているようだった。
朋子先生は明らかに嫌がっている。
それにも気付かないことに情けなくなるが、母が出ていってからまるで覇気の無かった父の顔には、なくしていた表情が戻ってきたようだった。
だけど、そんな父を見て直感でわかった。わかりたくなかったけど、わかってしまった。
色恋なんて疎い僕だけど、あんなはしゃいだ姿を見れば嫌でも理解できてしまう。
父は――朋子先生に恋をしたんだ。
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