第7話

「いやぁ、本当に無理言ってすみませんね。私は園芸とかそういったことにはとんと疎いもので、この家も買い取ったばかりの時はえらく荒れ放題だったんですが、リフォームと同時に古民家に合うように適当な業者に頼んだんです」


 作業を初めてから、その一挙手一投足を見守りながら話しかけてくる刑部が鬱陶しいといえば鬱陶しかった。

 集中力が削がれる思いで脚立をサンバーの荷台から引っ張ってきて、まず椿に降り積もる雪を払いのける。

 すると濃緑の葉が顔を覗かせた。

 冬の寒さでも決して艶を失わない葉は、まるであの女の肌のようだった。


「それでどうやって雪囲いをするんですか?」

 まだ話足りないのか、これから行う作業行程についてあれこれ訊ねてくるのは生来の好奇心から来るものだろうか。寒いなか物好きな人間だと思ったが、こんな寒村にカフェを開く時点で奇人変人の類いなのは間違いないだろう。


「これから行うのは雪吊りといいます。特に豪雪地帯ではごく当たり前に見られる手法なんですが、金沢の兼六園で雪吊りを施す光景はテレビでもご覧になったことはあるかと思います」

 そう説明してやると納得したように頷いた。

「ああ、あのやたら高い位置から紐で吊るしているやつですね。あれはいかにも冬らしくて実に美しいと思います」

「雪吊りというのは雪囲いの一つなんですが、主に施す樹はクロマツ、アカマツ、ゴヨウマツなどの松の仲間なんです。寒冷地では低温で枝が固くなりますので、雪の重みに耐えかねて枝が折れることがある桜やカエデにも行うことがあります。あと幹吊りと新立ての二種類の手法があって吊りかたも枝にじかに縄を結んで釣り込んだり、樹を中心にして枠組みを作って枝ではなく枠を縄で吊ったり」


 ――しまった、つい話しすぎたか。そう思い脚立の下に佇む刑部をちらと確認すると、興味深そうに頷いていた。

「なるほど。でもお一人では大変じゃないですか?」

「確かに十数メートルもあるような立派な松の木だと難儀しますが、この程度なら一時間も有ればできますよ」

「そうですか、それは良かった。それじゃあ後程暖かいコーヒーでもお持ちしますね」


 そういうとやっと屋敷の中へと姿を消した。

 やっと自分のペースで仕事に取り組めると真っ白なため息を吐き、両手を吐息で温めてから事前に用意していた真竹を帆柱として立る。

 これから行うのは兼六園式の雪吊りだ。先端部分から吊り下げた縄を弛みがないように引っ張り各枝に結ぶ。たったそれだけで重い雪にも耐えられる実用的な手法で、それだけに椿にはもったいないほどの手のかけようともいえる。



 雪が降り続けることを除けば作業は順調に進んでいった。

 黙々と紐と枝を結んでいっている間も雪は勢いは増していき、摂氏零度に近付く冷気が指先を凍てつかせる。

 指先の感覚を大事にしてるため軍手などは使用しないが、そのせいで感覚が失われていくのは皮肉以外の何者でもない。

納得する結びになるまで時間がかかりイライラしていると、背中を鋭利な刃物で刺すような視線を感じ思わず作業の手が止まった。

 刑部のような生温いそれとは全くの別物で、五感を支配されたように感じたのは気のせいだろうか。

 いや、幼い頃に同じような経験をしたことがある――



「あら、随分久しぶりな帰省じゃないかい。あの和夫がこんなに大きく立派に育って……アタシは嬉しいよ」

「お前は……」


 振り向くと、いや、見下ろすと脚立の横にあの女が立っていた。

 最後に別れてから二十数年も経つというのに容姿は何ら変化がみられない。初めて出会った頃と同じ真っ赤な着物を身にまとい、人をからかうように妖艶な頬笑みを向けている。

 吐き気がするほど美しい姿は、相変わらず人外の雰囲気を漂わせていた。


「美しいのは否定しないけれど、人外は言い過ぎじゃないかしら」

「人間の常識では何十年も見た目が変わらない奴のことを人外と呼ぶんだよ。それとも化け物と呼んだ方がいいか?」


 いつの間にか脚立から下りて女の正面に立っていた。昔は見上げていた小さな顔が今では脚立を下りてもなお随分と下にみえた。この手で抱けばちょうど収まりが良さそうな――

(くそ、何を考えていたんだ俺は)


 一瞬ありえない妄想をしてしまったことに強烈な嫌悪感を感じた。正面で向き合っただけで欲を奮い起こさせる魔性ともいえる魅力もどうやら健在のようで、これはどう考えても化け物の域に達していると言わざるを得ない。

 視線が交わるだけで怒りと快楽がない交ぜになるようなおかしな感覚が躯を貫く。


「擦れた大人に育ったもんだねぇ。一体どうしたらそんな性格になったのかしら」

「うちの親父を……家族をばらばらにしといてよくいうよ」

「うふふ。そんなこともあったわね。でもこうしてまた和夫と会えてアタシは嬉しいよ」


 そういって背中に両手を回し抱きついてきた。抗いがたい香りが鼻孔から脳髄を突き抜け、思わず眩暈がした。

 咄嗟に鉄錆の味が口の中に広がるほど唇を噛み締めなんとか耐えた。

「俺は、親父とは違うぞ」

 思いきり突き放して背を向けると、何がおかしいのかくつくつ笑う声が聴こえる。

「久しぶりの再会だというのに、こんなイイ女を袖にするなんて罰当たりな男だねぇ」

「煩い、黙れ、視界から消え失せろ」

「え?あの、すみません。なにか気に触ることをしましたか?」


 振り返るとそこには刑部が立っていた。

 いつの間にか足跡も残さず女は姿を消していた。まるで最初からいなかったかのように――



「ああ、いえ、なにも」

「そうですか……そうだ、コーヒーを淹れましたので良かったらどうぞ、中で暖まってください。ちょうど客人も来てますので」

「はぁ、それではお言葉に甘えて」



 ――この家は、まだ呪われてるよ。



 一段と強くなってきた雪風に乗って、そんな言葉が聞こえてきた気がした。

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