第6話

 あの女性のことは、なんだか他の人に話してはいけない気がして結局家族の誰にも相談することなく一週間たった。

 というより話をする機会もないといった方が正しいかもしれない。父は常にそわそわして心此処にあらずといった感じで、話しかけてもどこか上の空な受け答えしかしない。母は母でこの家にいたくないといっては最低限の家事をすますと大半は車でどこかに出掛けている。

 祖父はというと一日新聞を見ているしかないようで僕は話し相手に飢えていた。

 引っ越してきてから家族はバラバラになっていた。


「ねえ和夫くん。ちょっといいかな」

「なんですか?先生」

 ある日朋子先生に呼ばれ職員室へと通された。

 なにかしたかと思い返すが特に叱られるようなことはしていなかったはずだけど――


「先生ね、和夫くんが転校してきてからまだクラスに馴染めていないか心配なの。とくに流星くんと上手くいってないようだし、もしかしてイジメられてたりする?」

「いえ、そんなことはないですけど……ただ余所者にはきつく当たってきますね。あと流星はなにかと僕に『椿御殿』の名前を出されるんですけど、朋子先生は椿御殿の名前の由来って知ってますか?」

「そう、流星くんにはあとできっちり叱っておくとして、その椿御殿って名前だけどどうやらこの村の人は殆ど知ってるみたいなのよ。残念ながら先生も由来までは知らないんだけど、村の人たちは誰も教えてくれないのよね」

「そうですか……」


 おかしいわよねと、腕を組み共に考えてくれる朋子先生は気を使ってか明るい笑顔で笑い飛ばしてくれた。

「まあ、田舎じゃちょっとしたことでも噂が広まるからね。だからあまり気にしすぎない方がいいよ」

「はい……」


 その日掃除をしていると先生がいないタイミングを見計らって流星がほうき片手に絡んできた。

「おまえ先生にチクったやろ」

「なにをだよ」

「だからお前がイジメられてるゆうて朋子先生に泣きついたんやろ」

「なにいってんだよ。お前がバカにしてくるのは本当のことだろ」

「なんやと」

「ちょっとやめなよ二人とも。流星もそんなことばっかしとるからお母さんに怒られるんやろ」

「う、うるさいわ真琴!帰ったらまた母ちゃんに怒られんのも全部こいつが悪いんや!」

 そういって胸ぐらを掴んでは力任せに振り回してきて、僕は情けないがなすすべもなく床に尻餅をついてしまった。

「なにすんだよ!バカ流星!」

「なんだと!このヤロー!」


「そこまで!どうしたのよ二人とも」

「「だってこいつが!」」

「和夫くんがなにしたっていうの?」

「それは……だって婆ちゃんが」

「もういいです。先生怒りました。流星くんは職員室に来なさい」

「え?ちょ、痛い痛い!耳引っ張らんといてよ」

 あれは痛そうだと、耳たぶを引っ張られて連行されていく少年の背中を眺めながら祈っていると、真琴がおずおずと話しかけてきた。


「ごめんね。流星もたぶん悪気があって支倉くんに辛く当たってるんじゃないと思うの」

「どういうことなの?」

「あんな風に強がってはいるけど、実は……」

「実は?」

「ねえ真琴。あの事勝手に話していいの?」

「まだ二年生の頃ね、流星のお母さんが東京に行くって置き手紙残してお家出てっちゃったの」

 その事実は衝撃的だった。まさかドラマで起こるような話が現実にあるとは――それも実の子供を残して出ていく親がいるなんて信じられない。

「流星のお母さんが?いったいどうして……」

「村の大人達は、好き勝手に男が出来たんだろってそこかしこで噂してたわ。私の親も含めてね。その当時は意味がわからなかったけど今なら何となくわかる。もし本当のことなら、流星は実のお母さんに捨てられたわけで、それ以来都会そのものが嫌いになったの。たぶんお母さんを奪った憎い相手だと思ってるんじゃないかな」

 それは筋違いだけどねと、苦笑いしながら言った。

「それと今まで冷たくしてごめんね。流星の気持ちもわからない訳じゃないからつい味方しちゃってた」

「僕も悪かったよ。ごめんね」


 そういって真琴と崇は頭を下げた。意図知れず聴かされた内容に戸惑いは大きいものの、正直二人にたいして不愉快な気持ちは持っていなかった。

 それよりも流星が抱えている複雑な問題の方が気がかりだった。


「頭あげてよ。気にしてないからさ」

「ほんと?」

「ああ。でもなんであそこまで椿御殿って名前に拘るのかな」

「さぁ……お父さんもお母さんも教えてくれないのよね。崇ん家もそうでしょ?」

「うん。うちのねぇちゃんも高校生だけど知らないって言ってた」

「そっかあ。なんだか気分が悪いな」

「あ、近くに詳しい人いるじゃない」

「誰?」

「支倉くんのお父さんよ」



 その日の夕食後、そわそわしっぱなしの父に尋ねた。

「ねえお父さん」

「なんだい?」

 夕食を食べ終わると庭に出るのが父の日課となっていた。この寒いなかサンダルに履き替えて椿を眺めているのだ。

 外に出なくてもみたいなら家の中からみればいいのにと思わなくもなかったけど、今日も真っ白い息を吐いて庭に出た父に聞いてみることにした。


「この家はどうして椿御殿って呼ばれてるの?」

 その問いに、言葉を濁すように父は理由を話始めた。

「ああ、なんだ、そういえば話してなかったか。それはな、昔この家が栄えていた頃にこの庭にはたくさんの種類の椿が植えられていたらしいんだよ。冬から春にかけてそれは美しい花を咲かせていたもんだから、いつの間にか椿御殿と呼ばれるようになったんじゃないかな」

「でも今は一本の大きい木しかないよ?」

「それは……枯れたんじゃないかな。椿は寿命が長いとはいえ命あるものいつかは朽ち果てるさ。それで別称だけが残った。そんなところじゃないか」

 聴かされればそんなものかといった理由だったけど、なぜだか父の態度に違和感を感じた。それがなんだか説明はできないけど。

「うーん。そうなのかなあ。だとしたらどうしてこんな毛嫌いされるんだろ」

「なんだ、なにか嫌な目にあったのか?」

「むしろお父さんは変だと思わないの?この村の大人は椿御殿に良いイメージをもってないし、それに昔何があったのか子供に教えようともしないんだよ」

「そう……なのか。もしなにかその事でからかわれたりしたらお父さんにいいなさい。いいかい?」

「うん。わかった」


「ああ、それとな和夫」

 先に家の中に戻ろうとすると父から思い出したように声をかけられ振り向いた。

「なに?」

「ここ最近この家で赤い着物を着たお姉さんを見なかったかい」

「赤い着物……?」

 父の口から出た言葉は先日遭遇した女性の輪郭を脳裏に甦らせた。父もあの人を知っているのだろうか――何故だか胸に黒いもやがかかり、嫌な感情が沸いてきてつい「そんな人はみていない」と答えてしまった。

「そうか……どこにいるんだろう」

 僕の返答に目に見えて落胆した父は、まるで恋する乙女のように呟きながら庭の椿を眺めていた。

 本当に父はどうなってしまったのか――

 母はどうやら父の事は気にしなくなったらしく、今夜も外に出掛けていた。

 そういえば朝も見かけなかったと、ふと心配になった。

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