第8話
扉を開けた瞬間、暖められた空気が温度をなくした頬を出迎えた。
あの暗く息がつまりそうな雰囲気は何処にいってしまったのかと思うほどに店内は明るかった。対どうやら内装に関しては面影が残らないほどにリフォームが施されているらしく、刑部の趣向が隅々まで反映されている店内は一般的な眼で見ればお洒落なのだろうが、やはりこの村では特に浮いた存在だった。
玄関を開けたら土間と上がり
昔はシミが浮き出ていた天井は、敢えてなのだろうか吹き抜けにして梁だけが残してある。その梁から裸電球がぶら下がり、空調でわずかに揺れるオレンジの灯りが店内を灯していた。
そして刑部のいっていた「客人」がテーブルに一人腰掛けコーヒーを嗜んでいるのを見つけた。
「おお……和夫くんか。大きくなったなぁ」
「どうも。お久しぶりです」
一応は頭を下げて応えた。しばらく見ないうちに一回りくらい小さくなってしまったような佐久真のおっさんは、涙を堪えているのか眼を赤く充血させて震えていた。
枯れ木のような腕が俺の両腕を掴む。その弱々しさに二十数年の時の流れをまざまざと見せつけられる。
引っ越してきたばかりの頃、佐久真のおっさんは田舎のことなどまるでわからない俺を甲斐甲斐しく面倒をみてくれた数少ない知人の一人だった。
当時は佐久真のおじさんと呼んでいたが、一言でいえば「お節介焼き」それに尽きると思う。
学校の勉強でわからないことがあれば教えてくれたし、近隣で揉め事があれば飛んでいって丸く収めていた。
そんなおっさんには助けられたこともあったのは事実だが、それが時として度が越えることも多々あった。今回の仕事の依頼に関してもそのお節介の極みといえる。
「こんな時期な急な仕事を回してすまんな。刑部くんと庭について語っていたら思わず熱弁してしまってな。雪囲いの時期でないのは重々承知しておったのだが、つい支倉造園を進めてしまったんだよ」
「はぁ……そうですか」
「なにしろ四代目の雪囲いは素晴らしかったからねぇ。その技術は五代目にも」
「本来の五代目は親父ですよ」
「そうだったな……。無神経なことをいって申し訳ない。親父さんがあんな死に方せんかったら、和夫くんも違う人生があったかもしれないのになぁ」
「あの……ともかく依頼は済ませましたので俺はこれで……」
ちょうどキッチンからコーヒーを二つ運んできた刑部に一礼してその場を離れようとした。
「今から帰ろうというのか?駄目だ駄目だ。これから雪は酷くなる一方なのに今出てったらあの軽トラックでは途中で足止めを食らうこと間違いないぞ」
「いや、しかし帰らないわけには」
「そうだ。良かったらうちに泊まっていってください。どうせ客も来ませんし今日の仕事のお礼も兼ねていかがですか」
話に割って入ってきた刑部がコーヒーをテーブルに起くと提案をしてきた。
ここにも厄介なお節介焼きがいたのは予想外だった。
「そう言われても……」
そのときしまっていた電話が鳴り響いた。着信画面をみると和美の名前が表示されていた。
普段電話をかけてくることが少ない和美からの電話になんの用かと訝しんで電話に出ると、朝出てくときの陰鬱な声が聴こえた。
「どうした。なにかあったか」
「あの、そっちは仕事終わったかな。こっちの方は雪が強くなってきたんだけど、そっちはどう?今日中に帰ってこれそう?」
「いや、どうかな。なにせ吹雪いて視界が悪い」
そうなの、とトーンを落とすと少しの間沈黙が伝わってきた。七年も一緒にいればいやでも解る――これは、なにか話し出そうとして口に出せないでいる時の沈黙だ。
「実はね……いや、和夫が帰ってきたら話すよ」
「なんだ、電話では話せない内容か」
「うん。直接話したいから帰ってきたら話す。大事なことだから――」
面と向かって改まって話そうと腹を括るほどのことだ。
恐らくはーーそういうことなのだろう。
思えば長い付き合いだった。しょうもないコンパで出会ってそれからズルズルと付き合って一時は子供を授かったが流れ、荒縄で二人を繋ぎ止めていたような歪な関係だったかもしれないが、愛していたかと問われたらーーそれなりに愛していたといえるだろう。
冷静な思考とは裏腹に心はざわついていた。まるで外の吹雪のように荒れ狂い、一人なら叫びだしてしまいたかった。
いずれこの日が来ることを予感はしていたが、まさか椿御殿に来たその日に終わりを迎えるとは思いもしなかった。
「どうしたんだ。なにか深刻な話か?」
「あ、いえ、なんでもないです。それより今日は泊めていただいてもいいですか」
「ええもちろん。それじゃあ準備だけしますね」
提案が呑まれたことに喜んだ刑部は住居スペースへと姿を消した。
俺は弱い人間だ。一日でも現実から逃げようと和美から逃げた。
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