死にたがりの兵士

 堰を失った水が勢いよく街に流れ込んだせいか、いくつか山が崩れ土砂崩れがおき連なっていた山の足場はだいぶ悪くなっていた。

 水嵩は保たれていたがそんな事よりクロエは大丈夫だろうか。

 それだけが前に進む力になり自ずと進む速度は上がっていた。

「エリック」

 だからなのか遠くに見覚えのある頭が見えた時、足が何かにとられて転んだ。

「なにやってんだ」

 呆れたヴェジーの声が頭上からふってきた。

「……いや、ちょっと転んで」

 自分でも何が何だかわからなかった。クロエの顔をみたら気が抜けて転んだような気がした。視界の端にたぶん彼女の足が映っていたけれど顔があげられなかった。顔をあげたら込み上がるものが抑えられそうにないような気がした。

「ごめん、肩かして」

 それが口にできる精いっぱいの言葉だった。

 我ながら情けないとは思ったが差し出された手に掴まり体を起こすとだいぶ下の方に頭が見えたが顔は見えなくてなにかあったのかと言葉が口をついて出た。

「怪我は?」

「……少しは自分の心配もしてよ」

 顔をあげたものの早口で言い終えると彼女は唇を引き結んで目の淵にこれでもかと涙をためていたがこらえきれなかった涙がひとつ頬を零れ落ちたそばからぼろぼろと堰を切ったように溢れ出し案の定声をあげて泣き出した。

 どこか、それが自分を思って溢れたものだと思うともっと見ていたいような気持ちに陥って緩んだ口を引き結ぶ。

「どれだけ心配したと」

「うん」

「死んだんじゃないかって」

「うん」

「他にいうことないの」

「……ごめん」

 引っ掛かる言葉はだんだんと聞こえなくなりそうに弱々しくなっていたがあと少しだけ彼女の声を聞いていたくて顔をのぞきこもうとすると「生きててよかった……っ」振り絞るように小さくもれたその声にその言葉に自分が生きていることを許されたようで、ほっとしたと同時に体の力が抜けてクロエの小さな肩に額をつけて息を吐き出した。

「……俺も」

 生きていてよかったとはじめてそう思った。

「遅くなってごめん」

「……帰ろう」

「ああ」

「もう帰る家は水の底だけどな」

 ふたりの間でランタンが声を上げた。



 ∽



「……じゃあさ、旅に出る?」

 じゃあさ、明日の朝は外に食べに行く? みたいな調子で言うので、エリックが何を言ったのかクロエはすぐには飲み込めなかった。

「……え、なに。俺おかしなこと言った?」

 どうせ政府の仕事は続けらんないだろうから。俺はべつにこのまま旅に出てもいいとは思ってるけど。彼にしてはめずらしく早口で言い終えてからどこか気まずそうに目を泳がせていた。

「……私、一緒にいてもいいの?」

 エリックは意外そうに数回瞬いてから口の端で笑って髪をかきまぜてきた。

「もう、ちょっとやめてよ。こっちは真剣に話してるのにっ」

 そうはいってみたけれどエリックに顔を見られなくてよかったと思った。

 ────クロエがいい。

 その簡素的なエリックの言葉には、ここにいてもいいと許されるようななにかが含まれていて、それが喉をかけあがり声を振るわそうとしていたから。



 ∽



 列車の切符を買いに行くというのでついでに服を買うようにクロエに頼んでおいた。

 時間がかかるだろうとしばらくやめていた煙草の先に火をつけ煙を吸い込んでいく。

 街は水に浸かり救助活動の指揮を取る隙間に紛れて拝借した車を走らせ燃料が底を尽いた先の街の新聞では先日の顛末が大々的に流れ紙面を賑せていた。

 長官から元帥へと昇進した男の指揮のもと軍上層部の悪事が詳らかとなったことで幹部が一掃され冤罪も発覚したことで軍内部の捜査を見直すとのことだった。

「これであんたも浮かばれるな」

「人を勝手に殺すな」

「似たようなものだろ」

 幸いにも住民に被害はでなかったとの一文に煙を吐き出す合間に安堵する。

 大陸を結ぶ列車の開通を祝う記事の片隅に移植成功の文字が載っていた。

「なぁ」

「ん?」

「あんた昔心臓を移植したことあるか?」

「……心臓? いや、そんなおぼえはないが」

 戦闘の最中で見えたあれは俺の記憶ではなかった。

 前後の身を案じていた兵士は案内してくれた男に似ていたような気がしていたが確かめようもない。

「なぁ、それ、私にも吸わせてもらえるか」

 断れば背中から体を弾き出されるような圧迫感に気持ち悪さを掻き消そうと吸い込んだ煙に意識下ではない俺の声が口から出ていた。

「あー生き返る」

 もう死んでるだろ。と突っ込むのをやめて車外に灰を落とす。

 おそらく俺自身も似たようなものだろう。

 検体三号、か。

 ヴィンセントの言葉がやけに頭にちらついていた。

 人間でもないとはな。

「なあ」

「なに」

「お前、クロエがすきなんだろう?」

 理解不明な言葉に体を起こしたところで車の天井に頭を打ち付けた声がダブってシートに体を沈めた。

「馬鹿野郎。無駄にでかいんだ考えろ」

「うるさいっ、だいたいあんたがおかしなことを言うからだろっ」

「事実だ」

「だいたいあんな子供となんて犯罪だろ。あんたはなにを考え……」

「ほぉ? お前はなにを考えていたんだ?」

 言葉の選択を間違えたと気づいた時にはランタンに体を移し終えたヴェジーからしたり声が向けられていた。

「それ以上ふざけたこと抜かすつもりならそのランタン叩き折るぞ」

「まあそう怒るな。お前だって満更でもないんだろう?」



 ∽



「お前がはっきりしないから」

「なんで帰ってからも説教されなきゃいけないんだよ。第一はっきりしないのはあんたの方だろ」

「ああ? なにが言いたいんだ」

「ランタンに住み着いて彼女のそばにいるのは執着以外のなにもの──」

 ふたりして何か言い合っていて何を話しているんだろうとみているとそれに気づいたふたり(ひとりと一台)、主にエリックは不機嫌そうに話を中断したので結局何を話しているのかはわからなかった。

「そういえば、エリックはいいの?」

「?」

「不正とか、証言したりしないの?」

「あー……あとは群衆に任せる。トゥルリエッタもいるしまあ大丈夫だろう」

「そうだ、トゥルリエッタはどうなったの。無事?」

「あいつなら政府の建て直しで忙しくなるはずだ」

 渡された新聞の一面には見覚えのある金髪碧眼の軍服を纏った人物について大々的に記されていた。

 最年少で長官に就任した才知に長けた若き英雄。

 列車で助けてくれた期待の軍人と彼女とではどうも結びつかない。

 どちらかと言えば正反対のような。

 声をあげられずに見過ごされ犠牲になった人々のために私は立ち上がる。

 取材されたその一文には彼らしいと妙に納得して続く文章に目を通していると「待て、お前はこの男にクロエを預けていたのか?」不穏な声が割って入った。

「それが? あんたもいたはずだが」

「そうは言っても話がちがうだろう」

「どう話がちがうっていうの? だって、トゥルリエッタでしょ? 問題なんてないよ」

「それはそうだが」

「……なにを心配しているんだ?」とどこか含みを持たせたエリックは続けて「クロエ」と名前を呼んだ。

「なに、なにか買い忘れたものでも──」

 新聞を掴んでいた手を取られ「クロエ、この先も俺とずっと一緒に」軽口を叩いていた先程とは変わり真剣そうな瞳にクロエは硬直して瞬いた次の瞬間にはそれ以上に表情を凍りつかせたエリックが悲鳴めいた声を上げていた。

「うわああああやめろ」

「なにしやがる」

「こっちの台詞だ。人の体に入り込んでなにしようと」

「こっちはふたりが」

「それ以上口にしてみろ、これをぶっ壊す」

「手を離せ、若造。ロンシェにもらったランタンに傷ひとつでもつけるものなら」

「そっちがはじめたことだろう」

「それはお前がはっきりしないから」

「その話か、しつこいぞ」

 エリックが抗うように自身の口元を覆いランタンを鷲掴んだ腕ごと窓から外へと出していた。

「ねえ、はやくしないと次の街に着く前に日が沈んじゃうんだけど」

 そう口にしつつもふたりの諍いに弾んだ心のうちを隠すようにクロエはアクセルを踏み込んだ。

 ヴェジーとそれから意外そうにエリックも非難めいた声を上げていたがかまわずに次の街へと車を走らせることにした。






 終わり。

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死にたがりの兵士 花壁 @hanakabehanakabehanakabe

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