第7話 水の底で
中心地が大々的に爆発を起こしていたが住民の住む市街地は免れていることを横目で確認してトゥルリエッタは歩く速度をはやめた。
予定通り水路がいくつも崩壊されあふれだした水はとどまることなく崩壊した瓦礫によって堰き止められて山々に四方を囲まれた首都を沈めるように水位を上げてきていた。
どこかにいてくれと願いながら目当ての人物を探して歩く。
水嵩を増す流れの中で揺蕩う木材に引っかかるように浮いた長身痩躯が見えて、考えるよりも先に体が動いていた。
春先の肌を刺すような冷たさを多分に含んだ水が緩やかに体温を奪っていく。
身体に触れると氷のように冷たく名前を呼ぶも反応がない。顔は青ざめて血の気が引いていた。
「しっかりしなさいよ。死んだら許さないから」
肩に腕を回し岸まで泳いでコンクリートに打ち上げて自身も後に続いて水から上がる。
水分をこれでもかと吸い込んだ服が途端に重力を持ち重さが加わっていた。
人ひとりを持ち上げるなんてなんで私がしなくちゃいけないのよと悪態がついて出る。
エリックからの反応はなく口元に耳を寄せるも呼吸音が止まっていた。
昔習った救命措置を思い出し重ねた両の手で胸を数回押すと口から水を吐き出し咳き込んでいたが目を覚さないことに不安を覚え口元に耳を寄せると浅いながらも呼吸を繰り返していることに安堵して息を吐き出した。
ないよりましか。
水を多分に含んだ服を脱がせ、来ていたものをエリックの体に巻き付けた。
やがて身じろぐ音が聞こえ「……あれ。トゥルリエッタ。お前なにやって」場にそぐわない気の抜けた声が返ってきて「……馬鹿じゃないのあんたね、生きてるなら連絡くらいしなさいよ!」熱いものが込み上げたのは一瞬で嫌味を言うことでそれを抑え奥の方に押し込んだ。咄嗟の事に意味の繋がらない事を口にしてしまったことに気づく。
「はは、その格好でその口調。笑える」
「今度笑ったら水に突き落とすぞ」
∽
競り上がった水をひとしきり咳き込んで吐けるだけ吐いたら突っ伏した額に触れるコンクリートの冷たさが気持ちよかった。
起きれる気力はなくて這って淵まで行くと眼下には水が揺蕩って豊潤に街を満たしていた。見える都市は深く水底に沈み、その中心部にある高層建物の窓にいる人物と目があった気がした。
胡麻塩頭の精悍な顔つきのよく見知った顔はどこか知らない人のようで、それはきっと過去の幻影で、どちらともなく目を逸らした。
遠くの方では船が何隻か浮かび声をあげている者もいれば抱き合っている者もいた。どうやら住民は助かったらしい。その向こうの地平線からは日が昇り水面を照らしていてやけにあたたかく感じた。
「じきにここも沈むわ」
「ふぅん」簡素的な返事をする。
首都に特に思い入れがあったわけではなかった。でも最後まで見届けていたいとそう思った。
「それにしてもあんたよく助かったわね」
「……ほんと、なんで助かったんだろうなぁ」
正直死んでもよかった。でも、少しだけ。もう少しだけ、生きてみたかった。
エリック。
あの時、死んでもいいと思ったとき、クロエが俺の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
もしかしたら気のせいかもしれない。
でも、もう少しだけ。もう少しだけ、生きてみたかった。生きてみたいと思った。
「そういえばクロエは?」
トゥルリエッタの顔を見るとじとりと恨みがましげな視線を向けられて
「え、なに、俺なんかした?」
心当たりがないことにそのまま口にした。
「べつに」
なんで俺がこんなことしなくちゃいけないんだ。とぶつくさ言っていて意味がわからず首をひねった。
「今後、俺はもうお前の面倒はみないからな」
遠くの方から政府支給の漆黒の外套を纏った兵士がひとり駆けてきて敬礼をする。
「失礼いたします。アメリア長官」
「なんだ」
「本日、ダムが爆破されました」
「ああ。怪我人がいないか確認を」
「はっ。元帥ですが、塔の中での生存が見受けられます」
「いい。あいつらは助けるな。自業自得だ」
「……はっ」
「隊の連中は無事か」
「はい。みないつでも出られます」
∽
居心地が悪そうにしていたエリックは「じゃあ俺は行くから」と言って谷を下っていったのを訝しげに兵士は見送っていた。
「いい、あいつは気にするな。俺の連れだ」
「失礼しました」
「お前はまじめだな。みなにも無理はするなと言っておいてくれ」
「失礼いたします。……元帥」
その部下は背を向けると足早に去っていった。
「あいつは、……まったく」そう言いつつもトゥルリエッタは面映く感じていた。
背にした街は豊潤に水を満たしていた。
これから忙しくなりそうだな。
やることはたくさんあったが気持ちは晴れ晴れとしていた。
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