第四十揺 解き放たれた膠着
一方、アーキタイプ。
「っ?!」
突如として正体不明の悪寒に襲われ、煌は身を震え上がらせた。
「どうした?」
「あ、いや……なんか、自分の預かり知らない所でとんでもない事が起こってる気がして……気のせいか……?」
その悪寒の原因がとある女性二人組によるものだ、などということを煌は知る由もない。だが、その勘はかなり的確であったと言えることには違いなかった。
「……それで、私に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
「!」
凛の鋭い視線に気づき、煌は身を引き締める。
煌と凛は今、先ほどのだだっ広い空間にポツンと置かれたソファに座り、互いに向き合っていた。ソファは凛の座っていたデスクに負けず劣らずの高級感のある品で、座り心地と触り心地、いずれにしても素晴らしいものだった。
そう、触り心地や座り心地。それを、現実世界にいるかのようにリアルに感じるのだ。
勿論、クレイドルの中もリアリティはあった。いや、リアリティというより、もう現実そのものだった。クレイドルは悪夢の中の世界でありながら、夢特有の曖昧さもなく、純然たるものとして確立されたもう一つの現実だったのだ。
そしてクレイドル同様、アーキタイプも現実にしか思えない。絶壁から突き出る形で建物が聳え立っている、建物の外側には黒よりも黒い虚無が広がっている、そしてその虚無に向かって光帯が伸びている、などという非現実的な部分はあるのだが、それを差し引いてもリアリティは抜群である。周りのテクスチャを現実風のものにされてしまったら、ここがアーキタイプであると看破するのは恐らく不可能だ。
その点で言えば、クレイドルとアーキタイプは似通っていた。しかし、アーキタイプとクレイドルでは決定的に異なる点がある。
「クレイドルは夢の中だから、なんとなくだけど納得できた。けど、ここへは……アーキタイプへは、機械を通じて入ってきてる」
クレイドルは機械を介していない印象があった。もしかしたら脳内マイクロチップが関係しているかもしれないが、それが原因であるとは特定できていない。感覚としては、クレイドルは『なんか眠ったらいつの間にか着いてしまう不思議な世界』といった感じだ。
しかし、アーキタイプは違う。アーキタイプへは、専用のヘッドギアを使って侵入している状態である。コードで繋がっているプログラムの世界――つまり、イメージ的には電脳世界に近いのだ。
「でも、クレイドルとアーキタイプの雰囲気はあまりにも似通ってる……何らかの関係性があるのは確かだ」
―――非現実的な光景が当たり前のように広がる環境。
―――夢・電脳空間にしてはリアリティのありすぎる世界。
―――その場にいるだけで不安に駆られるような空気の虚ろさ。
偶然と言うには、それらはあまりに共通点を持ち過ぎていた。
「だからこそ聞きたい。この世界の根幹を知っているであろう、凛に」
単刀直入に、煌は核心に触れる。
「
「――――」
クレイドルとは。アーキタイプとは。
それは煌にとって、そして叛乱軍の必死になって追い求める最重要機密情報だ。今このタイミングで聞き出せたなら、間違いなく値千金の成果であろう。
勿論、凛もそのことは理解している。故に、その問いが投げかけられた瞬間、空気が一気に張り詰めるのを煌はひしひしと肌で感じた。
大気が急激に冷え込んだのかと錯覚するような温度感の変化に、煌も生唾を呑み込む。凛がここまで神経を緊張させる程に重要な質問で、価値のある質問なのだ。
冷や汗をかきながら返答を待つ煌に、数秒おいてから凛は目を伏せて答えた。
「……何なんだ、とは? 具体性に欠けるぞ」
「とぼけないでくれ。質問の意図は分かっているはずだ」
肩を軽くすくめる凛に、煌は目を鋭く細める。反応からして、凛が意図的に質問を躱そうとしているのは目に見えていた。
「なぜクレイドルには
「質問が多いな。全部に答えてたら私が息切れで死にかね――」
「冗談はいい。真面目に聞いているんだ」
どうも話を煙に巻こうとするきらいのある凛に、煌はやや苛立ちながら回答を迫る。煌がじっとみつめていることに気付くと、凛は静かに視線を上げた。
「冗談、か。それはこっちの台詞だな」
「――」
刹那、凛の冷え切った目が長い睫毛の隙間から覗く。
その威圧感に思わず身震いする煌。それは確かに、一人の支配者としての威厳が為せる業だった。
「教えろ、と言われてハイ教えます、なんて言う馬鹿がどこにいる?」
「……っ!」
「前提として私達は敵同士だ。それを理解した上での発言だったのなら、片腹痛いと言わざるを得ない」
凛はすらりとした脚を組み、右肘を左手で抱える。体勢は変えたが、その両目は未だ煌の顔をしっかりと捉え続けている。
「そもそも、一方的な要求なんてものが罷り通る訳がないだろう。表世界でなら相手側の良心で承諾されることもあるだろうが……
「……」
「この権謀術数の世界で良心なんてものが存在すると思うな。全てを疑え。互いが互いを騙し、唆し、誑かす。喧嘩両成敗なんてクソ喰らえさ。化かし合いで負けたのなら貧弱な自分のおつむを呪え。大事なモノを壊されたのなら守り切れなかった己が無力を嗤え。そういう理が堂々と闊歩できる世界なんだよ、ここは」
実力主義こそ至高、負けた奴が全て悪い。
弱肉強食と言えばシンプルだが、ことはそう単純じゃない。
弱くても、勝てばいい。勝ったという事実さえあれば、全てが正当化されるのだ。肉体的に強ければいいというわけでもなく、頭の回転が速いだけで勝てるほど甘くはない。弱肉強食よりよっぽど複雑だ。
「
裏世界を甘く見るなと。
敵を前にしてまだ気持ちの緩みが取れていないのかと、そう言われている。
―――遠足気分では決して無かった。
だが、凛の指摘が正しいのも確かだ。
凛に面と向かって敵だと宣言されてもなお、煌は凛にただの質問をした。それも、取るに足らないような情報ではなく、世界を揺るがすようなとびっきりの機密情報を聞こうとしたのだ。
何の対価もなく、何の覚悟もなく。それを尋ねようとする煌の未熟さを凛は咎めている。
また、凛に聞けば答えてくれると思っていたことは、それ自体がもはや凛への侮辱に近い。それは凛を敵としてではなく、味方の部類だと依然として思い込んでいたという事実の証左だからだ。
こうした敵を敵としてすら見ない煌の甘さを、凛は『遠足気分』と称したのである。
「……確かに。俺が甘かった。反省だ」
「分かればいい」
ふぅ、と一息ついて、凛が放っていた威圧を緩める。煌の反応は正しかったようだ。
「それで、どうするんだ? 私と直接話せるというのは叛乱軍にとって千載一遇の好機だ。私は基本的に何でも知っているからな。容易に情報を引き出せるわけじゃないが……垂涎モノの情報を取り揃えているのだし、聞き出せるなら聞き出しておくべきだと思うぞ」
片目を閉じたまま、凛は残る目で煌を見つめた。ともすればウインクにも見えるであろう、少し茶目っ気の入った動作だ。
それの意味するところを、煌は瞬時に理解した。
「―――あぁ、そういうことか」
欲しい情報を自分は持っている。ただし、タダでくれてやる気はない。
ならば煌はどうすべきか。
「……なんて、分かり切ってるな」
煌には分かってしまった。
これは、きっと凛なりの優しさなのだ。
これから暗澹とした世界で生きていかねばならないであろう煌に、生き残るための手段を遠回しに教えてくれている。
弱者が強者の喉笛に噛みつく方法を。言い換えれば、政府に盾突く叛逆者として必要な知識を。裏世界で立場を確立するのに数多の修羅場を潜り抜けてきたであろう政府側の猛者である、石見凛が――叛乱軍側の新人である煌へ、ノウハウを直々に叩き込んでくれるというわけだ。
「なにが敵同士、だよ……いつも俺に甘いんだっての」
凛に聞こえないように口の中で小さく呟き、凛に見られないように伏せた顔に微笑を浮かべる。
いつもそうだ。凛は、異常なまでに煌に甘い。甘々すぎて此方が胃もたれしそうなくらいには。以前はやや鬱陶しくもあったその愛の形が、精神的ショックで心を冷え切らせていた煌には沁みた。
だが、気は緩ませない。
折角、凛が設けてくれた機会だ。その彼女の厚意を利用しない手はないだろう。
盗めるスキルは盗む。引き出せる情報は引き出す。足りない経験はこの場で積む。
この状況を、己を高めるための試金石とするのだ。
「
その言葉に、凛は僅かに肩を震わして反応する。
「
その『紅』は、ニッと笑った。
***
場面は切り替わり、現実世界。
禿頭の男は設置された簡易的な椅子の背もたれに寄りかかりながら、腕の時計を眺めていた。
「もう20分かよ。こりゃ随分とイージーゲームだったな」
上機嫌に鼻歌交じりに葉巻を
実のところ、スカイフロント中央管制塔での戦いは現時点で彼の手中にあった。
叛乱軍の勢いを毒ガスで殺し、10階と11階に残した部下で足の止まった叛乱軍を消耗させ、叛乱軍と傭兵団が膠着状態になったところで情報室に暗殺部隊を仕向けさせる。ここまでは全て彼のシナリオ通りであり、結果として時間の大幅消耗をさせることができている。
残された時間は40分。10階と11階を踏破するのに20分なのだ、残り三分の二の時間で12階から17階まで行けるはずもないだろう。
「一つ想定外だったことを上げるなら……レオノールからの通信が途絶えたことだな」
バナードにとっての想定外。それは、向かわせた暗殺部隊の長であるレオノールが負けたということだ。
「ファックだぜ。あのバケモンがこんな簡単に殺されちまうたぁ、流石の俺も予想外だった。随分と痛手だ」
レオノールが死んだことを確信しているバナードは、先ほどとは一転、不機嫌そうな表情になって天を仰ぐ。見る人によっては、大切な仲間が死んだことにショックを受けて涙しているように見えるのかもしれないが―――
「あーあ。また
道具。素材。
バナードにとってのレオノールなど、所詮その程度でしかないのだ。せっかく見つけたレアドロップ品を不意の敵モブの攻撃でロストしてしまって、あぁ残念だなぁ、また集めなおしかぁ、とか。それぐらいの感想しかない。
たかが道具だ。道具一個を失っただけで悲しむ馬鹿がどこにいるのか。
要するに、バナードには仲間を悼む気持ちなど微塵もなかったのである。
「えーと、アイツはどう作ったんだったかな……あぁ、そうだ。右胸心の子供を親殺して攫ってきて、合併症がない奴だけを残して合併症持ちの奴は殺処分して……子供同士の殺し合いで心を壊してからの薬漬け、だったか? うわマジか、あれもう一回やんのかよ……結構コストかかるし面倒なんだけどな……」
バナードの口から漏れ出た、レオノールの悲惨な境遇。
それに耳を傾ける者が一人もいなかったのは、幸か不幸か。
「やってくれたよなぁ、叛乱軍よぉ……この代償は高くつくぜ?」
くつくつと笑いながら、バナードは咥えていた葉巻を灰皿に持っていき、トントンと叩いて炭化した部分を落とした。
「だがまぁ、結果も見えたことだしな。毒ガスでチンタラしてる叛乱軍が10階と11階に残した傭兵にちょっかいかけられて疲弊するのを待てば、こっちの勝利は確実だ」
誤算はあったが、大方予想通り。バナードの考えていた理想の展開にかなり近い形で物事は進行していた。
「まー、ガスを突破するとしても一箇所が精々だろうしな。ノコノコ出てきたところを弾幕を張ってればいい」
よゆーよゆー、と大きく口を開けて笑うバナード。
暫く男の声がそうして響いていたが、やがて笑いはフェードアウトし、バナードは椅子にもたれかかって天井を見上げる。
「……本当にそうか?」
気分が乗っていたバナードの心中に、微かな疑問が生じる。
相手はかの有名な犯罪組織である
そんな考えが頭の中を巡り始め、また暫くバナードは考えを巡らせる。
「……いや、ねぇな。爆発物が使えない以上、扉は力任せで強引に突破するしかない。そうだとしても扉は侵入者対策でかなり強固だからな、ちょっとした重機でも持ってこない限り突破すること自体不可能だ。そんな手段が叛乱軍側にいくつもあるわけねぇし、突破できても一か所が精々……。なら、突破された扉の方に戦力を集中させてやればいい」
一か所しか12階へ侵入できる場所がないのだから、叛乱軍だってそこに戦力を集中させてくる。出てくる場所が分かっているのだから、そこに傭兵団側も戦力を集中させてとにかく銃を撃っていればいい。弾幕を張っていれば、叛乱軍側だって容易には12階に侵入して来れないだろう。
一つしかない出口を封鎖することで、完全に相手の動きを封じる。これは蟻塚の巣穴に水を流し込むようなものだ。続けるだけで相手側の命運は急速に尽きていく。
「さぁて、どうなるか―――」
『―――T2部隊より報告。12階、叛乱軍による東側扉の突破を確認した』
「!」
胸につけていた無線機から入った情報に、バナードは遂に来たかとその隆々とした体を身震いさせる。
先に突破されたのは東側、つまりもう一つの西側の階段は突破されていないということ。ならば、西側に配置していた傭兵も全て東側に結集させ、袋叩きを狙うのが好手だ。
「俺だ。東側だな? オーケー、戦況を報告しろ」
『了解。現在、T2部隊が階段前フロアで戦闘中。敵影は現在4名で、後方にも数人が確認されている。指示通りフロアに弾幕を張っているが、そう長くは保たない。至急、増援を願う』
「ほーん。で、どうやって毒ガスを突破したかは検討がつくか?」
『恐らく……しかし、正確性に欠ける』
「それでもいい。伝えろ」
『了解』
2秒ほど空いた後、話していた傭兵とは別の傭兵が通信に出る。銃の中の弾を撃ち尽くして補給に戻ってきた傭兵と通信番を交代したのだろう。微かだが、機銃を連射している音が後方から聞こえていた。
『扉を突破したのは部隊を率いている男だと予想。身長190㎝は優に越す体躯で、モノクルを着けている男だ』
「扉を破壊した人間だと考えた根拠は?」
『男が他と比べてもかなりの重装備である上、他の人間に比べても兵士としての練度が段違い……というか、あれだけ装備して普通に動ける理由が分からない。圧迫感からして、分隊長格だと推定される』
「なぁるほど……そんな奴もいるのか」
爆薬を使ったのでなければ、扉を力づくで突破したに違いない。その男が他の隊員とは毛色の異なる装備を身につけていたというのであれば、その男に一因があると考えるのもおかしな話ではない。
(一人だけ重装備……となると十中八九、分隊長格の人間―――
圧迫感が違う、というのは真実だろう。叛乱軍の分隊長格ともなれば並みの強者ではない。
「とはいえ、そいつが強かろーとやることは変わらねぇ」
口角を吊り上げ、バナードは通信を切り替えた。
無線の送信先は傭兵団の各部隊。バナードは残る叛乱軍を殲滅せんと声を張る。
「聞こえてるなぁ、獣ども! 東側の扉にカモが現れたぞ! 12階より上にいる全部隊は即時東へ―――」
そう呼びかけたバナードに、右側に置いた別の通信機からノイズと共に悲鳴が入る。
『ほっ、報告!』
声色からして明らかに切羽詰まっている傭兵から、耳を疑うような事実が告げられる。
『こちら西扉!
「……あ?」
『繰り返す! 西扉が突破された!!』
予想外の展開にポカンとするバナード。
そんなバナードを気にも止めず、傭兵は恐怖で震える声を絞り出して『その存在』を言い遺す。
『く、
***
東扉が突破される前、遡ること2分前。
西側の扉を監視していた傭兵達は階段前フロアへ繋がる通路にバリケードを設置し、そこから扉の様子を見ていた。合金製の扉は鈍い光沢を備えており、フロアの天井に取り付けられた照明の光を静かに反射している。ガス充満による戦況の膠着から10分ほど、傭兵達の間には異様な緊張感が走っていた。
叛乱軍というと、裏世界ではかなり有名な組織である。反政府を目論み、反政府運動の一環として世界中のあらゆる場所へ水面下で手を伸ばし、世界の均衡を破壊しようとしていると専らの噂だが、同時に彼らが慈善活動を行っているのも有名な話だ。国家から見捨てられた紛争地域に出向いて現地住民を救出していたという話も聞く。
―――曰く。
どこまで真実かは分からないが、そういう側面もあって、叛乱軍には表世界なら普通に大成できそうな逸材がゴロゴロいるらしい、と。
『善』と断定も出来ないが『悪』とも言えないスタンスを持つ異質な組織であるからこそ、一部の超人の眼鏡に適い、叛乱軍は結果として凄まじい潜在能力を保持しているのだ、と。
そうまで言われていては、いくら世界最高峰の傭兵団『ブラッドハウンド』の一員である彼らとは言え、叛乱軍相手に油断できる道理はない。
フロアに肌を刺すような沈黙が流れる中、その時は突然訪れる。
ガァン、と。
扉に何か固いものがぶつかる音がフロア中に響く。金属と金属がかち合ったような耳障りな音だ。
傭兵達も突如として耳朶を打った轟音に肩を大きく震わせ、緊張で体を強張らせる。彼らはまだバナードに報告しない。叛乱軍側がやけくそで扉を殴った可能性もある。報告するのは事が起こってからだ。
数秒空けて、再び鳴り響く轟音。今度は短いスパンで何度も何度も、壁に何かが打ち付けられる。
ガァン、ガァン、ガァン。聞こえるたびに場の緊張度は急激に高まっていった。
それが数度繰り返されたのち、扉に変化が現れる。
音に合わせて扉の中心部がへこみ始め、そのへこみが徐々に大きくなっていく。その進行していく歪み度合いが、戦闘開始までのカウントダウンをしているようにも思えた。
「……あれ、合金だよな」
「あぁ、鋼より遥かに硬いって聞いたが……」
「ふ、普通に壊れかけてねぇか……?」
相当な硬度を誇るはずの扉が木材のように軋んでいくのを目の当たりにして、傭兵達は揃って顔を引き攣らせる。
扉がもう破壊される寸前、というところで轟音は一旦止まり、物音も一切が消える。
そして数秒の静寂。
「……銃撃用意」
何かを悟った部隊長が静かに戦闘準備を促し、他の傭兵も無言で銃を鉄扉へと構えた。それが意味するところを彼らも分かっているのであろう。固唾を飲んで、戦況が動き出すのを待ち構える。
「まだだ……まだ撃つなよ……」
部隊長が冷や汗を額から流す。
頬を伝った水滴が顎に届き、重力に耐え切れなくなって。
地面に落ちて。
―――鉄扉が、吹っ飛んだ。
「撃てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええッッッ!!!」
瞬間、いくつものガンフラッシュが空間を明るく照らし、それに伴い飛来する無数の銃弾が扉の向こうの敵へと襲いかかった。
扉の破壊から間髪入れずに放たれた銃撃の雨は、侵入者を鉄の体を以って容赦なく貫こうとする。
連続する銃声。瞬く閃光。木霊する空薬莢の落下音。
滝のように汗を流しながら、まだ姿すら見えていない敵を排除しようと躍起になっていた彼らだが。
『―――敵影確認。ブラッドハウンド傭兵団構成員5名に加え、三体の警備ロボット』
『戦闘体勢に入る。総員、陣形を組め』
彼らは、悠長に現れた。
数多の銃弾がその身に降り注いでいるのに、全く意に介していない。動きは速いが、対応がどう考えても遅い。銃撃されてから戦闘態勢をとるなど、悠長にもほどがある。というか、そんなことは出来ない。
何故なら、普通は死ぬから。人間は撃たれたら、普通死ぬから。
だが、彼らは死ななかった。
撃たれている。確実に撃たれている。襲い来る銃撃の雨が一発も当たっていないということはあり得ない。それでも、彼らは平然と立っていた。
「なんで……なんで死なねぇんだよ……!」
撃たれているのに死なない。その悪夢のような状況に顔を歪める傭兵の部隊長。
叛乱軍は不死身の兵隊でも作り出したのか、と一瞬思ってしまったほどに動揺していたが―――
「……っ、違う! 死なないんじゃなくて、そもそも当たってねぇ!」
「はぁ!? こんだけ撃って当たってないわけが……」
「
「はぁ!?」
弾幕で見通しづらくはあったが、目を細めて確認する。
どうやら撃ち込まれた弾は火花を散らして軌道を変えていき、後方か前方へと弾き飛ばされているらしかった。当人達は隊形を形成し、大きな箱を持った2人が前に出て、後ろ3人で射撃体勢を整えているようだ。
注視すると、叛乱軍の隊員達は黒一色の装備に包まれており、顔部はヘルメットをごつくした印象、体躯に纏うアーマーは光沢のある繊維質素材で出来ていた。金属のように固そうにも見えないが、銃弾が一発も貫通していない時点で防御性能は推して知るべしであろう。
「……なんだ、あの防弾性能……」
「アサルトライフルのフルオート射撃だぞ……なんで貫通できねぇんだ……!」
「くそ! もっと威力のある銃に換装しろ!」
そう言っている間に、前二人の隊員が箱のようなものを手前に掲げ、中腰になる。
『『シールド起動』』
発言と同時、黒い箱はプシューという排気音に合わせて四方から黒色の金属壁を展開させた。やや大きめのトランクぐらいのサイズだった箱がみるみると変形し、人二人分を守れるほどの一枚の強固な防弾壁と化したのだ。
この防御壁もまた、アサルトライフルの弾を一切通さない。生身の人体に撃ち込まれれば、その体の一部ごと吹っ飛ばすほどの威力を持つアサルトライフルの銃弾を、まるでビービー弾にでも撃たれているかのように軽くあしらっていた。
『スナイパーライフル、狙撃準備完了』
『3カウント後、狙撃に入る』
『了解』
壁の後方に控えていた3人がしゃがみ、長い円筒を構えて射撃体勢になる。この長い円筒とは、スナイパーライフルのことだ。
敵地、銃撃の最中。この状況でスナイパーライフルを使うなど、通常ならば気が触れたとしか思えない。スナイパーライフルは文字通り
けれど、彼らにはそれが可能であった。
狙撃準備に必要な時間は前衛の盾兵が稼いでくれる。盾を展開する時間も、銃撃を無効化するアーマーがあれば何とか稼げる。
『カウントを開始する』
『3……2……1……』
『今』
カウントダウンが終わり、それと同時に前衛の盾兵が盾を部分的に収納して銃身が通るぐらいの大きさの穴を作る。その瞬間、スナイパーライフルの銃口が火花と衝撃波を撒き散らして一発の弾丸を放った。三人合わせて合計3発。それぞれがスナイパーライフル特有の絶大な威力をもって傭兵団側に飛来する。
スナイパーライフルの威力は非常に高い。生半可なバリケードでは弾丸を防ぐことは出来なかった。
「ぉ」
「ぱ」
「あぎ」
三発の弾丸は傭兵団の用意していたバリケードを容易に貫通し、その向こうに隠れていた三人の傭兵の頭を吹き飛ばした。血と臓物が宙を舞い、部隊長の頬に付着して赤く染める。
「~~~~~~~~ッッッ!!?」
想像外の攻撃手段に戦慄し、部隊長は息を呑んだ。
彼らがこのフロアに現れてから1分も経っていない。それにも関わらず、五人中三人も葬られた。この短時間で、だ。
通信機を取り出す。通信先は勿論、自分の上官であるバナードだ。自分達の部隊に起きた異常事態を通達するために、絞り出すように声を出す。
「ほっ、報告! こちら西扉! 奴らが扉を突破してきやがった! 繰り返す! 西扉が突破された!!」
再びバリケード越しに見ると、彼らはまた壁を展開し、警備ロボットの放つ弾から身を守っている。かと思えば、いきなり壁を部分的に解除し、そこから狙撃を行っていた。撃たれた弾丸は正確無比、警備ロボット三体は同時に頭部を破壊され、鉄屑となって沈黙する。
「あ……悪魔……」
銃弾の効かぬ、それでいて一方的にこちらを殺戮をしてくる黒い兵士達。
彼らをそう呼称するのは、あながち間違いではないのかもしれない。
「く、黒い悪魔が! 黒い悪魔が来るッッッ……!! 」
「はっ、早く増援を」
部隊長が増援を要請しかけた時、バリケードを貫いてきた凶弾が部隊長とその側にいた一人の頭蓋を撃ち抜いた。
自身に何が起きたのかも、敵が何だったのかも正確に把握できないままに二人は、いや、その場の全員は死んでいったのである。
『西階段前フロア、掃討完了』
冷静な勝利宣言が、黒装備の一人から溢れた。
***
「す、すごい……」
「これが、叛乱軍最強と謳われる第三部隊の実力か……」
場所は変わって、叛乱軍本拠地。
巨大なモニターに映し出されているのは、黒装備隊員の装備するヘルメットに内蔵されたカメラから中継されている映像だ。画質が良いとは言えないが、戦況は充分に伝わる。
第三部隊の隊員が傭兵団の人間達を一方的に屠る様子を見ていたが、鳥肌が立つほどにそれは圧倒的なものだった。銃弾を弾きながら前進していく様子は圧巻であり、その強さは日の目を見るより明らかだ。
「……呵々」
第三部隊の強さにあっけらかんとする叛乱軍の情報班の隊員達、その後方で小さく肩を震わせる老人が一人。
「カ―――ッカッカッカッカッカッカッカッカッッッ!!!」
大きく口を開けて笑うのは、白髪の翁である。そう、『第三部隊分隊長』蕪木憲嗣である。
「見ーたか、有象無象の傭兵どもよ! アサルトライフルなぞ豆鉄砲! 現代の戦闘スタイルなんてクソ喰らえ! ビジュアルも完璧な漆黒のパワードスーツ! 儂の開発した超絶イケイケ最強無敵アーマーちゃんにひれ伏すがよいわ三下ぁ! 呵々っ!」
腰を大きく仰け反らせて、皺くちゃの面貌を一層皺だらけにする憲嗣は、さぞ愉快そうに笑っていた。
緊張の糸が張り詰めていたモニター室で一人だけ快活に笑っている白頭の翁に、周囲の叛乱軍構成員達は苦笑いする。良い意味、いや悪い意味でか、彼には全くと言っていいほど緊張感が無かった。
「しかし流石ですね、蕪木分隊長。あれが聞くところの『アイアンマン計画』の集大成ですか?」
「む? 何を馬鹿なことを。あれでもまだ
「は?! あ、あの性能でですか?」
憲嗣に話しかけた隊員が驚きの表情でモニターを再び見る。第三部隊が身につける黒いアーマーは十分に強力だ。しかし、それでも憲嗣は未完成だと言った。どこに改善点があるというのだろうか。
「今回の戦闘形式に合わせて筋力強化と防弾性にパラメータを振っとるがの、その分スピードと持続性がイマイチじゃ。あれではよっぽど鍛えた兵士でもなければ着て動くことすらままならん。汎用性、という意味では欠陥品と言って充分なシロモノじゃろ」
はーあ、と頭を掻いてため息をこぼす憲嗣に、隊員達はごくりと生唾を呑む。
憲嗣の発言は、つまりあの黒いアーマーの汎用化を目指しているということを意味している。殺傷力特化のアサルトライフルの弾ですら防いでしまう程の防弾性能を持った装備を誰でも着られるようになる、なんてことになったら、それこそ現代の戦闘スタイルの大変革が起こりかねない内容だ。世界に発表すれば、警察組織や軍事組織は勿論のこと、場合によっては民間の警備会社なんかでも採用されるだろう。世界中の犯罪者が震え上がること間違いなしだ。
それほどまでに価値がある大発明。
それこそ、目の前の老人が平然と言ってのけた大偉業の一端。その重要性が分かるからこそ、隊員達は戦慄する。
「アイアンマン計画……全く、末恐ろしい内容だな」
「あぁ……あの人はまさにSFの体現者だよ……」
そんな言葉がモニター室にいた隊員から漏れたのは、憲嗣を畏怖する言葉だった。
―――鉄人計画。
それはかつて実在した、高性能強化外骨格の開発を進めるアメリカ軍のプロジェクトの名である。鉄人ヒーローのスーツのような強靭なアーマーを実現させようとした一大プロジェクトで、プロジェクト立ち上げが世界に報じられた時はそれなりに盛り上がった。なんせ、鉄人スーツといえば男のロマンであったし、完全再現は出来ないまでも完成品は是非とも見たいと思う人間は多くいたからだ。
イメージ映像でアメリカ軍が発表した高性能強化外骨格の名は、Tactical Assault Light Operator Suit――略称、
しかし計画自体は2019年時点で頓挫しており、TALOSは完成に至らなかったという。
「じゃが……儂は完成させた。やり遂げた。呵々、約70年越しの人類の悲願じゃよ」
その鉄人計画を彼、蕪木憲嗣は遂行した。
彼の人生の中で最も力を入れたであろうその装備は、防弾性能が高いアラミド線維を組み込んだ上で、磁性流体を用いたリキッドアーマーを組み合わせ、アサルトライフルの弾を物ともしない装甲を備えている。長時間行動はバッテリーの関係上厳しいが、2時間程度ならなんとか高出力で動かせるように調整してあり、今回の作戦の切り札となっているのだ。頭部には通信機能と暗視機能だけではなく、ガスフィルターも付けているため、毒ガス兵器も効かない。
結果、銃も毒ガスも無効化する最強の兵団が出来上がったわけである。コストはかかるが。
鉄人計画に対する憲嗣の執念を感じ、隊員はあっけにとられながらも彼に尋ねる。
「70年……途方もない年数ですね。しかし蕪木分隊長を以てしても、70年前に断念された計画を完遂させるのはさぞ大変だったのでは?」
「そっっっりゃぁ大変に決まっとるじゃろ。開発が行き詰まった時期とか辛すぎて血便出たし。あ、血便知ってる? あれ痛いんじゃよねー」
「は、はぁ……?」
かかか、と笑いながら尻をさする憲嗣に、隊員は困惑の表情を浮かべる。隊員が困っているのに気づいたのか、こほんと一つ咳払いをしてモニターを眺めた。どうやら少しからかっていたらしい。
「色々と苦労もあったんじゃが、結果的には救われた。ああして、儂の作った機械が皆の役に立てておる。機械技師としてこれほどに嬉しいことはないわい」
「蕪木分隊長……」
「儂自身はクソほど弱いからのぉ。見てみい、このちっちゃい体。情けなくなってくるじゃろ?」
憲嗣は自身の体を見て、やや悲しげに言う。
憲嗣の体は筋肉こそついているが、成人男性にしては、加齢を考慮しても、かなり小さい体躯をしている。身長は150cmに行かないほどで、オズウェルのような武人に比べると戦力差が開くのはどうしようもないことだった。
「じゃから、こうして強い武器を作って、全員が生きて、んで勝って帰ってこれる可能性を少しでも上げなきゃいけん」
「!」
「儂も隊長の理想は叶えたい。隊長の理念に惚れたからこそ、その役に立つためならこんな身なぞ擦り切れるほどに酷使する」
「分隊長……!!」
「血便なんざ幾らでも出してやるわい」
「分隊長……??」
自身が苦労して開発した虎の子である強化外骨格を身につけた第三部隊が進んでいくのを見て、憲嗣は笑みを浮かべながら通信機の交信ボタンを押す。彼らは憲嗣にとって待望の機械兵団だ。自身の発明が日の目を見られたことが憲嗣にとっては嬉しくて堪らなかったのである。
童心に返ったかのように、目をキラキラと輝かせる一人の翁。
「さぁ行け! お前らの力を見せてやるんじゃ、機工兵団『
叛乱軍最強部隊、第三部隊『黒兜』。
その知られざる実力が今、スカイフロントで猛威を振るおうとしていた。
***
「おーい、応答しろ―。どうしたー」
バナードが通信機に声をかけるが、返答はない。どうやら西扉の突破を報告してきた部隊は既に壊滅したようだった。フンと鼻を鳴らして、通信機の交信ボタンを離す。
「はーあ。マジかよー……マジかー……」
顔を手で覆ったまま、椅子を漕いで天を仰ぐバナード。
「………くくっ」
歯の隙間から零れた小さな笑いが、やがて決壊し大きな笑いと変わる。
「くはははははははははははっはははは!! そうだよなぁ、そうこなくっちゃあなぁ!!」
叛乱軍はこのままでは終わらない。バナードの想定を覆し、叛乱軍は同時に東と西の扉を突破し、着実に進行を開始している。
「なんでもかんでも思い通りになっちゃあつまらなねぇ。全部想定通りに動くなら傀儡と大して変わらねぇしな。少しぐらい反発してくれるぐらいが潰し甲斐があるってもんだ」
そう言って立ち上がると、バナードは食んでいた葉巻を乱暴に捨て、別の通信機を取り出して交信を始めた。
「おーい、
『……聞こえねぇ。なんも聞こえねぇ』
「聞こえてんじゃねぇか」
通信機の先から聞こえるのは気だるげな男の声だ。その気だるげな声の裏側には、どこか憤怒も感じられる。
「出番だぜ、兄弟」
『……ざけんな。話が違うじゃねえか』
「いやいや違くねぇだろ。出張らなくても済むかもってのは、敵がガスで完全に足止めを食らった場合さ。今回は突破されちまっているし、戦うのも仕方ねぇだろ?」
『……ッチ。腹立つぜ』
「そう言うなって」
ケラケラと笑うバナードに対して、兄弟と呼ばれた通信先の男は明らかな苛立ちを見せる。それすらもバナードは愉しむかのように、一層ケラケラと笑うのだった。
「出陣しろ、兄弟」
『断る』
「いーや、断るな。上官命令だ」
『……テメェが行け』
「おいおい、俺ぁ上官だぞ? ――――黙って従えや」
笑ってはいるが、冷ややかな声が通信機に伝わる。強者の証として示されるその威圧感に、通信先の男も多少たじろいだようだった。しかし、男の不服そうな態度は変わらない。
「くはは! まぁ、そう拗ねるなって。安心しろよ、兄弟」
バナードの言い様に、通信先の男はやや驚く。恐らく、バナードが考えていることを察したからだろう。
『まさか―――……早いんじゃねぇか』
「お相手も頑張ってるみたいだしなぁ。ちょっとぐらい本気出してもいいだろ?」
腕をぐるぐると回して肩甲骨を伸ばし、バナードはゆっくりと歩きだす。
「
バナード・イーデン・ボイデル。
悪のカリスマが、遂に動く。
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