第四十一揺 Let's negotiate.

 

「取引だ」


 煌は目の前に座る男装の麗人に向け、そう言い放った。


「……取引、とは?」

「文字通りだよ。互いのカードを切って行う、情報の等価交換。当然、受けてくれるよな」

「ふむ」


 煌が申し出たのは、叛乱軍の情報の提供だ。その対価として、政府が持つ情報を差し出してもらうという、いわば情報のトレードである。

 一考する仕草を見せていた凛だが、すぐに視線だけをこちらに寄越して尋ねてきた。


「一応聞いておこうか。こちらがその取引に応じるメリットは?」

「国家組織に反抗する犯罪組織、その中でもかなりの力を持つ叛乱軍の情報が手に入るんだ。しかも、叛乱軍が狙うのは悪夢ナイトメア症候群シンドロームの撲滅。そんなの、どうあっても厄ネタにしかならない」

「まぁそうだな」

「放置しておくのは危険。とは言っても、世界を股にかける犯罪組織には容易に手出しできない。違うか?」

「……」


 叛乱軍は日本だけでなく、世界の各地に根を張っている。故に、一度に撲滅することが難しいのだ。

 例えば、日本政府が叛乱軍日本支部を叩いて、壊滅させることに成功したとしよう。

 だが、叛乱軍とて一筋縄ではいかない。彼らを潰そうとすれば、それなりの抵抗をくらうのは容易に想像できる。それに政府側にとってはそのダメージだけでも痛いのに、撲滅の際に切った手札を支部を通じて他の支部・本部の方に伝えられてしまう可能性まであるのだ。

 自分達の手駒が痛手を被るだけでなく、秘匿していた切り札まで伝えられてしまう。そこまでの被害を出して、ようやく支部一つ分だ。撲滅作戦を複数国家が同時に進めでもしない限り、困難がつきまとうのは目に見えている。


「だからこそ、弱点を知りたい。政府の被害は最小限で叛乱軍を潰したい。それができれば、自国から悪夢ナイトメア症候群シンドロームの真相を露出させられる可能性も少なくできるし、他国に恩も売れる。願ったり叶ったりだ」

「……一理あるな」


 静かにそう言った凛は、「だが」と続ける。


悪夢ナイトメア症候群シンドロームを秘匿したいのに、その情報をこの取引で渡すのでは本末転倒だろう」


 長い脚を組み直し、凛はさらに続けた。


「勘違いをするな。我々の最優先事項は『悪夢ナイトメア症候群シンドロームの秘匿』であって、『叛乱軍の撲滅』ではない」

「……」


 毅然とした態度でそう断言した凛に対し、煌は口を噤む。それが正論だったからだ。

 叛乱軍が悪夢ナイトメア症候群シンドロームの情報を奪取するのを阻止するために悪夢ナイトメア症候群シンドロームの情報を叛乱軍に渡すというのは、あまりに滑稽な話だ。凛が断るのも当たり前である。

 しかし、煌の反応を見て、凛はあることに気づいた。


(……自分の発言の矛盾の指摘に動揺していない。つまり、その矛盾には既に気づいていたということか)


 その発言の矛盾が分からないほど、煌も馬鹿ではない。


(……こちらを嵌めようとしたな。いや、その話に私が乗るとも思っていなかっただろう。となれば、交渉始めの様子見……いや、挑発か?)


 煌の発言は罠だ。完全に凛を騙しに来ていた。

 そして煌の平然とした態度から、凛が引っかからないのも想定済み。つまり、凛の実力を見るための様子見。凛を試していたということだろう。


「……やる気だな」

「勿論。遠足気分は捨てたからな」


 少しだけ口端を上げる煌。それを見て、凛も少しだけ笑った。

 それならば、と本腰を入れることにし、凛もスイッチを切り替える。


「とはいえ、叛乱軍の内部情報が手に入るのはメリットが大きい。そちらの情報は是非とも欲しいな」

「取引成立だな。なら提案だ」


 まずはスタートラインに立った。しかし、本番はここからである。

 この取引という名の頭脳戦において、戦いの火蓋を切ったのは煌だった。


「こちらが渡せる情報に対して、そちらから欲しい情報を提示してもらおう。情報が取引に相応なものかは俺が判断する」

「あくまで自分が取引を先導する立場、だと? 笑わせるな。話の主導権は私にある」


 煌が臆さずに凛と対面するように、凛は毅然として煌を威圧する。


「叛乱軍と政府とでは、そもそも立場の優位性が違うんだ。そちらにとって情報の不足は死活問題だが、こちらにとっては叛乱軍の情報どうこうはそこまで大事じゃない」


 叛乱軍の目的は現状の打破。政府の目的は現状の維持。叛乱軍は邪魔な存在ではあるが、どうしても打倒しなければ存在というわけでもない。一方で、叛乱軍にとって政府は絶対に倒したい存在。今回の取引において、何がなんでも情報を手に入れたいのは叛乱軍側だけなのだ。

 今回の交渉は凛の厚意でセッティングされただけのものだ。それを叛乱軍側の人間が仕切るとなると、流石に気乗りしないだろう。


「つまり、こう言いたい訳だ。この場において、叛乱軍の立場は政府よりも弱い、と」

「当たり前だろう? そんなの少し考えれば―――」


 分かることだ、と言いかけた凛。

 その横顔を、


「……」


 赤い稲妻が通り過ぎて行った後を横目で見て、凛は表情を変化させずに視線を戻す。

 稲妻の発生源と思われる人物は、この場に一人しかいない。遅れてやってきた突風が美しい黒髪をたなびかせていく中、凛は目を細めながらもその現象を捉える。


 現象の発生源は、もちろん煌だ。凛の眼前に座る青年は彼女から視線を逸らすことなく、体から凄まじい量の電雷を放出している。

 いや、放出するという表現は正しくないだろう。煌はただだけであって、電雷は意図的に放出したものではないのだ。煌の中に内包されたエネルギーが体という器からも溢れ出し、空気との摩擦を起こしているが故に起こってしまう副産物でしかない。

 エネルギーの漏出が大気をひずませ、生み出された赤雷が網膜を焼き尽くすような鋭い閃光を伴う。それと時を同じくして耳をつんざくような甲高い音を奏でられ、赤雷は煌を囲むように迸った。煌の放電の影響は周囲にも及んでおり、二人の間に置かれたテーブルは衝撃波で部分部分が弾け飛んでいき、床に敷き詰められたタイルが無数の罅割れを起こしているところだった。


「……これは」


 煌が見せる叛逆者リベールとしての力の奔流を目の当たりにして、凛は思わず声を漏らす。

 歴戦の猛者ですら圧倒されるような威圧感を遺憾無く発揮していた煌だったが、しばらくするとその力は弱まり、エネルギーの放出は収まった。


「今ので分かったと思うけど、俺にはこれだけの力がある。中央管制塔局長っていう最大の情報源を目の前にして俺が強硬手段に出ない理由は……まぁ言わなくても分かるよな」

「……」


 煌は理由を秘したが、その意図するところは凛も理解している。

 強硬手段、つまり暴力に訴えかけて凛から強制的に情報を引き出すことも煌にとっては可能だ。それが出来るだけの力があることは目の前で見せられたばかりだし、叛逆者リベールともなれば煌の力量には納得もできる。

 それが出来るのにしないのは、煌の凛への厚意だ。凛が煌に交渉の場を用意したのと同様に、煌も凛へ厚意を見せている。だが、それは無償の厚意ではないのだろう。


(煌も理解している……この交渉で、私に害意を向けることがどれだけ悪手なのかを)


 煌は強がっていたが、叛乱軍の方が政府より立場が弱いのは事実である。これは情報量的に仕方ないことであり、現状では覆せない。

 しかし叛乱軍が差し出せる情報では、悪夢ナイトメア症候群シンドロームの核心に迫る内容と等価になるものが少ない。だから、凛から情報を引き出すのには凛にある程度譲歩してもらうしかないのだ。


(そう……「叛乱軍がどれだけ有用な情報を手に入れられるか」=「凛をどれだけ譲歩させられるか」なんだ。凛が譲歩してくれなくなる行為は出来るだけ避けなければいけない)


 とはいえ、交渉の主導権が凛側に完全に渡ってしまう事態は避けたい。

 取引で主導権を握ることができれば、多少取引内容に無理があろうが強引に押し通すことができる。立場が弱い叛乱軍側にとって、主導権が取れることはかなり嬉しい。

 とはいえ、主導権を主張する、以上のことを煌はしない。何故なら、過度の圧迫は相手に負の感情しかもたらさないからだ。


(こちらに悪感情を持たせてしまうのは不味い……俺が「いい交渉相手」でなければ、引き出せる譲歩も引き出せなくなってしまう)


 情報を得る為、下手したてに出る。ただし、カモられないように立ち回る。

 それが今、煌のしなければならない行動だ。


「ったく……初陣でやる任務にしては難し過ぎるんだよ……」


 課せられてしまった難題に思わず苦笑いを漏らす煌。経験豊富な凛に対して、煌は交渉ごと自体が初めてなのだ。チュートリアルが終わった瞬間にラスボスが現れるみたいなものだろう。どんなクソゲーだよと叫びたくもなる。


(けど……経験不足にしても、別に無知なわけじゃない。思い出すんだ)


 そして煌は思い返す。叛乱軍にいた一か月半の内に叩き込まれた数多くの知識を。




 ***




「さて、夜野少年。今日は交渉術の授業です。張り切っていきますよ」

「頑張れなー」

「は、はぁ……」


 机に座っている煌の目の前にいるのは、二人の男性。一人はモノクルを着けた色白の高身長男性で、もう一人は褐色肌の低身長男性である。

 二人は叛乱軍第四部隊分隊長、ルーファス・アイザック・ガーランドとロドリゴ・ロチャ・ペリーラだ。互いを「旦那」「ロド」と呼び合っており、恋人同然、というか恋人としていつも二人でいちゃついている。分隊長の中で唯一、二人一組でその任を務める彼らだが、その実力は勿論折り紙付きだ。戦闘能力だけでなく、こうして交渉術を教えることもできる時点で彼らの有能さが知れる。


 だから、煌は彼らが交渉術を教えることについて疑問は持たない。煌が困惑したのは、それ以外の部分だ。


「あの……なぜそんな恰好を……」

「「え?」」


 遠慮がちに聞く煌に、二人は怪訝そうな顔をする。

 ルーファスはゆったりとしたローブ調の黒服を身につけており、頭には海外の大学で見るような学士帽をちょこんと乗せている。モノクルをきらりと光らせてながら細長い教鞭をぱんぱんと手の平に叩きつけているあたりはサマになっているとも思えた。

 そしてロドリゴは白い高校制服を着崩していて、中からカラーTシャツを覗かせているのと腰にセーターを巻いているのとで、若干グレている高校生感を醸し出している。


「ルーファスさんは教師のコスプレ? みたいな感じを出したいのは分かるんですが……その……ロドリゴさんは何故にその恰好を?」

「え。ニホンの高校生はみんなこんな格好をしてるんじゃないのか?」

「……あぁ、なるほど。ロアナさんから聞いたんですね……」


 日本の学生に対する歪んだ見解が誰によってもたらされたのかを一瞬で理解した煌は、叛乱軍が日本のオタク文化で染められつつある現状に頭を痛めた。叛乱軍の常識が歪もうが煌にはどうだっていいが、周囲の人間がどんどん奇怪な行動をとり始めるようになっては困る。


「そもそも、授業をするのにコスプレする必要もないでしょう」

「いえいえ、こういったものは形から入るものですよ」

「旦那の言う通りだぜ。二ホンでも言うだろ? 『郷に入っては郷で踊れ』って」

「ごっちゃになってますよ。なんですかその迷惑なフラッシュモブは」


 日本のことわざである『郷に入っては郷に従え』とドイツの格言の『人の踊る時は踊れ』が完全に混同してしまっているロドリゴに思わず突っ込む煌。普段は冷淡なスタンスを貫き通している煌だが、ロドリゴやロアナといった幹部達の前では思わずそれが崩れてしまいがちだ。崩れる、というか、突っこまざるを得ない状況にさせられるだけなのだが。


「というか、単純にお二人がコスプレしたかっただけなのでは」

「図☆星」

「……もういいです。講義をお願いします」

「はは。戯れが過ぎましたかね。これは失礼」

「んじゃ、さっそく内容に入っていくぜ」


 用意された黒板に白いチョークで授業内容を書き込んでいくルーファス。


「まず、交渉事を行う上で最も重要なことが何か分かりますか?」

「……相手の思惑に乗らない、とか」

「ええ、それも重要ですね。ですが、その考え方は危うくもあります」

「危うい?」


 ルーファスがチョークをピッと突き出して、煌へ笑いかける。


「いいですか。交渉において『勝ち負け』を意識してはなりません」

「!」

「交渉とは、自分にとっても、そして相手にとっても満足のいく結果を引き出すための手段です。後から見ればこちらの方が損をしたとか、相手の方が得をした、という形になることもあるでしょうが……自分が相手より優位に立つ、というより、互いの納得できる着地点を用意することこそが交渉の目的なのですよ」


 にこりと微笑みながらそう述べるルーファスに、煌はやや納得がいっていないような顔をする。ルーファスの言い分に不満があったからだ。


「そうは言うけど、相手を貶めようとするタイプの交渉だってありますよね。誘拐犯と警察が身代金交換の交渉をする時とか、政治的な取引とか」

「そうですね。ですが、どちらも実は『勝ち負け』を意識をしているわけではないのですよ。前者は警察の『人質を安全に解放したい』という要求と犯人側の『金が欲しい』という要求の丁度いい着地点を探すためのプロセスとして交渉があるだけで、犯人を捕まえる、警察から逃げるというのは、その先にあるものです。ほら、その交渉自体は『勝ち負け』が関係しないでしょう?」

「……詭弁じゃないですか?」

「はは。詭弁ですか。それもそうかもです」

「?」


 要領を得ないルーファスの主張に、煌は困惑するばかりだった。その煌の様子にルーファスはまた破顔して答える。


「要は心持ちの問題なのですよ。相手を騙そうと躍起になっていると、その意図というのが案外相手に伝わってしまうものです。なので、『勝ち負け』という意識は一旦捨ててください。振り返ってみて、お互いが良い交渉だったと思えるような交渉を心掛けるのです」

「……」

「見るからに納得してないなぁ。ま、オイラもなんとなくお前さんの言いたいことは分かるぜ。綺麗ごとを言うな、ってカンジだろ?」

「……そんな感じです」

「はは、正直でいいですね。ですが、これは私のスタンスなのです」


 そっと左手を自身の胸に手を当て、チョークを指の間に挟んだままの右手でモノクルの位置を整えるルーファス。


「私のモットーは、『如何なる時も紳士的に在る』ことです。決して取り乱さず、礼節を失わず。相手には敬意を持って接し、互いを思いやる。それこそが英国紳士を名乗る者として尊守すべき在り方だと思うのですよ」

「……偽善だ」

「えぇ、偽善です。ですが―――」

「やらない善よりやる偽善、だぜ? オイラ達は自分を恥じるような生き方はしないってだけさ」

「―――」


 椅子の背もたれに手を置いてガニ股で煌を見つめるロドリゴ。

 偽善であろうが、自分に嘘はつかない。交渉を「相手を出し抜くための道具」と考えるのではなく、「相手と分かり合うための手段」と考えるのだ、と。歯の浮つくような気障きざったらしい謳い文句を、彼らはモットーとして意気揚々と掲げているのだ。

 裏世界の人間としてはあまりに異端。それでも、彼らは胸を張ってそのスタンスを維持し続けるのであろう。


 ―――確固たる倫理観を持つ彼らに少しばかり煌が嫉妬してしまったのは、ここだけの話だ。


 褐色の面貌にえくぼを浮かべて、ロドリゴはルーファスに代わって煌に語りかける。


「そんな気難しい顔すんなって。別に、旦那みたいな生き方をしろって言ってるんじゃないぜ。ただ交渉ごとにおいては、勝ち負けに拘泥しすぎるなって話さ」

「ロドの言う通りです。目的に対してハングリーになるのは大変結構。得られる成果は多いに越したことはありませんとも。しかし、成果を求めるあまり前のめりになってしまうのは良くないです。最大の成果を得られるはずが、気づけば敵に嵌められ追い込まれて絶体絶命。あり得ない話ではないですからね」


「だからこそ」とルーファスは続く言葉を強調する。


。これが交渉において重要なことの一つでしょう」

「引き際……」

「熱くなりすぎるな。深追いしすぎるな。達観した視点を予め自分の中に用意しておくんだ」

「具体的に説明していきましょう」


 ルーファスがチョークで黒板に箇条書きの形式で綴っていく。


「交渉は事前準備が肝要です。まず、自分が『絶対欲しいものMUST』と『出来れば欲しいものWANTS』を前もって決めておくのがよいですね。これを念頭に置くだけで交渉の指針がはっきりします。前者を交渉で取りに行くのが最優先事項です」


 ルーファスが書いたのは、箇条書きの一つ目。①の文字の隣には『自身の妥協ラインを決めておく』と書かれている。


「次に、相手が何を欲しがっているか、どこまでなら譲歩させられるか。これを出来るだけ予測しておくことだな。これは自分の行動じゃなくて相手の行動の指標にするといい」


 ロドリゴが話した二つ目の項目に関して、ルーファスが『相手を理解する』と黒板に書き連ねた。ここまでで二つ、箇条書きにはまだ欄が一つ残されている。


「そして最後が、自分が出せるカードを把握した上で、そのカードを切った時の相手の反応をある程度考えておくこと。自分の切った手札に対して相手がどう反応するかで、その後の対応も変わりますからね。予想される反応と合わせて、相手の返答に対するリアクションも脳内に入れておくのがベストです」


 最後の箇条書きである③の横には、『展開を予測する』との文言。

『自身の妥協ラインを決めておく』『相手を理解する』『展開を予測する』。それが二人の主張する交渉ごとでの最重要ポイントであり、煌が必ず頭に入れておかなければいけない前提知識だった。


「これが3つの交渉の要……」

「えぇ。これら3点を抑えるのは当然のことなのですが、これすらも『ある点』に関しては、重要度が劣ると言っても過言ではありません」

「ある点?」


 そう言うと、ルーファスは三つの箇条書きの、その更に上―――最上部に、大きな丸を書いて文字を書き込んだ。



「それは、『相手を見ること』」



 ルーファスの灰青の瞳が、煌の黒瞳を真っすぐに貫く。


「……!」

「色々と話しましたが、結局はこれに尽きます。相手を見て、相手を知り、相手を読む。これさえできれるのなら、小手先の技術は必要ありません」


「その境地に至る玄人は少ないですがね」と笑うルーファスを視界に収めながら、煌は教えてもらった内容を反芻し、自分の中に落とし込んでいく。

 この数分の間の内容ですら、煌にとっては新鮮な知識だった。しかし、覚えたての知識は定着しづらい。だからこそ、その知識を少しでも己の武器として振るえるように煌は脳内反芻による記憶の定着を促しているのだ。


(……! なんと、既に内容の定着を図っているのですか)

(まじか……もう内容を呑み込んでるのかよ。やっぱり、お前さんは逸材なんだな)


 煌が視線をやや下に向けて思案している様子を見て、二人の幹部は彼の利口さを改めて実感する。知識に貪欲な姿勢をとるのは、聡い人間が無意識にする行動だ。それに基づいて言うならば、煌は人より遥かに知識欲が強いのだろう。

 この短時間で彼の才能の片鱗に触れ、ルーファスとロドリゴは武者震いをした。


「……これは、鍛え甲斐がありますね」

「シュティーネがお前さんを執拗に訓練でぶん投げまくる理由、少しわかった気がするぜ」

「えっ」


 二ヤリ、と笑った二人に気付き、煌は顔を硬直させる。まさか、と煌がルーファスの顔色を窺うと、ルーファスは紳士的な笑みに悪魔を潜ませて笑った。


「さぁ、座学の時間です。今日は眠れないと思いなさい。完☆徹」


 二人が手をワキワキさせながらにじり寄ってくる中、煌は全身から血の気が引いていくのを感じていた。




 ***




 結局15時間ぶっ続けで講義された記憶がリフレインし、小さく身震いさせる煌。恐ろしい経験だったが、身になるものは確実にあった。

 表情筋の操作、心の平静の保ち方、交渉におけるテンプレートの流れなど、今も煌が行っている技術の多くは彼らから学んだものなのである。


「強引に聞き出すことはしない。俺がしたいのは交渉であって尋問じゃないからな。ただ、少しはその意図を汲んでほしいってだけだ」

「……提案に応じるかどうかは私が決めるぞ」

「勿論だ。それでいい」


 まずは交渉の主導権を握れたことを内心で安堵する煌だが、これはまだ第一段階に過ぎない。そもそも交渉は始まってすらいないのだ。ここまでは全てルーファスとロドリゴとで組み上げた台詞に従っただけだ。出来るだけ対等に話し合う為の条件を揃えただけなのである。


(ここからは武力をちらつかせることは出来ない。武力で引き出せる譲歩は充分に引き出した。後は、純粋な交渉能力だ)


 ここからが正念場だ、と腹を括る煌。


(ここから先は一手も間違えられない)


 そう。ここからは、相手の一挙手一投足を一分いちぶたりとも見逃せない緊迫した戦いであり、ただひたすらに最善策を探り続ける戦いなのだ。


「時間がないから単刀直入にいこう。まずは、俺達が要求する内容に対する対価として出せるカードを提示する」


 それは、事前にルーファスから聞かされていた『叛乱軍が出せる切り札』。


 ―――相手は電子の怪物です。我々が秘匿できていると思っていた情報まで把握しているかもしれません。

 ―――しかし。賭けではありますが、政府側も把握できていないやもしれない情報が一つあります。

 ―――不発に終わる可能性もありますが……我々の見解では、予想以上にこのカードは彼らにとって


 それは、煌にとっては当たり前のように知っていた一つの知識。

 つい最近になってから叛乱軍に舞い込んだ、新しい戦力のその一端。

 叛乱軍側が考え抜き、「もしかしたら」を結集させて捻りだした、理論的最適解としての切り札。




「叛乱軍に与する『紅』の叛逆者リベール、夜野煌―――その




 各叛逆者リベールが所有する、固有能力。

 煌がこの交渉で切ったカードは、、それを政府側に伝えるというものだった。





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