第三十八揺 戦闘狂は、斯く笑う


 先程までの戦闘音が嘘だったのかと思えるほど、情報室は静まり返っている。


 硬直するレオノール。沈黙を貫くロアナ。

 何が起こったのか分からずに唖然とするレオノールは、どうやら血液不足で頭が上手く回らないらしく、依然として何も出来ずにいた。


「……がふっ」


 口から膨大な量の血を吐き出し、不倒の巨女は遂に地に伏せる。

 体の感覚が失われていくのをひしひしと感じ、レオノールは自身の命が風前の灯火であることを実感した。


「……なんで、だ……」


 自身に残された時間が少ないことに焦ったのだろうか。自身の中に渦巻く疑問を一刻も早く解消するため、レオノールはイマイチ要領を得ない質問を目前の女に問いかけた。


「なんで、って言われてもね。そういう返答に困る質問は答えないタチなんだけど」


「……じゃあ。か……なら、教えてくれんのか」


 息も絶え絶えといった状態で出された問いかけ。

 レオノールはブロンテースを起動させている時、ロアナの状態をしっかり目視して記憶していた。

 両手には武器もなく、周囲にもない。すぐに立ち上がれる体勢でもなかったから、どこかに取りに行った線もないだろう。


 ならば、あの一瞬でどこから銃を取り出したのか。


「何言ってるんだい、アンタも見てたじゃないか。あの拳銃を」

「見てた……? そんな、バカな」


 見ていた。そんなわけがない。見ていたら、見落とすはずがない。

 そもそも、ロアナは最初から拳銃なんて持って―――


「……あ」


 そして、気づく。


 先程、ナイフを弾くのに蹴り上げていた拳銃。

 


「まさか」


 間違いない。

 ロアナが使い。

 どこからともなく現れ。

 そして、レオノールを穿った銃の正体。



 それが、だとしたら。



 あれならばレオノールも見ているので、確かに辻褄は合う。


(……百歩譲って、そうだとしても)


 辻褄が合いはする、のだが。

 そうすると、信じがたい事実が浮上してくることになる。


 弾かれた銃を使ったということは、つまり。


 ナイフに当たった後、ことを意味している。


 ――ナイフの当たる角度。

 ――弾かれた時の拳銃の軌道。

 ――落下した銃がぴったりと手に収まるような腕の配置。


 この女は1秒にも満たない時間で全てを計算し、その上で蹴り上げたというのか。


「そんな、ことが、できるわけが」


「……肉体能力には自信がないけど、器用さは数少ないアタシの取り柄なんでね。残念ながら、あんなのは朝飯前さ」


 ロアナは多くは語らない。

 しかし、その言は暗にレオノールの導き出した考えを肯定していた。


「じゃあ、あの目眩しも」


「あぁ、拳銃をキャッチしようとしてることがバレたら厄介だからね。アンタ、


「……っ!」


 度重なる戦闘で、ロアナは気づいていた。

 レオノールの、最大の強み。

 右胸心でも、大柄な体でも、死を恐れぬ意気でもない。



「優れた動体視力と桁外れの反射神経……つまりは、『目』。それが、アンタの本当の武器だ」





 視覚刺激を受けてから体にアクションを起こそうとする場合、その平均的な反応時間は180から200mmsecであると言われる。

 しかし、それはあくまで平均。平均なのだから、もちろん反応時間が平均より早い人間もいる。その一例がレオノールだ。


 レオノールの反応時間は60mmsec。


 なんと、常人の3分の1という恐るべき反射速度を持つのである。


 これの及ぼす影響は想像よりも遥かに大きい。

 情報室に入ったばかりの時にレーザーの初射を見事に交わしてみせたのも、視界の端でレーザー発射装置が起動するのが見えたからだった。

 暗かったのにも関わらず張り巡らされた極細のワイヤーに気づけたのも。隠れていたはずのロアナを目敏めざとく見つけたのも。ロボットの高周波ブレードを真剣白刃取りして見せたのも。

 それら全てが、彼女の視力の賜物だった訳だ。


「アンタの視力が完全だったら、アタシが弾いた拳銃を再び使おうとしてることに気づけたはずだよ。軌道自体は単純だからね。銃の落下運動さえ見ていれば、この攻撃を予測するのは易い」


「だからこその、目眩し……」


「そういうこと」


 レオノールの反射速度は脅威だ。あの超接近の状態からでも、落下する銃を見て回避される可能性は十分にあった。

 銃弾を外してしまえば、丸腰で立ち上がれもしないロアナはブロンテ―スの格好の餌食。高圧電流を流され、一瞬で命を刈り取られていただろう。

 だが、視力を潰してしまえば話は別だ。銃に気付かれて回避される心配はない。


「っ……だけど、銃を使うのは、危険だって、お前が」


「言ったね。けど、ロボットを散々倒しまくってハイになってるアンタが、ただの目眩し程度で突進を止めるはずがない。どうせ直進しかしないんだから、銃だって外しようがないだろ」


「―――」


 先刻、ロアナは『外さないから自分は銃を撃っていい』と言った。

 そもそも銃を使わない理由は、『外したら機械を壊しかねないから』だ。ロアナが銃を使えた理由はそこにある。


「アタシは外さないんじゃなくて、。外しようもない配置なら、誤射を心配する必要がないからね」


 技巧ではなく、知略。


 百発百中でなくとも良い。ド素人でも外しようがない距離の敵を撃つのなら、凄腕は必要ない。


「それも、全部、計算の上で」


 レオノールは唖然とせざるを得ない。

 いつから、この構想を組み立てていたのか。


 室内を暗くすることで、暗視スコープを付けさせ。


 レーザーとワイヤーのトラップで油断を誘い。


 隠伏させたレーザーの一射で確実に部下の数を減らし。


 幹部とタイマンに持ち込み、ロボットで消耗させ。


 あえて体制を崩すという隙を見せて敵を誘い込み。


 暗視スコープを利用して目眩しをし、敵の予測を阻害し。


 銃弾を外すことのない状況に仕立て上げ。


 冷静に、撃ち放った。



「それ、全部」



 計画の上。


 それだけではない。

 情報室が襲撃されることは予測できていたのか。

 レオノールが右胸心であることも想定に入れた上で、次点の手を打っていたのか。

 レオノールを前にして焦っていたようにも見えたが、あれもレオノールを助長させるための演技ブラフなのか。

 どこからどこまでが彼女の掌の上だったのか、まったくもって見当がつかない。


 しかし、これほどまでに精緻な策略が他にあるだろうか。

 ロアナを超絶技巧の人形師とするのであれば、レオノールはさながら機械仕掛けの舞台人形だ。歯車一つ一つが寸分の狂いも起こさず結果的にプログラム通りの動きをする、舞台脚本シナリオに沿うだけの絡繰りなのだろう。


 まさに天才の領域。凡夫には一生たどり着けぬ、知略の最高峰。

 それが今、目の前にいる女の正体だ。


 そしてレオノールの口をついて出たのは、悔恨の独白でも、懺悔の言葉でも、命乞いの台詞でもなく。



「すげぇ」



 ただただ、純粋な賞賛。


「すげぇ。すげぇ! すげぇッッッ!!!」


 血がべったりと付着した顔を徐々に興奮で染め上げながら、レオノールは叫ぶ。


「知略! 度胸! 技術! どれをとっても一級品だぁッ! そんじょそこらの兵士とはレベルが違う! 純粋な力では測れない、策士としての価値が桁違いだ!」


 頭脳、という点で言えばバナードも相当だが。

 しかし、この女はそれとは別物だ。


! 人間味を捨てたどこまでも純粋な知識を策略に組み込んでやがる! まるでプログラムだ! アタイは機械人間でも相手にしてたのかとでも思っちまったぜ!」


 既に赤い顔が、さらに紅潮していく。


「あぁ! 最高だ、最高だった! お前には感謝しか感じねぇよ!人生最後の戦いがこんなにも愉しくなるとは思ってなかったぜ、ハッハァ!」



 ロアナのような稀有な存在と命の駆け引きが出来たことが何よりも嬉しいのだと。



 ―――戦闘狂バトルジャンキーは、斯く笑う。



「これだから殺し合いはやめられねぇ! この胸の高鳴りこそが正義だ! 尊ばれるべき生命の意義だ! 人の世で最も愛された闘争の在り方だぁ! ごぶっ」


 口から滝のように血を流しながら、レオノールはそれでも地面に膝を立てた。

 いつ死んでもおかしくない重傷だ。それにも関わらず、自ら寿命を縮める行為に走るのは彼女の狂気故か。


「愉しかったぜ! お前もそうだろぉ、なぁ! このどうしようもなく穢れた殺し合いに粋を見出してるんだろ!? そうでもなきゃ計算高いお前が叛乱軍なんてやってるはずねぇもんなぁ!!」


 反政府を掲げる、未来の無い無謀の人間どもの集い。

 叛乱軍にそういった認識を持っていたレオノールは、ロアナの根底にある闘争心を見透かそうとした。


「おいおい、ダンマリかよ!! なぁ!! 認めちまえって!!」


 未だ何も言わないロアナ。図星だからか黙り込んでいるのだろう、とタカを括り、レオノールは伏せていた顔を勢いよく上げた。


「お前も!! アタイと!! 同類なん」



 パン。



 レオノールの問い掛けに答えたのは、肉声ではなく銃声。


 乾ききった無慈悲な音が、レオノールの鼓膜を貫き。


 同時に、その眉間をも貫いた。



「黙れ」



 そこはかとない瞋恚しんいを込めた声がロアナの口から発せられる。


 そこには普段のロアナからは想像もできないような、心の底からの嫌悪の感情があった。


 レオノールへの怒りの発散の為か、ロアナは何度も銃の引き金を引く。

 無論、眉間きゅうしょを撃たれたレオノールは既に死していた。即死だ。

 だが、殺しただけでは止まらない。


 ―――パン。パン。パン。パン。


 ロアナは命を失ったレオノールの体を、何度も何度も銃で撃ち抜く。

 結果、銃の連射は内蔵された銃弾が底をついて空撃ちをするようになるまで続いた。


「……チッ」


 弾の尽きた拳銃を放り投げ、ロアナは屍体レオノールを見る。

 大量の血を床にぶちまけている破損した体からは薄紅色の内臓が零れ、弾け飛んだ腕からは桃色の筋繊維が露出しており、顔は原型を留めないほどに穴だらけになっている。


 なんともグロデスクな状態だが、ロアナにそのことに対する忌避の感情は無く。

 ただ、物言わぬ肉塊を侮蔑の眼差しで睥睨していただけだった。


「……無駄なリソースを割いちまった。反省だね、こりゃ」


 感情に身を任せて非生産的な行いをしてしまった過去の自分に、「呆れた」とでも言わんばかりの顔をするロアナ。凄惨な現場を後にし、ロアナは煌の下へと早足で戻る。


「はぁ、本当に無駄な時間を食ったよ。尋問で有意義な情報でも聞き出せるかとも思ったけど……最後まで碌なもんじゃなかったね、あの狂人」


 レオノールの行動と発言を振り返り、ロアナは改めて思う。


「……愉しむ? 殺し合いを? ……ハッ」


 本当は愉しんでいるのだろう、と。

 命の駆け引きに興奮したのだろう、と。

 お前も戦闘狂であることを認めてしまうがいい、と。


 そう言い放ったレオノールの言を、ロアナは冷笑した。



 一度は沈めた憤怒の感情が再び湧き上がる。


「アンタらのような気違い共と同じにするな。こんなものが楽しいわけがないだろ」


 そう、ロアナは吐き捨てるように言った。




 ――――ロアナの策謀は、決して一本道ではない。



 彼女の未来予知にも近い策略は、脳内で書き上げられた幾千ものプランが可能にするものだ。

 様々な状況に応じて最適にプランを提示できるよう、最初の想定をいくつも分岐させておく。それを作戦の各分岐点において何度も脳内試行し、無数に膨れ上がった作戦の中から場に合った作戦をピックアップする。


 臨機応変に対応できるよう作戦を一本化しないことは知略において当然とされるが、しかし、ロアナのそれは並外れているのだ。

 レオノールが情報室に侵入した時点で、

 そしてレオノールが行動を起こすごとに最適な作戦パターンを採用、没になった分だけまた新しくパターンを立案する。

 立案、棄却、立案、棄却。

 それを脳内で淡々と繰り返し、最も勝利確率が高いものを割り出して場に適応させる。

 それが、ロアナの恐ろしく精度の高い策謀の正体。コンピューターにも似た、超演算が成し得る技。


『至高の知能犯』の名に恥じない、ロアナの作戦力だ。


 だが、当人がここまでして勝利を希求するのは、あくまでである。

 そこに愉悦や享楽の感情が付随することはない。

 手段は手段でしかない。それ以上でもそれ以下でもないのだ。


「殺し合いなんて、しないに越したことはないんだよ。平和が一番に決まってる」


 簡潔に言おう。


 彼女は、闘争を嫌っている。


「……自慰行為ひとりよがりは愉しめたか。血濡れの獣め」


 ロアナに残ったのは、勝利したという事実と。

 一度出した吐瀉物を再び飲み込んだかのような気持ち悪さだけだった。





 ―――幹部戦、決着。


 時刻、一九五〇。

 ブラッドハウンド傭兵団『暗殺部隊隊長』、『狂兵士バーサーカー』レオノール・フェルナンデス。

 対。

 叛乱軍『第一部隊分隊長』兼『叛乱軍副隊長』、『至高の知能犯』ロアナ・マール。



 勝者―――ロアナ・マール。






 ***




「まずやるべきは……トラップの再設置と援軍の要請だな。またここに攻め込まれたんじゃ作業なんてできやしないよ、まったく」


 控えさせていたロボットから弾薬と装備を補充し、ロアナは煌が寝ている場所へと向かっていた。

 というのも、煌が戦闘による巻き添えを食らわないよう、ロアナは煌から離れた場所でレオノールと戦っていたのだ。そのため、今の煌は完全に無防備な状態であり、一刻も早く護衛に戻る必要がある。


(まぁ……とはいえ、侵入者は3人以外にいなかったことをカメラで確認してる。煌に危険が迫っているわけじゃないから……護衛に戻るというよりかは自分の作業をしに戻る、って言った方が正確だね)


 などと思いながら。

 ロアナは煌のいた場所が見えてくる最後の角を曲がり――――



「……あ?」


 視線の先。

 



「―――――――ッッッ!!」



 すぐに駆け寄ってコードの状態を確認する。

 強引に千切られたわけではない。機器との接続に繋がっていたケーブルが綺麗に切られている。

 ならば、煌が自分で千切ったわけではあるまい。


 


「っ、クソ! なんでだ! いったい誰が―――」


 脳内に焦燥が一気に広がる感覚。

 無論、傭兵団がロアナの目をかいくぐって煌を誘拐する可能性を考えなかったわけでない。

 しかし、情報室への傭兵団の侵入が3人しか確認されていない以上、現時点でそれはあり得ないのだ。


 周囲を見回して、どこかに煌を攫った人物の手掛かりがないかを探る。

 痕跡は見当たらない。誰かがいた形跡すら―――


 その瞬間、困惑するロアナの耳に微かな異音が届く。


 ゴゥン、という、明らかに機械のファンとは毛色の違う音。


「!!」


 異音の聞こえた方向へとすぐさま方向を転換し、前傾姿勢で走り出すロアナ。

 一瞬だけ何の音かの判断が遅れたが、間違いない。ロアナの中には確信があった。


(これは―――リフトの音だ!)


 リフトが起動する際には、重厚な独特の音が響く。

 聞いた感じだと、おそらくは壁内のリフトが作動した音だろう。ロアナがレオノールと戦った場所からは聞こえないような小さな音なので、リフト自体は小規模なものであると予想する。


 だが、事前に潜入していたディヤーから送られてきた建物の設計図に、情報室にリフトがあるなどということは書かれていなかった。建物の構造的にも、大きなリフトは作られていないはず。


 つまり、建造時にはなかった―――後から増築された小規模のリフト。


 後から、そんな普段使いなどしなさそうなものを追加する人間。そして、それを作るだけの力がある人間。


「それが誰か、なんて……はっ、!」


 煌を連れ去ったのは傭兵ではない。


 煌を連れ去ったのは、だ。


「コウ!」


 リフト音の聞こえた先。


 機械越しにようやく見えた光景は、仕掛け扉のような構造の背後に隠されていた小さなリフトと、その扉が既に閉じかけている場面。

 そして、傭兵とは異なった漆黒の戦闘服に身を包んだ二人の兵士が、煌を抱きかかえたままリフトに乗り込む瞬間。


 それはまさに、凛の私兵に煌が連れ去られようとしているところだった。


「……っ!」


 咄嗟に銃を抜き、連れ去られるのを阻止しようとするロアナ。


 しかし、撃てない。

 煌と私兵がいるのは、約150m先。銃で撃てば、誤射して煌に当たりかねないだろう。

 だが、撃たなければ煌は連れ去られてしまう。どうせ連れ去られるのなら、一か八かで撃った方がいいのではないか。

 いやしかし、流石にこの距離ではロアナと言えど―――


「……っく……」


 ロアナが撃つべきか葛藤している間に、眠り続ける煌の姿は完全に壁の後ろへと隠れていく。



 ―――撃つべきか。

 ―――撃たないべきか。



 時間にして一、二秒。

 結果、銃声が発せられることはなく。



 そして、重厚な仕掛け扉が完全に閉まった。



「……すまない、みんな。守り切れなかった」



 ぶらり、と脱力して銃を下したロアナが小さく呟く。


 リフト音の残響が、ロアナの耳朶を打っていた。






***

皆々様、明けましておめでとうございます!!

だらだらと更新してきた this novel ですが、遂に年を越しました。でもまだ2章……先は長いですね。いつ終わるのやら(遠い目)

そんなだらしのない作者ですが、皆様さえ良ければ今年も仲良くしてください。

それでは2022年も張り切ってまいりましょう!

***

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