第三十七揺 絶死の掌底


『金に余程の自信がないのなら、血の猟犬に縋るな。さもなくば、飼い犬に手を喰い千切られるだろう』


 これは、裏世界で知られている格言の一種だ。


 ブラッドハウンド傭兵団は、裏世界では有名な組織である。

 実力のある者のみを集めた精鋭集団であるが故に、一度依頼すれば彼らは目的を必ず完遂すると言われているのだ。

 依頼には膨大な額の金が必要になるが、それを払える者であるのなら依頼先はブラットハウンド傭兵団一択だというのは、裏世界でかなり知られていることだったりする。


 しかし。

 生半可な心持ちでブラッドハウンド傭兵団に接触してはならない。これもよく知られたことだ。


 なぜなら、彼らは『傭兵団』であって、『私兵』ではないから。

 傭兵は基本的に金にしか興味がない。金を稼ぐために傭兵になるのだし、彼らにとって命と釣り合うのは金ぐらいのものなので、当たり前のことではあるだろう。


 つまり、彼らは金次第で敵にも味方にもなり得るのだ。

 依頼主が低い金額で彼らを雇ってしまった場合、相手側が更に高い金を積んでしまったら、その矛は依頼主へ返ってくることになる。


 だから、『金に余程の自信がない』限り、彼らに依頼してはならない。彼らは諸刃もろはの刃なのだ。


 だからこそ、彼らの下には破格の報酬を持つ依頼者が集う。

 だが、高い報酬を支払う分、依頼の難易度は高くなりやすい。傭兵側にも拒否権はあるが、全くの不可能でない限りは依頼を遂行する必要がある。

『金を払えば依頼を必ず遂行する』というがあるからこそ、ブラッドハウンド傭兵団というブランドが意味を持つわけなのだから、依頼の拒否は避けるべき事態なのだ。


 故に、彼らは課せられる任務に対して臨機応変に対応しなければならない。

 依頼主の護衛、紛争の制圧、クーデターの立役者。

 そして、

 ブラッドハウンドに舞い込む依頼の多くは暗殺関連だ。それも、暗殺が極めて難しい政府の人間や反政府組織のリーダーなど。決して簡単にこなせるものではない。


 だからこそ、傭兵団には制圧戦や肉弾戦を得意とする者だけではなく、暗殺を得意とする者で組織される部隊が必要だった。

 武器が無い状態でも十全に戦闘力を発揮し、任務完遂に強い意志を持ち、潜入任務も緊急事態にも難なく対応できる、そんな普通の兵士とは一線を画するような武人で組織される部隊が。


 ――――ブラッドハウンド傭兵団暗殺部隊。


 正真正銘、最も出動回数が多い歴戦の部隊で、傭兵団内でも有数の実力を有する部隊だ。


 そして、そのトップを務める人間。


 それこそが、レオノール・フェルナンデスという女である。


 身長190cm近くある体躯のせいで潜入任務には向かないのだが、それを差し引いてもなお、彼女は暗殺部隊のトップに相応しい。

 常人離れした身体能力と合併症ナシの右胸心という稀有な体質、そして暗殺者としての素質。


 だが、彼女を優れた暗殺者たらしめる最大の要因は別にある。


 それは、


 殺人という最も重い罪科を幾度となく繰り返そうが、彼女が罪悪感を覚えることはない。

 殺人対象が極悪人であろうが根っからの善人であろうが、依頼なら喜んで殺す。最も効率的で、かつ自分が最も楽しめる手段で、だ。


 狂ってはいるが、どこまでも彼女は正気なわけである。


 殺しを愉しめる狂気を生来から備え、殺しを難なくこなせるだけの実力を持った女。

 そんな人間であるレオノールが、ブラッドハウンド傭兵団暗殺部隊のトップを務めるのは何も不自然なことではない。


 そして、その傭兵団トップクラスの戦闘力を持っているレオノールと対峙することになったのが、他でもないロアナだったという話なのだ。


 怜悧れいりな弱者と、瘋癲ふうてんの強者。


 軍配がそのどちらに上がるのか。

 それは、この数十秒で決まる。




 ***




「冗談だろッ……何で生きてんだい……!」


 左胸に穴を開けられながらも立ち上がり、口から狂笑を迸らせるレオノール。

 目の前の理解が及ばぬ生物をロアナは軽蔑の目線で睨みつける。


「オイオイ、この程度でアタイが死ぬとでも思ってたのか?! 想定が甘いんじゃねぇのぉ、叛乱軍リベリオン!!」


 レオノールは目に狂気を宿らせて、そう言い放った。


 しかし強がるものの、その口端からは血が流れ続けている。

 左胸とはいえ、胸に空いた穴が致命的な傷であることに変わりはない。

 実際、レーザーで焼かれた爛れた胸の穴からは血液すら溢れ出ず、黄色い体液が肉の間から湧き出していた。肺を大きく欠損することになった一撃は、確かにレオノールの命を蝕んでいたのだ。

 現段階で治療を行ったとしても、生き永らえる可能性は僅かだろう。かつ、レオノールの体内では発狂してしまいそうなほどの痛みの奔流がうねっている。


 普通ならば今にでも斃れるところであろうが、そこは狂気で補うのがレオノールという人間だ。

 満身創痍でありながらも、自らの身を滅ぼす方向へと走り続ける。

 その狂気は、ロアナに理解できるものではない。故に、筆舌に尽くし難いほどの嫌悪感が心中に渦巻いていた。


「……話しかけるんじゃない。バカが感染うつる」


「ハッハァ! つれねぇなぁ! お前も愉しもうぜぇッ、この命懸けの状況を! 血が湧き踊るようなスリルを! 熱い意志のぶつかり合いをよぉッッッ!!」


 幽鬼のような足取りで、ロアナへと近づいていくレオノール。


 そして、気味が悪いくらいの沈黙が流れる。

 聞こえるのは、レオノールの足音だけ。


 トッ、トッ、トッ。


 戦闘開始までのカウンティングをするように、不規則に足音が鳴る。


 血濡れた視線と、緊張の視線が交錯した。


 始まりは唐突。そして一瞬。

 駆けたのは、レオノール。


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!」


 前傾姿勢になったのち、踏み締めた足に力を込めて体を射出する。

 迫り来る血まみれの女を見据え、ロアナは電子キーボードを展開した。


「行けッ!」


 実行キーを押す音が響くと、通路脇から複数の影がレオノールの眼前に飛び出した。


 それは、塗装された金属のボディと頭部についたつぶらな瞳が特徴的な人型機械ヒューマノイド―――6体。

 そして、脚部が二本足ユニットではなくクローラー式ユニットになっている、寸胴の警備ロボット―――8体。

 加えて、機体に取り付けた四つのプロペラを稼働させてホバリングを続ける戦闘ドローン―――2体。


 計16体の警備ロボット達が、レオノールへと牙を剥いた。


「―――! なるほどなぁ、セキリュティの甘い旧型ロボットをハッキングしたか! トラップの設置が早かったのにも説明がつくぜ! ハッハァ!」


 ロアナが情報室に潜伏してからの短時間で数多くのトラップを配置できた理由。

 それは、プロテクトの甘い旧型警備ロボットをハッキングして、彼らに罠を設置させていたからだ。

 設置する場所はロアナが指定したが、設置自体は彼らがやっている。故に、短時間である程度のトラップを仕掛けながら、ロアナは自分のタスクに集中できていた。


 つまり、ロアナが挑んだのは罠設置のロボット達をも動員しての総力戦だ。


 突進するレオノールに迫ったヒューマノイドの一体が、機体の間接部を唸らせて手を振り下ろす。

 その手に握られていたのは、一振りのナイフ。ただし、ただのナイフではない。


「こいつぁ……小型の高周波ブレードか!」


 ロボットが横薙ぎに払ったナイフの切れ味を察して、レオノールは喉を鳴らす。

 シュティーネの持つ『ヘシキリ』には劣るものの、人体を切るのには充分な威力を発揮する代物だ。掠るのですら致命傷になり得るだろう。

 度を増して凶悪なのが、その小型の高周波ブレードを地上勢力の14体―――人型と寸胴型のロボット達全員が装備していることだ。致死の刃を携える機会兵士14体が相手となれば、流石のレオノールとはいえ一筋縄ではいかない。


「ハッハァ! そうこなくっちゃなぁッッッ!!」


 顔を悦楽に歪めて叫ぶレオノールだが、体勢が悪いのを悟ったのか、後ろに飛んで一旦距離を取る。冷静な対応であったが、実の所、それは悪手だった。


 レオノールが立つ位置に、一本の光線が放たれる。

 目端で何かが光るのを察知したレオノールは咄嗟に横に跳ぶが、放たれたレーザーは大腿筋を貫いた。


「ッ! ドローンもレーザー使うのかよ!」


 レーザー貫通の痛みに、やや顔を歪めるレオノール。アドレナリンで痛みが軽減されているとはいえ、痛いものは痛い。

 だが、その面貌はすぐ凶暴なものに移ろった。


「――――いいね。滾ってきた」


 唇をペロリと舐めて、レオノールは床に両手をつく。右足を後ろに、腰は上げ気味で。

 いわゆるクラウチングスタートの姿勢になると、到達目標を見定める。


 地を蹴り、爆発的な推進力で突進を開始するレオノール。

 寸胴の警備ロボットが通すまいと立ちはだかるが、それはむしろレオノールにとって都合がいい。


 警備ロボットの3mほど前方で地面を両脚で踏み抜くと、2mの高さまで跳躍。ロボットの頭部をロイター板として踏み込み、さらに跳躍。

 擬似的な二段ジャンプを行ったレオノールは、地面から4mの高度でホバリングするドローン目掛け跳んだのである。


「っとぉ! ハッハァ、届いたぜッ!!」


 ドローンの脚部を両手で掴んだレオノール。

 ドローンは突如として重い物体かぶら下がったことで制御を失い、慣性の法則に従って機体をレオノールに持っていかれる。


「そぉらよおッッッ!」


 ドローンによって一瞬だけ宙に滞空した時間を利用し、レオノールは体を捻らせて機体をぶん回す。ハンマー投げの要領で投げ飛ばされたドローンは、その先にあったもう一体のドローンに激突。

 軽量化によって装甲が薄くなっているドローンがその衝撃に耐えられるはずもなく、スパークをしながら2体は墜落した。


(……! 制空権を取ってるドローンを先に処理したのか……!)


 視覚の外側から、しかも攻撃の届かない位置で一方的に攻撃できるドローン。この戦いにおいて重要な戦力になるはずが、それを初手で潰された。


(こいつ……狂ってるけど冷静なタイプ……!)


「チッ……厄介過ぎるね……!」


 人外じみた動きで虎の子を潰されたことに眉を顰めるロアナ。ドローンが潰されたのは痛いが、とはいえロボットはまだまだ残っている。


「なら次だ。行け、ロボット共」


 着地した勢いを地面を転がって殺したレオノールに、武装したロボットが殺到した。


「ハッハァ! きたきたぁ!」


 体を瞬時に起こし、向きを反転。ロボットに相対したレオノールは、ヒューマノイドの繰り出したナイフの一突きをすれ違いに回避。体の後ろに回していた拳を振り抜いてヒューマノイドの顔面をぶち抜く。

 凄まじい勢いで殴られたヒューマノイドは、その撃力のままに後方へ吹っ飛び、寸胴ロボットを巻き込んだ。


 破壊されて沈黙した2体を避けるようにレオノールへと迫り来る他のロボット。

 レオノールは寸胴ロボット2体が放った水平切りをしゃがんで回避すると、その先にいたヒューマノイドの腕を両手で掴み、機体に体を寄せたまま重心を下げた。

 そして、自身の重心を巧みに移動させながら腕を振り下ろす。


「らァッッッ!!」


 レオノールに持ち上がられたヒューマノイドは、頭から地に落とされて体を大きく破損させた。

 一本背負い。

 柔道における定番技を、レオノールはロボットに対して繰り出したのである。


「一本背負いって……その機体が何キロあると思って……!」


 レオノールの見せる体技と驚異的な膂力に、思わず声を漏らすロアナ。


「ハッハァ!まだまだこんなもんじゃねぇぞぉ!」


 高らかに吠えたレオノールは、次なる獲物を寸胴ロボットに定めた。


 顔面をぶち抜いてやろうと突進を開始するレオノールだったが、その目論見はロアナにより外されることとなる。

 本来なら組み込まれた戦闘データで戦うロボット達だが、今はロアナのハッキングがある。旧型の単純な動きではなく、人為的な思慮深い動きが可能になるのだ。


 ロアナが直接操作することで、ロボットはわざわざレオノールとの距離を詰めた。それはレオノールの意表を突くと同時、歩数をずらすようにもなっている。

 持ち前の瞬発力で反応し、無理やりタイミングを合わせてロボットを迎撃するレオノール。腕を強引に振り抜くことでロボットに一撃を食らわせることはできたが、そのせいで体勢が崩れた。

 ふらついたレオノールへここぞとばかりに接近した2体がレオノールの両脇からナイフを振るい、その首を切断しようとする。


「甘ぇんだよッッッ!!」


 しかし、その刃がレオノールに届くことはない。

 レオノールは左右に突き出した掌底でロボット達に『触れる』。



 瞬間、



 何もしていない。ただ触れただけ。

 それなのに、ロボットに凄まじい量の電流が流れたのだ。


「―――」


「ハッハァ! 驚いたかよ!!」


 にぃっと嗤ったレオノールは、意気揚々と語りだす。


「銃が使えなくても、アタイは丸腰じゃねぇんだよ。コイツがある限りな」


 ロアナに見せびらかすように突き出したのは、手にはめていた黒光りのグローブ。未だ微かに電流が流れているようで、青白い火花が周囲に散っていた。


「暗殺部隊隊長専用兵装『ブロンテース』。それが、この手甲の名さ。掌にある放電機関を触れさせるだけで1000V以上の電圧を与えられるって優れモノだ。人間相手じゃ両の手で触れねぇと感電しねぇが、相手が金属なら話は別だろ?」


「導電性バッチリな上に回路が繊細だもんな」と転がっているロボットを足蹴にするレオノール。ハイになっているせいか、自分の手の内をペラペラと喋ってしまっているが、本人がそれを気にしている様子はない。

 そうして気分が高揚しているレオノールに対し、ロアナは至って冷静に敵の武装を分析していた。


(なるほど……。手袋の両方を放出機関にすることもできるし、片手からもう片方に電流を流すこともできるってことか……確かに驚異的だね。しかも、自分は感電しないときた。どういう仕組みだ?戦闘服に絶縁素材でも組み込んでるとか?)


 気になる点は多くあるが、考えるべきはそこではない。


(そんな便利な武装なら、使?)


 触れただけで相手を倒せるのであれば、あのように乱暴な戦い方などせずとも良かっただろう。体力温存ができるのだから、放電は積極的に使うはず。


(だとすれば、『使わなかった』んじゃなくて『使えなかった』と考えるべきだ。それだけの強力な兵装が何のデメリットも無しに使えるはずがない)


 ブロンテ―スを使うには何かしらの制約があると考えるのが普通だ。で、あるならば、デメリットとして思いつくのは―――


(放電によるジュール熱、つまり手甲自体の発熱で手が焦げるから長時間は使えない……または、時間発動までに機関を冷やすためのインターバルが必要だから、多用と連続使用ができない。そんなとこだろうね)


 つまり、あれの連続使用はない。本人がこれまでで一回も使わず温存していたのが、その証拠だ。

 ならば対処法は簡単だろう。ブロンテースが再使用できるようになるまでにレオノールを殺せばいい。

 先ほど放電を使ったのは、おそらくブロンテースこそが彼女の奥の手だったからだ。ロボットの攻撃が回避できなかったからこそ使わざるを得なかったのだろう。


 であるのなら、このまま攻め続ければレオノールは倒せる。そう確信したロアナは電子キーボードを駆使してロボット達を意のままに操り始めた。


「! せっかちだな、アタイがこんなに丁寧に説明してやってんのによぉ!」


「結構だよ。ヒントなんざなくてもアンタは殺せる」


「ハッハァ! 舐められたもんだぜ!」


 飛び掛かってきたロボット達をいなし、レオノールは着実に前進する。

 上から斬りかかってきたヒューマノイドを拳で殴打、後方から肉薄した寸胴ロボットの胸装甲を肘鉄で陥没させ、両方向からの二体をその頭蓋から殴りつけて地に沈めた。

 体の切れ味もさることながら、まさに鬼のような振る舞いで、その女はロアナへと近づいていく。


「死に体の動きじゃないだろ……! さっさと倒れな!」


「悪いが、体の頑丈さはボスのお墨付きでなぁ! 簡単には倒れねぇ、よッッッ!!」


「っ、なら、これで……!」


 次にレオノールに向かって行ったのは、二体のロボット。しかし、二体同時にではない。

 ヒューマノイドが接近、そして寸胴がヒューマノイドを天高く打ち上げ、打ち上げられたヒューマノイドはナイフを下向きにしてレオノールに突き刺そうとしたのだ。

 ヒューマノイドの方を蹴り上げで再び上空へと吹き飛ばしたレオノールだったが、その隙を突いた寸胴ロボットが喉元目掛けて突きをする。


 あわや額を貫かれんとしたレオノールだったが、その笑みが余裕を物語っていた。



「しゃらくせぇッッッ!!」



 パァンッッッ!と、乾いた音が響き渡る。

 レオノールは突き出されたナイフをジャストタイミングで挟んだのだ。


「な……真剣白刃取り……?!」


 真剣白刃取りなどという荒業でロボットの猛攻をしのぎ切ったレオノールは、その笑みをロアナに向ける。


「――――よーやく、隙ができたなぁ!」


 気付いた時には、もう遅い。

 寸胴の腕を膝蹴りで破壊し、ナイフを奪い取ったレオノール。


 そして、慣れた手つきでロアナへとのだ。



 真っすぐに飛来してロアナの首元を狙うナイフの先端。

 迫った命の危機に、ロアナが採った行動は――――


「っ!」


 一瞬で周囲に目を巡らせると、足元に転がっていた拳銃を見つけ、つま先で弾いて目の高さまで跳ね上げる。

 そして飛来したナイフは浮いた銃と衝突し、甲高い音を響かせて軌道を変えた。

 しかし、方向を完璧に変えられたわけではない。ナイフはロアナの頬の僅かに横を通り過ぎていったが、回避しようとしたが故に姿勢を崩してしまう。


「うっ」


 尻もちをついたロアナを目視し、レオノールは口元を張り裂けんばかりに吊り上げた。


 ――――好機!


 そう内心で確信したレオノールは、ロボットをそっちのけでロアナへと突進した。

 レオノールの本気の突貫を止められるだけの数のロボットはいない。既にレオノールの手によって大多数が壊されてしまっているからだ。


 飛び掛かってくるロボット達の攻撃を致命傷だけは負わぬように回避する。致命傷を避けただけなので、体のあちこちが切り刻まれて血が噴出するが、レオノールには最早それらを気にする素振りすらない。


 ロアナに届けばいい。自分の命がこの戦いの後に尽きようが、ロアナにさえ勝てていればそれでいい。

 そういった風に心を決めた人間というのは、恐ろしいほどに強い。戦争において特攻隊が敵軍に嫌われるのも、彼らの死をもいとわぬ闘争心を恐れてのことだ。


「ははははははははははははははははははははははははははッッッ!!!」


 駆ける。駆ける。駆ける。

 哄笑と共に、彼女は駆ける。


 そうして凄まじい突進力でロボットの包囲網を抜け、遂にロアナに差し迫ったレオノール。

 その距離、約3m。ロアナにとっては、一刻の猶予もない。


「獲ったぁッッッ!!」


 ――――ブロンテースを起動。


 クールダウンが終わっていないため、手袋の内側で手が焼き爛れるのを感じる。

 だが今の彼女にとっては、それすら些事。

 致死的な量の電気が流れている手袋を以てして、ロアナの命を刈り取ろうと―――



 バツンッ。



 そんな音と共に、



「―――な」



 何が起こったのか一瞬だけ戸惑ったレオノールだったが、すぐ理解する。


 目の前が真っ白になってはいるが、白くなったのは暗視スコープの外側。

 つまり、暗視スコープの画面が白くなったのだ。


(なるほど! !)


 レオノールが近づいたタイミングで、ハッキングによって消灯していた情報室の電源を復旧したロアナ。


 つまり、今の情報室は非常に明るい。


 これは、暗視スコープにとって致命的だ。

 暗視スコープは暗闇の中で視界の明度を上げ、人間にも暗闇の光景を見させるもの。暗い場所での使用を前提としているので、明るい場所での使用は想定していない。


 ならば、暗視スコープをつけたまま明るい場所に出たらどうなるのか。

 ただでさえ明るいのに、更に明度を上げられるのだ。碌に見えるはずもない。


 結論から言えば。

 


 いきなり視界を白に塗り潰されたことで、レオノールは視覚を失う。

 しかし、その心中で焦りが生じることはない。


(コイツは盲点だったが……けど、結果は変わらねぇ!1からなぁ!)


 ロアナとの距離は、既に3mに迫っている。

 レオノールならば1秒とかからない。すぐにでもブロンテースでロアナを感電死させる準備は出来ている。


(それに、アタイには分かる! その体勢じゃ、すぐには起き上がれねぇ! あと1秒も無い間での回避は実質不可能だろ! 目が見えなかろうが、逃げられないんだったら場所は分からぁ!)


 ロアナは先程、ナイフを弾く時に体勢を崩していた。

 両足とも横に倒している状態だと、人間は立ち上がれない。片足だけでも地面に立てていないと、すぐの回避できないのだ。


 ならば、ロアナが現在地から動くことはない。

 ロアナの体の位置は既に記憶している。地面からの高さ70cm、ブロンテースを狙う頭蓋までの水平距離は約3m60cm、姿勢は右手を前にして左手で手をついた形で武器は持っていなかった。


 視界が潰されようが関係あるまい。それだけの情報を記憶できていれば、事欠くことはないだろう。

 目潰しをしたところで今更だ。レオノールの攻撃が止むわけも――――








 彼女は、気付くべきだった。

 なぜロアナが今になって情報室の電気を点けたのか。


 レーザーを避けている時でも、ワイヤーに接触しようとした時でも、ロボットに囲まれた時でも。

 いつでも、そうすることは出来たはずだ。


 なぜ、今だったのか。それは自明だろう。




 ――――『今』が、最善手だったからだ。




 パパパンッッッ。




 短く、乾燥した音。

 それが、三回ほど連なって耳朶を打った。


「……………………は?」


 レオノールが耳を疑うのも無理はない。

 それは、今までに何度も聞いた馴染み深い音。この世で最も軽くて、最も重い音。



「な、に」



 衝撃でひび割れたスコープが床に落ちる。


 視界に映るのは、左胸のほか、新しく空いた三つの穴と徐々に広がっていく赤い染み。

 自分は、これを知っている。


「銃痕……?」


 知っている。

 あの乾いた音は、銃声だ。

 服に染みの下は、銃痕だ。


 今、撃たれたのは自分だ。


 間違いなく、自分は銃で撃たれたのだ。



「銃は 使えないって さっき」



 呆然と呟くレオノールに、銃を突き出した女は。





「馬鹿か、アンタ」













 レオノールの鼻孔に、硝煙の匂いが薫った。








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