第三十六揺 隠伏の一射
赤が蔓延る機械群の中を、一団が駆け抜けていく。
その体躯の大きさとは対照的に、彼らは俊敏で身軽な動きで赤い線を避けていった。
クロスするレーザーを横に飛んで回避した後、すぐに身を翻して前傾姿勢で疾走。スライディングで滑るようにして低い位置にあるレーザーを躱したかと思えば、両足を地面に叩きつけて上体を起こし、その勢いで宙転することで腹の位置にあったレーザーを避けた。
そうして巧みな体捌きによって次々とレーザー網を通過していくレオノール。
「おいおい、流石にぬるすぎるぜぇ!? もう慣れてきちまったよ!!」
そんな台詞を吐きながらであっても、その動きのキレは全く落ちない。
レーザーを躱すのに慣れ始めたのだろう、レオノール達のスピードは下がるどころか、むしろ上がり、急速にロアナの場所へと近づいていた。
戦闘中に無駄口を叩いている時点で正常な精神状態ではない気もするが、しかし、レオノールは戦闘の熱に浮かされているようで、その脳内は至って冷静だ。
(戦闘力がアタイよりもねぇことが確定してんだ! 接近戦に持ち込めれば、タイマンで必ず勝てる!)
そう。レオノールは、自身の勝利条件を理解していたのである。
(つまり、こっちは
レオノールの体力とて、無尽蔵ではない。
今のような動きをし続ければ、いつかは筋肉内に乳酸が溜まって体の動きが鈍り始める。そうなってしまったら、ハッカーに追いつくことは難しいだろう。当たり前だが、ハッカーだって敵が近づいてきたら離れる。
向こうは居場所が知られていないという優位性があるが、レオノールの位置は恐らく補足されている。なおさら追いつくのが難しくなるはずだ。
「だがなぁ……アタイは分かるんだよ、ハッハァ! テメェに近づいてる気配がビンビンする! そろそろのはずだぜ!」
それはレオノールのただの勘だったのであろう。
実際、その感覚は正しかった。
実は、現在だとロアナが移動をしていてもレオノールが近づくスピードの方が速いのだ。着実に罠を突破しているレオノールに対し、ロアナは段々と手の内を暴かれ始めている。
ロアナには地の利があったにも関わらず、今はレオノールの方が見るからに有利な状態なのだ。
「どうしたよぉ! もう罠は終わりかぁ?!」
良いテンポでレーザーを躱し切れていることで気が乗り出たのか、そう煽ったレオノール。
しかし、ロアナがその
レオノールが慣れた動きで、レーザーを避けた瞬間。
レオノールは見る。
首元に、
「ッッッ!?」
咄嗟に首を逸らし、糸を避けるレオノール。
そして、ブーツの靴底を擦り減らしながら急停止。それは、戦闘が始まってから初めてレオノールが足を止めた瞬間だった。
レオノールは振り返り、糸の正体を触って確認する。
「これは……ワイヤーか? しかも振動してる……?」
指先で触れてみると、それは糸と見違う程に細いワイヤーだった。しかも、どうやら微細な振動を繰り返しているらしい。
一般的に、細かく振動すれば振動するほど、そして衝突速度が上がれば上がるほど、物体というのは力を増す。その力を一点に集中させることで物体の切れ味を発揮させるようにするのが高周波ブレードだ。
それは刃物であろうが、糸であろうが原理は同じ。高周波で振動させる糸は、そうでない糸との切れ味が段違いなのである。
――――つまりところ、高速振動するワイヤーは絶死の刃物と化すのだ。
「……血?」
糸に触れた指に伝った血で、レオノールはようやく気付く。
いつの間にか床に落ちていた小さな肉片。
「――――」
左手で顔の横に触れる。
ただ、触れた指にぬるりとした感触がすると共に、赤い液体がべっとりとついただけだった。
「あ―――……避けきれてなかったわけか」
どうやら、レーザーを避けた先にあった振動する極細のワイヤーによって自身の耳が切り落とされてしまったようだ。
それを遅れながら理解したレオノール。間一髪で避けたつもりでいたが、どうやら耳は引っかかってしまっていたということなのだろう。
側頭部から滴っている生暖かい液体が、床に落ちる。
不自然な停止。
レオノールは、何も言わないままに立ち尽くしていた。
一方、隊長の耳が落ちたことに動揺を隠せない二人の部下。彼らに関しては、あまりの衝撃に声すらも出ない。
―――ロアナの仕掛けた罠、その弐。『レーザーに隠したワイヤー』。
赤く光るレーザーによって視線を誘導、注意を見えやすい物のみに注がせることで、見えづらい細いワイヤーを潜ませるという絡め手。
原理としては、手品なんかでよくある
「は」
肩を小さく震わせるレオノール。
しかし、その心中にあるのは怒りの感情ではなく。
「――――ははっははっはははははははははははははははははッッッ!!!!」
迸っていたのは、歓喜の感情。いや、享楽と言い換えるべきだろうか。
とにかく、彼女を満たしていたのは負の感情ではなく、明らかに正の感情だった。
「ハッハァ! いいねぇ! いいぞぉ! いいじゃねぇかッッッ! 引き篭もってばっかの芋野郎かと思ってたが、存外やる!! アタイも楽しくなってくるってもんだぜぇ!!」
彼女を、そう呼ぶべきであろう。
命の駆け引きの中でこそ生を実感し、闘いが白熱するほどに悦びを得る。戦闘での痛みは完全にアドレナリンで打ち消し、脳内で分泌される脳内麻薬によって思考が麻痺し始める。
そして、信じられないような獰猛性を獲得するのだ。
その異常性は、マリファナの常時摂取により頭のネジが完全に飛んでしまっていることにも起因しているだろう。
それを、狂っていると言わずして何と呼ぼうか。
「さぁ! こんなもんじゃアタイは死なねぇぞ! もっと! もっともっともっともっと!」
唾液と血を撒き散らし、レオノールは叫ぶ。
「もっと! アタイを! 楽しませろォッッッ!!」
目に狂気を宿し、レオノールは再び疾走する。
その一歩一歩は軽く、そして速い。先程よりも速いスピードなのにも関わらず、レーザーにもワイヤーにも引っかからない。
それどころか、
ワイヤーが目の前にあれば、懐から抜き出したアーミーナイフを
高速振動するワイヤーに勢いそのまま斬りかかれば、切断されていたのはワイヤーではなくナイフの方だ。
しかし、ワイヤー自体は非常に細い。一般的なワイヤーよりは頑丈に造られているとはいえ、強みである振動を抑えられた上でナイフに斬られた場合、このワイヤーは普通に切れてしまうのだ。
つまり、ワイヤーをナイフで押さえつけた上で引くように斬るのは、このトラップ解除の最適解。
それを瞬発的に理解して、実行に移したレオノール。
―――驚嘆すべき発想力だが、焦点を当てるべきはそこではない。
レオノールの目の前に迫るレーザーの先、巧妙に隠されたワイヤー。
レーザーの回避、ワイヤーの視認。ナイフを閃かせ、引き切る。
ここまで、
「ははははははははははははははははははッッッ!」
狂気に脳を侵されながら、判断力も行動も衰えていない。むしろ、上がっている。
暗視スコープの下、体を埋め尽くす高揚感により女の瞳は濡れる。
―――愉しい。
―――愉しい。
―――愉しい。
―――――嗚呼、愉しいッッッ!!!!!!
心の内に奔る、実力者と
期せずして好敵手と巡り逢った悦びを戦闘力の上昇という形で発露させたレオノールは、獣の如き容貌になりながら罠の群生地を駆けた。
回避。切断。回避。切断。回避。切断。
ロアナが仕掛けるのにかけた時間の100分の1にも満たない時間で、レオノールは罠を突破していく。その驚異的なスピードは、確実にロアナを追い詰めているだろう。
T字路を曲がった先で、またも立ちはだかるレーザーとワイヤーを視認すると、レオノールは地に伏せて眼前のレーザーを四つん這いのような体勢で躱し、そのまま腕の力で体を跳ね上げ、口に咥えていたナイフを空中で放り投げ、逆手で柄を掴んだ。
「これでぇ!! 最後だァッッッ!!」
一瞬の停止を挟み、ナイフはワイヤーを切断する。
地面を転がり、伏せたまま周囲を確認し、既にトラップがないことを確認した。
斯くして、レオノールは見事、ロアナの
レオノールのワイヤー切断もあってか、2人の部下も無事にレーザー群を抜けることに成功した。
夥しい量のトラップで、しかもロアナの仕掛けたレベルの高いものだったにも関わらず、傭兵団側の損害はレオノールの片耳のみ。結果だけ見れば大勝だ。
「おいおい!! 次はねぇのか?! 突破しちまったぞぉ!?」
完全にハイになっているレオノールは、天に向かって吠える。
「さぁッ!! アタイをッ!! もっと沸き立たせろよぉッッッ!!」
「―――お望みとあらば」
幻聴、ではない。
変声器を通していない、生の女の声。それがどこからかともなく、響いた瞬間。
刹那。
***
単純な話だ。
初手でレーザーを見せ、
次手でワイヤーを見せ、
その流れによって、彼女らは『目の前』に全意識を持っていかれた。自分達の危険は目の前にしかないと無意識下で思い込むように誘導し、全神経を視覚と回避に費やさせられていたのだ。
こうして、彼女らはロアナの思惑通り、
そして、後方への警戒心を彼らは忘れた。
そこでロアナの仕掛けた罠、その参が光る。
それは、『警戒の薄れた背中側からのレーザー照射』だ。
彼女らが罠を突破して油断した隙を突いて、T字路に予め設置していたレーザーを発動させ、三人の心臓の位置を後ろから貫けたのである。
いきなりの背後からの無音攻撃には、流石にレオノールといえど気付けなかったのだろう。
「……ふぅ。手こずらせてくれたね」
レーザーが見事レオノール達の左胸を貫いたことをカメラで確認し、ロアナは一息ついた。
現在、ロアナは自身が敵に見つかった時に煌に危害が及ばぬよう、煌から一度離れた場所で戦況をモニタリングしていたところだ。
思い返してみると想像以上に強い敵だったが、どうやらなんとか対処できたらしい。直接戦闘にならずに良かった、と内心でホッとしたロアナ。
ロアナが他の分隊長のように肉体的に強かったら、最悪、タイマンで直接対決すればいい。
しかし、肉体的に強くないロアナにとって、単純な力比べは遠慮願いたいところではあった。故に、直接対決を回避できたことは非常に喜ばしかったのである。
ロアナは気を取り直し、立ち上がって煌の所へ戻ろうとする。
その時。
「みぃつけた♡」
左胸を貫かれた筈のレオノールが、ロアナの視界の先に映っていた。
***
鏡像型右胸心、という体質がある。
これについて述べるには、まずは右胸心について説明する必要があるだろう。
普通、人間の心臓の位置は正中線よりも左側にある。これは至って普通のことだし、12000人中の約11999人には当てはまる事項だ。
しかし、稀にだが。12000人に1人という極めて低い確率ではあるのだが。
これには『内臓逆位』という名称がつけられている。この手の人間の心臓は右胸郭内にあり、正常な心臓と胸像を為すように配置されているのだ。
この内臓逆位が心臓にのみ起きている場合を、『孤立性右胸心』。
そして他の内臓も同様、通常の内臓の位置と反転した位置にある完全内臓逆位の場合は、『鏡像型右胸心』と呼ぶのだ。
そう。
つまり、心臓含め、内臓が通常と反対の位置にあるのだ。
ちなみに、この鏡像型右胸心は、孤立性右胸心に比べれば少ないものの、先天性の心疾患や呼吸器系疾患などの合併症を引き起こしやすい。なんの合併症もなかったレオノールは、右胸心の中でも更に珍しいパターンと言えるだろう。
何が言いたいかと言えば、つまり。
「……馬鹿な」
レオノールの心臓を貫いたはずだった。
しかし、彼女がこの世に生を受けた時に授かった長所によって、左胸へのレーザー照射は心臓という的を外したのだ。
今度は、ロアナが度肝を抜かれる番であった。
額に汗玉を浮かべ、唖然とした表情をするロアナ。
左胸に穴を開けたままで恍然とした表情をするレオノール。
―――そして、第二ラウンドのゴングが鳴らされることとなる。
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