第三十三揺 シュティーネ・ガイスト


 その少女が世界に知れ渡ったのは、霹靂のように唐突なことだった。


 きっかけは、SNSに投稿された一本の個人撮影動画。

 スウェーデンで行われていた、闘牛を扱った小さなお祭りでの事件を撮影したものだった。

 ちなみにだが、このお祭りは毎年行われているため街周辺の人々は参加しにくるのだが、あまり知名度の高い祭りではなかったのだ。そして例年通り、その年もいつも通りの平穏でちっぽけな祭りであった。

 その筈が、突如起こったトラブルによって一気に大騒動となってしまったのである。


 具体的には、祭りの見せ物であった闘牛が檻を破って逃げ出したのだ。


 祭り開催以来の未曾有の事態に人々はてんやわんや、平和ボケした田舎の警官達も対処に右往左往し、一方で放たれた興奮状態の闘牛は往来する人間を蹴散らしていく。


 そんな混沌とした状況で撮影された動画。

 面白半分で撮られた動画だったが、それはかなり衝撃的なものであり、瞬く間にSNSでトレンドを席巻した。


 その動画は、なんとというものだったのである。


 齢18にも満たなそうな可憐な少女が、凶暴な闘牛を細腕で絞殺する。しかも無手で。

 闘牛を殺すことになってしまった事に批判はあれど、投稿された衝撃の動画はインターネット上で大反響を呼んだ。


『牛を締め殺す天使が現れたんだがwww』

『なにこの子?!凄すぎ!!』

『スーパーマン、いやスーパーウーマンは実在した!』

『フェイクムービーにしか見えない!』

『てかめっちゃ可愛くね?』『『『わかる』』』

『俺もこの子に絞め殺されてぇぇぇぇぇえ』


 こうして一躍時の人となった少女だったが、正体を求める声に呼応するように動き出したネットの特定班によって、衝撃の真実が明かされた。


 その少女は、有名人でも何でもなかった。

 というより、ネット上には彼女に関する情報が何もなく、現地でも彼女を知る者が誰一人として居なかったのである。

 闘牛を殺す程のスキルがあるのだから、さぞ有名なスポーツ選手か、もしくは武術のプロなのだろうと予想をしていたネット上の人々は、揃って脳内に疑問符を浮かべた。


 ―――ならば、少女は何者なのか?


 興奮状態の闘牛を素手で絞め殺すなど、熟練の武闘家でも出来ない。武術も何も修めていないのであれば、まず闘牛を躱すことすら出来やしない。

 しかし、その少女は迫る闘牛をいなし、その背に飛び乗った上で首を絞めたのだ。

 何の経験も知識もないであろう状態で、天性の感覚だけで軽々と闘牛殺しオックスレイヤーを成し遂げてしまった赤毛の少女。

 その天賦の才を知り、世界中にいる武闘家達は彼女をこう呼んだ。


 武に関してあらゆる可能性を秘めた、まだ何者でもなく、何者にも成れる存在。


 ―――『武の原石』。


 名前も知られていないはずの彼女は、SNSと武闘家界隈でその二つ名ばかりが一人歩きした。本名を呼ぼうにも、彼女の本名は誰も知らなかったからだ。


 それでは、何故に情報が何一つとしてもたらされなかったのか。そこには彼女の境遇が関係している。


 彼女は実は、地元で有名な大地主、その娘であったのだが、彼女の存在は家族によってひたすらに隠されていた。

 それは、彼女が妾の子だったから。

 大地主である父親が侍女と関係を持ち、生まれてしまった子供。父親としては、大地主という立場もある。早期に妊娠が発覚していれば父親は子供を堕ろさせたであろうが、母親である侍女はギリギリまで妊娠を隠していた。堕ろされるのが分かっていたからだ。

 愛の結晶である赤ん坊を欲しがった侍女は堕胎不可能性な時期まで子供の存在を隠し通し、出産まで押し切った。こうなっては仕方なく、父親は妻の冷たい態度に肝を冷やしながら出産を承諾した訳である。


 だが、生まれてきた彼女を悲劇が襲う。

 難産であったことに加え、侍女を冷遇する本妻により出産後のケアを碌に受けられなかった結果、母親である侍女は持病と併発した産褥熱により死亡してしまったのだ。

 これには本妻も真っ青だった。嫌がらせでしたつもりが、その嫌がらせで結果的に侍女は死んでしまったのだから。

 いくら事情があったとはいえ、やったことは殺人に等しい。

 殺人の罪を被りたくない本妻と、妾の子がいることを周囲に隠したい大地主の夫。

 奇妙な形で利害関係が一致した二人は、妾の子である彼女を隠して育てる事に決めた。なぜ赤ん坊の段階で殺さなかったのかと言われれば、それは本妻が殺人を重ねる事を忌避したからであろう。殺しの覚悟もないド素人が、殺人という禁忌を重ねられるはずもないのだから。


 そういう訳で、彼女は父と母に忌避されながら、しかし匿われる形で育てられた。

 あてがわれた屋敷の一室からは基本的に出ることが出来ず、鉄格子のはまった窓から外を眺めることが彼女の日課。窓の向こうで羊やヤギが野原の上で自由を謳歌しているのを見て、彼女は外に出るのをどれほど願ったことであろう。

 そして特に彼女関連で騒ぎが起きることもなく、無事に17歳を迎えた日。

 少し魔が差して、彼女は家から抜け出した。誕生日なのだから、これぐらいは許されて然るべきだと思ったのだ。


 そして、その日に偶然にも街で開催されていた祭りに参加し。

 逃げ出した闘牛に子供が襲われそうになっているのを目の当たりにし、それを庇う形で闘牛に取っ組んだ。


 そんでもって、


 どこのコメディ映画だと叫びたくなるような顛末だが、本人とてそれは自覚していた。

 闘牛を斃して周囲が騒ぎ出してから大ごとになってしまったと気づき、逃げ帰る形で即☆帰宅。

 そして、父親と本妻にバレた。当たり前である。

 SNS上で大騒動となった闘牛殺しの動画により、興味津々で動き出したマスメディアは、すぐに火元を嗅ぎつけ、屋敷の周辺に張り込み始めた。

 妾の子であることを知られたくない父親に、芋蔓式で過去の殺人が掘り出されることを恐れた本妻。

 彼女の仔細を隠蔽するためのマスコミの対応に疲弊する彼らだったが、そこで天からの救済の手が差し伸べられる。


 彼らの前に現れたのは、とある研究機関。

 闘牛を絞め殺した彼女の潜在能力についての調査をしたいとの旨で、莫大な金銭の譲渡とマスコミへの手回しによる事態の鎮静化と引き換えに、少女の身受けを提案したのだ。

 この話に二人は飛びついた。悩みの種を一気に解決してくれるというだけでなく、お金まで手に入るのだから、正に渡りに船だった訳である。


 斯くして少女は研究機関に売り払われた。そして、


 その研究機関は、人体実験をはじめとした非道徳的な研究を行うことで裏世界では有名であった。

 貧困層の人間を対象とした違法薬品の投与や人体解剖は朝飯前で、脳に直接電極を差し込んだり人間に他生物の細胞を植え付け培養するなど、身の毛もよだつような実験を繰り返してきた機関だったのである。

 そこの支部の実験試料となった彼女は、一年間に及んで様々な実験を受けた。投薬や切開による後遺症として、彼女の身体には今でも夥しい数の傷跡や火傷痕などが残っている。


 地獄の日々を繰り返し、本格的な人体実験に移るために本部へと移送される事になった彼女。

 この段階で既に、彼女は限界だった。毎日のように実験という名の拷問を受け、どれだけ泣き叫ぼうと地獄の日々は終わらず、絶え間ない悪意の雨に晒され続けたのだから、当然と言えば当然である。

 終わらぬ実験に絶望し、遂に瞳から光を失ってしまった彼女。

 しかし、その移送中で移送車がに襲撃され、爆破された。

 以降、彼女の姿は公的には確認されていない。

 つまり、残存する記録では彼女の足跡はここで途絶えている―――のだが。



「私達は、『叛乱軍』。君の力が必要だ。手を貸してくれないか」



 そう言って彼女に手を伸ばしたのは、移送車を爆破して彼女を救出した張本人だったのだ。


 斯くして、彼女はその日『最強』に出逢い。

 そして、その力を存分に振るうため、叛乱軍に所属する事になる。


 叛乱軍武術指南役にして、オズウェル・キルガーロンの一番弟子。

 今作戦において第二部隊分隊長に任命された、武術の達人。



 シュティーネ・ガイスト。

 それが、彼女の名である。




 ***




「アンドレ」

「もうすぐ10分経過っすね」

「りょぉかい」


 そこら中に殺気が満ち溢れている建造物、そこの11階の一角で、5人組の集団が廊下を駆けていた。

 それは他でもない、シュティーネ率いる叛乱軍第二部隊の人間達である。5人は銃火器を体側付近でしっかりと構えたまま、臨戦状態で敵地を走っていた。

 赤毛を揺らす第二部隊の分隊長シュティーネの呼び声に応えるのは、アンドレと呼ばれた中南米出身の色黒な男だ。ドレッドヘアーがチャームポイントの彼は、第二部隊の中でもシュティーネに続く実力者であり、今回の作戦においては彼女の右腕となる人間である。

 アンドレの回答に気の抜けた返事をしながら、シュティーネの走る速度は全く落ちない。長身とはいえない彼女にとって、本来なら銃火器を持ったままの移動は相当な負担になるはずだが、それに関しては無問題であった。

 何故なら、持ち前の超人的な身体能力もそうだが、他にも彼女を大幅に強化しているものがあるからだ。


 それが、叛乱軍特製の『強化外骨格スーツ』。

 外見はスウェットスーツにも似ているが、その機能は折り紙付きである。

 叛乱軍の超一級機械技師プロ・エンジニアの蕪木憲嗣と超弩マッド級狂科学者サイエンティストの安居院犀花の共同作品である強化外骨格スーツは、隊員の体格に合わせて各自オーダーメイドで製造された。身体強化倍率は人によって最適な数値が定められているが、その恩恵は絶大だ。単純な膂力もそうだが、力をうまく集約・分散させる機能もあるので、体力の持続力の上昇が見込める代物である。


「ほんと、すごいよねぇ。このスーツ」

「ま、プロトタイプって話ですがね。過信しちゃだめだぜ、お嬢?いつ爆発するか分かんないって安居院さんも言ってたし」

「お嬢じゃなくて隊長でしょお」


 アンドレの呼び方に毎回文句を言うシュティーネ。

 いつも「お嬢」呼びを訂正したがる彼女だが、それは彼女が今回の作戦で分隊長に任命されたことに誇りを持っているからだ。作戦中ぐらい隊長呼びをして欲しいものである、と本人は頬を膨らませる。


 殺伐とした状況に一瞬だけ和やかな雰囲気が流れるが、それは顔を真剣にしたシュティーネのハンドサインによって断ち切られた。

 その意味を察した隊員達は思考を切り替え、すぐさま臨戦態勢に入る。


「隠れての奇襲だろうけどぉ……殺気が隠し切れてないねぇ」

「それじゃ、いつものパターンで?」

「そうしよっかぁ」


 曲がり角で姿勢を低くし、先に見える廊下の突き当たりへと視線を向けるシュティーネ。

 指を三本立てたまま拳を上げると、ゆっくりと指の本数を減らしてカウントダウンを始める。


 無音の三秒間。


 そして、戦闘の火蓋は静かに落とされた。


 強化外骨格の出力をフル活用して曲がり角から飛び出したシュティーネ。


 刹那、彼女に銃弾の雨が襲いかかる。


「―――テメェら、撃ちまくれぇ!」


 そう叫んだのは、シュティーネの50m前方に構えている傭兵の一人だ。

 全員が覆面で目元以外を隠し、その目にはスコープが付けられている。

 そんな装いの人間が5人程。それぞれが携えたアサルトライフルからガンファイアを散らしていた。

 しかし、シュティーネに相対する敵は人間だけではない。


「うわぁ!警備ロボット4体とか、大盤振る舞いだねぇ!」


 傭兵の前方に構えるのは、4体の二足歩行型自律警備小型戦車———通称、『BAST』。

 箱のような図体につぶらな赤い瞳を覗かせる小型の警備ロボットであるが、その見た目の愛くるしさと比べて、凶悪さは警備ロボットの中でもトップクラスだ。


 体躯から生えた二本の脚によってキャタピラー式とは異なる高機動性を持ち、二本のロボットアームに取り付けられた機関銃から正確な掃射をする。

 正確なだけならマシだが、BASTの恐ろしいところは、その高性能カメラで捉えた人間の動きから次の挙動を予測計算して機関銃を撃ってくる点だ。

 というのも、ロボットに内蔵された行動予測AIは石見凛が制作に携わったこともあって中々の高性能で、対象の動きを捉えた後に組み込まれた独自の物理エンジンモジュールを用いて行動パターンを割り出し、それに基づいて機銃による射撃を行うようにできているのである。


 故に、BASTは並の兵士では歯が立たない警備ロボットの筆頭格であった。

 それが4体ともなれば勝ち目はまず無く、加えてロボットの後方に5人の熟練の傭兵が控えている。


 それに、シュティーネはたった一人で立ち向かおうというのだ。


「蜂の巣にしてやれ!」


 無謀な行いをする叛乱軍の兵士を見据え、部隊長らしき人物が声を張り上げるが。

 しかし、その命令が果たされることはない。


 本来なら1秒で穴だらけになるであろう機関銃の掃射が迫る中、シュティーネは真横への軽やかな回避で射線から外れた。

 そして着地と同時に体勢を傾け、靴の摩擦を最大限に利用した急停止、からのダッシュ。体がつんのめらない限界に挑戦した、地面スレスレの高速移動だ。強化外骨格の力もあって、爆発的なスピードで敵陣へと接近する。

 警備ロボットと傭兵達もすぐさま照準を変更してシュティーネに向けて銃弾を放つが、その時にはシュティーネはそこにいない。

 前傾、ダッシュ、横っ飛び、ダッシュ、スライディング、側転、宙返り、急停止、そしてダッシュ。

 あらゆる予想外の動きを繰り出しながら、着実にシュティーネは距離を詰めていた。


「嘘だろ?!な、なんで当たらねぇ?!」

「なんだよコイツ!速過ぎんだろ!」


 奇想天外過ぎる動きで迫る女に、悲鳴のような叫びを上げる傭兵達。

 どれだけ撃ってもシュティーネに弾が当たらない理由は二つほどあった。

 一つは、単純な速さだ。持ち前の柔軟な関節と強化外骨格により、カタパルトから発射されているかのような高速機動を行うシュティーネの動きは、並大抵の人間は姿を捉えることさえ適わず、訓練された兵であっても認知が精一杯で彼女を撃ち抜くことができない。

 しかしいくら速いとは言え、相手が行動を予測するロボットとなると話は別だ。速いだけではAIの目は誤魔化せないのが普通。

 しかし、それを可能にした二つ目というのが、予測が極めて難しいフリースタイルの走法であった。

 シュティーネが修めた武術に加えて、体操やパルクール、ブレイクダンスなどの技術も織り込んだ、世界に一つだけの走法。

 そう。世界に一つだけの動きだからこそ、AIは予測できない。

 AIの割り出す予測演算は、捕捉対象がシミュレートできる動きをすることを前提としている。しかし、シュティーネは前例がない動きをするため、シミュレートができないのだ。AIがするのは過去のデータに基づく「予測」であって、「未来視」ではないのである。

 緩急により人間は惑わされ、突飛な動きにAIは騙される。


 こうして完全に敵陣の裏をかいたシュティーネは、50mの距離を瞬く間に詰め切った。


「……ッ!当てようと思うな!弾幕を張れ!」


 傭兵の一人がそのことに気づくが、後の祭りだ。

 警備ロボットの5m前で高く跳躍したシュティーネは、空中で何回も体を捻らせながら、ロボットの装甲の上に着地した。


「よいしょぉ!」


 可愛い力み声と共に響くのは、上部の装甲を丸ごと引っ剥がして出た破壊音だ。強化外骨格で強化した膂力があれば、ロボットの装甲の一つや二つ簡単に剥がせる。

 機械内部のコード諸共千切られ、火花を散らしながら膝をつくBAST。

 容易く破壊された頼みの綱に唖然とする傭兵達だったが、ハッとなると目の前のシュティーネへ射撃を行った。

 迫り来る致死の銃弾に対し、シュティーネは剥がしたばかりの装甲板を盾にすることで第一射をしのぎ、リロードの一瞬を狙って装甲板を傭兵の一人に投げつける。高速回転しながら飛来した装甲板を避けきることができなかった傭兵は、後方に大きくノックバックして地をバウンドした後、完全に沈黙した。

 一方で、二足歩行であるが故に方向転換が遅い警備ロボット。その弱点を見逃すシュティーネではない。

 壊れたロボットから飛び降りて一瞬でロボット三体の背後に回ると、シュティーネは


「……なんだ?」


 それに気づいたのは、傭兵の中で部隊長をしていた男。

 よく見てみれば、シュティーネの格好は妙だ。

 両手に銃も何も持たず、かといって銃をどこかに収納しているわけでもない。重装備とは言えない彼女が唯一持っているのは、腰に着けた二つの筒でーー


「いくよぉ?」


 手をかけたのは、二つ筒———否、『刀』のうちの一つ。

『ヘシキリ』の銘を憲嗣によって与えられた、シュティーネの秘蔵の一刀。


 キン、と鯉口が切られると同時にそれは起こる。

 気付けば、BAST


「――――――」


 冗談のような光景に、何が起こったかを正しく理解できない傭兵達。

 無理もない。なぜなら、彼女が使っていた武器は現代で無用の長物とされるだったから。


 シュティーネは、銃を使えない。

 というより、銃のセンスが全く無い。

 撃たせれば必ずと言っていいほど誤射し、どういう理屈か高確率でジャムる。そのため、彼女に銃は持たせられなかったのだ。

 しかし武術の達人たる才能を腐らせてしまうのはあまり勿体ないと判断され、叛乱軍内で開発が進められた武器があった。

 一つは敵に接近することに重点を置くための『強化外骨格』、そして二つ目が『刀』。


 ―――高周波ブレード。


 刀身の原子間結合を高周波によって強固にし、一方で高周波エネルギーを帯びた刀身に触れる物体は原子間結合力が弱められるという原理を用いて作られた、切断能力を極限まで高めた剣である。

 剣の振動は最適な振動数になるよう機工科が開発し、刀身の合金の配合は薬科によって最高のパフォーマンスを発揮できるよう調整された、叛乱軍の最高傑作の高周波ブレード、『ヘシキリ』。


 時代に逆行する近接武器を用いる兵士など、本当なら不要なのだろう。本人もそれが分かっているからこそ、自身を「役立たず」と呼称する。

 しかし、現状において彼女の能力は十二分に発揮されていた。


 ずるり、と三体のBASTが地に伏せる。

 シュティーネが狙ったのは、三体のBASTの膝裏。二足歩行式であるが故に、構造上の問題で膝裏には装甲が付けられないのを利用したのだ。シュティーネは守る盾が無いBASTの膝裏に高周波ブレードを閃かせ、一刀両断した。

 斯くして『ヘシキリ』の一閃により脚部ユニットを失った三体は、内蔵回路をスパークさせながら体勢を崩したのである。


「……っ、怯むなぁ!!」


 覆面の下で顔を引き攣らせながら、傭兵達は震える手でライフルの銃口を目の前の脅威に向けた。

 計り知れない実力を持った未知の敵に恐怖を抱き、傭兵達は歯をガチガチと鳴らしながら目を剝く。


 一方で、動揺する彼らに対して悠然と振り返ったシュティーネ。

 彼女は、静かに手を挙げて、薄紅の唇で死の祝詞を刻んだ。



撃てFIRE



 彼らの中に、状況を正しく把握できた者などいなかったのだろう。

 シュティーネの一言が、後方に控えた部下への射撃命令であったことも。

 部下もまた、50m離れた場所からシュティーネにのみ当たらないように狙撃が可能な射撃の名手だらけであったことも。


 ―――自分達が、次の瞬間には銃撃によって穴だらけになったことも。


 響く銃声。掻き消される悲鳴。撃ち抜かれていく人間と警備ロボット。

 射撃の雨の中、一人の女は微動だにせず立ち続けている。彼女の真横を銃弾が通っていく様子は、まるで銃弾が彼女を避けていくようだった。

 こうして、容赦のない無慈悲の銃撃が立場的に有利であった筈の傭兵達の命を無に帰していく。5分ほど前には「一人でも殺せば大金だ!」と意気込んでいた彼らだったが、もう既に物言わぬ肉塊と化した。


 約十秒間の叛乱軍隊員による一斉掃射。

 シュティーネの合図により銃声が止むと、戦場に唐突の静けさが満ちる。その結果として誰も動かなくなったのを確認すると、隊員達は臨戦態勢を解除して分隊長の下へと駆け寄った。


「流石です、お嬢」

「お疲れさまっす、お嬢」

「いつも通りのいい動きでした、お嬢」

「……ってことだぜ、お嬢」

「意図的だよねぇ!意図的にやってるよねぇ!」


 お嬢呼びを意図的に直さない隊員達に、シュティーネは頬を膨らませて怒る。ぷんすかという擬音が今にも出てきそうな勢いだ。

 はぁ、とシュティーネは溜息をつくと、気を取り直して隊員の一人に視線をやる。


「マーカス、マップの確認お願いできるぅ?」

「了解っす」


 手元のデバイスを操作して中央官制塔のホログラムを表示させる、マーカスと呼ばれた隊員。

 ちなみに、第二部隊は隊長をシュティーネとする5人構成で、副隊長にアンドレ、その下につくマーカス、レイモンド、ヴァスコの3人の部下から成る。いずれも熟練の戦闘員で、少数精鋭に相応しい人材だ。


「えーと……あぁ、ここの突き当たりを左に曲がったら階段の扉が見えるはずっす」

「お、もう11階も踏破できたのか。意外とすんなり行ったな」


 現在位置を解析し終えたマーカスがそう言うと、肩透かしを食らったとでも言いたげにヴァスコが鼻を鳴らす。とはいえ、誰一人として警戒を緩めてはいない。小走りで移動しながらも、彼らの目は常に周囲へ張り巡らされている。常に油断をしないのは流石のプロと言えるだろう。


「扉って、これだよねぇ」

「そうっすね。……開けた先で待ち伏せされてるかもしれないんで、俺が先に行きます」

「いや、危険だよぉ。私が行くから―――」

「お嬢、そりゃだめですぜ。お嬢に何かあったら、俺達の速攻も出来なくなるんだ。そこんところ考えてくれよ」


 斥候を買って出るシュティーネを諫める形で、アンドレは彼女の肩に手を置いた。彼女なりに役立とうと逸っているのか、部下の言葉に不満げな顔になるシュティーネ。


「……でも」


 引き下がろうとしたシュティーネに、アンドレは笑って答えた。


「―――分隊長、なんだろ?」


 悪戯っぽく笑う隊員達に、シュティーネは面食らった顔をする。シュティーネが驚いたのは提案の内容ではなく、分隊長という呼び方に、だ。

 ずっとお嬢呼びだったくせに、こんな時だけ分隊長呼びするのは如何なものだろう、ちょっと都合が良すぎはしないか、とは思うのだが。


(でも、怒れないよねぇ……)


 それが、シュティーネの身を案じての言葉だと分かっているからこそ。シュティーネは、彼らを叱ることができない。彼らの提案を却下することができない。


「……はぁ。じゃあ、任せるよぉ」

「おっし。じゃ、先鋒は俺が行きます」


 そう言ってマーカスは前に出て、それに続いてヴァスコが続いた。シュティーネはその後方で、アンドレとレイモンドに挟まれた形だ。

 マーカスが扉に手をかけ、扉についたバルブを回す。階段へ続く扉はかなり厳重な風体で、扉の形としては金庫錠に似ているかもしれない。そんな厳重な扉だと普段使いがかなり面倒だと思うのだが、基本は中央フロアにあるエレベーターを使うべし、ということなのだろうか。

 叛乱軍もエレベーターが使えれば最上階までスイスイ行けたのであろうが、生憎、中央フロアへと続く通路には重厚な超合金シャッターが下されているので侵入は不可能だ。CPUを乗っとれば開けられるだろうが、そう簡単にもいくまい。なんせ、石見凛のプロテクトを突破しなければならないのだから。


「お?鍵はかかってないんだな」

「12階に続く扉の方にかかってるんじゃないっすか?」


 簡単に開いたバルブに首を傾げるヴァスコ。鍵をかけていた方が時間稼ぎが出来そうなものだが、と一瞬戸惑うが、杞憂だと思い直して慎重に扉を開けた。

 ゴオンと重音を響かせて金属扉を押し開けると、先にある階段が姿を現した。

 戦闘姿勢のまま素早く中へ入り、陰から頭上への警戒をするヴァスコとマーカスの二人。


「階段内、クリア。人っ子一人いないっす」

「待ち伏せはナシか。こっちとしてはありがたいがな」


 階段は蹴込み板の無いスケルトンタイプの螺旋階段で、下からでも上の様子がある程度窺える。見える範囲で人や警備ロボットはおらず、人がいる気配もないので、階段での待ち伏せは無かったということになるだろう。

 ヴァスコが3人を呼び、第二部隊は揃って階段を登り始めた。


「しっかし、妙だよな。階段で上から射撃されるのが一番堪えるのに、なんで待ち伏せが無いんだ?」

「確かに……。まぁ、向こうも人材が無限にいるわけじゃねぇ。単純にここまで手が回らなかったんだろ」

「……ま、それもそうか」


 引っかかるところはあったが、それで納得をする隊員達。警戒するにしろなんにしろ、結局は進まねばならないのだから。

 そうこうしていると、5人は12階への入り口へと辿り着いた。11階と同じくバルブの付いた金属扉だ。ヴァスコがバルブを回そうとしたが、先ほどとは異なってバルブはびくともしなかった。


「……これは、鍵がかけられてるな」

「じゃ、爆破だ」

「え。爆破と破壊は禁止されてるのに、そんなことしていいのぉ?」


 アンドレの提案に眉を顰めるシュティーネ。なぜシュティーネが渋ったかといえば、それは石見凛の定めるルールに抵触しているからだ。

 石見凛が定めていたルールの中に、『設備の破壊の禁止』と『爆弾使用の禁止』があった。確かに扉の爆破は施設の破壊に該当している。


「でも、これはアリの筈だぜ。『設備の破壊禁止』は『維持機関が破壊されたら困るから』、『爆薬の禁止』は『振動で外の人間にバレるから』だかんな。それが真意なんだとしたら、『重要設備を破壊せず』『外に伝わるような大規模な爆発じゃない』って条件なら、爆薬を使えるはずだ」


 結論から言うと、アンドレの考察は正しかった。

 石見凛がそれらの規約を設けたのは、『叛乱軍の実力が発揮できるフェアな戦場』を作り上げるためである。戦闘が起こっていることが外に知られれば外部から特殊部隊が派遣されるし、重要設備を破壊されても同様だ。

 故に、凛はアンドレの言う条件下での爆薬なら使用を許可しているつもりだったのである。気づけるかどうかは個人の考察力次第だが。


「なるほどねぇ……じゃ、セットよろしくぅ」

「お嬢は機械に疎いっすからねぇ。ちゃちゃっとやっちゃうんで、少しそこで待っててください」


 マーカスが扉爆破用の爆薬を取り出し、ヴァスコが取り付けの手伝いをする。2人の手つきは慣れたもので、彼らの戦闘経験の豊富さが見て取れた。


(……?なんだ、この匂い……?)


 それを最後列で見ていたアンドレだったが、ふと鼻腔をついた匂いに気づく。

 甘い、という表現が近いだろうか。決して不快感は覚えない匂いが立ち込めている。先程までは無かったはずだが、いつの間にか辺りに充満していた。


(どっかで嗅いだことあんな……これ、何の匂いだ?)


 既視感、というより既臭感を覚えたアンドレは、匂いに該当するものを頭の中で思い出そうとした。

 確か、食べ物の匂いだった気がする。どこで嗅いだのだったか。


(あ、思い出した。これ、前に中華料理店で嗅いだ―――)



「あれ、ヴァスコ?どうしたのぉ?」



 耳朶を打った、シュティーネの怪訝そうな声。

 ハッとして、アンドレはヴァスコの方を見る。


 そこには、、項垂れたヴァスコの姿があった。


「――――――――ッッッ!?」


 そう出来たのは、アンドレが戦闘経験豊富な猛者であったから。

 急変したヴァスコの様子を見て、何が起こっているのかを早くも理解できたからだ。


「お嬢ッッッ!!今すぐ降りるぞ!!」

「え……ちょっ、アンドレぇ!?」


 近くにいたシュティーネとレイモンドの肩を掴み、階段を駆け降りるアンドレ。アンドレの突然の行動に困惑する2人だったが、レイモンドも遅れて理解する。


「ッ!! そういうことかよ!お嬢、息止めてろ!マーカスも早く―――」


 マーカスへと振り返ったレイモンドだが、既に手遅れだった。マーカスもまた床に倒れ込み、泡を噴きながらビクビクと痙攣を起こしている。


「ッ……クソッ!後で必ず戻るから、死ぬんじゃねぇぞ!」


 苦渋の選択に顔を歪め、レイモンドは階段を駆け降りた。


「な、なに?!どうしたのぉ!?」


 ―――迂闊だった。もっと早くに気づくべきだったのだ。


 口を塞いだまま片脇でシュティーネを抱えるアンドレは、数分前の自身の警戒心の薄さに嫌気が差す。


 なぜ、傭兵も警備ロボットもいなかったのか。

 それは、引火性の『ガス』を撒いていたからだ。銃火器を使うことが彼らにとってのになり得るから、ロボットも人も配置しなかったのだ。


 下にいては気づかず、階段を登り切ってからようやく気づき始める、つまり


 そして、ベンズアルデヒドによるを持っており、非常に毒性が強く、短時間の吸入で人を死に至らしめることのできる化学物質、その名は―――



「間違いないッ……!!コイツは、だ!!」






***

BASTは胸囲じゃないよ。Bipedal Autonomous Security small Tankの略だよ。

はい、ということで。更新遅れました。いつものです。ゴメンナサイ。

色々調べながらやるとね…どうしてもね…。

次はなるべく早めに上げる予定です(いつも言ってる気がするけど)。しばしお待ちを。

***

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