第三十四揺 策謀の本意


 シアン化水素―――別名、青酸ガス。

 この化学物質は、毒物としてはかなりポピュラーとも言える。というのも、その性質の凶悪さから過去においても使用例が多いからだ。


 特筆すべきところは多くある。


 まずは言わずもがな、その毒性だ。どういった条件下にあるかにもよるが、生物が吸引すれば短時間で中毒を起こし、場合によっては即死もあり得る。毒物の特性としては、シアン化水素の真価は血液内で発揮される、ということだろうか。

 シアン化水素は生体内のヘム鉄の鉄Ⅲイオンに結合し、赤血球のヘモグロビンをメトヘモグロビンにしてしまう。これはヘモグロビンを酸素運搬に使う生物にとって致命傷だ。というのも、メトヘモグロビンは酸素運搬が出来ず、体の細胞に酸素を届けられなくなるからである。

 他にも直接的な死因となる要素は多くあるが、基本的に酸素利用に関わる問題だ。体の各所に酸素を届けられなくなった生物がどうなるかなど、言わなくとも分かるだろう。


 そして次に、その物質的特性だ。

 空気よりも軽く、可燃性。これらの性質は本来なら化学兵器としてはデメリットになるもので、扱いづらい性質ではあるのだが、それでもシアン化水素が過去に使われた事例は多くあった。それもガス室・テロ・服毒自殺用アンプルなど使用用途は多岐に亘っており、毒物でも知っている人間が多くいると思われる。


 それが今回、叛乱軍に対して猛威を振るった物質の正体。


「……なるほどね。シアン化水素。言われてみれば、その状況とのシナジーが恐ろしいほどに高い」


 第二部隊からの連絡を受けたロアナは、煙草を食んだままで顔を歪めた。


 密閉空間。設備破壊禁止。制限時間あり。

 この三条件下では、シアン化水素を撒いたのは中々の妙手だった。


 まずは、ガス散布によって扉破壊が出来なくなった。

 設備破壊禁止のルールに反さないレベルの爆発は許容されているかもしれないが、引火性のガスがある中で爆発なんて起こせば、破壊するのは扉どころの話ではない。周囲の設備一帯を破壊するほどの威力が出てしまうだろう。


「けど、それは不味い。」 


 ルール的に裏を突いていた『扉のみの破壊』なら許容されただろうが、シアン化水素を巻き込んだことによる大爆発となれば、流石に看過はされまい。


「もしガスを無視して爆発させてしまったら、それは完全にこちらの規約違反になる。ガスを撒いた傭兵側にも責任はあるだろうけど……喧嘩両成敗で済ませるほど石見凛は甘くない」


 あくまで、彼らは足止めの為にガスを撒いただけ。爆発させたのは此方の選択だし、そこに関して言い訳はできない。この場合、ルールを犯してペナルティを課されるのは100%叛乱軍側だ。


 というか、反則によって如何なるペナルティを課されるかは知らないが、ペナルティの有無に関係なく、そもそもそんなレベルの爆発を起こしたら階段もろとも吹っ飛んでしまうだろう。それでは本末転倒だ。12階への移動が出来ないなら意味がない。


 解錠作業も不可能だ。猛毒ガスがある中でガスマスクも無しに長時間作業が出来るはずもないだろう。

 ならば、とガスを抜こうとしても、換気扇の出力を操作する命令は16階のCPUからしか出せないし、下の階の扉を開けてガス濃度を薄めようったって、シアン化水素が空気より軽いという性質上、階下からの換気は効果が薄い。


「こちらα。β、換気扇によるガスの希釈には何分ぐらいかかりそうだ?」

『こちらβ。副分隊長から失礼しますよっと。見立てだと、おそらく30分はかかる。ガスマスク無しで解錠作業をするとなると、そんぐらい待って空気中のガス濃度を希釈してギリだな』


 副分隊長、アンドレの考えは正しい。

 開錠作業を行うにしても、シアン化水素が爆発しないぐらいの濃度になるまで待つにしても、安全性を考えるなら30分程度は換気の時間が必要だった。


『制限時間は一時間だ。正直、馬鹿正直に待ってたら正攻法での最上階到達は不可能でしょう』

「……なら、待つのはナシだな」


 鍵がかけられている扉の突破法としては開錠か爆破が一般的だろうが、30分も待っていられない以上は他の方法での突破を考えるしかない。


「扉の件はなんとかしよう。……ところで、二人の容体は」

『完全に手遅れになる前に何とか救出はした。……けど、虫の息だ。いつポックリしてもおかしくない』

「そうか。なら、第五部隊を向かわせるしかない」


 毒ガスの餌食となってしまった二人―――ヴァスコとマーカスの状態は、はっきり言って限りなく悪かった。唇が紫色になっていることからチアノーゼを起こしていることが見受けられ、意識喪失・呼吸困難・全身痙攣を併発している。ヴァスコに至っては嘔吐や喘鳴を繰り返していたため、彼にはもう一刻の猶予もないことが暗に示されていた。


「ζ、聞いていたね。対応できそうかい?」

『こちらζ。シアン化水素の解毒剤ならあるよー。部下を向かわせようか?』

「あぁ、頼む。ζは作戦通りなら……今はεと行動中だね。なら衛生兵を三人向かわせてくれ。残りはεと共にもう一つの階段の方を目指しな」


 今は遊撃部隊としての任務の一環として、エロイ率いる第五部隊はルーファス率いる第四部隊と行動を共にしているのだ。

 もう一つの階段ということは、12階へ上ることのできる二つの階段の内、シュティーネ達第二部隊がいない方をルーファス達は目指せということなのだろう。


『こちらδ。となると、儂らはβ側の階段の方に向かった方が良いかの?』


 δの名称を持つ第三部隊分隊長の蕪木憲嗣は、二人の会話に割り込む形でそう提案した。

 その考えを頭の中で反芻させると、ロアナは小さく頷いた後で通信機を通じて彼らに命令を飛ばす。


「そうだね、δε。第五部隊の三人と第三部隊は第二部隊と合流、第四部隊は第二部隊とは別の階段へ向かいな」

『『了解』』

「健闘を祈る」


 δとε―――つまり憲嗣とルーファスなら毒ガスをなんとかできると推察したロアナ。

 果たして、この指令は正しかったのか。それはロアナにしても分からないことではあったが、現時点では最善の選択の筈だ。


「けど……こんな手を使うとは、相手の指揮官は相当のロクデナシとみたね」


 ロアナは忌々しそうに小さく呟く。

 一見、最善策に見える『階段フロアに毒ガスを撒く』という選択。

 これは叛乱軍に対して途轍もない痛手になりえるが、一方でを内包した、かなり残虐な手段なのだ。

 それを瞬時に見抜いたロアナにとっては、敵の将は冷徹無比な非人間だと思えたのだった。




 場面は変わり、階段フロア前。

 毒ガスの被害にあった第二部隊は、かなりの損傷を受けていた。


「……ヴァスコ、マーカス」


 仰向けになったまま浅い息を繰り返す二人の部下の様子を見て、シュティーネは顔を歪める。

 先程まで自身のことを「お嬢」と呼んで親しんでいた彼らの痛々しい姿に、シュティーネは心を痛めていたのである。


「……っ、アンドレ。やっぱり、私」

「だめだ、お嬢。お嬢だってガスを少なからず吸い込んでる。二人が心配なのは分かるが、お嬢が飛び出していったところでどうにもならないぜ」


 アンドレからの冷静な意見を受け、シュティーネは悔しさをその美貌に滲ませる。

 先刻から、シュティーネはアンドレに解毒剤を自分が取りに行くと言っていた。今は第五部隊の援軍が持ってくるはずの解毒剤を待っているところだが、彼らも途中で敵とエンカウントすることもあるだろう。その度に解毒剤の到着は遅れ、二人のタイムリミットが迫ることになる。

 だから、高速機動が可能なシュティーネが第五部隊の三人を迎えに行き、解毒剤を貰った上で即帰還をする予定だった。


 しかし、その提案はアンドレによって却下されたのである。


「シアン化水素の毒性は人体の酸素運搬を阻害するもんだ。それを吸い込んだ状態で凄まじい運動量が必要になる高速機動なんかしたら、それこそ酸欠で倒れちまう」

「……わ、私は平気だよぉ」

「嘘つけ。お嬢だって倒れちゃいないが、末端の痺れぐらいは感じてんだろ」

「うっ」


 痛いところを突かれた、とでも言わんばかりに顔を背けたシュティーネ。

 実際、シュティーネも毒の影響が出ていた。強がってはいたが、手足の痺れも呼吸難もあった。二人ほどの重体ではないといえ、シュティーネも確実に弱体化はしていたのだ。


「それに……今みたいに攻め込まれたら困る。お嬢がいない場合、俺ら二人で敵を足止めしなきゃいけないんだぜ?」


 そういって、アンドレは足元に転がっている重傷の傭兵に目を向けた。

 その傭兵は、ここに来る際に倒した傭兵とは違う人物だ。彼らは、シュティーネ達が階段フロアから撤退した後に現れた敵である。


「俺達が先に進めなくなって狼狽しているところで攻め入って、袋叩きにする……作戦としちゃ悪くなかったし、実際苦戦したが―――そこは流石のうちの分隊長だ」


 毒ガスで弱体化したとはいえ、シュティーネとアンドレ、レイモンドの連携は伊達ではない。攻め込んできた三人の傭兵と警備ロボットを苦戦しながらも倒していた。

 警備ロボットと二人の傭兵は死んでいたが、この一人だけは瀕死で済んでいた。


「……なぁ。お前達は、なんでこんな司令官に従うんだ?」


 瀕死の傭兵の顔を覗き込み、そう質問するアンドレ。質問の意味が分からずに困惑しているシュティーネを横目に、アンドレは「答えろ」と傭兵の肩を揺さぶった。


「……げほっ……なに、いってやがる……」

「とぼけんなよ。分かってんだろ?」


 アンドレが言っていたのは、階段フロアに毒ガスを撒くという作戦の欠点。

 それが分かっていたからこそ、アンドレは彼ら傭兵が司令官―――バナードに従う理由が分からなかったのである。


「お前らの装備は見た。高等なもんではあるが……この作戦を行う上で、あるべき装備がない」

「……」


 シアン化水素を突破するのは、ガスマスクさえあれば容易である。

 叛乱軍は持ち物の軽量化のため、主に戦闘武器にリソースを割いていた。故に、防御系の装備は少なく、ガスマスクも彼らは持っていなかった。

 しかし、傭兵側が持っていないのはおかしいのだ。


「お前らがガスマスクを持ってたら、ガスを撒いたところで俺達が傭兵の死体からガスマスクを奪って終わりだ。傭兵の方が数が多いし、叛乱軍にとっちゃ供給量は十分にあるからな。だから、お前らの司令官は


 バナードがガスマスクを持たせなかったのは、そういう理由だった。

 全員が持っているべきだ、というわけではない。しかし、シュティーネに立ちはだかった傭兵の誰一人としてガスマスクを持っていなかったのは、やや異常だった。それは、『持たなかった』というより『持たせなかった』という方が正しい。


「ガスマスクを持っていないお前達は、俺達と同じく階段フロアに戻れない―――つまり、『撤退ができない』んだろ」

「……まさか」


 アンドレの出そうとしている結論に気付いたシュティーネは、司令官の悪辣さに絶句した。


「お前らは、退―――いわゆる『捨て駒』にされたんだぞ」


 撤退は許されない。補給に戻ることもできない。

 なぜなら、退路をガスで塞がれているから。ガスマスクなど、元々持たされていなかったから。


 これを非道と言わずして、なんと言うのだろう。

 部下を仲間とも思わず、『敵を少しぐらい疲弊させられたらいいな』ぐらいのノリで階下に取り残し、自分は高みの見物を決め込む。

 自身はリスクは冒さず、部下を特攻させることを早くも決断した指揮官。それに疑念すら持たずに命令に従った傭兵達。


 はっきり言おう。

 この組織は、腐り切っている。


「もう一回聞くぜ。なんで、お前らはそんなのに従ってる?そんな人間に従って何の徳がある?」


 胸ぐらを掴み、やや憤慨したように血だらけの傭兵へと詰め寄るアンドレ。

 対する男の態度は、冷然としたものだ。荒い息を繰り返しながら、アンドレを見つめ返している。


「……はっ」


 しばらくの沈黙の後に男が返したのは、言葉ではなく『鼻笑い』。


「……何がおかしい」

「……叛乱軍のミナサマは、お優しいこって……がぼっ……」


 塊のように思えるほどの量の血を吐きながら、瀕死の男はアンドレを嘲笑うように答えた。


「……俺達はなぁ、あの人を信頼してんのさ……」

「信頼……?」

「……あの人は、生粋の『悪』だ……誰よりも悪辣で、誰よりも無慈悲で、誰よりもなんだよ」

「――――」


 バナードは、手段を選ばない人間だ。

 金さえ貰えれば汚れ仕事も引き受け、目的の為なら人情など捨て、非情で悪辣な方法を当たり前のように遂行する。

 信じ難いほどに非道な振る舞いであるが、しかし、それは断固たる意思の無い人間にはできない芸当であるのも確かだ。

 悪辣に、愉快に、実利的に、そして計算高く。

 誰よりも『悪』たらんとする彼は、悪い意味で期待を裏切らない。最低最悪の結果を必ずもたらす。


 類稀な頭脳を以って完璧な策略を練り、子供のような感性を以って戦場をもてあそぶ。


『悪』としての自覚を持ち、他人に影響されることのない、堅固たるエゴを有する非人間。


 それが、バナード・イーデン・ボイデルという男だった。


「……あの人の、悪性はホンモノだ……だから、俺たちは心酔してんのさ……」


 誰よりも残虐で在ることを、信じられる。

 そして、彼のどうしようもなく穢れた生き方を、彼らは信奉していた。

 故の、心酔。

 傭兵達が、バナードを疑うことはない。かの男が進む地獄道に同伴せんと、既に心に決めているからだ。


「舐めんなよ、叛乱軍……俺達のは、揺るがねぇぞッ……!」


 風前の灯火となった己が命を燃やし尽くすように、男はメンチを切ってアンドレを睨む。

 対して、アンドレは何を言うわけでもない。


 数秒ほど経っただろうか。不自然な沈黙が続くのを疑問に思ったシュティーネは、アンドレに声をかける。


「……アンドレ?」


 シュティーネに呼び掛けられると、アンドレは一息ついてから男を手放した。


「……死んだ」


 目から光が失われた男を地に置き、シュティーネへと振り返るアンドレ。


「お嬢。コイツは、厄介ですぜ」

「? どういうことぉ?」


 アンドレの発言にシュティーネは小首を傾げる。

 ポリポリと頭を掻きながら、アンドレはシュティーネに語り始めた。


「コイツらのボスは、想像以上にキレる男ってことですよ。金でも目的でもなく、『心』で部下を従える。一番部下から裏切られる可能性の低い縛り方だ。しかも、命令に必ず従う駒ときた」

「……」

「部下は『心』で縛る……心酔させるのが一番だ。けど、それが簡単じゃないことはお嬢にもわかるだろ?」


 黙ったまま首肯するシュティーネ。


 人を縛りつける手段はいくらでもあるだろう。雇用関係で言えば『金』、抑圧関係なら『恐怖』、集団なら『目的』。

 しかし、これらには常に裏切りの可能性がつきものだ。言うことに従順な駒など、そう簡単に用意できるものではない。

 けれど、部下を自分に心酔させられるのなら―――あら不思議、裏切りの可能性がない傀儡の完成だ。しかも、命令を基本的に疑わない。

 故に、『心』で従えるのが上に立つ者は一番安心なのである。できるのなら。


「……そんなことができる時点で、只者じゃない」


 自身の持った特性で人を魅了し、絶大なる信頼を集める者。



「そういう奴のことを、『カリスマ』ってんですよ」



 ――――悪のカリスマ。


 そんな男が敵だと知り、シュティーネは生唾を呑み込んだのだった。




 ***




「階段に向かった第18番隊も信号消失ロスト……こりゃ、ガスで足止め食らってんな?」


 くつくつと笑いながら、禿頭の男は表示させたホログラムをスワイプして現状を確認する。


「11、12、15もロスト……なるほど、流石は叛乱軍。うちの雑兵じゃ歯が立たねぇ」


 凛が「自身が戦闘に参加しない」と宣言した通り、傭兵側は凛の整えた監視カメラといった警備装置にアクセスすることを禁止されている。故に今、バナードは叛乱軍の位置を特定するために積極的に部隊を向かわせていた。

 だが、どの部隊も叛乱軍側に大したダメージを負わせられていない。傭兵側の慢心もあろうが、単純に練度の差が出ているように思えた。


 しかし、侵攻速度が異常に速い部隊に対して兵と警備ロボットを重点的に向かわせ、その上でガストラップに嵌めるという作戦は叛乱軍に効いたようだ。12階にいる部下から連絡が来ないのだから、侵攻は今のところ止まっていると考えていいだろう。


「ま、


 バナードは無線機を取り出しながら、不敵に笑う。


「そろそろ、ガス突破のために指揮官が新しい指令を出したところだろ?なら、頃合いだ」


 無線機の通信をオンにし、マイク部分を口に近づけるバナード。


「出番だ。、レオノール」





「……あいつら、上手くやってるかね」


 電子扉近くの壁に寄りかかった1人の男は、仲間がいるであろう上階を見つめたまま、そう呟いた。

 叛乱軍第一部隊工作員である彼―――エヴァンスは、ロアナから情報室の警備を任されていた。

 今現在、情報室内には作業中のロアナと昏倒中の煌しかいない。故に、護衛の存在は非常に重要だと言えるだろう。


 とはいえ、情報室に敵は恐らく来ないとされていた。

 傭兵団にとって最も警戒しなくてはならないのは、最上階への侵攻を続ける第二部隊から第五部隊の連中だ。情報室でチマチマ作業をしている工作員など、気にも留めないはず。


 というか、まず攻める理由が殆どない。

 いくらハッカー班が頑張ろうが、相手はあの石見凛だ。

 直接介入はしてこないにしても、CPUのデータプロテクトは依然として掛けられている。流石にプロテクトを解除してくれるほど優しくなかったようで、機械警備を無力化するには叛乱軍はプロテクトを破壊しなければならない。

 叛乱軍が石見凛のプロテクトを突破できるのなら、この情報室に人員を割いて攻め込む理由があるだろうが―――、


「ま、ってタカをくくるのが普通だわな」


 叛乱軍如きが、『門番』に勝てるはずはない。そう考えるのが普通だ。

 そのため、傭兵団は貴重な人員を情報室襲撃に割かないだろう。そういう前提の下、彼はロアナ達の護衛をしているのである。



 そう。



「……そろそろ、哨戒交代の時間だと思うんだが」


 帰りの遅いもう1人の女性隊員、ヴィオラに疑問を持つエヴァンス。


 背後の電子扉を解錠し、首を少しだけ覗かせる。


 ……人の気配は無い。まだ戻ってきていないのだろうか。


 そう思い、少し身を乗り出した瞬間。



 パンッッッ。



 それは、余りにも軽やか過ぎる音だった。



「ぉ」



 声を発する間も無いほどの即死。


 は、何が起こったかも分からずに膝から崩れ落ちる。うつ伏せで倒れ込んだためか、ドシャ、と額の骨がひしゃげる音がした。


 どくどくと脳漿と血を床に溢すエヴァンス。白い床に鮮明な赤が急速に広がっていく。


「――――扉前、クリア。額に一発、即死だぜ」


 しばらくして、得物のライフルを携えた人物が現れた。


 黒い肌と癖毛が特徴的な、身長190はあろうかという大柄の女性。戦闘服に体各所に数々の暗器を纏わせた完全武装の風体であり、上頭部のスコープが証明に照らされて妖しく光っている。

 女が殺しの快感に悶えて恍惚とした表情をしていると、イヤーカフ型の通信機からバナードの声が響いた。


『おーし。よくやった、レオノール。そんままも頼むわ』

「ハッハァ!!了解だぜ、ボスゥ!」


 傍に二人の傭兵を侍らせ、その女は悠然と行進する。


 その顔を醜悪に歪ませながら。

 凶弾に斃れたエヴァンスの頭を踏みつけ。

 開錠されっぱなしの電子扉をくぐって情報室へと侵入する。


 明かりの付けられていない情報室に入り、女は口元まで裂けようかというぐらいの笑みを浮かべた。





「……エヴァンス?」


 ホログラムスクリーンを展開していたロアナは、突如響いた銃声のした方向へと顔を向ける。

 その方向とは、エヴァンスがいるはずの方向。情報室唯一出入り口である電子扉がある位置だ。


 銃声が響いたのはたったの一回。撃ち合いにしては少なすぎる銃声回数だ。

 戦闘が起きたと決めつけるのは、やや早計が過ぎるだろう。

 しかし、ロアナは異変を早くも感じ取った。


「……ふざけんじゃないよ。アタシは戦闘向きじゃないっての」


 苦々しい表情で、腰元の銃を抜いて構える。





『ブラッドハウンド傭兵団隊長』―――レオノール・フェルナンデス。


『叛乱軍第一部隊分隊長』兼『叛乱軍副隊長』―――ロアナ・マール。



『傭兵団の暗殺者』と『叛乱軍の頭脳』の戦いが、今始まる。




***




 一方、アーキタイプ。


 無窮の闇を窓から眺め続ける女の背後から、小さな機械音が響く。

 それに対し、待っていたとでも言わんばかりに女はおもむろに振り返った。


「……凛」


 電子扉開錠と共に現れたのは、一人の『紅』。


「久しぶり、煌」


 一か月半ぶりの―――望まぬ形での、再会。


『電子の怪物』石見凛は、瞳に最愛の息子の姿を映したまま、艶然と微笑んだ。







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