第三十一揺 仕組まれた舞台

 

 何も見えない。

 縮こまった体勢で息をひそめているのは、想像以上に疲れるものなのだと知る。視界が完全にシャットダウンされている状態だが、台車の音と振動だけはしっかりと感じられた。機械音や人の声も聞こえなくはないか。

 最初は潜入任務とのことで緊張していたが、今はもう退屈と窮屈感の方が強くなってしまった。

 少しぐらいならいいだろうと思って欠伸をしようとした瞬間、コンコン、と複数回ノックされる音が外部から聞こえた。やや驚きながらも、身を引き締める。

 二回のノックは「もうすぐ目的のポイントに到着する」というロアナからの合図だ。心の準備をしろ、という意味合いでする約束になっていたのだが、実のところ、準備をすることなんてない。こんな狭い空間では身支度も何もできないし、武器の確認も音が出てしまうのでダメだ。

 固まった体をほぐすために少しだけ身じろいでいると、すぐに側面から光が差した。ロアナがアタッシュケースを開けたのであろう。


「着いたよ。出な」


 それを合図に、アタッシュケースに詰められていた少年――夜野煌が起き上がる。

 アタッシュケースの底に手をつき、おもむろに立ち上がろうとするが、やはり箱詰めの体勢はきつかったらしい。体の動きが明らかにぎこちなく、首を回して凝りを取ったり、腰をさすったりしている。傍目から見れば、その仕草は老爺のそれだ。クッション材なども一応は入れていたが気休めでしかなかったようで、顔には不快感がありありと出ている。

 煌は叛乱軍に来てから日が浅く、潜入訓練なども無論受けていない。オズウェルとシュティーネのしごきを受けているとはいえど、戦闘能力は乏しいと言わざるを得ないのだ。潜入時に万が一戦闘が起こった場合、近接格闘は確実に後手に回るだろうし、銃器を持った相手ならなおさらである。

 故に、普通に潜入させるより荷物として運んだ方が安全そうだ、と判断され、煌はアタッシュケースに詰められてロアナに台車で運ばれていた。とはいえ、煌が若いから出来た芸当だ。煌程若くない叛乱軍の人間がやろうものなら、加齢による体の固さもあって、後の作戦に支障をきたす痛みなどが残る可能性がある。特に憲嗣などを詰め込もうものなら骨が折れてバッドエンドまっしぐらだ。


「さ、準備運動は済んだかい?」

「…まだ痛いけど」

「良かったじゃないか。痛いのは生きてる証拠さ」


 やや強引な根性論を展開し、ロアナはさっさと準備を終えて移動を開始した。

 護身用に渡されていた拳銃を腰にしまって顔を上げたところで、初めて煌は自分のいる場所がどこなのかを確認する。


 無数のコンピューターが積まれた金属製の棚がずらりと並んだ、縦にも横にも広い空間。規則正しく大量に積まれたコンピューター群は、棚の大きさもあってか、まるで機材の図書館のようであった。

 照明はロアナがあえて点けていないのだろう、非常に暗くはあるが、前が見えないわけではない。コンピューターの本体についている赤や緑のランプが点灯しており、それが無数に集まることで光源としての役割をかろうじて果たしているのだ。先程までアタッシュケースの暗闇の中にいた煌は目が慣れているので、先の方まで普通に見える。


「? あぁ…まだついてこなくていいよ。精密機械だらけのここにトラップを配置してるとは思えないけど、一応確認する必要があるからね。ちょっとそこで待ってな。すぐ戻る」


 ロアナの後を追おうとした煌だったが、それはロアナによって制止される。戦闘能力と危機察知能力の低い煌の為にトラップが仕掛けられていないか確認しに行ってくれるのだろう。

 残念なことに、そう言われては煌にはすることがない。足手まといになることは分かっているので、大人しく入り口付近で待機することにする。

 壁に寄りかかって座ったところで、高い天井を見上げる。


 一か月半。

 あの惨劇の夜から、それだけの時間が経っていた。

 あの場所で感じた恐怖も、悲しみも、絶望も、憤怒も。それら全て、一分一秒忘れたことはない。あの出来事を薪にして、夜野煌という人物は動いている。

 だが、現在。煌の中に葛藤が生まれ始めているのも事実だ。

 煌の幼少期から面倒を見てくれていた、煌の叔母で養母の石見凛。

 彼女は自身の信条すら犠牲にして、煌の「普通の」生活を守ってくれていた。煌が何不自由なく育つよう、この十数年間苦心し続けてくれていた。


 けれど、そのせいで。

 自分は、彼女を『怪物』にしてしまったのではないか。


 煌の存在が彼女の弱点になっていたことは確かだ。だからこそ徹底した警備で煌を極力外部から守っていた。それは、政府に対しても同じ。

 もし煌の安全と引き換えに、凛に『門番』を命じたとするなら。彼女が信条を曲げ、『クレイドル』だなんて悪辣なモノの維持に加担させられていたことにも理由がつく。

『クレイドル』を維持するということは、つまり



 一人の「わが子」を守るため、数多の「他の子」を見殺しにしてきた。



 それが美徳とは到底言えないことなど、本人が一番わかっているだろうに。


「…俺の存在が、彼女を『怪物』にしたんだ」


 怪物と称される彼女の、愛のカタチ。

 それによって彼女が背負うことになった、罪の重み。


 ――自分は、彼女にそんなものを背負わせてまで、ここに居続ける必要はあるのか。


 簡単な話、政府側に寝返れば、彼女の罪の意識を軽減させてあげられる。今まで彼女一人で背負っていた「見殺しの罪」を、煌も政府に加担することで共に背負えるからだ。しかし同時に、処刑人エクスキュージョナーを殺し尽くすという目的は果たせなくなるだろう。つまり、復讐を妥協することになる。

「処刑人殺し」は、煌がすべき贖罪だ。そう易々と捨てることは出来ない。


 贖罪くれはを取るか、妥協りんを取るか。


「俺は……俺は…―――」


 内に秘めた葛藤に頭を抱える煌。それは確かに彼を悩ます問題であり、考えなければならない命題ではあったが。

 彼は、戦場の掟を知らなかった。



 『戦場では油断は絶対にしてはならない』という、絶対の掟を。



「おい、お前。ここで何してる」



「……えっ?」


 思わず素っ頓狂な声で返事し、顔を上げる。


 そこにいたのは、一人の男性と女性。

 服装は、叛乱軍の戦闘服ではない。

 それは、スカイフロント職員の服装だ。


「あ」



 ――不味い。


 これは、不味い。



 考えごとに夢中で、近づいてくる気配に気づかなかった。いや、アタッシュケースに長く詰められたせいで警戒心が薄れていたのもあるだろう。


『職員と出会えば問答無用で頭を撃ち抜きにくる…つまり、殺しにくる。そのつもりでいるように』


 オズウェルの発言が今になってフラッシュバックする。

 ここは銃刀法違反が適用されない無法地域。発砲許可がなくても銃を撃てる場所。


 煌の服装は戦闘服。明らかに子供が着るべき服ではないし、友好的な姿ではない。

 職員二人から見れば、確実に侵入者に見える。そして、侵入者に与えられるのは、だ。


(考えろ…考えろ…!)


 この二人が声をかけてきたのは、戦闘服を着ているといえど、煌がまだ子供だから。大人だったら声をかける間もなく殺していたはず。

 つまり、声掛けは二人の慈悲にすぎない。煌の次の返答次第で、いとも容易く煌の命を奪うだろう。

 次の発言が、生死を分ける。その緊張感が、煌の思考回路を鈍らせた。


(クソ…良い弁明が思いつかない…!)


 返答に時間をかけすぎても疑われて撃たれる。下手な嘘をつけば疑われて撃たれる。

 良い弁明が思いつかない今、取るべき行動は――


(……実力行使。銃なら、腰にある)


 ちらりと視線を逸らして確認するが、二人からは見えない位置に銃が装備してある。射撃訓練は受けているし、子供という偏見から意表を突けるかもしれない。

 発砲音でロアナが気づいてくれて掩護してくれるのが一番ありがたいが、ロアナの掩護まで時間が稼げるかが問題だ。


(いや…脅すだけなら、いける。銃を抜いて突き付けた状態にして時間を稼げば、ロアナが援護してくれるだろう。それを狙って――)


 再び視線を職員へと戻し、銃を左手で抜こうとする。



 目の前に、銃口があった。



「ぇ」


 カチ、と引き金が引かれる。

 ほぼゼロ距離で放たれた銃弾が軽々と煌の頭を打ちぬいて―――


「…あれ?」


 迫る死の感触に怯え、目を瞑った煌。

 しかし、銃弾は煌の頭を打ちぬいていない。煌は依然として生きている。


「おいおい…!お前、死んだぞ今!」

「やっぱり未熟ねー。まぁ入ってから一か月ちょっとって話だし、パニックにならないだけ十分かしら」


 先程の鬼気迫る雰囲気から一転、二人の顔が朗らかなものになった。

 けらけらと笑う二人についていけず、呆然とする煌。


「え、あの」

「いやー、驚かせてすまんかった。ぶっちゃけると、俺達は叛乱軍の工作員だ」

「ちょっと試したくなって。つい、ね?」

「…は?」

「それとよ、言い訳が思いつかなくて実力行使に頼るのはいいが、銃の方を見るのはダメだぜ。武器があるのを確認した時点で殺意満々だって言ってるようなもんだからな。そりゃプロなら先手を打とうと殺しに来る」

「ノールックで銃を引き抜いて押し付けたまま、分隊長の掩護を待つのが正解ね。まだ難しいと思うけど、精進なさい」

「は、はぁ…」


 唐突にされたアドバイスに目を白黒させる煌だが、ようやく恐怖で麻痺していた頭が回り始める。

 つまるところ、煌はおちょくられた訳だ。


「…」

「そんな目で見んなって。ちょっとふざけただけじゃんか」

「…にしても悪ふざけが過ぎるのでは」

「そうだね。こりゃ煌の方が正論だ」

「お、分隊長。お久しぶりです」


 コンピューター群の方から顔をのぞかせたのは、トラップの確認をしていたロアナだ。どうやら走査が終わったらしい。


「そいつらが第一部隊所属の隊員だよ。工作員として予め三人潜り込ませていてね。本部隊の突入に合わせて合流するように言ってたのさ」

「あぁ…だから第一部隊はロアナさん一人で…」

「そ。他の部隊が5人編成なのにうちの部隊が君と二人で潜入したのは、既に潜入していた私達がいたから。ここの情報室で合流予定だったんだけど、たまたま君が一人でいるの見つけたからさ。思わずからかっちゃったってわけ」


 ごめんごめんー、と軽く謝ってきた女性の隊員に恨めしそうな視線を向けていると、ため息をついたロアナがピッと台車の方を指さす。


「とりあえずアンタらはさっさと着替えな。そこの台車に乗せてる荷物の中に武装は入れといたから、装着して外を見張っててくれ。アタシと煌はアーキタイプに接続する準備をする」

「了解。…あー、そうだ。分隊長、これ。例の装置です」


 男の工作員が取り出したのは、ヘルメットのような見た目をした装置だ。とはいえ機械部分も露出しているので、ただのヘルメットということは無さそうである。


「これが培養液を使わないタイプの『アーキタイプ接続用フルダイブデバイス』です。これを使えば培養液に漬からなくてもアーキタイプに行けるってんで、借りパクしてきたぜ」

「ありがとさん。そんじゃ、ありがたく使わせてもらうけど…ディヤーはどうしたんだい?一緒に居ないみたいだけど」

「―――。ディヤー、は…」

「……あぁ、そうかい。分かった」


 ディヤーの名を出した瞬間、表情を曇らせる二人。その様子で何かを察した様に、ロアナは頷いた。


「それと…もう一つ。石見凛から三時間前に全職員に出された指令があったんですが…『アーキタイプ接続者以外は全員中央管制塔より退避せよ』との――」



『10階より上にいる人間、聞こえているな?情報統制局局長、石見凛だ』



 男の隊員の言葉を遮るかのようなタイミングで中央管制塔に響く、女の音声。


「な…」

「石見凛!?」


 その場に立ち尽くす二人の工作員は、突如として響いた女の声に驚愕する。

 煌にとっては聞き慣れた、名前通りの凛とした声の持ち主。


 石見凛。煌の養母であり、今は敵である『電子の怪物』。


「凛…!」


 義理の息子は、望まぬ形での母との再会に顔を歪める。一方で、煌の横に立つロアナは動揺せず、ただ寡黙に思考を続けるに留まった。


 少しの無音。音声だけしか聞こえないが、雰囲気で凛がゆっくりと口を開くのが分かる。


『初めましての人間は初めましてだな。先程も言ったが、ここの局長をやっている石見凛だ。今後ともよろしく。…あぁ、いや。今後があるかは保障しかねるが』

「…」

『さて、前置きはここまでにしておこう。賢い者なら、なぜこのタイミングで?と思いそうだが…そうだな。最初に明言しておくとするか』


 勿体ぶるように一拍おくと、トーンの下がった声で凛はその先を続ける。


叛乱軍リベリオン。君達の侵入は、。気づいた上で、あえて泳がせていた』


 感情の起伏など微塵も感じさせない口調で、凛は衝撃的な事実を言ってのけた。

 瞠目する叛乱軍の隊員達。しかし他人がどう思うかなど気にも留めていないのだろう、と思いきや、次に出たのは意外にも称賛の言葉だった。


『とはいえ、だ。私の目を欺けなかったとはいえ、侵入に使われたハッキングプログラムは大したものだった。この式を見るに事前準備したものだろうが、無駄がなく、クセもない。使いやすさという意味では私が書くものより上だろう。素直に褒めるとしよう』


 そのハッキングプログラム、というのは恐らくロアナが書いたもののことを言っているに違いない。あの石見凛からの直々の賞賛となれば、並のハッカーなら泣いて喜ぶかもしれないが。


「……ふざけやがって」


 隣にいたロアナを見ると、その顔は屈辱の色で染まっていた。

 喜びなど、どこにもない。あるのは、「下に見られた」ことに対する怒りのみだ。


「…分隊長」

「…あぁ、分かってるよ。アレが相手じゃ仕方ないことだ。やけに静かだとは思ってたけど、とっくにバレてたんだね」

「えぇ。三時間前に退去命令が出た瞬間には、恐らく既に…」

「三時間前ね…ったく、なーにが『入った瞬間から』だい。しっかり侵入前にバレてんじゃないか」


 三時間前の段階では、叛乱軍はまだ侵入を開始していない。凛が言った「入った瞬間から」というのは謙遜で、本当は侵入前から察知されていたのだ。


『ようこそ、私の城へ。歓迎するよ、叛乱軍。実のところ、私はお前達の侵入をずっと待っていた。お前達の無謀とも言える作戦のお陰で、私は私の目的を果たすことができるからな』


「…目的?」


『そうだな。何から話そうか…あぁ、まずは私の考えから話しておくべきだな』


 うんうん、と頷く気配がマイクの向こうからした後、凛は少し息をついてから再び語りを始める。



『最初に言っておこう。私は政府のクソ共が死ぬほど嫌いだ』



 唾棄するように述べられた台詞。強くなった語調といい、込められた負の感情といい、一点の曇りもない正直な罵倒であった。


『私が奴らに協力していることにいつも吐き気がしてるよ。いや、実際吐いたこともあったな。胸糞悪すぎて、何度も裏切ろうと思ったさ。裏切れるだけの実力も私にはあったし、世間の事情なんか考えなければ思いっきり暴れまくってクレイドルの情報もばら撒けたからな』


「じゃあ…」


『でも、裏切らなかった。万に一つぐらいの恩もあったし…


「―――」


 守りたいもの。

 彼女がそう呼ぶものなんて、この世に一つしかないだろう。

 やはり彼女の枷となっていたのだ、と理解した煌は、情けなさで下唇を噛み締める。


『クレイドルの情報がばら撒かれたら、世界は秩序を無くすだろう。だから、簡単にはばら撒けない。それは分かるさ。でも、それでいいとも思っていないんだよ、私は』


「何…?」


『簡単には攻め込まれないからと余裕ぶって、ふんぞりかえってる政府のクソ共は、今も子供達を見殺しにしてる。、な。…告発できないからしょうがないとは言え、それはそれで腹が立つだろ?だから、私は些細な仕返しをすることにしたんだ』


 この音声を聴いている誰もを置いてけぼりにするような言葉の連続で、そして依然として変わらぬ淡々とした口調で、凛は話し続ける。


『叛乱軍の諸君。君達が何の目的でこの魔境へと攻め入ったのか…私には、とうに見当がついている。故に、私は提案しよう』


 それは、電脳の怪物が仕組んだ大舞台。

 そこにいる誰もを巻き込み、その全てを以って歯車として現状を動かそうという女の目論見。

 傲慢で強欲なたった一つの願いが生んだ、赦されざる血みどろの遊戯。



『景品は私の命…そして、賭けるのは君達の命だ。さぁ、ゲームを始めよう』





 ***




「ゲームだぁ?」


 叛乱軍と同じく放送を聞いていたバナードは、まどろっこしい凛のスピーチに段々とイライラし始めていた。

 叛乱軍を殺して欲しいと依頼を受けて来たのに、蓋を開けたらこの状態だ。侵入に気づいていたくせに碌に情報を伝えず、現状が把握できない傭兵団の人間は宙ぶらりんだ。イラつくのも仕方がないと言えば仕方ない。


『先程、私は政府が嫌いだと言ったな。だからと言っては何だが、叛乱軍の方が個人的にはまだマシだと思っている。煌を預けさせていたのも同じ理由だ。『覚醒』した煌を奴らに渡すよりは、お前達に渡した方が都合が良かった』


「煌…ってのは、前に話してた義理の息子のことか?それがどう繋がってんだよ」


 以前に凛が話していた、彼女が愛してやまない息子の話。常日頃から冷徹の象徴のような人間だった彼女が唐突に破顔したものだから、バナードはドン引きしてしまった。『怪物』は文字通り、息子に関しても過保護親モンペだった訳だ。


『実際、煌に渡していた救難信号発信装置はこの一か月間で一度も押されなかった。監視カメラで見ている限り、関係性もさほど悪くは見えない。……と、いうことで。おめでとう、叛乱軍の諸君。第一関門突破だ』


「…あ゛?」


 意味の分からないワードを聞き、思わずドスのきいた声を出してしまうバナード。ふざけているとしか思えないような凛の言い分に、バナードの堪忍袋の緒ははち切れる寸前であった。


 しかし残念ながら、凛は至って真面目である。


 先ほど凛が言った、第一関門。

 それは、凛が個人的に設定していた『煌を預けるための条件』の一つだ。

 政府を強く嫌っている凛は、『覚醒』した為にモルモットにされるのが確定している煌を、むざむざと政府に引き渡すことが許せなかった。故に、彼女は叛乱軍に煌の情報をリークし、煌を先に攫わせたのだ。

 この一か月間で煌に様々なことがあったとはいえ、凛に助けを求めることはしなかった。煌を置く環境として、本人にとって不満はなかったのだろう。その点で言えば、叛乱軍に煌を攫わせた凛の判断は正しかったと言える。


 だが、「煌を守り続けられるか」でいえば、それとこれとは話が別である。


『つまりな。私は、お前達を試したいんだ。叛乱軍は私の最愛の息子を預けるに足るか。それを私はここで見極めたかったんだよ。誰の邪魔も邪魔も入らない場所で、な』


 凛は叛乱軍の力を見極めるため、この中央管制塔を実験場にして、試練を彼らに課そうというのである。


『お前達の実力をはっきりさせるための試練……それが、今から始めるゲームだ』


「……ッ!?ああクソ、そういうことかよ!?」


 勘のいいバナードは、凛がやろうとしていることを、その瞬間理解した。

 なぜ、自分達に高額な報酬を払ってまでスカイフロントここに呼び寄せたのか。

 なぜ、自分達以外の戦闘員が配置されていなかったのか。

 なぜ、彼らの情報を殆ど伝えてこなかったのか。


『殺し合いだよ。最強の傭兵団ブラッドハウンド最強の反政府組織リベリオン。外部戦力は一切無い、互いの戦力を使った潰し合い。それが、私が仕組んだ舞台の設定さ』


「~~~ッッッ!!」


 バナードの見立てが甘かった。莫大な金に目が眩んでしまったのが失敗だったのだ。

 最初から、一方的な試合などやらせるつもりがなかった。

 彼女がバナード達に望んでいたのは、叛乱軍の力を見るための文字通りの試金石としての役割のみ。


『私の部下の戦闘員がいないのはそういう理由だ。私の我儘に彼らを付き合わせるわけにはいかないからな。今は控えてもらってる』


 成る程、電子の怪物といえど部下を思いやる気持ちはあったらしい、と鼻で笑うバナード。しかし一方で際立つのは、殺し合いに登用された傭兵団の扱いの悪さだ。


「俺達なら金さえあれば動かせる唯の道具…後腐れがねぇってかぁ…?つくづくゴミみてぇな女だぜ、クソが!」


『あぁ、そうだな。お前の言い分はもっともだ。金を前払いしたとはいえ、騙す形になったからな。血も涙もない戦闘狂の集団クソどもと言えど、流石に申し訳ない』


 どうせ聞こえていないと思って雇い主に悪態をついたバナードだったが、どうやら向こうにも聞こえているらしい。何で聞いているかは分からないが、バナードが今いる場所のどこかに極小のマイクでも埋め込んでいるのだろうか。


「…聞こえてんのかよ。死ね」

『だから悪かったと言っているだろう。このとーり』


 聞こえているなら話は別だ、とでも言わんばかりにストレートな罵倒をしたバナード。それに対する凛の対応は冷ややかなもので、心にもないような謝罪をしてきた。


『詫びといってはなんだが、追加報酬だ』


 神経がいら立ってばかりのバナードだったが、追加報酬、という凛の発言にはしっかりと目を光らせる。

 ここぞとばかりに耳を傾けるバナードに、凛はさらりと追加報酬の内容について述べた。



「…は?」


『お前達がゲームに勝利した暁には、殺した人数分の追加報酬を払ってやろう。叛乱軍は大体20人ぐらいだから…そうだな。全員殺せば大体200億ドルだ。どうだ、夢があるだろ?』


「まじ、かよ」


『勿論だ。こう見えても守銭奴でね、財力には自信がある』


 200億ドル。傭兵団にいるのが大体100人。等分にしても、2億ドル。いや、幹部連中や上位の者の方に報酬の比重を傾けるのが普通なので、正確には等分にはならないが、しかし、それを差し引いても信じられないほどに金払いが良い。

 この任務を終えた暁には一生遊んで暮らせるだけの金が手に入る。

 金の亡者であるバナードが、その誘惑に耐えられるはずもなく。


「…癪だが、乗ってやる」

『話が早くて助かる。負けても前払い金は返さなくていいからな』

「誰が負けるかよ」


 傭兵団で命を懸けているのも、全ては金の為。

 当初とは予定が狂ったが、20対100という圧倒的な人数の差がある上に、傭兵団側は事前にたんまりと物資を持ち込んでいる。単純な戦闘となれば、勝ち目の方が圧倒的に濃いだろう。


「わりぃな、叛乱軍。俺達の金のために、いっちょ死んでくれや」




 ***




「…随分と大盤振る舞いだな」

「私達一人に10億ドルの価値なんてあるかなぁ。特にアンドレとか、あっても1000ドルじゃなぁい?」

「ちょ、お嬢?!俺の命安すぎやしないかい?!」

「分隊長って呼んでよぉ」

「頼む、一回黙っててくれないか…?」


 こんな緊迫した状況下にも関わらず漫才のようなやり取りをする隊員に青筋を立てるオズウェル。流石に緊張感ぐらい持ってほしい、と内心でため息をついた。


『さて、次に叛乱軍だ。ブラッドハウンド同様、お前達にもメリットが少ない。煌を抱えられるっていうのはプラスになるかもだが、それは現状も変わらないしな』


 役職ジョブ叛逆者リベールである煌は確かに叛乱軍の切り札になる。このゲームに勝利すれば煌を引き入れることを世界最高のハッカーから認められることになるが、それは公認になっただけの話。もともと煌は叛乱軍にいたのだから、大して利益になっていない。


『だからお前達にも景品をやろう。お前達が欲しいのは、『クレイドル』に関する情報…そうだな?』


「…それはそうだろう。それを手に入れることこそが、我々の大きな前進に繋がる」


 現在、叛乱軍は『クレイドル』の正体を掴めていない。

 若い人間が睡眠中に死ぬ悪夢ナイトメア症候群シンドロームの原因となるデスゲームで、そこで死ぬと現実でも死ぬ、という謎のルールが問答無用で適応されている。脳内マイクロチップが関連するのは確かだが、時系列的にも上手い解釈が出ず、メカニズムが謎のままになっている世界最悪の奇病の発端。それこそが『クレイドル』だ。

 その正体や仕組みが分からなければ、叛乱軍とて対策の立てようもない。政府側が必死になって包み隠す『クレイドル』の根幹たる情報こそ、叛乱軍が今もっとも追い求めるものである。


『そうだな。私が思うに、現状では。大きな戦力も動かせず、かといって潜入もしづらい…。そんな状況にあるからこそ、このゲームは叛乱軍にとってもありがたいだろう?』


「そうだな。政府の特殊部隊を無尽蔵に送られるのと比べて、上限数が決まっている敵と戦うだけでいいのだから、我々には信じられないぐらい有利な条件と言って良い」


『…有利、ね。人数の差は歴然だし、そんな簡単な話ではないと思うが』


「無論、今までに比べれば、の話だ。簡単な任務だとは思っていない。…それは、さておき。『命を賭ける』と言ったが。あれはどういう意味だ?」


 話題を転換し、何処かから聞いているであろう凛に向けて問いかける。

 ゲームをする、と言った時、凛は『賭けるのは私の命』と言っていた。その真意が分からない。


『言葉通りだよ。君達が勝利したら、私の命は君達の自由にするといい』


「…それは、殺されてもいい、ということか」


『さぁね。まずは勝ってみてからだ』


 うまい具合に凛に、オズウェルは凛の言葉の意味を推し図りあぐねる。言葉通り、自分の命運を叛乱軍に預ける、ということなのだろうか。それとも、他に裏があるのか。

 推論することは出来るが、得てもいない勝利の景品に現を抜かすのは「捕らぬ狸の皮算用」というやつだ。ここは素直に論点を次に進めるべきであろう。


「それで…ゲームというのは?ゲームというからには、ルールもあるだろう」


『今から説明するとも』


 そう言うと、凛は手元のデバイスを操作し、Enterキーを押す。


 瞬間。

 ポン、という音がすると共に、オズウェルの持っていた端末にホログラムでできた電光板が表示された。


「な」


 唐突に手首につけた携帯デバイスに表示された電光板。今、オズウェルはデバイスを起動させていない。加えて、このデータはオズウェルのデバイスに元々入れられていたものですらない。

 それが意味する事実は、つまり。


『今、ゲームに参加する人間の携帯デバイスを全てハッキングしてルールを表示させた。…あぁ、この程度で驚くなよ?これぐらいは片手間だからな』


 叛乱軍の人間、それとブラッドハウンドの人間の持つ携帯デバイス全てをハッキングする。それがどれほど難しいことか、分からないオズウェルではない。背後にいる隊員にも同様にハッキングされているようで、少なからず動揺が広がっているようだ。


『さ。各自ルールを確認してくれ』


 表示された電光板には文字が書かれており、それが彼女の定めたゲームのルールであると分かった。後続の隊員達がオズウェルにアイコンタクトをして判断を仰ぐが、それにオズウェルは頷きで返す。


(凛の凄技にどよめくのは分かるが、今重要なことではない。とにかく後回しだ)


 その意図を理解したのか、隊員達も頷いて電光板へと目を向ける。

 隊員達がそれぞれルールを確認し始める中、オズウェルもまたルールに目を落とした。



 ・ルール1

 ゲームに勝利した陣営にのみ追加報酬を与える。報酬は各陣営別々に用意されている。また、敗北した陣営が叛乱軍であった場合、隊員全員を処刑する。


 ・ルール2

 叛乱軍側の勝利条件は、生存した隊員全員が最上階に到達すること。そして傭兵団側の勝利条件は、叛乱軍の隊員を最上階に全員到達させないこと。


 ・ルール3

 定めた制限時間内において、石見凛は戦闘への介入を一切しない。ただし、制限時間内でも自動警備AIは起動しており、叛乱軍が勝利条件を達成しないまま制限時間を過ぎた場合には、石見凛は全力を以って傭兵団側に加担する。


 ・ルール4

 叛乱軍側は、最上階に到達していない生存している隊員がいたとしても、隊長が『生贄』判定をすれば、その隊員は勝利条件から外される。ただし、『生贄』判定をされた隊員は処刑される。


 ・ルール5

 爆薬の使用を禁ずる。また、施設の過度の破壊を禁ずる。


 ・ルール6

 夜野煌へ危害を加えた陣営は敗北とする。人質にとるのも同様である。


 ・ルール7

 制限時間は、一時間とする。



 眼前に並べられた、石見凛が設定したのであろうルールの数々。『勝利条件』『生贄』『処刑』など、気になる部分はいくつもある。


(処刑…これは、おそらく石見凛が直接殺すということだろうな。ここは中央管制塔、彼女にとっての庭だ。やろうと思えば侵入者など簡単に殺せる)


 直接、といっても、彼女が直々に出てきて違反者を殺すわけではないだろう。考えられるのは、予め仕掛けられていたトラップによる殺害。

 隔壁封鎖からの毒ガス噴射、壁に秘密裏に仕込んだ機関銃からの一斉掃射、電気床や電気壁といった感電装置など、考えられる手段はいくつもある。


 だが、それ以上に目を向けなければならないルールがあった。


「…制限時間、一時間」


 一時間。

 たったそれだけの時間で、隊員全員が傭兵団をくぐり抜け、最上階に到達せねばならない。あまりに、時間が少な過ぎる。

 しかも、一時間が経てば石見凛が介入するという条件付き。中央管制塔を完全掌握する彼女が敵に回るのだから、その時点でゲームオーバー間違いなしだ。


『特にルールに対する説明はない。だが、一つだけ…ルール6だ。これだけは違反が絶対に許されない。違反した者は、私が


 聞く者全てを震え上がらせるような、冷徹さを滲ませる声だった。

 その言葉に嘘偽りは存在せず、字面通りに「潰す」つもりなのだということを、彼女の声を聴いていた誰もが悟る。そう悟らせるだけの語気の強さも、そうできるだけの実力もあるのだ。説得力が違う。


『私からは以上だ。時刻一九三〇からゲームを開始とする。それまで英気を養っておくといい』


 先程の修羅のような語調が嘘のように、平然とした様子の凛。そうして話を締めくくりかけた凛だったが、『あぁ、それと』と最後に付け足した。



。一人で来てくれ』



 それは、誰か一人に向けた彼女のメッセージだった。


 その言葉を最後に音声は切れ、静寂が戻る。

 数秒の間、表示されたルールを見つめていたオズウェルは、端末の電源を落として立ち上がった。


「隊長」

「分かっている。これはチャンスだ。乗らない手はない」


 これは凛の仕組んだ理不尽なゲームに見えて、その実、現状が不利すぎた叛乱軍側に与えられた大きなチャンスだ。

 とはいえ、依然として難易度は高い。最強の傭兵団と名高い『血の猟犬ブラッドハウンド』と凛の管理する警備AI、絶望的な人数差、短い制限時間、そして物資不足。この場を作り出す何もかもが逆風だ。難易度も、不可能インポッシブルからベリーハードに下がったぐらい。


 だが、しかし。

 それでも諦めないのが、彼ら叛乱軍である。


「こちらα、叛乱軍各部隊に通達。作戦をAからKに変更。これより、叛乱軍は中央管制塔最上階到達を目指す。潜入任務は放棄、総員戦闘装備に換装しろ。オーバー」

『こちらβ。了解だ。アーキタイプ侵入と同時進行で作戦Kを遂行する』

『こちらδ。任務了解。秘蔵の戦闘ロボも出させてもらうぞい』

『こちらε。作戦変更の件、了解いたしました。我ら二人の愛であらゆる障害を突破してみせましょう』

『こちらζ。怪我だけには気をつけてねー。死んだら治せるもんも治せないよー』


 意気揚々とする分隊長達に頼もしさを感じ、オズウェルは少し気を緩ませる。

 叛乱軍を支えてきた幹部という柱達。彼らの存在があることで、叛乱軍はより一層強くなれるのだから。


 彼らの勢いの良い言葉に対して、オズウェルは静かに、けれども燃える意志を込めて、作戦を発令した。



「現時点一九三〇をもって、作戦開始とする。総員、死ぬな!」


『『『『Yes sir!!!!』』』』



 叛乱軍全員の呼応と同時。

 死のゲームの開始を告げるブザーが上方より鳴り響いた。




 ***




「…とか、やってんだろ」



 スキンヘッドの男が一人、手に持った銃をクルクルと回しながら、嘲るような声でそう呟く。



「バカだよなぁ、圧倒的不利な状況にあるのによ。熱意だけでどうにかなると思ってんのか?だとしたらお気楽だな」



 口に入れていた葉巻を床に押し潰し、その男は立ち上がる。



「そんじゃ、やるか」



 俄然有利な状況にある自分達は、何一つとして焦ることはない。当初の予定は異なるが、ワンサイドゲームには違いないのだ。



「あーあー、聞こえてるか?多分聞こえてるな。…まぁ、なんか変なことになっちまったが、とくに変更はねぇ。最初の指令通りだ」



 これは、不利にあった組織が奇跡で成り上がる物語ではない。

 これは、どこまでも残酷で、どこまでも現実的な、悪夢の延長にある物語。


 故に、彼をモブとして扱うことは許されない。

 彼は圧倒的強者の立場にあり、その事実は決して揺らがず、そして失念してはならないことなのだ。




「暴れろ、飢えた獣共。血塗れのナイトパーティーの時間だ」




 『最強の傭兵』、バナード・イーデン・ボイデル。


 叛乱軍にとって、彼は何よりも大きな障壁となるのだった。

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