第二十八揺 見据える敵は

 

「石見凛。情報局局長にして、世界最高のハッカー…そして、『クレイドル』の隠蔽を為す、我々の『敵』だ」


『敵』。

 そう言い放ったオズウェルに対する煌の返答はない。ただ、瞠目してホログラムの画面を見つめているだけだ。


 流れる沈黙。


 暫くして口を開いた煌。


「成る程。次の作戦は、『暗殺』だな。


「――――」


 こともなげに。

 全く気になどしていないとでも言わんばかりに、煌は卓につく幹部達に向けて、そう言い放った。


 仮にも、十年以上自分を育ててくれた親だろう。

 この世に唯一無二の、たった一人の母親だろう。

 それなのに、彼女を煌は『殺す』と断言しているのだ。


 暫く考えたとはいえ、親殺しの葛藤を解決するにはあまりに短すぎる思考時間。そんな短時間で、親を殺す決断が出来るのか。


「…何故だ?何故、そう思った?」


 煌の異常さに戦慄する幹部達を一旦差し置き、目を細めたオズウェルが煌に問いかける。


「あんた達だって気づいてるだろ。日本の情報基盤をたった一人で立ち上げた人間、石見凛。そんなの、一筋縄で行くわけがない」

「…それは分からないだろう。アタシ達だって雑魚じゃない。…自分で言うのも何だけど」


 石見凛には敵わない。

 そう遠回しに言われた幹部達は、顔を顰めて煌の方向を見ている。彼らとて、同じ感想なのだろう。

 その視線に気づいていたのか、首を横に振りながら肩をすくめる煌。


「…正直、半信半疑だったけど。それを聞いて納得したよ」

「…? 何を…」


 そう言って煌が取り出したのは、耳の中に入れていた携帯デバイス。

 携帯デバイスには多くの種類があるが、その中でも一般によく使われているのが、腕につける、旧世代でいうところのスマートフォンのような役割を果たす携帯デバイスと、耳につける言語同時翻訳機能が取り付けられた携帯デバイスの二つだ。

 いずれも通信回線を使うものではあるが、後者の場合は通信機能が無くても使えることには使える。翻訳の精度は劣るとはいえ、他言語話者との会話はギリギリ成り立つ。

 故に、叛乱軍にいる間はロアナによって通信のプロテクトをかけられた状態で煌はこれらを使用していた。叛乱軍の幹部なんかは日本語が流暢なので翻訳機能は不要だが、一般兵の中には英語しか喋れない者もいる。そういう意味で、耳につけるタイプの方も必要だった。


 つまり、耳につけるタイプの方も外部との通信はできない状態であり、外部との連絡手段足りえる機能は元々備わっていない。

 そのはずだった。


「これは、一般の耳型デバイスの外見そっくりに凛がオーダーメイドした携帯デバイスだ。他の耳型デバイスとは重さも大きさも大して変わらないけど、外部との通信もできるらしい。骨伝導を利用した設計で、小さな声でもメッセージが送れるって」

「…なるほど。その技術力には感心するが…いずれにしろ、通信は切っているんだ。外部との通信はできないだろう」


 通信を切っているのだから、外部と連絡しようがない。そんなのは当然の摂理だ。


「『どんな場所にいようと、必ず駆けつける。例え空の上でも、海の底でも、核シェルターの中でもだ』」

「……なんだ。それは」

「これを渡された時に言われた。曰く、、んだとか」

「な」


 電波が届かないのに、位置を知らせる。

 そんなことが出来るはずがない、と一蹴することは、彼らにはできない。それを可能にするだけの力が彼女にあることを知っているからだ。


「メカニズムは知らないけど……これを起動させれば、凛は俺がどんなところに居ようが必ず駆けつけるんだろう。あの人は、嘘は言わない」

「……それが、我々が彼女に敵わない理由か」

「正確には、この状況が、だ。これはあくまで救難信号を送るためのもの…あの過保護さだし、多分だけど居場所自体は常に凛に送信されてるよ」

「―――」


 電波が届かない場所から居場所を伝えられるのだ、煌の居場所を知らないなんてことは無いだろう。

 以前、叛乱軍に煌が最初に出会った時。煌は、『対抗手段がないわけではない』と考えた。それは、このデバイスを使えば凛に連絡がいくと分かっていたからだ。

 凛がそれほどの技術者だとは知らなかったが、彼女が助けをよこすであろう予感はあった。なにしろ、あの過保護だ。


 そして、居場所が特定されているのに、その過保護の凛が助けに来ない、この状況。

 つまり。

 彼女は、


「何で助けに来ないのか分からないけど…きっと、あの人なりの考えがあるんだろ」

「…」

「でも、分かったはずだ。叛乱軍はってことが」


 救出に来ようと初めからしていれば、日本の叛乱軍は今頃壊滅している。本気の凛を舐めてはいけない。


「…なるほどな。こんな代物が作れるのだから、我々のような木端組織が敵うわけもない…と。敵うのだとしも、捕縛は不可能。ならば殺すしかない…君は、そう言いたいんだな」

「…捕縛っていうのは、殺すのより遥かに難しい。人間は殺すより生かす方が大変だろ。いつか内部からの破壊を目論むかもしれない凛みたいな爆弾を抱えた状態で、叛乱軍はまともな行動はできない。違うか?」


 戦争でも、捕虜というのは死体よりも扱いが難しい。後者は燃やせばいいが、捕虜はそうもいかない。捕まえた後で殺しても禍根が残るし、仲間に引き入れようにも常に裏切りのリスクがつく。

 生かすより殺した方が確実で、後顧の憂も少ない。そんなのは当たり前だ。

 叛乱軍が凛を生かすことは、メリットもあるにはあるが、デメリットの方が大きい。独房に監禁しようが、何らかの手段を用いて叛乱軍を内部から破壊する可能性の方が高い。実際、電波が無くとも外部と連絡する手段を開発できる人間だ。何を隠し持っているか分からない。


 故に、暗殺が手っ取り早いのだ。


「違わないさ。きっと、石見凛より高い技術を持った人間はこの場にはいないだろう。ロアナでも肩は並べられない」

「…癪だけどね」


 ちら、とロアナを見ると、ロアナはオズウェルの言を肯定するように瞼を閉じた。

「だけど」と、ロアナは続ける。


「石見凛は手も足も出ない人間じゃない」

「!」

「アレは神様じゃない…優秀すぎるだけの、ただの怪物さ。神様じゃなくて怪物なら、やりようは幾らでもあると思わないかい?」

「…詭弁だ。敵うはずがない」

「随分と信頼してるね。でも、だ。実際、既に勝っているところがある」


 煌が怪訝そうに目を細めると、ロアナはニヤッと笑って、手を大きく広げた。


「数だよ。アタシ達には、仲間がいる」

「…」

「石見凛は孤独な怪物さ。高みに至り過ぎて、誰一人としてそばに居られなかった、哀しい怪物」

「孤独…」

「いいかい。


 ロアナの表現に驚愕する煌。

 口に咥えていた煙草を卓上の灰皿の上で押し潰し、腕を組んで煌を睨んだ。


「合理に従うのは別に否定しないけどね。…でも、それで自分の心を殺すのは違う」

「……」


「肉親を殺すのに、何も感じない人間は人間じゃない。元来、考え、葛藤し、悩みを吐露するのは人間の特権なんだ。それを捨てちゃ、人が廃る。感情を度外視するなんてのは機械で充分だよ」


「―――」


「道理に囚われるんじゃない。たまには、自分の気持ちに素直になったっていいんだ」


 ロアナの発言に言葉を失う煌。



 ―――『正論』は、『正しい』けど、『正解』じゃないんだよ。



 不意に、頭の中で彼女の声が響く。

 今際に煌にそう言った彼女は、あの言葉をどういう気持ちで言っていたのだろう。唐突にそんなことが気になった。


「強がるんじゃない。意地を張るな。当たり前に道理を辿るだけじゃ、『奇跡』なんて起こせやしないんだよ」


 合理性で自分の心を押し殺していた煌の心境を、ロアナは遠慮なく曝け出させていく。デリカシーは無いが、確実に的を射た発言だった。

 ロアナの双眸に貫かれ、やや口を歪ませながら煌は俯く。それは悪戯を叱られた子供のようでもあり、同時に己の心の扱い方を慎重に考える大人のようでもあった。


「今の話を聞いて確信した。我々は、彼女に勝てる」

「…は?」


 唐突にそう切り出したオズウェルに、訝しげな目を向ける煌。


「愛する息子を意図的に助けに来ない。それは何故だ?」

「何故、って」

「考えてみろ。君の信じる彼女は、

「……あ」


 凛が敵だったという事実の衝撃性に紛れてしまっていたが、考えてみれば確かにおかしい。


 石見凛は、正義を体現したかのような麗人だ。

 全てを完璧にこなし、困っている人は絶対に見捨てない、彼女を恨む人間など一人たりとも存在し得ないような優しい心根の持ち主。


 かつて煌が勝手に憧れた彼女の姿は、そういうものではなかったか。

 そんな彼女が、何故こんな恐ろしいことに加担しているのだろう。そこだけが、煌には全く検討もつかなかった。


「現在、世界に叛逆者リベールが何人いるかは君も知っているな」

「…? 五人だろ」

「そうだ。『白』『碧』『翠』『金』…そして『紅』。これが今いる叛逆者リベールだが、その派閥については何も伝えていなかった筈だ」


 オズウェルはそう言うと、ホログラムの画面を切り替え、煌に現状の説明を始めた。


「現在、政府側についているのは『白』と『金』…だが、『金』は失踪したとの情報が入っている。実質は『白』の一人だけだ。一方、叛乱軍側についているのは『碧』と、暫定で『紅』。『翠』は中立で、どちらの派閥にも属さない一匹狼だ」


「…政府の方が少ないのか。意外だな」

「無論、政府も人員確保には積極的だよ。叛逆者リベールは重要な存在だ。政府も我々も、『クレイドル』に立ち向かえる存在は無視できない。だから、それぞれが彼らを囲い込もうとするわけだ。だが、『クレイドル』を維持するあちら側と違って、我々は『クレイドル』に攻め込むことが必要となる…つまり、手数がいる」

「…攻撃二倍の法則か」


 攻城戦をする際によく引用される用語である『攻撃二倍の法則』。それは、城を攻める側は守る側の二倍の人員が必要だとする教訓のようなものだ。

 戦国時代なんかには重視されそうな戦略の基本だが、現代ではそうとも限らないのが普通だろう。なんせ現代の戦争なんて、殲滅するだけなら核兵器をブチ込めば終わりなのだから。

 …さすがに極論過ぎたが、攻める側の方が多種の武器を注ぎ込み放題なのだ。攻め手側が不利、というのは常には当てはまらないだろう。


 しかし、『クレイドル』の中での話で言えば、どうやらその法則はまだ健在らしい。その例を出したのだから、そういうことなのだろう。


「こちら側の手数を増やさせてしまうと、その分我々が有利になる。故に、政府側も叛逆者リベールを相手に渡すのは防ぎたい事態なのだ。新しい叛逆者リベールが発見され次第、向こう側も積極的に捕まえにくる。そして捕まれば最後、役目を終えるまで政府の奴隷だ。権力の全てを以って囲い込むからな、自由なんてありはしない。同じ部屋、同じ食事、繰り返される実験、止まらない薬物投与……控えめに言って、悪夢だ。その乱雑な扱いの証拠に、君を連れ去ろうとした時もかなり強引だったはずだ。違うか?」


 それに関しては、煌も納得している。拉致の様な形で連れ去られかけた煌を救出してくれたのは叛乱軍だ。そう聞くと、あの時はかなり不味い状況だったのだろう。


「それが、凛に勝てる理由とどこに繋がりが?」

「親心、というやつだ」


 フ、と息を吐いてオズウェルは物憂げな目をした。


「私が親なら、自分の息子がそんな運命に合うと知った上で、放置するなんてことはできない」


「ぁ」

「…基本的に、我々が政府側より早く叛逆者リベールを確保できることはない。向こうが『クレイドル』を管理しているわけだからな。情報で後手に回るこちらが叛逆者リベールの存在を先に知ることができる道理はないんだ」

「でも、『碧』は」

「『碧』を保護できたのは本当に偶然さ。アタシ達とは別の過激化した叛乱組織を訳あって倒すことになってね。その組織に秘密裏でモルモットにされていた少女がいた。それが『碧』だよ。隊長が保護したんだ」


 どうやら『碧』は女性らしい。だが、そんなことよりも重要なことがある。


「じゃあ……俺は、なんで保護できたんだ」


 煌は危うく政府に囲い込まれるところだったとはいえ、間一髪で叛乱軍に助けられている。煌の救出は明らかに偶然ではなかった。オズウェルの言っていることと矛盾する。


。匿名で、な」


「……まさ、か」


 煌が脳内で導出した答えを、オズウェルは無言で肯定する。


「『門番』がいる時点で、情報のリークなんてのはありえないはずだけどね。でも、


「」


「十中八九、煌の情報をアタシ達に渡したのは『門番』こと、石見凛さ」



 情報を守る筈の人間が、敵性勢力に情報を渡す。

 間違いなく、裏切りだ。言い逃れのしようもないだろう。

 ずっと所属してきた組織を裏切ってまで、彼女はなぜ情報を流したのか。そんなのは自明だ。


「俺を、愛してくれていたから」


 煌のことを愛してくれていたから。

 煌が辛い目に遭うことに耐えられなかったから。


「驚嘆すべきことに…彼女の行動原理は、全て君にあるんだろう。正義の体現者たる石見凛が政府に加担するのも、おそらく君を人質にされていたからだ。息子の安全と引き換えに、石見凛は『反正義』を成している。君を守るため、彼女は自身の正義を曲げてでも政府に従っているんだ」

「……」

「私が見出した勝機はそこだよ。『クレイドル』に関する重要データの奪取の為、我々は近日中に情報統制局を襲撃する予定だが…石見凛は完全な敵では無い。手加減はしてこないだろうが、それでも『殺す』以外の選択肢があり得る筈なんだ」


 オズウェルはつまり、こう言いたいのだ。


 石見凛を、仲間に引き入れろ、と。


「今現在、彼女の人質たる夜野煌は我々が保護している状態…本来なら、もう政府に従う理由はない。強引にでも政府と手を切らせることはできるだろうし、彼女自身もそれが出来るだけの実力がある」

「…!」

「彼女に裏切りを促せ。その背を押すのは、君だ。我々が責任を持って、君を石見凛の所まで必ず連れて行こう。君も、君の責務を果たせ」

「連れて行く、って…俺も、一緒に行くのか?」


 煌はあの惨劇の夜以来、オズウェルに直接戦闘術を教授されている。とはいえ、まだまだヒヨッコだ。少数精鋭で挑むというのに、煌のような足手纏いがいては困りものだろう。


「あぁ。元々、君には同行してもらう予定だった。作戦上、君がどうしても必要だからだ」


 チラ、とオズウェルがロアナに目配せし、ロアナが手元のデバイスを操作してホログラム画面を切り替える。


「そこに映したのは、叛乱軍に与している叛逆者リベールである『碧』から得た情報だ。以前、アメリカの情報統制局に攻撃を仕掛けたことがあったんだが…その時に、奪取したものらしい。見てくれ」


 画面に映されていたのは、何やら建物の設計図の様なものだ。かなり大きな建物らしく、図面も非常に細かい。

 が、見たところはただの設計図だ。何の変哲もない様に見え、煌は小さく首を傾げる。


「これが何なんだ」

「一見、ただの設計図なんだが、一点だけおかしな所があってな。その建物、

「…は?」


 出入り口が存在しないのなら、建物として機能しないだろう。だって、入れないのだから。


「意味がわからない。どういうことだ」

「出入り口がなくとも、中には普通に人がいる。なぜなら、出入り口がそもそも必要ないからな」

「…もしかして」

「あぁ。それは『現実』の建物じゃない。『電脳空間』…いや、それですらないな。そこに侵入した『碧』が言っていた」


 妙に間を置いて、オズウェルが口を開く。



「脳波電送装置によって『碧』がそこに入った瞬間、。おまけに、能力まで使えたと…報告書には、そう書かれている」



「……な」


 叛逆者リベールの少女が送り込まれた際、あのサイバーパンクな軍服姿になった。つまり、そこは電脳空間ではない。


 煌もよく知る、数多の命を奪ってきた悪夢の宴会場。

『クレイドル』だ。


「情報奪取が難しいわけだよ。奴ら、大切なものは『クレイドル』の中に隠し持ってたって訳さ。まさか、『クレイドル』が電脳空間に近いものだとは思いもしなかったけどね」

「その上、その空間に構造物も作り上げていた訳だ。我々は『クレイドル』が何なのかを未だに突き止められていないが…どうやら、彼らには『クレイドル』を有効に使う手段があるらしい。どんなハッカーでも入れない、悪夢の世界。それに電脳空間を通じて接続するなんてことは誰も考えないし、やろうと思っても手段が分からない。…本当に、どういう原理なのか分からないんだ」


 おどける様に肩をすくめるオズウェル。彼には珍しい仕草だったのか、近くにいたシュティーネがぎょっとした顔をした。

 気を取り直して、こほん、と煌が咳払いする。


「つまり…俺の役割は、その電脳世界と融和した『クレイドル』で、叛逆者リベールとして行動することだな」


 コクリ、とオズウェルが首肯する。



「あぁ。電脳融和型悪性中枢―――仮称『夢幻都市アーキタイプ』。君が今回潜入すべき場所であり、石見凛がいると推測される場所だ」



 ―――アーキタイプ。

 その響きに、煌は身の引き締まるような錯覚がした。










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更新が遅れてしまって誠に申し訳ありませんでした…。作者の都合で、次回もすぐに投稿は出来ません…文字数少なくてごめんね…ご了承ください…

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