第二十七揺 最愛の面影


「夜野さん……一つ、いいですか」

「えぇ」


 大きな桜の木の下、その幹に寄りかかった二人の対話は静かに始まった。

 桜の花弁が舞い散り、夜の海が穏やかな潮騒を奏でる。空に浮かぶ大きな黄色い満月が彼らを照らし、潮の匂いを乗せた風が頰を撫でた。

 神経の芯から癒されるような美しい情景の中、彼ら、夜野煌と墓瀬響也は束の間の安息に浸っていた。


「どうして……あの時、俺をポータルの近くに?」

「…何のことでしょう。偶々じゃないですか」

「……理由を言う気はない……ってことですね」

「…理由も何も、墓瀬さん程に聡い人なら動機ぐらい察しがついているんでしょう。気づかないふりをされる方が恥ずかしいというものです」

「……その正誤を確認したかったんですけど……」


 二人の視線は同じ方向を向いている。

 夜の海、砂浜で水かけや砂の城作りに励んでいる三人を眺めているのだ。

 葵が砂で城を作り、穂乃美と勇人は波打ち際を駆け回っている。それぞれが思い思いにこの状況を楽しんでおり、全員の顔には笑顔が浮かんでいた。

 先程まで命を懸けた鬼ごっこをしていたというのに、脱出できたと思ったらコレだ。流石の精神性のタフネスさと言うか、何というか。彼らも曲がりなりに『クレイドル』を生き延びてきた歴戦のサバイバーな訳だ。

 とはいえ、彼らの興奮具合には、些か煌も関わっている。

 煌は先刻、吸血鬼の処刑人エクスキュージョナーを斃している。つまり、彼らは次回から違う処刑人エクスキュージョナーの下に配属され、またデスゲームを繰り返すのだ。そして、処刑人エクスキュージョナーの変更に合わせ、この『クレイドルの良心』も風景が変わる。故に、この場所が見られるのは最後の機会だった。

 そう伝えると、「なら、今の内に楽しんどくか!」と勇人が提案して、三人は各々が目一杯に楽しみ始めた、という顛末だ。ちなみに響也は「景色を楽しみたいから」と遊びを辞退している。

 桜の木しか生えていない、小さな孤島。目の前で輝く大きな月。恐らくだが、現実世界でこんな景色を見ることは出来ないだろう。潮風に吹かれながら無事に花を咲かせる植物自体少ないだろうに、ましてや原木一本のクローン体でしかないソメイヨシノのような繊細な木が、こんな状況下でこうも綺麗に咲き誇る訳がないのだ。

 つまり、本当にこんな世界でしか見れない、ただ一つの絶景。現実世界に戻れば忘れてしまうのだとしても、それを目に焼き付けたいという響也の思いは、なんとなく分かる気がした。


「俺は以前、自分の判断ミスで仲間を殺しました」

「…….それは、処刑人エクスキュージョナーによって、ですよね……?それを、殺した、と言うんですか……?」

「直接的な死因は処刑人エクスキュージョナーだとしても、大元を辿れば俺のミスです。当時、何の能力も持っていなかった俺を、皆は命懸けで守ってくれた。……そして、俺を残して全員死んだ」

「……!」

「だから、俺は処刑人エクスキュージョナーの存在を絶対赦さない。……そして、同時に俺自身のことも赦さない」

「……それが、夜野さんが命を燃やしながら、戦う理由なんですか」


 煌の返答はないが、恐らく肯定しているのだろう。

 贖罪の為に、悪夢の世界で孤独に戦い続ける彼。

 罪を贖わせる相手は、処刑人エクスキュージョナーだけでなく、彼自身でもある。

『無職』であった自分を助けてくれた仲間を悼み、生き残ってしまった罪を抱えて歩き続ける。


―――その在り方の哀しさたるや。


「……でも、やっぱり……悪いのは、夜野さんじゃありません。それは……筋違い、というものでしょう」


 サバイバーズ・ギルト、という概念がある。

 戦争や災害を生き残った人間が、死亡してしまった人間に対して罪悪感を感じ、それに悩まされ続ける精神疾患の一つだ。これは、その当人に何の罪が無いにも関わらず、またはどうしようもないことだったのに関わらず、自分が生き残ったことに罪悪感を覚えてしまうというものらしい。

 夜野煌もまた、それに近い状態にある。

 それに勘づいていた響也は煌へのフォローでも何でもなく、それを個人の意見として言っていた。

 強い語調で断言した響也に、やや驚いた顔をする煌。響也は見た目に反し、物事についての自分の意見をキッパリと言う人間なので、恐らくはそのギャップに驚いたのだろう。


「…それでも、です。俺は、そう考えていないと罪悪感で押し潰されそうになる。だから、贖罪と称して自分を過酷な状況にわざと置いているんです。…そうしている時は、罪を贖っているようで幾分か気持ちが楽になるので」

「……っ。それは、あまりに……」


 煌の哀しい独白に、響也は喉を詰まらせる。

 響也が煌を心配するのが分かったのか、珍しく笑いながら(といっても微笑だが)煌は言葉を続ける。


「別に、自暴自棄になっている訳ではないですよ。生き残る意志はもちろん持っていますし、目的もある」

「目的……処刑人エクスキュージョナーを滅ぼす、ですか?」

「それもあります。大きな理由の一つです。でも……俺にとって、重要な理由はまだあります」

「……?」


 修羅の如く悪夢の世界を駆け抜け、行く先々で処刑人エクスキュージョナーを殺していた煌に、奴らを滅ぼす以外の目的があったことに驚き、響也は語る煌の横顔を凝視する。


「……探しているんです。ある、一人の女の子を」

「探してる、って……この世界で?それは、どういう……」


「文字通りですよ」と言って、その場で立ち上がる煌。



「俺のせいで、殺してしまった女の子。



 煌の言っていることが理解できず、煌を見上げたままフリーズしてしまう響也。


 探す?死んだ人間の魂を?この世界で?


 響也も、この世界で生き抜き続けて二年半近くになる。死んだ仲間も見てきたし、彼らが実際に現実世界で死んでいるのも、ニュースや風の噂で聞いていたりしている。

『クレイドル』で死んだら、現実世界でも死ぬ。

 そんなのは、ここにいる人間ならば誰でも知っている当然の摂理だ。

 つまり、その女の子は確実に死んでいる。

 その子が死んでしまったことを受け入れられていないのだろうか。それで諦めがつかないから、叶いもしない幻想を追いかけているのだろうか。

 そんなものに縋り続けるぐらいなら、いっそ誰かが止めてあげる必要がある。その方が、彼の為だ。

 そう思った響也は、煌を諭そうと口を開く、が。


「言いたいことは分かりますよ。どうせ見つかりやしない、でしょう」

「……分かっているなら、何故」

「勿論、

「見込み……?」


 遠くを見つめたまま、煌は彼女が生きている可能性の根拠を口にする。


「……え?」

「俺のいる場所…所属している組織が、彼女の情報を総ざらいして調べたそうですが…彼女が『クレイドル』で死んでから1ヶ月半。未だに死亡確認が取れていない」


 何故、そんなことができる組織に所属しているのか。それも聞きたかったが、それより気になることがある。


「死亡確認って……取れてないだけで、死んでいるかもしれないんですよね?……しかも、死んでないからって、『クレイドル』に魂が彷徨ってるなんて……そんなの、分からないじゃないですか」


『クレイドル』で死んでも、生きている人がいる。

 それは響也にとっても嬉しい事実であり、同時に受け止めたくない事実でもあった。


 死んだ仲間が生き返るのなら、どうして自分の仲間は生き返らなかったんだ。


 仲間の死を見た。望まぬ別れをした。悲愴な思いを知った。

 あんな思い、しないに越したことはないに決まってる。したくなかった。なのに、どうして、自分にはその奇跡が起こらなかったのか。

 半ば抗議するような思いで、響也は煌に反論した。

 返答はない。聞こえていなかったのかと思い、顔を上げる響也。


 そこに、煌の微笑があった。


「―――」


 違う。

 現実から目を背けているんじゃない。


 そう思いでもしないと、この人の心は、もう―――


「……っ」


 煌の想いを察し、顔を歪めて目を逸らす。煌の在り方は、直視することができないほどに痛ましいものだったから。


「何はともあれ、俺は今回で皆さんとお別れになるので…これから出会うであろう新しい処刑人エクスキュージョナーが、弱い個体であることを願ってます」

「……え?お別れ、って……だって、三人も死んでないですけど……?」

「? …あぁ、まだ言ってませんでしたね。叛逆者リベールっていう役職ジョブの仕様みたいなものなんです」

「それはどういう……」

「これは俺の仮説ですが…叛逆者リベールは、他のプレイヤーと『反発』するんです」


 そこから語られたのは、叛逆者リベールの特異性についての説明。

 処刑人エクスキュージョナーを殺すことができるイレギュラーたる叛逆者リベールは、あらゆることにおいて他のプレイヤーと異なる点がある。

 まず第一に、『反発』の仕様。

 叛逆者リベールは他のプレイヤーと同じ場所からスタートすることが出来ない。また、他のプレイヤーより目覚めるのも若干遅い。

 そして最も重要なのは、処刑人エクスキュージョナーを倒した後、叛逆者リベールは他のメンバーと異なる場所へと一人だけ飛ばされる、ということ。仲間が何人死んでいようが、誰も死んでなかろうが、処刑人エクスキュージョナーを殺した後は必ず違うグループに左遷される。

 他の人間から遠ざかるような仕様ばかりなので、煌は便宜上これを『反発』と呼んでいるのだ。


「じゃあ……測田さんの推測は、間違ってた……」

「前回のグループで三人死なせた、みたいに思ってたのかもしれませんが、前回は誰も死なせてません。無事、全員生還させましたよ」

「そうなんですか……良かった……」


 煌が殺人鬼でなかったことに安心し、胸を撫で下ろす響也。いや、ここまでして響也達を、特に穂乃美を守ってくれたのだから、殺人鬼ということは無かろうが。


「とにかく、俺は今回でお別れですので、次回にでも皆さんに伝えておいてくれれば」

「わかりました。……じゃあ、こうやって話すのも、多分最後……なんですよね……」

「まぁそうですね」


 ややドライな感じに返答されたので、響也は一瞬気まずさを覚えたが、首を振ってその考えを振り払い、改めて煌に訊ねる。


「夜野さん……1ヶ月半前にその子は死んで……仲間も死んだ、って言いましたよね」

「えぇ」

「……じゃあ、一つ、聞きたいことがあります」


 すっ、と息を吸い、声を少し震えさせながら言葉を絞り出す。


「……笠原玄二、という人物を知っていますか」


「―――」


 その名前を出した瞬間、煌の目は大きく見開かれる。

 煌の言った、1ヶ月半前の仲間の多数死。そして、響也が悪夢ナイトメア症候群シンドロームによる玄二の死亡を知ったのは、ちょうど一ヶ月半前だ。時期がぴったり重なる。


「……話したことは、殆ど無かったんです。でも……ある日、話す機会があって……それから、一週間ぐらい、よく話してて……僕の、数少ない友達で……でも……でもっ……」


 玄二が自身の家庭状況を告白した、あの日。夕焼けの滲む河原の芝の上で、響也は彼を知り、そして彼の優しさに憧れた。

 それから一週間、短くはあったが、学校では殆ど毎日話していたように思う。引っ込み思案で友達の少ない響也にとって、それがどんなに嬉しかったか。

 だから、もし。

 もし、彼がこの世界での彼を知っているのなら。


「……教えて下さい。あの人は、どう生きて……どう、散っていったんですか」


 そう言われて暫く逡巡した煌だったが、少し息を吐くと、再び桜の木に寄りかかって話し始めた。


「そんなに良いものではないですし、短いですが」

「……それでも、知りたいんです」

「…じゃあ、お話しします。……彼と最初に会ったのは、ゴミ捨て場でした」


 潮騒の音と、人の声。

 桜の吹雪と、人の笑顔。

 光る満月の下、故人の語らいを。


 その時間も、鐘の音によって終わりを告げ。

 やがて、世界は白明して―――



 ***



 僅かな不快感と共に、意識が浮上する。


「起きたか」


 頭上から、いや目の前から、腹の奥まで響くような低音の男の声が聞こえる。目を開け、そこにいる人物を目視で確認した。


 筋骨隆々とした大柄の男で、歳の割には毛量の多い金髪を光越しに輝かせている。動かに一切の無駄がなく、そして隙もない、豪傑のような男だ。


 煌の顔をやや覗き込む形で立っていたのは、『叛乱軍リベリオン』日本支部総司令官。『隊長』の名を背負う、オズウェル・キルガーロン、その人だった。


「……あぁ」


 短くぶっきらぼうに返事し、寝台から起き上がる煌。寝台、といっても病院にあるような硬めのマットレスを敷いたベッドで、たいそうなものではない。

 体に付けられた電極、頭につけた神経パルスの計測装置を取り外し、床に用意してあったスリッパを突っ掛けて、衣服の乱れを軽く直した。


「今回の報告書は後で書いとく。今は休ませて欲しい」

「あぁ、助かっている。貴重な情報だ、分析班の奴らがいつも大興奮で参考にしているからな」


 オズウェルの発言には大して耳を傾けず、多数の機械が設置された解析室をさっさと出て行こうとすると、「それと」とオズウェルが付け足した。


「…まだ何か?」

「緊急の会議だ。幹部も全員集めて作戦立案室に待機させている。着替え次第来て欲しい」

せわしないな。…こっちは睡眠だって休みじゃないんだけど」

「体の提供を申し出たのは君だろう。それに、君にも深く関わる話だ。ご足労願う」

「……分かったよ」


 舌打ちしそうな勢いで一瞬オズウェルを睨むと、煌は部屋を早々に出て行った。解析班の何人かが「おつかれー」と声をかけるが、それに身向くこともない。シュン、と扉が閉まると、解析班の一人がオズウェルに話しかけた。


「今日も相変わらずですね。あの子、そのままにして良いんですか?隊長」

「今は仕方ない。あれも彼の在り方だ。…彼も、あぁなりたくてなった訳ではないだろう」

「それは、そうですけど…でも、心配ですよ。まだ16歳なのに、あんな風に…」


 別に、叛乱軍の人間が煌を冷遇している訳でも何でもない。むしろ、かなり好意的に接せられていると思う。

 けれど、煌はそういった厚意を基本的に無視している。それは、煌が叛乱軍の人間を信用しきれていないことと、必要以上のコミュニケーションを削減しようとしていることを示しているのだ。


 扉の向こうへ消えた煌に、オズウェルはスッと目を細めただけだった。




 自室に戻った煌は、着ていた検査衣を無造作に脱ぎ捨て、用意された黒のパーカーを被った。

 充電された携帯デバイスを手に持ち、電源をつける。無論、誰からのメッセージも来ていなければ、送ることもできない。

 叛乱軍に所属するに従って、携帯デバイスの通信は切られている。極秘情報がたんまりと集まった場所だ、機密管理として当然の処置だろう。ましてや、敵側に寝返る可能性のある煌だ。外との連絡手段を持たせる方がどうかしている。


 通信ができないにも関わらず、煌がデバイスの画面をを毎日覗く理由。

 それは、彼女との思い出に浸るため。


「……今日も、一体倒したよ。更科さん」


 晴れやかな笑みを浮かべる画面の中の彼女に、煌は鉄の仮面を崩し、穏やかな表情となる。

 だが、それも束の間。暫く画面を見つめていた煌はデバイスの電源を切ると、すぐに自室を後にした。

 部屋を出ると、扉の横に佇む女性が目に入る。


「随分と早いじゃないか。まだ大して休んでないだろ?」


 ブロンドの髪に、すらりとした手足。そばかすがチャーミングポイントの、男勝りの女性。

 叛逆軍副隊長の座につく、オズウェルの右腕たる人間。


 名を、ロアナ=マール。

 叛乱軍きっての実力者であり、叛乱軍に欠かせない人間の一人だ。


「…緊急なんだろ」

「そうだけどね。別に、疲れた体に鞭打たせて働かせる程ウチはブラックじゃないよ」

「……犯罪組織な時点でブラックだと思うけど」


 肩をすくめて語るロアナに溜息をつく煌。正直、煌はロアナのことが苦手だ。

 まず、人物像が掴めない。達観した視点の持ち主で、副隊長として非の打ち所がない頭の回転速度を持つ一方、そのへきはやや歪んでいる。

 日本のサブカルチャーの愛好家で、かなり拗れたタイプのオタクなのだ。美男美女が絡み合うシチュエーションが大好物らしく、デバイスの待受音をR18の音声作品の切り抜きに設定している辺り、ホンモノだと思う。ちなみに、あの例の『催眠(以下略)』の本を用意したのも彼女らしい。正気を疑う、正真正銘のモンスターだ。

 そして他にも苦手な点がある。それは、あの目だ。見つめたものの内面を何でも見透かしてしまうあの切れ目に見つめられていると、妙に居心地が悪くなる。


 そういう訳で、煌はロアナに苦手意識を持っているのだ。


「ま、それもそうだね。それじゃあ行こうか。珍しく幹部が揃い踏みだからね、早く行かないと収拾つかなくなるよ」

「…?」


 ロアナの言動の理解ができず、首を傾げる煌。なぜ収拾がつかなくなるのだろう。

 その疑念は取り敢えず置いておき、煌は無言でロアナの後をついていく。10分ほど歩き、作戦立案室の扉の前に着いた。以前、煌がオズウェル達からクレイドルについての情報開示を受けた部屋だ。


「……なんか、騒がしいな」

「あー、こりゃ手遅れだ。覚悟しな」

「は?」


 ロアナがカードキーを電子ロックの認証画面に翳すと、扉がシュンと駆動音を鳴らして開く。


『『『『『まじかるバナナっ』』』』』

「バナナといったらゴ・リ・ラ」

「ゴリラといったら隊・長」「おい」

「隊長といったらロ・リ・コ・ン」「おいお前ら」

「ロリコンといったら子・供」「スルーするな」

「子供といったらパ・ス・タ」「どういう繋がりだそれは」

「パスタといったらカルボナーラ」

「え、ボロネーゼじゃないんですぅ?」「ペペロンチーノじゃろ」「ボンゴレが正義だよねー」

『『『『『は???』』』』』


 其れは、混沌だった。

 混沌と書いてカオスと読む。


 いい歳した大人達が連想ゲームをし、それを中断してパスタの種類について議論しては、果てに取っ組み合いになって周りがそれを囃し立てる。弄られたのちに置いてけぼりにされたオズウェルは白目になり、ロアナは顳顬こめかみをひくつかせていた。

 騒ぎ立てる幹部達。それに痺れを切らしたように、ロアナは前に進み出た。


「アンタ達!いい加減にしなよ!」

「あ、ロアナ」


 スゥっ、と大きく息を吸って、ロアナは目をかっ開き、激昂した。



「パスタといえば!!ナポリタン一択だろッッッ!!」


『『『『言えてる』』』』


 もうやだ、この叛乱軍。


 煌は真顔をキープしながら、失神しかけていた。



 ***



「すまない、見苦しいところを見せた」

「……もう諦めてるから」


 いたたまれない雰囲気の中、オズウェルの謝罪を煌は珍しくフォローする。彼の苦労人っぷりが何となく察せられたからだ。


 叛乱軍は、アメリカ合衆国に本拠地を置く大規模な対政府組織らしい。表立って行動するのを避けているので大々的には知られていないが、知っている人間は知っているかもしれない、というレベルだ。

 目立たない、というのは逆に組織としての力量を示している。証拠隠蔽や工作が下手な組織では直ぐに存在が露呈し、公安を始めとした国家の犬に潰されるからである。

 力を示すことが目的のテロ集団でもない組織が表立つ必要性は殆どない。故に、組織を大きくし、部分的に社会に溶け込むことで社会的地位をある程度確立させた後は、社会の陰に溶け込んで黙々と牙を研ぐ。

 それが、力ある闇組織というものだ。


 支部ではあるが、その組織の中枢を担う幹部達。

 組織の頭脳を務める彼らは、専ら天才であり、同時に変人でもあった。

 高性能の代わりに感性の一部を母の胎盤の中に置いてきた彼らは、一癖も二癖もある場合が多いのだ。

 幸いリーダーはきちんと常識を持った人間だったようだが、その下に追随する者が規格外過ぎた。本来なら荘厳な場である作戦立案室でマジカルバナナとか、もう頭がおかしい。

 彼らを統率するだけでも一苦労なのに、一箇所に集めた瞬間これだ。そろそろオズウェルの胃に穴が開く頃だろうか。


「さて、本題に入ろう。ロアナ、データを」

「あいよ」


 ロアナがキーを入力すると、幹部達の座る席の前にホログラムの画面が現れる。


「まずは確認だ、夜野煌。君は、何故『クレイドル』の存在が今日まで秘匿させられてきたと思う?」

「…国が情報統制をしてきたから」

「合ってはいるが、やや厳密性に欠けるな。情報統制だけではない。関わる人間を限界まで減らした上で口止めをし、高度発達したサイバー対策によって情報の流出を完全にシャットダウン。加えて世界でもトップクラスのハッカーを揃えて情報防衛に徹しているから、ここまで外に漏れなかったのだ」

「その情報防衛とやらを突破しようとは?」

「立案はされたが、作戦決行に必要なリソースと想定される犠牲が多過ぎてな。加えて、我々の力では国家にサイバーアタックを仕掛けた際の隠蔽が間に合わず、情報を世界に漏らしてしまう可能性があった」

「…? それの何が問題なんだ」


 世界に『クレイドル』の存在を知らせれば、国家の地位は無くなる。支持者のいなくなった国家を後から破壊するのでは駄目なのか。


「そんなことが世界中に知られてみろ。世界は五十年前のパニックに逆戻りだ」

「!」

「信頼を無くした政府では国家運営は出来ない。警察も国家組織も動かなくなる…つまり、秩序が壊される。そうなった際、真っ先に犠牲になるのは国家の庇護を受けていた一般市民だ。取り締まる者が消えた世界は犯罪の温床と化し、弱者は搾取され、殺される。しかも、前回のパニックとは違って、完全に国家が役立たない状態だ。平定は期待できない」


『クレイドル』から人を守るために行動し、結果混乱をもたらすとなれば、本末転倒もいいところだ。

 浅はかな考えだったことを悟り、発想の安直さに辟易したのだろうか、オズウェルの見解を聞いて口を噤んだ煌。まだ16歳なのだから、そんな大局眼は養われていないのが普通だとは思うが。


「故に、情報奪取を試みようとするなら、攻撃が出来るだけ大規模にならないよう行動する必要がある。かといって、それも難しいのが事実だ」


 大規模にならないように戦うとなれば、真っ先に考える作戦は、戦力を絞ることで少数精鋭にし、電撃戦を狙う物だろう。だが、少数で挑んで勝てるほど、国家は甘くない。だから、現在まで情報奪取は叶えられなかったのだ。


「さて、一旦話が変わるが…夜野煌。『クレイドル』の情報を最も多く持っていそうな国を三つ上げてみろ」

「……いきなりだな」


 唐突にそう言われて、暫くその答えについて思考する煌。

 情報を多く持っている国。つまり、インフラ基盤がしっかりしていて、かつ経済力のある国が有力候補に上がるだろうか。

 そう考えた煌は、2085年現在の世界の経済大国ベスト3を上げることにした。


「アメリカ合衆国、日本、あとは……

「経済大国の上位三国だな、正解だ。その三つの中で最も情報力に優れ、圧倒的なサイバー基盤を持つ国…それは言わずもがな、『中華帝国』だろう。あの国は、叛逆軍も勢力を伸ばせなかった」

「……」

「そしてそれに準ずるのが、私の母国であるアメリカ。次に来るのが、日本だ。だが、日本は正直言って、情報力で言えば二国に遥かに劣る。それでも、情報漏洩を許していない理由…分かるか?」


 煌は僅かに肩をすくめ、目を下に逸らす。分からないという意味なのか、早く答えを教えろという意味なのか。


「『門番』がいるんだ」

「門番…」

「あぁ。世界のトップとも言えるサイバー技術を持つ、世界最高のハッカー。それが、日本にいるとされている」

「都市伝説じゃないのか」

「そう思われてたさ。だが、あまりにも情報の守りが堅固すぎる。国家に属さない人間のハッカー技術が急発達しつつある現代で、未だに他の追随を許さない、もはや電子世界の住人とも言える存在。…誰かは分からないが、それでも確実にいるとされていた人間だ」


 つまりは、その一人が日本の情報漏洩を防いでいるのだ。国家規模をカバーできる技術力を持った存在など、信じがたいものではあるが。


「誰かは分からないというのは?」

「それだけのハッカーだ。インターネット上をどれだけ探そうが、その尻尾すら掴めない。だから、その人間が何処にいるかも分からない以上、我々とて迂闊には動けない。それが、今の叛乱軍の現状だ」


 ここ最近は大きな動きをしていないとのことだったが、どうやらそういう事情だったらしい。それを知らなかったら、ただ拠点に引き篭もってる大の大人達という印象が煌の中で定着していただろう。


「それで?それが俺に何の関係が?」

「……ずっと不明とされていた『門番』の正体。それが判明したのは、つい先日のことだ」

「…?」

「―――君だよ、夜野煌。君が此処に来たことが、全ての始まりだった」


 ロアナが手元のデバイスを操作し、画面を切り替える。



「君のことを知る為、身辺調査をさせて貰った。何の変哲もない、普通の少年の記録だったが……その記録がきっかけで、『彼女』を特定できた」


「……は?」



 目の前に映された人物。


 その人物を、煌はよく知っている。



「驚愕したよ。そんな身分でありながら、週の半分は家に帰り、息子と寝食を共にしていた。国家の中枢にありながら、何の変哲もないOLを偽装して毎日を過ごしていたんだからな」



 確かに、職業についてはよく知らなかった。公務員、とだけ知らされていたけれど。


――――嘘だ。



「何より凄いのは、十年以上共に過ごした息子にすら、それを気づかせなかったということ。過保護という設定で、彼をあらゆる手を尽くして守っていたことだ」



 毎日、学校への送迎は全自動運転車だった。家のロックは指紋認証や声帯認証、虹彩認証に体型認証まで、あらゆるガードセキュリティを施していた。それが、彼女なりの愛なのだと思っていた。



――――信じられるわけがない。



「夜野煌に存在する、唯一の親」



 涎を垂らして煌の寝顔を撮っていた彼女が。

 煌の写真アルバムを燃やされて泣き叫んでいた彼女が。

 煌の誕生日には全力の手料理を振る舞って、ウェディングケーキ並みの大きさのバースデーケーキを繰り出してきた彼女が。



―――――どう、して。




「石見凛」



「情報局局長にして、世界最高のハッカー…そして、『クレイドル』の隠蔽を為す、我々の『敵』だ」





 石見凛。

 その名の書かれたプロファイルが、煌の目の前に映し出されていた。




 ***




「ご苦労」

「はっ、局長もご苦労様です」

「入れてくれ。面会がしたい」

「了解しました。おい、電子ロックを解除しろ」


 武装した兵士服の男が無線を通じて部下にそう言うと、電子音と共に扉のロックが解除され、彼女は部屋の中に入っていた。


 白い部屋だった。

 部屋の一面だけがマジックミラーにされており、中心部に椅子が一つと、そこに拘束された男が一人。

 肌がやや黒く、彫りの深い顔は中東系の血筋であることを容易に想像させる。顔を酷くこけさせた男は、目の前に現れた宿敵をギッと睨みつけた。


「ゲホッ……俺は、何も言わんぞ」

「だろうな。安心しろ、まだ殺しはしない。拷問は続けさせてもらう」

「っ…、この、外道め…!お前の行いが、どれだけの子供を死なせていったと思っている…!」

「人並みの罪悪感は覚えてるさ。ただ…それでも、私には守りたいものがあった。それだけの話だ」

「は……守る、か。度し難いな、お前は……!」

「お前の情報を調べさせてもらった。ディヤー・ウッディーン。サウジアラビア出身の32歳。青年期にインドに留学、そこで六年間機械工学や情報理工学について学び、現地の女性と恋愛関係になる。婚約まで交わすが、彼女は結婚式の前日に23歳で他界。原因は悪夢ナイトメア症候群シンドロームによる急性心臓発作だった。その後、失意のうちにあったお前は独力で叛逆軍とコンタクトを取るのに成功し、その知識を以って叛逆軍の上位に上り詰め、やがて日本支部の幹部となった。私の存在を煌の情報から探り当て、日本支部隊長による指令で情報局の潜伏任務に就いた。…合ってるか?」


 彼女の口から発せられた個人情報の嵐に顔を歪ませ、悪態をつくディヤー。


「はっ…俺がここに捕まっている二週間のうちにそこまで突き止めたのか?情報のプロテクトはかけていたはずなんだがな…」


 ディヤーも情報理工を極め、叛逆軍幹部にまで上り詰めた人間だ。人生32年で培われた彼の技術力を結集して情報のプロテクトをかけていたが、どうやら世界最高のハッカーには二週間で踏破されてしまうものらしい。

 やや自虐的に笑ったディヤーを、怪訝そうな顔で見る女。


「? あぁ、勘違いしているようだが…私はこのところ忙しくてな。お前のリサーチに割ける時間は大してなかったんだ」

「……は?」


 腕を組みなおし、豊満な胸を揺らして、こともなげに女は言う。


調10。さっき、片手で終わらせてきた」


「」


 絶句した。


 自分の技術力を全て結集した、6年物のプロテクトだ。

 勿論、毎日のようにプロテクトを張りなおしては、向上させてきた。ロアナですらも唸る最高傑作のプロテクトのはずだったのに。


 それを、ものの10分で。

 しかも、片手で。


「化け、物」


 男はそれ以外に、目の前の規格外を形容する術を持てなかった。


「よく言われるよ」


 女は興味を失ったのか、それだけを言い残して踵を返し、白い部屋を出ていく。


「あの男、どうしますか?処分しますか?」

「…いや、まだいい。まだ吐いてない情報もあるかもしれない」


 そんな声が、扉が完全に締まりきる直前に聞こえた気がした。

 絶望する中、電気椅子に括りつけられたまま項垂れたディヤーは、最悪の可能性を予感していた。


 ディヤーは、既に目的を達していた。

 石見凛の情報を調べ上げ、叛乱軍の仲間達に侵入ルートや情報局の機密についての情報ファイルを送信したばかりだったからだ。それによって、ようやく叛乱軍は前に進める。作戦は履行され、悪夢ナイトメア症候群シンドロームの撲滅に向け、また一歩踏み出せる。その助けに、自分はなれた。

 だから、今更監禁されようが拷問されようが、タスクを完遂できた以上、後顧の憂いはなかったのだ。


――――違う。


 ディヤーは本能的に理解する。

 あの化け物が、自分の動きに気づかないわけがない。

 けれど、それを黙認した。泳がせた上で、情報を叛逆軍に手渡させた。


 何故、そんなことをしたのか。理由は自明だ。



 男の焦燥に満ちた声が、仲間達に届くことはない。


 電子の魔物が住む魔宮へ、叛乱軍は立ち入ろうとしていた。




 ***




 コツ、コツ、コツ。

 無機質な暗い廊下に、硬い靴音が響く。

 毅然とした歩みで迷いもなく進み続ける女。その眉目秀麗な顔は、やや曇っているように見えた。

 見た者を惑わす、絶世の美女。細いウェストに豊満な胸。蠱惑的な雰囲気を纏った長い髪を揺らしながら、女は無言で廊下を歩く。

 やがて、一つの大きな扉に辿り着く。扉の前の電子錠を解除し、キーを挿入。暗証番号を素早く打ち込むと、扉は重々しくその口を開いた。


 中心部に一つの機材が設置された、大きな円形のホールだ。壁には青いライトラインが走り、所々から配線を覗かせている。

 女は中心へと進み、『それ』の前で立ち止まった。



「……私はな、本当に、あの子のことを愛しているんだ」


「あの子以外のことは、正直どうでもいい。この身も、この心も、この信念も、全てあの子の為にある。あの子の未来のためなら、私は死んでも構わない…本当だ」



「だからさ」



「こんな形で、君とは会いたくなかったよ」




 金の培養液に浮かぶ一人の姿を目の前に。


 電子の怪物は、一筋の涙を流した。






***

ということで、お久しぶりです。久方ぶりの更新となります。

これからはたくさん更新するぞ!と言いたいところなんですが、作者の私的事情でちょっと厳しそうです。一週間に一話も難しそう。なので本当に申し訳ないんですが、またゆっくりと更新を待っていただけたらな、と思います。

さて、本章はようやく開幕ですね(今までは序章でした)。この章は叛乱軍メインのお話となります。今のところネタ枠でしかない彼らの本気を、どうぞご覧ください。

あと『帝国』については後々深堀します。今は頭の片隅にでも置いておいてくださいれば幸いです。

***

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