第二十五揺 誰が為の、鎮魂歌

 

 彼女と最初に出会った時のことは、しっかりと覚えている。


 仲間が一人、死んだ後だった。

『クレイドル』に慣れつつあった皆の心は、それで瓦解しかけていて。

 だから、自分がこれからは皆を引っ張っていかなきゃいけないんだと、直前まで思っていたけれど。事は、そう簡単じゃないのも分かってた。

 皆の心は、すごく不安定だった。

 ほんの些細なきっかけで、誰が狂乱しても仕方ない状況で、自分がどうするべきかなんて、全然分からなくて。


 だから、彼女の能力を見た時、安心した。


 狂乱状態になりにくくする能力。皆は自分が冷静になってるのを自覚してないのか、彼女への当たりが強かったけれど――いや、あれは彼女の性格のせいもあるだろう。

 心の支えが無くなった自分達にとって、もってこいの能力だったから。だから、心底感謝していた。


 そう。最初は、それだけだった。


 守るべき仲間だから、自分が体を張って守るのだと誓った、あの夜。


 彼女を守り抜くという義務感。


 


 それがいつだったかなんて、もう覚えてはいない。


 そもそも、初めて彼女と会った時から、果たしてどれだけの時間が経ったのだろう。


『クレイドル』にいつ巻き込まれるかは、完全にランダムだ。最短だと一週間程であろうが、長ければ一ヶ月程巻き込まれない時もある。だから、単純に一週間に一回であるとカウントすることはできない。


 だからきっと、過ごした時間なんてものはどうでもいいのだ。たいした問題じゃない。


 けれど。

 もし、悔やむことがあるのだとしたら。


 それは、君と共にもっと過ごせなかったこと、だろうか。



 体を貫く、異物の感触。


 喉の奥から溢れる、熱い液体。


 堪らず吐き出して、それが自分の血だってことに気づく。



―――迂闊だった。



 彼女に迫った土槍から、彼女を突き飛ばすことで守った。自分が代わりに刺さる、なんてヘマはしない。ちゃんと避け切った。


 自分の真後ろにあった、曲がり角。

 その先に、『奴』がいることに気づけなかった、自分の怠慢だ。


 ……気が抜けていたんだろう。

 何度も逃げ切って慢心し始めたプレイヤーの心の隙を、『クレイドル』は決して見逃さなかった。


 結果として、自分の体は、地面から生えた土槍に串刺しにされていたのだから。



「……ハト?」



 信じられないものを目の当たりにしたかのように、目を大きく見開く四人。

 けれど、それも一瞬だ。

『狂気緩和』によって強化された理性は、感情の昂りを感知し、感情の大幅な揺らぎを強制的に沈める。

 響也、勇人、葵の三人は早くも、何が起こったのかを理解した。

 しかし、『狂気緩和』の能力があっても尚、感情の揺らぎを抑え切れなかったのが、穂乃美だった。


「ぇ……は、と……?な……なに、してるの?アイツ、来てるよ……早く逃げようよ……ね……?」


 目尻に涙を浮かべ始めながら、穂乃美は手を伸ばし。



 その手は、響也によって阻まれる。



「……


―――沈静化された精神は、プレイヤーに合理的な判断を促す。


 もし冷静さを失わせる要因が人の持つ感情であるとなれば、『狂気緩和』の能力が取り除こうとするのは、感情だ。故に、今の彼らは感情よりも合理性に従って行動した。


 自分の腹部を穿っている土槍は、背中を貫通するほどに大きなものだ。取り除くのは殆ど不可能だし、取り除いたところで、葵が治せる怪我の範囲を遥かに超えている。

 それを瞬時に理解した響也は、鳩助を見捨てざるを得なかったのだ。


 彼とて、真人間だ。仲間を見捨てる行為が辛くないはずもない。

 だが生憎、辛いという感情は現在、能力によって打ち消されているのだ。悲しくも、響也たちはその判断をすぐさま実行できた。


「は……?何、言ってんの……?」

「あの傷では、僕でも治せません。…仕方のない、ことです」

「し、仕方ないって…」

「…響也。穂乃美を担げ」

「……はい」


 筋力補正が最もかかっている響也が穂乃美の体を持ち上げ、肩に担ぐ。


「嘘、だよな……そんな、見捨てるなんて―――」

「……」


 誰も答えない。

 吸血鬼はそうしている間にも、彼らへと迫っている。このままでは、全員共倒れだ。

 だから、背中を押さねばなるまい。





 誰も答えない。

 三人は踵を返し、鳩助に背を向ける。


「……すみません、助けられなくて」


 葵がそれだけ言って、走り出した。それを追うように、響也と勇人も走り出す。

 響也たちの成す行動が何を意味するのかを理解した穂乃美は、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。


「なっ、何やってんだよッ!まだ、ハトが残ってるじゃん!下せっ、下せよぉ!バカヤロウっ!」


 響也たちの走りは止まらない。彼らも止める気がないのを察し、穂乃美の口から震えた声が漏れ出る。


「い、嫌……いやぁッ……」


 大粒の涙を眦から零して、穂乃美は響也の背中越しに遠く離れた鳩助へと手を伸ばした。その手が、彼に触れることはない。


 一方で逃げる穂乃美達を見据え、それを追いかけようとした吸血鬼。

 しかし、その体は途端に動かなくなる。


「行か、せんぞ……!」


 鳩助が投げた最多角念珠いらたかねんじゅが吸血鬼の足元に落ち、鳩助が片手で印を作ると同時、念珠が巨大化して吸血鬼の体に巻き付いたのだ。


 鳩助の役職ジョブ、『修験僧アセチック』。

 その能力の一つである、『験力呪法』。放った念珠を媒介に、処刑人エクスキュージョナーを一定時間拘束する能力だ。

 地面にも縫い付けられた念珠が煌々と輝き、吸血鬼の体をきつく縛り上げている。

 だが、動きを止められたところで十数秒持つかどうかの能力だ。だから、彼女たちを安全圏に逃がすまでにはまだ時間が足りない。


 鳩助は自分の体を見下ろし、自身の惨状を己の目で確認する。

 体を貫く土槍によって内臓は破壊され、余命はいくばくもあるまい。じきに損傷した内臓から溢れた血が肺を埋め尽くすか、出血多量で死ぬに違いなかった。


 故に、鳩助は次の能力を発動する。


 能力、『擬死再生』。

 自身の負った傷による身体へのダメージを一時的に無効化し、行動可能時間を一定に引き延ばす能力だ。

 これを発動すれば、能力発動時間中に死ぬことは絶対に無い。何をされても何事もなかったかのように動くことができるし、処刑人エクスキュージョナーに殺されることもない。


 しかし、致命的な欠点が二つほどある。

 一つは、能力発動時間中は、こと。

 そしてもう一つは、能力発動中に負ったダメージは、発動時間が終わった後、即時に体に適用されること。つまり、のだ。


 だが、それらは最早、死に体の鳩助には関係ないことだった。もとより、この状態から脱出が可能であるとは思っていない。


『擬死再生』を発動し、体を貫く土槍を『筋力補正B』による膝蹴りで破壊する。

『験力呪法』が切れて動き始めた吸血鬼に掴みかかり、両手を封じて地面へと押し付ける。火事場の馬鹿力というやつか、あまりの剛力にどうやら吸血鬼も鳩助を振り払えないらしかった。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!ハトぉっ、ハトぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!」


―――穂乃美の、泣き叫ぶ声が聞こえる。


 痛ましい声だ。

 きっと、つらいのであろう。悲しいのであろう。寂しいのであろう。


 君に、そんな思いをさせてでも。

 自分の命を懸けてでも、君を守りたい理由が、自分にはあったのだ。


 それを伝えることは、もう叶わない。

 心の中で燻る、甘い感情を。煮え滾る激情を。身に余る想いの丈を。

 君に伝えることは、もうできない。


 二本の脚が、貫かれる。

 頭の半分を、貫かれる。

 心の臓を、貫かれる。


 それでも、守りたい者が在ったのだ。

 だから、今だけは動いてくれ、この体。


 彼女の泣き叫ぶ声が遠のいていく。

 殆ど機能しない首を強引に回し、片方の目で彼女を捉えた。

 鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃにした穂乃美。彼女にむけて送る言葉は、一つ。





 潰れた喉で、絞り出す。

 霞んだ視界では彼女の顔は見えなくなってしまったから、伝わったかは分からない。


 …君はこれから、笑って生きていけるだろうか。


 自分のことは忘れないでほしいけれど、ずっと悲しんだままでいてほしくない。


 嗚呼…でも、この世界の記憶は失くしてしまうのだったか。なら少なくとも、現実世界の君は笑って生きていけるだろう。記憶が引き継がれないのが、初めて都合がいいと思った。


 けれど。

 もし、この世界の記憶を現実に引き継げたなら。

 自分は君がどこに居ようが必ず会いに行って。


 なんでもない日々を、

 二人で幸せに暮らして。 学校で駄弁りながら


 君と、一日を 普通に過ごして。そ

 れで、自分に  

 勇気が 


 あったの なら。



 君に 告白を するんだ



 こく  はく  を 

       して 













 命の華が、一つ散った。








 ***




「条件さえ揃えば―――俺は、『奴ら』を殺せます」


「「「「…はぁ?!」」」」


 驚愕に染まった声四つが、廊下に木霊した。

 目を丸くする穂乃美達を顧みることなく、煌は話を続ける。


「今からするのは、『条件』に関する実験です。自分の中で立てた仮説を実証するのと、奴の力量を見る目的で一回戦います」

「た、戦うって…」

「あと、奴と戦うにあたって、いくつか確認したいことがあります。……奴の攻撃手段を手短に」


 いきなりそんなことを問われたらパニックになるのが普通だろうが、『狂気緩和』の能力によって冷静な受け答えが可能になった四人は早急に回答をしていく。


「手段は…半径15メートル以内に目視で感知式の土槍トラップを仕掛けます。それと、半径5メートル内だと任意発動する土槍を発生させてきます」

「特徴は?」

「え、えーと…足が遅い!」

「移動手段は?飛行はしますか?」

「ふよふよ浮いてるけど……飛ぶっていうのとは、少し違うかと……」


 眉一つ動かさずに淡々と質問を繰り返す煌にたじろぎながらも、彼らはしっかりと答えを返す。

 それで質問は最後だったらしく、ふぅ、と息を一つ吐き、吸血鬼を見据えた。

 膝を曲げ、地面と胴体が触れそうになる程に前傾。

 手には何も持っていない。

 正真正銘の丸腰だ。それで無敵の怪物と戦うなど自殺行為に等しいはずだが―――


 そう考える四人の思考は、煌が地を蹴る爆音で散らされる。

 姿が霞む程の速度で吸血鬼に接近する煌に対し、吸血鬼は目視で罠を設置した。

 煌が一秒後に踏むであろう地点に土槍を三本。前方、後方、真下から生えるものだ。獲物を逃さず確実に突き刺す為の一手を指し、ニヤリと口端を吊り上げて鋭い歯を覗かせる吸血鬼だったが。


 ピタリ、と煌の体は罠の前で止まる。


『……!?』


 無言で驚愕する吸血鬼など意に介さず、自分が踏みかけた地面を睨み、足元に転がっていた石ころをそこに投げた。

 ズガ、という音が三度響いて、土槍が石ころを完全に破壊し、砂塵に還す。


―――罠を予測した?


 獲物が罠に掛からなかった事実に眉を顰め、今度こそは、と煌の周りに無数の土槍を土槍を設置した。

 だが、煌は動かない。冷え切った目で、辺りを見回しただけ。


「発動までのインターバルは同じ……一度に設置できる土槍の数に上限はなさそうだな」


 煌には、土槍の罠は見えていない。罠がどこにあるかなんて分かっていない。

 ただ、そこにあるであろうことを予測し、それを躱しているだけ。石ころを投げたのだって、吸血鬼の思考パターンをトレスしただけのこと。故に、今度は煌の周囲に仕掛けられていることなど予測済み。


 間髪入れず、煌は次の実験に移る。

 目の前から伸びている発動済みの土槍に飛び乗って、それを踏み台に空中へ跳躍。地面に設置された罠に感知されない程の高度まで飛んで、空中から吸血鬼へと接近した。

 吸血鬼は煌を見ると、すかさず足元から土槍を発生させ、煌に迫らせた。空中で身動きの取れない丸腰の煌だったが、迫る土槍を体を捻って紙一重で回避する。が、それによって跳躍の勢いは殺され、距離的に吸血鬼へ届かなくなった。そして勢いを失った体が地に落ち、設置された感知式の土槍の罠が仕込まれた地面へと向かう。

 あわや体が槍に穿たれん、というところで煌は膝を畳み、煌の存在を感知して伸びてきた土槍を逆手にとって足場にし、力一杯に踏み込んだ。

 筋力五倍の力によって足場を代償に煌の体は打ち出され、地面と水平に飛行して吸血鬼に肉薄する。

 吸血鬼に再び土槍を生成する暇は与えない。足から槍が伸びる前に煌は体を反転、体を捻った勢いで足を鞭のようにしならせ、吸血鬼の胴体を蹴り飛ばした。


『……ッ!』


 吸血鬼の細い体躯は撃力を受けて、地面に何度も擦られながら廊下を吹っ飛んで行くが、土埃を上げながらも静止し、吸血鬼は幽鬼のような仕草でぬらりと立ち上がる。


 煌の全力の蹴りを受けたはずだ。

 


「……条件は確定だな」


 無敵性が破れなかった事の証明。

 それが意味するところを煌は理解して、この場からの撤退を決断する。


 時間差で地面から生えてきた土槍をヒョイと躱して、煌はそれを根本からへし折った。


「? 何を……」


 行動の目的が理解できず首を傾げた勇人だったが―――


「ふんっ」


 


「え」


 四人が唖然とする一方で、ぶん投げられた土槍は煌の気の抜けた掛け声からは予想もできないような速度で吸血鬼へと飛来し、ようやく立ち上がったばかりの体を更に向こうへと弾き飛ばした。

 吸血鬼はついに廊下の突き当たりに激突し、土槍と共に轟音と粉塵を上げて沈黙する。

 槍の下に埋まった吸血鬼を横目で見て、煌は四人へと振り返った。


「…あれでも死んでないでしょうが、時間稼ぎにはなります。今のうちに撤退を」


 そう促した声に反応して、葵が動き出す。


「だ、大丈夫かい、夜野君?あんな無茶苦茶な動きをして、体のどこかでも痛めたら―――」


 そう言って煌へと近づいた葵の行動は、純粋に煌を心配した結果のものだ。

 だから、彼を責めるのはお門違いだろう。



「―――ッッッ!近寄るな!」



 その煌の声は、葵の行動を止めるには些か遅かった。


 先程、煌を仕留めようと吸血鬼が土槍を大量に仕込んだであろう、いわば地雷原。

 そこに、葵は足を踏み入れていた。


「あっ」


 その声を置き去りに、プレイヤーの接近を感知した土槍は床から伸び、無慈悲にもその体を貫こうとする。

 完全な意識外からの攻撃。いくら場数を踏んでいようが、それを彼が避けられる道理は無かったが。



「―――危ねぇッ!」



 間一髪のところ。

 弾かれたように飛び出した勇人が葵の腕を掴み、その体を一気に引き寄せたのだ。


 追跡者チェイサーの能力の一つ、『危機感知』。

「意識外」からの攻撃に対して敏感になるという能力で、吸血鬼のような罠を仕込むタイプの処刑人エクスキュージョナー相手では重宝される能力だ。実際、勇人は道を進む際の斥候役を引き受けていた。

 その能力は自身の身に迫る攻撃だけでなく、仲間に迫る攻撃に対しても、ある程度ならば適用される。穂乃美が落とし穴に落ちたように、直接的に命を狙うわけではないものに対しては効力が落ちるのが玉に瑕だが。


 故に、勇人はいち早く葵に迫るトラップの存在に感付き、葵の体を引っ張ったのだ。

 それでも尚、完全な回避には至らない。

 葵の腕を土槍が貫いてしまったが、勇人の行動が無ければ串刺しになっていたのだから、まさにファインプレーだ。


「……づッ…!」


 腕に孔を開けられた痛みに顔を歪める葵だが、『狂気緩和』によって得られる冷静な判断力により、すぐさま『軟膏』を取り出して患部に押し付ける。

 軟膏は水色に発光すると、傷は治さないものの、血だけはしっかりと止めた。


「……すみませんでした。先に言うべきだった」


 罠を飛び越えて戻ってきた煌がそう謝罪すると、脂汗を浮かべながらも、葵は首を横に振って、その謝罪が不要である事を暗示する。


「…迂闊だったのは僕さ。こちらこそ、足を引っ張って悪いね」

「……行動を急ぎましょう。橋倉さんは俺が担いで運びます。三人はポータルを目指してください」

「三人はって……煌マルはどうすんのさ?」

「俺は橋倉さんを一刻も早くポータルに届けます。一人で行動した方が早く見つけられるので」

「あ、そう……」

「橋倉さんがポータルに入った後、亡霊を使って皆さんと合流します。それと……一つ、お願いが」


 そう言いながら煌は葵の体を軽々と背負った。

 煌からのお願い、というのが想像つかず、脳内に疑問符を浮かべる三人。


「お願い?」

。…話したいことがあります」

「……わかり、ました」


 意味は分からないが、響也は同意して、二人もそれに続いて頷いた。その様子を見ると、煌は葵を背負ったまま、剛速で廊下の向こうへと消えていく。

 それに遅れて、三人も廊下を走り出した。


「……どう思うよ、穂乃美」


 煌の行いに圧倒されていたのもあって、しばらく何も話さなかった三人だったが、その沈黙を破ったのは勇人だった。


「何が?」

「……アイツのことだ。吸血鬼を軽くあしらう力といい、見たこともない格好といい、空白のままの能力といい……タダモンじゃない」

「……それは」

「極め付けは、あの振る舞いだ。無感情、無関心、それでいて冷淡。丁寧語を使っちゃいるが、敬意なんて微塵も持ってない……ありゃ、必要以上のトラブルを避けるための処世術だろ」

「……何が、言いたいんですか」


 煌への批判を含意した言葉を連ねる勇人に、響也は結論を迫る。

 少し息を吐いて、「なぁ」と勇人は続けた。



「アイツは……本当に、信頼できる人間か?」


「「――――」」


「……あの歳で、あの雰囲気だぜ。絶対に、過去になんかあった奴の目だ、あれは。確かに強いし、いたら頼りになるけど……そもそも、だ」


「…?」


「『クレイドル』のルールにおいて、新入りのメンバーが入ってくる条件があるだろ。新人じゃなけりゃ、必ず当てはまる条件が、よ」


 目を伏せて二人に答えを促す勇人に、ルールをよく理解していない穂乃美は首を傾げ、響也は最初から分かっていた、とでも言うように即答した。


「……『生き残ったメンバーが二人以下の時、新しいメンバーの下へと編入される』……でしょう」


「そうだ」


「…えーと、つまり?」


 未だに会話の意味が理解できず、頭から湯気を上げながら勇人に答えを聞く穂乃美。その様子を見て、ため息を一つついて、勇人は結論を出す。



「つまり、だ……。



「……あっ」



 ようやく、穂乃美も理解する。

 以前のメンバーが一人欠けた状態の穂乃美達に編入されたのが、新人ではない煌だった。編入された、ということは、彼が元々いたステージのメンバーとはバラバラになった、ということだ。

 メンバーが変わるのは、一度の死亡数が二人を上回った場合。それ以外の場合では絶対にメンバーは変わらないのが『クレイドル』におけるルールだ。


 つまり、煌が前回いたところのメンバーは、一度のゲームで三人以上が死亡したのだ。


 


 その事実が、穂乃美の胸に鋭く突き立てられる。


「……あんまり、アイツを信用するな、穂乃美。あれは、信用しちゃいけない類いの人間なんだよ」


―――そんなことはない。あの人は、自分を助けてくれた。


 彼をフォローする言葉。

 その言葉は、どうしても口から出てきてくれなかった。




 ***




「ただいま戻りました」


 亡霊に連れられ、三人の前に現れる煌。

 その目の前では、重低音を響かせる球状の物体が浮遊している。

 赤色に輝くソレは、たった二人だけを悪夢の世界から脱出させることを許すことを示していた。


「赤ポータル……二人転送ですね」

「あぁ」


 地面に胡座をかいている勇人が煌を見上げ、床をバンバン叩く。


「さ、話ってのをしてくれよ。こっちは一刻も早く逃げたいんだわ」

「えぇ…わかりました」


 話をしようとした煌を、「その前に」と遮る人間が一人。


「どうしたよ、穂乃美?」


 そう、煌を遮ったのは穂乃美だ。かつてない程に真剣な表情で、煌を見据えて手を上げている。


「目の前にあるのは赤ポータルじゃん?ってことは、この中の二人を選んで脱出させるってことっしょ?」

「そうですね」

「……多分、煌マルはさ。インキョを残したいんでしょ」


 ちらり、と響也を見る穂乃美。響也は杖を抱えて目を閉じている。自分でも、それを覚悟しているんだろう。


「えぇ。墓瀬さんは亡霊を呼び出す権利をまだ所持していますし、身体能力の補正倍率だって一番高いので」


 そんなことを聞いてどうする、と言わんばかりの声のトーンの煌に、穂乃美は向き直った。



「…そこを思い直して欲しい。あーしを、ここに残して欲しいんだ」



 穂乃美の発言に瞠目したのは響也と勇人の二人だけでなく、煌もだ。反応は薄かったが、しっかりと驚いたらしい。


「……何故です」


「煌マル、言ってたよね。『条件さえ揃えば、奴らを殺せる』って……あーし、馬鹿なりの頭で考えたんだ。あの時、煌マルはアイツを殺さなかったけど…あれは、『殺さなかった』んじゃなくて、『殺せなかった』んだよね」


「……」


 煌は穂乃美の問いに対し、無言の肯定をする。


「もし、アイツを煌マルがこれから殺すんなら……あーしは、それを見届けたい。…見届けさせて欲しい。アイツは、ハトのなんだ」


 相変わらず、煌は何も言わない。

 これが我儘に過ぎないのということは分かっていた。徐々に気まずくなって煌の顔を見れなくなり、穂乃美は俯いたままで話を続ける。


「無茶言ってるのは分かってる。でも……それでもあーしはっ……っ!い、インキョを連れてきたいのは分かる!けど、出来るならあーしを」



「駄目だ」



 穂乃美の熱のこもった言葉。

 それを、煌は冷徹に一蹴した。



「…え」


「俺が君を連れて行って何のメリットがある?」


「それは……ないけどさ……」


「確かに、俺は今からアイツを殺す。それほど強くはないから確実に殺せるはずだ。……でも、そこに生じる不安要素は取り除いておきたい。仇だかなんだか知らないが、余計な感情論を持ち出すな。それは、破滅の素だ」


「ぅ…」


 丁寧語は、既に消え去っている。

 煌の気迫に押され、言い返す言葉もなく詰まってしまう穂乃美。

 それを見かねたのか、勇人が立ち上がり、煌に食いかかった。


「おい…!そんな言い方することないだろ!ずっと行動してきた仲間なんだぞ!」

「だからなんだ」

「……っ!そんだけの力があるんだ、一人守るのだって大した労力じゃないだろ!」

「守るのは誰だと思ってる。俺の目的はあくまで奴を殺すことだ。手間を無駄に増やすことが俺にとって何の利にもならないという話をしてる」

「こいつ……!」

「待ってください!」


 煌に掴み掛かろうとした勇人を、響也が珍しく大声を出して止める。


「……有永さんを連れて行くメリットはあります。士気向上の能力……あれがあれば、吸血鬼を殺すのだって楽になるんじゃないですか」


 冷や汗をかき、声を震わせながら、しかし果敢に煌へ提案をする響也。

 スッと目を細め、煌は響也の方へと首だけを回す。


「…ようやく理知的な意見が出ましたね。感情論じゃなく、ちゃんとルール上のメリットを提示できる…やはり、墓瀬さんは聡い人だ」

「……なら」

「ですが、却下です。条件達成時、俺の身体能力は十倍になる。そこで『士気向上』の能力で十一倍になろうが大した差じゃありません」

「じゃ……じゃあ!『狂気緩和』の能力はどーよ!あの時、褒めてくれたっしょ?!」

「確かに有用ですが……それはあくまで、五倍の時の話です。『筋力補正』の能力は名前に『筋力』とついていますが…強化されるのは筋力だけじゃない」

「……?」


 筋力補正の能力は『身体能力』を向上させるもの。無論、筋力の向上がメインではあるが、それに付随する効果も確かに存在する。


 例えば、普通の人間がいきなり筋力五倍になり、その力を行使したらどうなるか。


 まず第一に考えられるのは、過度の負荷による筋繊維の断裂だろう。筋力がいきなり五倍になるのだから、通常時の力で慣れてしまっている筋肉が、強制的な五倍の行使に耐えられるはずもない。一回走っただけで動けなくなるのがオチだ。


 第二に、自分の力の強さ、動きのあまりの速さに脳が反応しきれず、大怪我を負うか負わせることになるだろう。いきなり五倍の速度で走り出したとして、その速度に動体視力は絶対に追いつかない。走ったら止まりきれず壁に激突、人の手を掴んだら握り潰すなど、悲惨な状態になるのは目に見えている。


 だが、煌はこの状態に陥っていない。何故か。


 単純な話、筋力だけが強化された訳ではないのだ。


 五倍、十倍の力を振るおうが壊れない頑丈な身体。

 五倍、十倍の速度で動こうが反応できる動体視力。

 五倍、十倍の動きに必要な、高速の脳内思考回路。


 筋力補正を持つものは全員、ちゃんと筋力以外にも補正が掛かっている。倍率が低いので気付きにくいだけ。

 しかし、煌に与えられた身体能力補正は五倍と十倍。違いを嫌でも実感するのだ。主に、戦闘時は。


 煌は引き伸ばされた脳内時間の中、冷静になる時間などいくらでも作ることができる。通常時は真価を発揮しづらいが、戦闘をする際には特に効力を感じていた。


 したがって、煌自身には『狂気緩和』の能力は必要ない。


「……そんな」


 一連の説明を受けて、穂乃美は薄紅色の唇を噛み締めた。

 もう、彼女自身のアピールポイントはない。己の無力さを痛感して、黙り込んでしまったのだ。

 その姿を見た勇人は、いても立ってもいられずに煌の胸ぐらを掴もうとして、しかし彼の手は空を切った。勇人を見ることもなく体軸を僅かに逸らして回避した煌に、再び迫る勇人。

 溜息を一つつき、勇人を黙らせるために動いた煌の首に、冷たい物が当てられた。


「……前言撤回ですね。何のつもりです、墓瀬さん」


 その双眸を鋭くし、杖の先端を煌の首へと当てがっている少年、墓瀬響也を睨みつける。

 煌の気にあてられて一瞬怯んだ響也だが、その杖を動かすことはない。煌の背後から尚も首に杖を向ける響也は、煌への反抗の意思を静かに示していた。


「……貴方の言っていることが正論なのは、僕だって分かってます……でも、有永さんの為にも―――」


 そう言いかけた響也の体は、


「か、はっ……!」


 壁にぶつかった衝撃で肺の空気を全て吐き出した響也。口からは苦鳴が溢れ、あまりの痛みに半ば白目を剥いている。


「……え?」


 何が起こったか分からなかった穂乃美も、煌が手に持っている響也の杖を見て出来事を推察する。

 響也が目を瞑った瞬間、首に当てられた杖を掴み取って、腹部に肘鉄を喰らわせた。

 一瞬の出来事。知覚外の攻撃。

 力の差を目の当たりにし呆然とする二人に、煌は杖を投げ捨てて言う。


「言っておきますが、先に仕掛けたのはそっちです。害意を向けられたから、それを返したまで。文句を言われる筋合いはありませんよ」

「だ、だからって……そんなん……」

「……話をしましょう」


 言葉すら満足に出なくなった勇人に、煌は『条件』についての話を切り出した。


「奴らを殺すには、『条件』を満たすことによって『叛逆者リベール』が力を昇華させている必要があります。…その昇華に必要な条件というのが、『クレイドルにいる人間の数が半数を切ること』です」


「半数を、切る…」


「半数――要は、このステージに二人だけの状態になった瞬間、叛逆者リベールは初めて覚醒して、処刑人エクスキュージョナーを殺せるようになるんです」


 煌は天を仰ぎ、独白を続ける。


「重要なのは、ということ―――俺にとって一番手っ取り早いのは、『味方を殺してしまう』ことなんですよ」


 その声には、感情がなかった。

 あったのは、冷え切ったナイフの刃のような切れ味と、悍ましさ。

 言葉を聞いた穂乃美と勇人の体は、全身に刃物を突き立てられているかのように、一寸も動けなくなった。動いたら、薄皮を切り裂き肉を断つ。そう思わせるほどの冷やかさを帯びた台詞。

 処刑人エクスキュージョナーを殺すことが目的である煌にとって、足手まといの味方は助けるより、殺した方が遥かに簡単で手軽だ。そうできるだけの力が彼にはあるのだから。





 穂乃美の頭の中で、先刻の勇人の言葉がフラッシュバックする。


 可能性として、の話だが。

―――前回のゲームで煌が能力を昇華させるため、味方三人を殺したのだとしたら。


 そうすれば辻褄が合ってしまうことに、穂乃美は今更ながら戦慄する。


 煌を疑った勇人の言葉が真実味を帯びてきた今、穂乃美はどう行動するのが正解なのか。

 麻痺した思考。恐怖で冷たくなる脳髄。震えの止まらない四肢。

 小刻みに揺れる唇で、何かを言おうとして。



「……さよなら、です」



 響く陰鬱な声に穂乃美が顔を上げたのと、煌がバッと振り返ったのはほぼ同時だった。

 いつの間にか起き上がっていた響也。煌の肘鉄を身体強化の為された体で何とか耐えきり、隙を見て動いていたのだ。それでも痛かったのか、腹をさすってはいるが。

 つまり、、響也は赤ポータルに触れることができたのだ。

 赤の発光と共に響也の体が消え去り、その場に取り残された三人。


 煌は何を言うわけでもなく、無言で数秒間ポータルを見つめた後、穂乃美へと首を向ける。


「…仕方ありません。墓瀬さんがいない今、俺にとって残ってほしい有用な人材は有永さんになりました」

「……あ」


 響也がいなくなったことで、煌にとって残して為になる人間は『士気向上』を持つ穂乃美だ。響也の身を張った行動により、クレイドルに残る権利を穂乃美が得たことになる。


「どうしますか。『奴』を殺すかどうかも含めて、結論を出して下さい」

「殺すか、どうか…?」


 怪訝そうな顔をした穂乃美に、淡々と説明する煌。


「吸血鬼を殺したとしても、『クレイドル』から解放されるわけじゃない。寧ろ、吸血鬼より強い処刑人エクスキュージョナーに遭遇する可能性だってあります。そのリスクを負ってでも、殺したいですか」

「……それは」

「ちなみに、俺の最初の仲間は、それで死んでます」

「―――!」


 最初の仲間。

 そのワードが出た時、微かに煌の瞳が揺れた気がしたのは気のせいだろうか。


「穂乃美」

「ユート……」


 穂乃美に近寄り、こっそりと耳打ちする勇人。


「さっきまでのアイツの態度…忘れたわけじゃないだろ。信頼していいのかよ」

「……」

「…どこまでも合理的な奴だ。役職ジョブ的に有用な穂乃美を殺したりはしないだろうけど、それでもあんな奴だぜ。…いずれにしろ、俺はここには残れそうにない。どうするかは穂乃美の判断に任せるけどよ…忠告はしたからな」


 ハトの仇への復讐。

 夜野煌という人間の判断。

 判断を委ねられた穂乃美は二つの間で葛藤して。


「……あれ?」


 思考の果て、感じた違和感に首を傾げ、穂乃美は煌を見上げる。


 …もし、自分の考えが合っているのなら。


 生唾を飲んで、脳内で生まれた疑問を解消すべく、煌に穂乃美は問いかけた。


「煌マル」


「なんですか」


?」



「…なんで、とは」


「だってそうじゃん。あーしがどう言おうとさ、煌マルが処刑人エクスキュージョナーを殺せばいいし。煌マルもあいつを殺したいんでしょ?」


「――――。それは」


 それは、煌が初めて見せた、動揺の色。


 (…あぁ、なんだ)


 その顔を見た時、穂乃美の中で腑に落ちたことがあった。



「ユート」

「?」

「あーし、煌マルのこと信用する」

「…いいのか」

「ん。煌マルが、悪い奴じゃないってわかったから」

「…そっか」


 穂乃美の吹っ切れた顔を見て、身を引く勇人。穂乃美は立ち上がり、煌の前に立った。

 目は伏せられており、煌から穂乃美の表情を覗うことはできない。


「あーしさ……嫌いな人がいたんだ」

「…」


 静かに語り始めた穂乃美を、煌は何も言わずに見ている。


「そいつは馬鹿みたいにうるさくて、うざくて、めんどくさくて…カタブツの極みみたいな奴でさ」


「…」


「どんだけあーしが落ち込んでようが、人の心の中にズカズカ入り込んでくるし、デリカシーないし、意味わかんない単語使ったりするし…だからさ、ほんとに嫌いだった」


「…」


「でもそのくせ、妙に人の心の穴をつくのが上手かったり、的確なこと言ったりするもんだからさ…いつもはアホみたいに笑うのに、そういう時に限って真剣な顔すんだぜ?うざくて、たまんなくてさ」


「…」


「でも…いつも、そばにいてくれたんだ。つらすぎて泣いたときも、駄々こねて動こうとしなかった時も、嫌な顔一つせずに付き合ってくれて…絶対に、掴んだ手を離さなかった」


「…」


「正直、記憶が引き継がれないのって、鬱陶しいと思ってんだ。…記憶さえあれば、アイツのところに会いに行って、古ぼけた城じゃなくて、ドリンクがめっちゃ可愛いカフェとかで、何でもない話をして、盛り上がりたかった」


「…」


「もし、そんなことができたなら…あーしは、寝るのだって怖くなかったんだ。アイツと一緒に居れただけで、幸せだった。一緒に過ごせただけで幸せだった。……出会えただけで、全てを救われる気がしてた」


「…」


「でも…それも、もうできない。……死んじゃったら、現実世界で運命的に出会うのだって、もうありえなくなった……っ!」


「…穂乃美…」


 大粒の涙で頬を濡らしながら、穂乃美は今は亡き彼を、悼む。


「覚えてたって辛いだけだから!何度も!何度も何度も忘れようと思った!…けどさっ!消えてくれないんだよ!あの笑顔が!あの声が!あの最期の言葉が!!頭の中にひっついて離れないんだよっ…!」


 快活に笑う顔が。


 無駄にでかい野太い声が。


「生きろ」と願った、あの言葉が。


 脳裏に焼き付いて、離れなかった。



 だから、彼女は願う。



「こんなのが、弔いにもなんないのだってわかってる!でもさ!あーしは!ハトとの未来を嗤いながら奪い取ったアイツがっ……どうしても、赦せない……ッ!」



 それが、仲間を危険にさらすリスクを冒すものでも。


 独りよがりの、彼女のエゴだとしても。


 この悲しみが、夢から醒めれば忘れてしまう、今だけのものだとしても。


 彼を、忘れられないから。



 だから。







「おねがい……あいつを、殺して」








 悔しさの滲む涙に濡れた表情で、精一杯の懇願をする彼女を見て。


 放つのは、一言。







「了解」






 紅の死神は、願いを聞き入れた。






 ***


〇山門鳩助 ♂

〇役職ジョブ修験僧アセチック

・『筋力補正B』

身体の各筋力パラーメータを任意で2倍にすることが可能。身体機能の補助効果がつく。

・『擬死再生』

行動時間を強制延長する。使用時はポータルからの脱出が不可になる。

・『験力呪法』

処刑人エクスキュージョナーを一定時間拘束する。 2/2


・裏話・

鳩助と穂乃美は同い年です。穂乃美は東京、鳩助は京都在住ですので出会う可能性はかなり低いですが…それでもゼロではありません。記憶は引き継がれませんが、以前玄二の回で煌の影が覗いたように、ある程度の既視感は残ります。

二人が何かのはずみで出会う。そんな未来も、あり得たかもしれません。


ちなみに、墓瀬は玄二の回で登場してます。探してみてね。

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