第二十一揺 勿忘の誓い
「――ッ!緊急事態です!被験体、夜野煌のバイタルに異常な変動あり!」
「心拍数190オーバー!く、加えて、発汗量が増大しました!このままでは脱水症状を起こします!」
「部分的な筋肉痙攣に、呼吸運動に乱れあり!横隔膜が正常に機能していません!」
煌のバイタルを多数のモニターで観測していた隊員から、突如として悲鳴のような声が上がる。
バイタルを表示している画面には赤のアラートがついており、被験体の異常を周囲に知らしめていた。
「脳波は、どうだ」
緊張で張り詰めた空間の中で、リーダー格の男はそう問う。
「……一度、大幅に振れましたが……今は、気持ち悪いくらいに安定しています」
「……決まり、だな」
スゥッ、と息を吐き、リーダー格の男は声を大にして隊員達に司令を出す。
「医療班!人工呼吸器と点滴を用意しろ!解析班はそのまま待機!再び異常が起き次第、すぐさま報告しろ!今が山場だ!総員、心してかかれ!絶対に、夜野煌をここで死なせるなッ!」
『『『『了解ッッッ!!』』』』
途端、解析室は喧騒に包まれ、扉からは多数の人間が出入りする。
モニターをじっと見据え続けるリーダー格の男に、一人の女が近づく。
「……始まったのかい?」
煙草を口に咥えながら、扉に寄りかかる男勝りの女性――ロアナは、男に訊ねた。
「あぁ。間違いなく、『覚醒』だ」
「随分と早かったね。最速?」
「だろうな。私とて、ここまで早いのは見たことがない」
振り返りもせずに答え続けるリーダー格の男を見て、肩をすくめるロアナ。しばらくの沈黙の後、ロアナは再び男に話しかける。
「……あの坊やは、
その質問に対しては、男は少し考える様子を見せた。
「『
「……今、発現が確認されている『
「あぁ。既に発現している『色』を考えれば、明確だろう。現在、空席の『色』だ」
スッと目を細め、厳しい表情でリーダー格の男は断言する。
個々の
そして、夜野煌に与えられる『色』の名は―――
「『
やけに力のこもった声を出した男に対し、ロアナの返答はない。ただ、
***
靄の中にいるようだった意識が、徐々に覚醒する。
不思議と、頭の中は冴え渡っていた。とはいえ、目の前の道化に対する怒りは今も煮えたぎっている。
道化師が何が起こったか分からず困惑している時、正直、煌自身にも何が起こったか、あまり分かっていなかった。
自分は、どうしようもない自身の無力さと、仇に対する憎しみを叫んだだけだった。
だが、その瞬間、体から紅霧が噴出し、自分の身体が作り変わっていったのだ。
霧の噴出が止まった後は簡単だ。
飛来したジャックナイフを弾き返して、憎悪に身を委ね、道化師の顔を蹴り抜いたまでの――
「…弾き返した?」
自分の言っていることが理解できず、自己矛盾を起こす。
生身の肉体でナイフを弾き返したというのか。
確かに、かつてないほどの力の奔流が体を埋め尽くしているのは自覚しているが、流石に刃物を無傷で弾くほどの肉体強度は無いはず。
そこまで考え、ふと視線を下に向け、驚愕する。
「…大鎌」
その時初めて、自分が握っている物を自覚した。
大鎌だ。大鎌を握っている。
それには見覚えがあった。
かつて仲間と倒した一人の鴉頭の殺人鬼。
奴が持っていた大鎌と、その見た目は酷似しているのだ。あそこまで錆びついてはいないものの、その禍々しいデザインはそっくりそのまま。
何故、自分が今この武器を手にしているかは分からない。だが、一つだけ確実な事がある。
「これがあれば、あいつを殺せる」
道化師の様子をふまえれば、煌の攻撃は
つまり、だ。今の自分であれば、先程膝蹴りに効果があったように、道化師にダメージを与えられる。
武器があればなお良い。
一層、奴を苦しめられる。
煌は視線を前に戻し、討つべき仇敵を見据えた。
『ギッ…!?』
道化師は、射殺さんばかりの殺気を纏った視線を感じ、体を一瞬硬直させる。
が、腐ってもプレイヤー殺しのプロフェッショナル。顔面に感じる激痛に耐えながらも立ち上がり、両手にジャックナイフを装備する。
―――簡単だ。
あの男が自分に向かってきた瞬間に、ナイフを振り抜けば良い。武器の扱いの関しての技量は自分が優っているのだ。どういうわけか攻撃は食らってしまったが、その点は変わりやしない。
本能的にそう考え、道化師はナイフを構える。
一方で煌は大鎌を後ろに回し、突貫の体勢をとった。
来る、と道化師が身構えた瞬間。
煌の体が掻き消えた。
『?!』
道化師は煌が消えたと錯覚したが、それは誤解。煌は圧倒的な速さで肉薄し、目の前に迫っていた。
『ッッッ?!』
辛うじて煌を認識した道化師は、振るわれる大鎌の凶刃を二振りのナイフで受け止めた。凄まじい金属音が響かせながらの鍔迫り合いは一瞬。武器の数は煌より多いはずの道化師だが、弾かれたのはナイフの方だったのだ。
煌はナイフなどものともせず、さらに一歩踏み込むと同時に身を翻し、勢いそのままに鎌の柄で道化師の腹を横打する。
骨の軋む音と同時に道化の体は折れ曲がり、反動で横に吹っ飛んで、壁に激突した。
煌はというと、悲鳴を上げる暇すら与えずに更なる追撃。道化師の頭を鷲掴みにし、壁に何度も打ちつける。
『ゴ、ギッ……!?』
道化師が壁に釘のように打ち付けられる一方で、壁は衝撃に耐えられず幾重にもヒビを走らせ、やがて大穴が空いた。
一瞬だけ一方的な暴力から解放された道化師だったが、それも束の間、煌は脚を鞭のようにしならせると、道化師の腹を蹴飛ばす。蹴られた道化師はその穴の向こうへと放り出され、ゴム毬のように地をバウンドした。
道化師が転がり出たのは、柱が等間隔に建てられた円形の広場。激痛に体を痙攣させる道化師だったが、煌の足音が近づくのを聴き、恐怖に身を震わせ、顔を歪める。
―――勝てない。『アレ』は、そういう風に出来ている。
道化師は
つまり、採る作戦は「
『―――――ッッッ!!』
高音の叫び声を皮切りに、広場の各所から木偶人形が煌に一斉に襲いかかる。
その数、二十一体。本来なら絶望的な数。
―――が、今の煌には、彼らは脅威にすらならない。
煌の八方から同時に迫る人形を、大鎌で一閃。八体同士に体が両断された。中空から飛びかかる個体は鎌の柄で殴打し、上空からの三体は鎌の回旋により細切れにする。ここまでが一瞬。十秒もかかっていない。
背後からの不意打ちを狙った個体を僅かに体軸を逸らし回避、これも柄で破壊。下段から迫った人形は横蹴りで吹っ飛ばされ、空中分解して木片と化した。
次に二体の人形が煌の左右からの挟撃を狙うが、煌は高く跳ぶことで回避。真下を通る人形二体を踵で撃墜し、人形は地面深くにのめり込ませた。
鬼神の如き強さを誇る少年だが、それを恐れる脳を持ち合わせていない人形は、無謀にも、揃いも揃って彼に向かってゆく。
そう。まだ人形は残っていた。故に、全てを葬る必要があったが。
その時、煌は見てしまったのだ。
―――煌に背を向けて敗走する、醜い道化師を。
「ッッッ!!逃げるなぁッ!!」
煌の内側で、膨れ上がった憎悪が爆発する。
散々人の恐怖をエサに享楽を尽くしたお前が。
追われる側になった途端に手のひら返しで逃げ出す。
ふざけるな。
逃げるな。
みんなだって、死にたくなくて逃げてきて。
それを踏み躙ったのはお前だろ。
それなのに。
「ッッッ!!」
激情に任され、煌は鎌を大きく振りかぶる。
煌の狙いに気づいたのか、道化師は煌の射線上に人形を3体配置する。が、それは壁としてはあまりに脆い。
煌は上半身をはち切れんばかりに捻り、そのまま
地面と平行に飛ぶ剛速の凶刃により、人形はことごとく切断される。
そして、勢いを殆ど殺されなかった大鎌は道化師に迫り、その胸を深々と貫いた。
『ゴ、ギァ…!!』
衝撃に耐えきれず、背後の柱に激突してしまう道化師。
『グ、ギ…!』
なんとか刺さった鎌を外そうとする道化師だったが、そうは問屋が卸さない。いつの間にか目前にいた煌により、口腔内にブーツを突っ込まれる。
『ォッ!?ォ、ゴ…』
「ほら、どうした。鬼ごっこはもう終わりか」
静かな怒気を孕んだ声で、ブーツを更に食い込ませる煌。煌の足をどかそうと右手を伸ばしかける道化師だったが、その手は煌の左足に踏み抜かれ、ゴギ、という音と共に骨を折られる。
『〜〜〜ッッッ!!』
「喚いてないで、詫びろよ。赦しを請え。赦すつもりもないが」
絶望的な力量差。
これほどまでか、と驚愕する道化師だが、その眼からは抵抗の意思が消えていない。煌がその瞳に勘づく直前、道化師は人形4体を操り、煌の死角から襲わせた。
「…!」
迎撃のために鎌を道化師の体躯から引き抜き、またも大鎌を一閃する。水平に薙いだ刃により四体全てが破壊され、地に落ちた。
が、咄嗟だったが故に、煌は四体の影に隠れた一体を見逃しているのに気づかない。
生き残った人形一体が歪な口を大きく開け、煌の横腹に齧り付いた。
顔をかすかに苦痛に歪ませる煌。
その一瞬の隙をついて、道化師は足で煌の腹を蹴っ飛ばす。
「っ…!」
道化師とて、雑魚ではない。その脚力は、煌を広場の中央へと押し戻すのに十分なものだった。
煌の思考は予想外の攻撃により僅かに乱れたが、問題は殆どない。神経が昂っているのと併せ、体が頑丈になっており、痛みはあるものの、人形による噛みつきは傷にすらならなかった。
脇腹に噛み付いた人形の頭蓋を、ゴシャリ、と握り潰し、再び道化師の姿を見据える。
見ると、よろめきながら、広場の出口へと逃げる情けない背中が見えた。
「…どこまでも、逃げるんだな」
そう呟いて、煌は構える。
―――慈悲は無い。合理を以って、粛清するのみ。
足を後ろへ伸ばし、体は前傾。鎌を背後に担ぎ、前を向く。
イメージはあの
体に迸るエネルギーが周囲で飽和し、赤雷が空間を
全身の力を足に込めると同時に、地面を蹴る煌。
その衝撃により、敷き詰められたタイルが地雷の如く爆ぜた。
音速を超えた黒い弾丸が道化師を強襲する。
道化師がその存在に気づいた時には、もう遅い。
「
ただ、一言。
その言葉を最後に、道化師の首は宙を舞った。
***
何を、感じる訳でもなかった。
血に塗れた体一つで、廊下を茫然自失といった様子のまま歩く。
何が、間違っていたのか。
それはまだ分からない。先程から考えているが、いや、もう考えてすらいないのかもしれない。
何に、怒っているのだろう。
もう、仇は殺した。それなのに、ずっと心の中が煮えたぎっている。分からないことが多い。
何故、あんな力に目覚めたのか分からない。そういえば、この姿になる直前、頭に音声が響いた気がする。たしか、名前を――
「…
もしかしたら、これが自分の
○夜野 煌 ♂
○
・『筋力補正S』
身体の各筋力パラメータを任意で五倍にすることが可能。身体機能の補助効果がつく。条件達成時、更に二倍。
・『 』
「なんだ、これ」
二つ目のものは空欄でよく分からない。しかし、一つ目は分かる。
「はは、チートじゃん」
五倍というだけでも凄いのに、条件達成時は更に二倍、つまり十倍。条件が何かは知らないが。
身体能力が十倍になるなんて、どんな奴が来ても殺せるんじゃなかろうか。
「は、ははは、は」
かすれた笑い声を漏れる。何がおかしいのか、決壊するように笑い出す。
「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッッッ!!」
嗤う。嗤い。嗤って。
彼女の亡骸の、その目の前に辿り着いた。
―――あぁ、そうか。俺は。
「―――こんな能力があるなら!!みんな死ななくて済んだだろうがッッッ!!」
自分自身に怒っていて。
自分自身を嗤っていたのか。
「なんでお前が生き残ってんだよッ!お前が!真っ先に!死ぬべき人間だろうがぁッ!何やってんだよクソ野郎ッ!」
みんな、死ぬべき人間じゃなかった。
優しい人間だった。善人だった。
自分より、生きていて価値がある人間だった。
けれど、生き残ったのは、
「死ねよぉッ!!お前が死ねよ!お前なんか、死んじまえッ!死んじまえば良かったんだぁッ!」
悲痛な叫びを口から迸らせながら、煌は自身を罰するように、胸を掻きむしる。
突き立てた爪が肉体を削り、血が滲む。
そんなことは気にしない。
今も恥知らずに動き続ける
『わすれないで』
「」
頭の中で、死際の彼女の声がリフレインした。
自分がここで死んだら、彼女の願いはどうなる。
記憶に残らぬ世界で、必死に戦って、散っていった彼女はどうなる。
無論、忘れ去られる。
「ぅぅ……ぅうぅ……っ!」
死ねない。
死にたいけれど。それは、彼女を裏切ることになる。
彼女と交わした、『
後悔と罪悪感で死んでしまいたい煌は、しかし、その誓いによって死ぬことが出来ず、喉を絞り出す苦しげな声を上げる。
どんな力を持ってようが、人を生き返らせることは出来ない。自分が無職だったせいで、みんなの足を引っ張って、無駄な知恵を働かせて、弱い
彼女の冷たくなった体を抱える。目の前がぼやけて見える。知らず知らずの内に、涙が出ていた。
「っ…ごめん、ごめん…ごめんなさい…ごめんなさいっ…」
意味もない謝罪の繰り返しを続ける煌。それはまるで、壊れたラジオのようだった。
いつまで、そうしていたのだろうか。
煌の耳に、鐘の鳴る音が飛び込んでくる。いつの間にか、3時間経っていたらしい。
「……ぁ」
鐘が鳴ったということは、ゲームが終わるということ。
つまり、亡骸となった彼女と、引き離されるということだ。
「っ……いやだ!いやだ、いやだぁっ……!」
紅葉と離れたくなくて、一層その体を引き寄せる煌。
聞き分けの悪い餓鬼のように、煌はみっともなく駄々をこねるが、そんなのが
目の前が段々と白明し始めても、喚きを止めることはない。
鐘の音が響く中。
視界が曲がって、輪郭がぼやけて、カタチが溶けて。
溶けて―――
***
―――意識が浮上する際の、特有の倦怠感を覚える煌。
「……ぅ」
「!! 隊長、夜野煌が目覚めました!」
近くにいた医療班の女性がそう叫ぶ。すると間もなく、リーダー格の男が足早に近づいてきた。
「おい、大丈夫か」
どこか心配そうな様子で、顔を覗き込んでくる男。
何か言おうとした時、口が呼吸器で覆われているのに気づく。よく見れば、腕には点滴も打たれていて、体のあちこちに電極パッチが貼られていた。
男が呼吸器に手を伸ばして、煌の口から外す。喋ってくれ、という意味だろうか。
何故こうなっているかは分からないが、取り敢えず何かを言おうとして―――
寝ぼけていた頭の中に、悲惨な記憶が流れ込んだ。
惨劇を、思い出す。
大切な仲間達から血が、臓物が、ナカミが。
溢れて、溢れて、溢れて。
「ぅ、ぷ」
思い出すだけで壮絶な吐き気を覚え、口の中に吐瀉物が溜まった。
「ぉぼぇっ」
耐えきれず吐き出すと、煌の顔は胃液で汚れる。
吐き出しきれなかった吐瀉物が喉を逆流して肺に入ったらしく、煌は盛大に咳き込んだ。
「―――ッッッ!大丈夫か!くそ、医療班!」
「は、はい!エロイ分隊長!彼の状態を!」
「言われなくてもわかってるー!仰向けにさせないで!窒息しちゃうよー!」
途端に煌の周りが騒がしくなる一方で、煌の意識は再び遠のいていく。
血。肉。骨。内臓。悲鳴。断末魔。絶叫。慟哭。涙。血。内臓。断末魔。肉。慟哭。骨。血。骨。内臓。血。内臓。断末魔。肉。慟哭。骨。血。骨。内臓。肉血内臓血絶叫断末魔肉骨慟哭涙血内臓骨内臓血血内臓血内臓肉血内臓血絶叫断末魔肉血内臓血絶叫断末魔肉骨慟哭涙血内臓骨内臓血血内臓血内臓肉血内臓血絶叫断末魔肉骨慟哭涙血内臓骨内臓血血内臓血内臓肉骨慟哭涙血内臓骨内臓血血内臓血内臓肉肉血血血血血血血血血――――
「ぉぁ」
脳髄を焼く惨禍の記憶に耐えきれず、煌は再び失神するのだった。
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