第十八揺 苦渋

 

「……歩けそうですか、更科さん」

「うん…大丈夫。ありがとう」


 肩を上下させながら、額に浮かんだ汗を拭う紅葉。腹に刺さっていたジャックナイフは血と共に床に転がっており、紅葉は自身の能力である『包帯』を四つ使って腹の傷を回復した。破れた服と滲んだ血の跡はそのままだが、既に内臓の損傷も含めて完全に元通りになっている。


「それで……あれは、なンだ。処刑人エクスキュージョナーは人形どもなンじゃ……」

「…残念ながら、恐らく人形は手下に過ぎません。本体は…あの道化です。便宜上、『道化師』と呼びます」

「『道化師』……」


 空気が重くなる。ただでさえ厄介だった人形に加えて、新しく加わった『道化師』。離れた距離からジャックナイフを紅葉に当ててきた、優れた投擲能力。

 更に、あの知能。

 被虐体質持ちの紅葉を追わず、あえて煌達を逃した。あの時、やろうと思えば煌達全員を皆殺しに出来たはずなのに。

 間違いない。弄んでいる。

 哀れに逃げ惑う獲物の行動を見て、愉悦に浸っているのだ。


「舐めやがッて……!」

「…実際、それに助けられました。あの状態で襲われてたら、確実に全員死んでいましたし」

「それは…そうだけどよ…」

「とにかく、今できるのはポータル探しだけです。アイツが油断している間にポータルを見つければいいんですよ」

「…そうだね。脱出できれば、私達の勝ちなんだから」


 コクッ、と全員が頷き、行動目的を確かにする。

 となれば、次は行動だ。紅葉と煌は既に負傷し、その際にそこそこの出血していた。紅葉の治癒能力では血は戻せない。軽い貧血症状者が二人いるというのは、かなりのハンデだ。


「それじゃあ、ポータル探しを始めましょう。人形との会敵は避けたいので、慎重に行きます。更科さんは声を出さないで下さい」

「……わかった」


 空気は息が詰まりそうな程に重い。けれど、立ち止まってはいられない。

 三人は再び走り始める。




 ***




「…止まって下さい。います」


 足音を立てぬように歩いていた煌が、後ろにいる二人に小さく声がける。廊下の曲がり角で隠れながら、その先を覗くと、カタカタと歯を鳴らして徘徊している人形が見つかった。四足歩行でない時は大したスピードではない。とはいっても、音でバレた瞬間に這いつくばって追いかけてくるのだが。


「またか…どうする?迂回すンのか?」

「これ以上迂回するのは……いや、待ってください」

「?」


 人形を発見するのはこれで五度目。カタカタと音を出しているので発見は容易だが、見つかると厄介なので、会った場合にはどうしても迂回が必要になる。

 四度の迂回を繰り返しているので、更に迂回するのは避けたいところだ。

 煌が何かに気づいた様子で暫く人形の動きを観察していると、「やっぱり」と頷いて、玄二達へと振り返る。


「さっきから見ていて思っていましたが、道を徘徊する道順に一定の規則性があります。多分アイツらには巡回ルートがあるんです」

「! でかした!その情報があれば…」

「えぇ、行動がかなり楽になる…!」


 初と言っていい朗報に思わず頬が緩む。進路上から人形が離れた瞬間に進めばいいのだから、移動の時の気が楽になるのだ。これは、この限界状況においては嬉しいことだ。


「…今です。足音を立てないように進みましょう」


 人形が角を曲がると同時に行動を再開する。


 その後の進みはかなり順調だった。進行ルートは限られてしまうものの、前進はできている。このまま行けば、いずれかはポータルに辿り着けるだろう。


 ただ、一つ気がかりなのは道化師の行動だ。


 進みの遅い煌達を追いかける様子もなく、奇妙な沈黙を保っている。何か目的があるのか、煌達など取るに足らないと舐め腐っているのか。


「何を考えてる…?」

「おい、煌。ちょッといいか?」

「…?はい、なんでしょう?」


 人形の巡回ルートを抜け、廊下を走っている煌に玄二が小声で話しかける。


「今は紅葉が喋れねぇからな、俺が代わりに聞くぜ。…お前、

「―――!」


 どこにいるのか。

 それが紅葉の質問であるなら、その意図は明白だ。


 政府の拉致から叛逆軍に救われた後、煌はずっと叛逆軍に匿われている。その間、もちろん学校に行けていないのだ。

 情報漏洩を防ぐため、煌には外との連絡手段は与えられていない。故に、紅葉に何も伝えられていないのだ。

 玄二が煌が音信不通になったことを知っているのは、恐らく『クレイドル』で起きてから、紅葉が玄二に事情を話したのだろう。

 煌と現実世界でも知り合いであったこと。そして、煌が突如いなくなったことを。


 紅葉からしてみれば、裏切りに近い行為だ。昼ごはんを一緒に食べる約束をしていたのに、それを勝手に反故にされたことになる。


 煌は紅葉の顔を見る。

 その顔には、怒気が一切感じられなかった。不安そうな顔をして、じっと煌を見つめている。


 本来なら、音信不通なことを怒ってもいいはずだ。だが、紅葉は怒っていない。ただ、煌の安否を気にしている。

 彼女はよく、自分のことを汚い人間だと呼称するが、そんなことはない。


 彼女は、本当に優しい人間なのだ。


「…すみません、連絡できなくて。今、俺は政府に対抗する組織に匿われています」

「…は?」

「…へ?」


 唐突のカミングアウトに、発言禁止のルールを破り、思わず声を出してしまう紅葉と、目を点にしている玄二。


「あ、身の安全は保証されてますので、心配しなくても大丈夫です」

「いやいやいやいやいや!何言ッてンだお前!?」

「(コクコクコクコクコクッ!?)」


 玄二の心境に同意するように、口を手で塞いで何度も頷く紅葉。

 これは普通の反応だろう。

 政府に対抗する組織。テログループなどを思い浮かべるのが普通だと思うが、それに『拉致された』ではなく、『匿われている』と言ったのだ。困惑するのも無理はない。


「記憶が引き継がれていることは知っていますね。どこからか、それが政府に漏れました。それで政府に強制的に連行されそうになったところで、組織に助けられたんです」

「待て待て!そもそもなンで政府が出てきてンだ!しかも、その言い方だと政府が悪いみたいな―――」

「悪いも何も、悪夢ナイトメア症候群シンドロームの元凶ですよ。脳内マイクロデバイスを使って、若い年代の人間を『クレイドル』に引き込んでいるのは奴らです」

「……な」


 あまりの衝撃に言葉を出すのすら、ままならない玄二。そりゃそうだろう。自分達を守ってくれるはずの国家がそんなことをしていると知れば、ショックの一つや二つ受けて当然だ。


「…いや、待て。そりゃおかしいだろ」

「何がです?」

「―――


 玄二が指摘したのは、歴史上の矛盾。学校で誰もが習う内容。

 五十年前、悪夢ナイトメア症候群シンドロームを引き起こされた時、世界中で数多な死者が出た。その歯止めをかけるために作られたのが脳内マイクロデバイスだ。


「煌の話通り、脳内マイクロデバイスが『クレイドル』を作ッてンなら、最初に悪夢ナイトメア症候群シンドロームが起こった理由に説明がつかねぇ。


 そう。そうなのだ。

 脳内マイクロデバイスがつけられたのは、悪夢ナイトメア症候群シンドロームが発生した後。脳内マイクロデバイスが『クレイドル』を作っているのなら、初期に悪夢ナイトメア症候群シンドロームが起こっていた理由がないのだ。


 悪夢ナイトメア症候群シンドロームの発生については、今や小学生でも知っていることだ。いつかはその疑問点に気づいただろうとはいえ、聞いた直後に玄二がそれに気づいたのは、流石と言える。


「勿論、それに関しては俺とて説明を求めました。…あ、っていうのも、組織のリーダーから情報開示を受ける機会があって―――」

「それはいい。で、何でなンだ?」


 結論を急かす玄二に少し気圧されながらも、煌はゆっくりと答えだす。


「……なぜなのかは知らないそうです。ただ、政府が関わっていることだけ。それは俺が拉致されそうになった時、俺自身も確信してます。一説には、『自然災害として発生した悪夢ナイトメア症候群シンドロームを人間が制御するようになった』というのがある、と」

「自然災害…」

「他にも色々と説明を受けました。そうですね…笠原さんは、なぜ『クレイドル』内で死んだら現実世界でも死ぬか、知っていますか?」


 突拍子もない質問に目を丸くする、戸惑った様子の玄二。


「そりゃ、そういうルールだから…」

「…質問が悪かったですね。じゃあ変えます。

「―――!現実での、死因……!」


 例えばの話、『クレイドル』で刺殺されて死んだ人間が、現実世界でも刺されて死ぬのか。ベッドの上で、誰も刺してないのに刺されて死んでいる、なんてことが。

 当たり前だが、そんなことは起こらない。

 いかに技術が発達したといえ、そんなことが出来てしまったら、この世界は真の地獄と化す。


―――遠隔で、犯人が誰か分からないまま人を殺せるのだから。


「…心臓麻痺、とかか?」

「それもあります。組織の研究・調査によると、

 ・心臓麻痺 35%

 ・植物状態になる 22%

 ・ショック死 21%

 ・脳死 13%

 ・不明 8%

 だそうです」

「……あれ?残りの1%は?」

「お!更科さん、計算早いですね!」

「…話したくなるのは分かるが、紅葉は私語厳禁だ」

「うっ…ごめん…」


 ずっと会話が二人で進んでいた為、疎外感を感じさせてしまったかもしれない。「まぁまぁ」と玄二を宥めながら、煌は説明を続ける。


「残りの1%は、『行方不明』です。何故か、行方をくらましてしまうのだとか」

「…それは、元から戸籍とかに登録してなくて、生死の確認ができないからカウントしないって意味か?」

「そういうのは母数から引いていると。戸籍登録しない人間が死んでいる場合もあるので、悪夢ナイトメア症候群シンドロームでの死亡者は公的な記録よりもかなり多いそうです」

「そうだろうな。それに関しちゃ、ニュースとかの特集でも組まれてる内容だが…」


 何にせよ、死因が『行方不明』というのは、おかしな話だ。そもそも、それで「死んだ」ことにしているのが変なのだから。

 ちなみに、この悪夢ナイトメア症候群シンドロームの死因については国家の最高機密に属する情報らしく、叛逆軍が秘密裏に獲得したものだそうだ。死因の報告をしているのは政府なのだから、政府は一層きな臭いという訳である。


「それで……何で煌は誘拐されかけたンだ?拉致されかけたッて言ッてたよな」

「…俺が、『無職』で、現実世界でも記憶を引き継いでいるから」

「まさか、口封じか…!?」

「いや、殺しが目的じゃないらしい。政府にとっては、利用価値があるだとか何とか…」

「利用?…何に利用するンだ?」

「それは教えられませんでした。『まだ早い』って」

「ンだよ、それ。けちくせぇなぁ」

「あはは……」


 裏切りの可能性がある以上、仕方のないことなのだが、それをまた説明すると長くなると思い、煌は笑って誤魔化すのだった。




 ***




 幾度となく人形に遭遇し、避けながら進むこと約30分。

 未だ青ポータルすら発見できない煌達の精神は、既に摩耗しきっていた。

 体調不良に重なる、死の緊張が張り詰める、限界状態での長時間行動。並の人間なら発狂してしまうであろう状況だが、互いの存在を頼み綱にすることで何とか堪えてきた。


 しかし、こうもポータルが見つからないということは―――


「……やっぱり、アイツはポータルの位置を把握してるんだ」


 危惧していた可能性。

 道化師は、多数の人形を操る処刑人エクスキュージョナーだ。故に、その探索力はこちら側を遥かに上回る。ランダム生成されるポータルとはいえ、人形による人海戦術をされてしまえば位置は把握されてしまうだろう。

 人形達が巡回していたのは、煌達を探していた訳では無かった。

 あれは、巡回することで近くにあるポータルを守っていたのだ。ああしてしまえば、煌達はポータル容易に近づけなくなる。

 正しい判断だろう。煌達は現在三人。

 赤ポータルでも脱出できるのは二人なのだから、三人で強引に突貫しても一人が取り残される可能性がある。一体の人形ならまだしも、他の人形が集まってきていたらお終いだ。玄二であっても逃げ出せない。

 紫ポータルなら万事解決なのだが、紫ポータルはそもそもの数が少ないのだ。一か八かで行くにはリスクが高すぎる。


 つまり、赤、青、紫のどれであるかを視認させない限り、煌達は守られているポータルから脱出しようとはしない。

 一体だと力不足でも、煌達にとっては十分な牽制。セコムとしてきちんと機能するのだ。


 そんなことまで分かっているのなら、あの道化師の知能は他の処刑人エクスキュージョナーより高い、なんてもんじゃない。普通の人間の思考力すらも上回る知性だ。


(けど、そろそろ脱出しないとマズい……もう、みんなの気力がもたない)


 ちら、と後ろを見て二人の顔色を確認する煌。

 紅葉も玄二も額に汗玉を浮かべ、息を荒くしている。紅葉に至っては貧血だ。これ以上の行動は厳しく、現段階で道化師に襲われたら煌達はひとたまりもないはずだ。


 こうなれば、致し方ない。


 三人での脱出は諦める。煌は、内心でそう決断した。


 人形が巡回している場所に突っ込んで、紅葉だけでも脱出させる。赤ポータルでも、脱出するのは紅葉一人だ。煌と玄二は脱出せずに残り、他の赤ポータルを探す。この状況で一人での行動は危険すぎる。最低でも男二人は残るべきだ。

 無論、人形に一回見つかってしまったら、消耗した体力と精神力で奴らを振り切るのは至難の業だろう。それでも、このまま全員共倒れになるよりマシだ。


「…更科さん、聞いてください」

「…?何、煌君?」


 心配させないようにか、作り笑いを浮かべる紅葉。気丈に振舞っているが、その内心が疲弊しきっていることぐらい、煌にだって分かる。

 ギリ、と奥歯を噛みしめ、感情を押し殺す。


「今から人形が警備しているポータルに攻め込みます。紫なら全員で脱出しますが、赤か青なら更科さんだけ脱出して下さい」

「…えっ?」

「俺たち二人は残って他のポータルを探します。人形に追いかけられても構わないで脱出して下さい。その後のことは笠原さんと二人でなんとかします」

「ちょ、ちょっと待ってよ!私だけ脱出するなんて、そんなこと――」

「異論は認めません。これが現状を打開するのに最適な方法です」

「…っ、まだ私は戦える!そ、それに、治療能力だって…!」

「たかが注射器一つと包帯一個でしょう」

「たかが、って……」

「…まだ分からないんですか?」


 声のトーンを低くして、威圧するように紅葉に言う。

 今まで見たことない煌の様子に、怯えた表情をする紅葉。その顔を見て、煌の心が軋む音がする。


「更科さんを守りながら行動する方が遥かにリスクが高いんですよ。はっきり言って、足手纏いなんです。注射器があろうと、更科さんがいるせいで怪我するなら元も子もないんですから」

「ぅ、ぁ…」


 何も言い返せず、涙目になって黙り込んでしまう紅葉。


 違うんだ。更科さんは、何も悪くない。本当は一緒にいてくれて嬉しいんだ。感謝しているんだ。


 紅葉の悲しむ姿に、そんな言葉がつい出そうになる。


 それを、唇を血が出るほどに噛んで堪える煌。


―――揺れるな、夜野煌。


 耐えろ。感情を出すな。更科さんの為なんだ。


 今は、悪役になりきれ。



 煌が冷たくするのは、そうしたいからではない。

 冷たく言い放さなければ、紅葉はこの作戦を受け入れようとしないだろう。優しい性格だ、自分だけ逃げるなんてことは決して許さない。


 だから、説得より、突き放して脱出を強制させる方が今はいいのだ。


 煌の評価なんてものは後回し。彼女の安全が最優先だから。


「……わかっ、た。ごめんね」


 目を伏せる紅葉。

 謝る必要なんて、あるはずがない。

 今すぐにでも抱きしめたくなる衝動を抑え、煌は何も言わずに歩き出す。


 玄二は何も言わない。煌の考えを察してくれたのだろうか。煌が歩きを再開したのに続き、玄二も静かに歩き出した。


 重々しい空気が流れる中、そのは廊下の奥から聞こえて来る。


 歯が噛み合う音ではない。腹の底にまで響く重低音。


「これは…ポータルの音!」


 足音をできるだけ立てぬよう近づく煌達。

 煌達がいたのは、調度品などが並ぶ広間の、上の階。

 吹き抜けから下に見えたのが、赤の光を放つ球状の物体。重低音を出しながら空中に留まる物理法則を無視した物体は、内部でデジタル紋を蠢かせていた。

 周囲に人形の姿は見当たらない。道化師が見つけられなかったのか、はたまた巡回に出す人形が足りなかったのか。


「赤……じゃあ更科さん、お願いしますね」

「…うん」


 暗い顔色で頷く紅葉を、煌は見ることすらしない。下の階に降りるには、横の階段を使わなければいけないらしい。一旦、広間からは出る形になるが、それも仕方あるまい。

 三人か階段に向かおうとした時、背後から新たな音が聞こえる。

 カタカタ、という聞き飽きた音。それは、人形の襲来を指し示していた。


「―――ッ!急げッ!」


 玄二の大声を契機に、階段を駆け降りる煌達。足音は気にしない。どうせバレているのなら今更だろう。

 階段は思った通り、部屋の外を通じて下の階へと繋がっていた。階段を駆け降り、急いで赤ポータルへと向かう三人。


 だが、そうは問屋が下さなかった。



 階段から出た煌達の目の前にいたのは、



『―――ケヒヒッ』



 口を裂けんばかりに吊り上げて、道化師は獲物の到来を喜んでいた。

 先程は見当たらなかったはずだ。どこか物陰に隠れていたのだろう。ジャックナイフをクルクルと回しながら、余裕の笑みを見せる道化師。

 煌達の行動など読み切っている、とでも言わんばかりの態度に、玄二は悪態をつく。


「クソがッ!紅葉、赤ポータルにさッさと行け!アイツは俺の反射能力で怯ませる!」

「ッ、うん!幸運を祈る!」


 前門の道化師、後門の人形。されど、進むべき道は一つ。

 叫び声を上げ、目の前の道化師へと突貫する玄二。無論、『克己殉公』を発動させながらの突進だ。道化師が跳ね返そうと思っても、その勢いは容易には消せまい。


 しかし。

 突っ込んでいった玄二に、煌は大声を出して注意する。



「―――ッ!笠原さんッッッ!



 玄二に迫っていたのは、上から降って来る人形。


 


 玄二の反射能力は一回こっきり。

 その貴重な反射の能力は、落ちてきた人形に使われてしまう。


 キィン!と音が広間に響き、玄二の反射能力は回数切れとなった。


「しまっ――!」

『ケヒッ!』


 道化師を怯ませることのできる能力を、意識外から迫る囮を使って無くさせた。


 そして、目の前にやってきた、能力を何も持たない鴨を、みすみす見逃す道化師ではない。



 ナイフが煌めき、一閃。



 それとほぼ同時に、玄二の体からは、鮮血が舞い散った。



「か、ふっ」



 肺に溜まった血を吐く玄二。


 ナイフによって肩から腰にかけて大きく裂かれ、それは見るからに重傷だった。裂かれた腹から、内臓が見えてしまっている。

 傷跡から噴出した血で雨を降らせる玄二に、追い討ちをかけるようにして道化師が近づく。



「笠原さんッッッ!!」



 赤ポータルに向かっていた紅葉の足が、悲鳴に近い煌の叫び声を聞いて、足を止める。


 が、次に響いたのは玄二の声。


「―――止まるなぁ、紅葉ァッ!!」


 腹から絞り出した声だった。肺に血が溜まり、口から血を吐き出しながら、しかしそうとは思えない程に響き渡る声で。


 このままいけば、玄二は道化師に刺されて死ぬか、失血死で死ぬ。

 それでも、玄二は紅葉を送り出した。


「――ッ!」


 何か言いかけた口を止め、再び赤ポータルへと走り出す紅葉。

 道化師の紅葉への攻撃は間に合わない。紅葉がポータルに触れる方が早い。




 カシャァンッ!




―――重ね合わせた薄い水晶が壊れたような音が、広間に響いた。

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