第十七揺 邂逅


「…一応聞いとくぜ。成功の可能性は?」


 悪辣極まる人形達を葬る方法、それを考えついたと豪語する煌に、確認の意味で、しかして期待に胸を膨らませて玄二が尋ねる。

 煌は多くは語らない。だが、たった一言。


「五分五分です」


 それだけ聞くと、玄二は唇の端をニィッと吊り上げ、煌の背中を叩く。


「充分、だな」

「――はい」


 紅葉が無言で頷くのを見て、作戦実行が決定したのを確認する。今も後方から人形達は迫ってきている。作戦内容を詳しく伝える時間はないので、指示は最低限。


「この廊下を抜けた先はサーカスになっています。更科さんは梯子を登って、空中ブランコのところまで着いたら大声で合図を。笠原さんは……すみません、今の俺だと囮役が機能するか怪しいので、俺と一緒に行動して下さい」

「紅葉が梯子を登り切るまでの時間稼ぎ、だな?」

「…話が早くて助かります。それじゃあ、頼みました!」


 紅葉は廊下を先行してサーカスを目指すが、煌と玄二はその場に残る。人形を確実に引きつけるためだ。


―――カタカタ。


「来た……!」

「どこに逃げる、煌!」

「ついてきて下さい!」


 人形から逃げるようにして、紅葉と時間差で廊下を走り出す煌達。それを追う人形達の数は、どんどんと増えていく。木製のボール関節をせわしなく動かすことで発生する異音が、煌達の神経を逆撫でする。あまり長く聞いていたくない音だ。


「その先のドアです!あれを開けて下さい!」

「任せろッ!」


 金属製の扉を筋力2倍の脚力で蹴り上げると、重々しい音と共に、それらが姿を現す。


「な、なんだこりゃあ……拷問部屋かァ…?」

「趣味が悪いのは否定しませんが、今は後回しです。ドアを閉めて下さい。扉が重いので、奴らが開けるまで時間稼ぎができます」


 ゴォン、と音を立てて扉を閉めると、煌達の姿は人形達から見えなくなる。

 それでも、その扉の先に煌達がいるのが分かっているのだから、人形達がガリガリという音を立てながら扉を開けようとするのは、おかしなことではない。


「さぁ、今のうちに隠れますよ!」

「隠れるッて……隠れる場所なんて何処にも……」

「あるじゃないですか、部屋の中央にドカンと」


 ニヤリと笑いながら、部屋の中央に居座る拷問器具を指さす煌。流石の玄二とて、顔を引き攣らせながら煌を見つめた。


「……マジ?」



 人形達がやっとの思いで金属製の扉を押し開ける。

 この部屋には、この扉を使う以外に部屋から出る手段はない。隠れる場所が無い拷問部屋では逃げ切るのは至難の業。人形達によって扉が占拠された今、煌達は完全に袋の鼠であり、逃げ場のない哀れな獲物。


 そのはずだったのに。


『……?』


 人形達は何処を探しても見当たらない煌達の姿に困惑しながら、部屋中を歩き回る。三角馬の下、磔台の周り、電気椅子の陰。隈なく探しているはずだが、痕跡の一つすら無いのだ。

 それもそのはず。

 人形達の知能では、


(しッかし驚いたぜ……まさか、この中に入るとはな……)


 煌達がいるのは、ある拷問器具の中。

 この世でギロチンに並ぶレベルで有名な、あの悪趣味な拷問器具だ。


 ―――その名も、鉄の処女アイアンメイデン


 内側に多くの鉄針をつけた、恐ろしい拷問器具だ。


 普通ならば、その中に入って扉を閉じれば中で串刺しになる。だが、どういうわけか、そのアイアンメイデンの内側には鉄針がついていなかった。


(これ、どうなッてんだ?俺の知識じゃ、アイアンメイデンの中は針が入ッてたと思うんだが……)

(そうでしょうね。一般的にはそう知られていますが…それはアイアンメイデンの本当の姿じゃないんですよ)


 一般認識では、アイアンメイデンは中にいる人間を串刺しにするための拷問器具だと思っている人が多い。


 だが、それは間違い。


 本当の使用方法は、『不貞を犯した女性を中に入れたまま家の前の道端に放置し、その家の妻が不貞を働いたことを周囲に晒す』というものだ。

 つまり、厳密に言えばアイアンメイデンは死罪の為のものではなく、羞恥刑の為に作られている。中に針など入っていないのが実際のところなのだ。


 中の剣山は、後の創作。現実で処刑器具として使われた記録すら存在してないのである。


 最初に煌がこの部屋で目覚めた時、アイアンメイデンの中が僅かに空いた扉から見えていた。針の金属光沢が見当たらないのを確認して、それが「正しいアイアンメイデン」であることを理解したのだ。


 この中に入ってから5分ほど。窒息しないように少し開けた扉の隙間から外を覗き見る。まだ人形達は煌達の所在に気づいていないが、この部屋から去る気配は感じない。いや、去られると囮役の意味がなくなるので困るのだが。


(あと、あんまり声を出さないで下さいね。音を聞かれると……笠原さん?)

(……わぁ、わるい……さっきから、おまえのかみで鼻がぁ……へぁ……)


 鼻をムズムズさせている玄二を見て、冷や汗を流す煌。


(……嘘でしょ?!耐えて、耐えて下さい!)

(…へぁ……むりぃ……あ、でる)


―――ヘッグショイッッッ!


 アイアンメイデンから聞こえた、玄二のくしゃみの声。その音に人形達がゆっくりと反応する。


(なにやってんですかッ!!マジで逃げ場無いんですよ!?)

(すまンて!てか、しょうがないだろうが!お前の髪のせいだから!頭丸めて坊主にしやがれ畜生!)

(こ、この男ッ!!言うに欠いて開き直りやがった!?)


 小声で言い争いをする二人に、着実に人形の魔の手が迫る。


(……っ、こうなったら仕方ない!合図で一斉に飛び出します!ある程度の怪我は我慢して下さい!)

(やむを得ないな……分かった。カウントダウンするぞ)


 一歩、人形が迫る。


(……3)


 また一歩、人形が進む。


(……2)


 その手が、扉に伸ばされる。


(……1)


 人形が扉を開けようとした。


「―――今ッッッ!」


 玄二が扉を蹴破り、飛び出そうとした、その時。



「準備できたよ、煌くーーーーん!」



 紅葉の大声が廊下に木霊する。

 それを聴くと同時、人形達の動きがビタリと止まる。

 今までにない俊敏さで部屋を出て行くと、部屋に残されたのは煌と玄二の二人だけ。

 扉を蹴破るポーズで静止した煌と玄二は顔を見合わせる。


「「……行こうか」」


 勢いが完全に空振りしてしまった虚しさを抱えて、二人は静かに歩き出した。




 ***




「更科さん、大丈夫ですか!」

「あ、煌君!うん、大丈夫!」


 サーカス会場に着くと、そこはかなりおぞましい光景になっていた。

 空中ブランコがあるのはサーカスの舞台の中央。上から紅葉の声が聞こえたからだろう。人形達も中央に集まり、紅葉に食らいつこうと必死だ。

 無論、その攻撃が紅葉に届くことはない。なんせ、地上7メートルはゆうにあるのだ。いくら集まろうが、7メートルも跳べるはずもないし、奴らには積み上がるという発想もない。とにかく中央に集まり、上へ上へと行こうとしているだけの、人形団子の完成だ。

 奇音を立てながらワシャワシャとうごめく姿は、かなり気持ち悪い。

 側から見ると、その光景は『池で餌を求めて口をパクパクさせながら集まる鯉の群れ』に近いものがあった。


「……思った以上に気持ち悪いけど、この状況は予想通りだ」


 ちなみに、紅葉がいるのは空中ブランコの上だが、その手はしっかりと通路の柵に掴まっている。空中ブランコに乗るための通路だろうか。かなりの高さだが少しもビビっていないのは、流石と言わざるを得ない。


「煌君、これからどうすればいい?」

「そのまま何でもいいので大声を出し続けてください!多分、コイツらに視力はありません!対象を音で判断してます!」


 そう。よくよく考えれば、人形に目らしいものはついていない。それでも、人形達は普通に煌達を感知していたので、そんなものかと受け入れていた。


 初めて「その事」に気付いたのは、階段で玄二が襲われた時。

 発声を禁じられていた紅葉は「被虐体質」を発動させることなく、人形のターゲットにならなかった。代わりに、狙われたのは最も近くにいた玄二。


 あれは、と考えれば辻褄が合うのだ。


「姿は見えないけど声は聞こえる……そりゃ、こういう状態になるよな」

「やーい、こっち見ろー!えーと……アホー!マヌケー!おたんこなすー!」

「……罵声が可愛いな」

「言ッてる場合か!イチャつくのは後だろうが!次は何すンだ!」

「え!?えっと……笠原さんも梯子を登って上まで行ってください。あ、布は置いていっていいですよ」

「…この布、何用だ?」


 肩に担いだ巨大な白布を置いて、ポキと首を鳴らす玄二。

 白布は、拷問部屋にあった物を持ってきた。拷問器具の一つにかかっていた物だ。


「奴らを倒す過程で使います。とりあえず、上に」

「…ま、お前がそう言うなら、そうなンだろうな」


 煌に背を向け、手をヒラヒラとさせて梯子へ向かう玄二。その間に煌は作業に取り掛かった。

 白布を人形達全体を包み込むように巻いて縛り上げる。「被虐体質」の効果は凄まじく、作業している煌には一切ヘイトが向けられなかったので、楽に作業が出来たのだった。

 結果、中で何かがうごめく気持ち悪い白布生物が完成する。


「本当、気持ち悪いな、こいつら……!」

「着いたぞ、煌!次は何すればいい!」

「次は反射能力使いながら人形に向かって飛び降りて下さい」

「分かッ…………今なんて?」

「飛び降りて下さい!」

「おまッ……こんな高さから落ちたら、いくら身体機能が上がッててもタダじゃすまねぇぞ!?あれか?!クシャミのこと怒ッてンのか!?」

「違いますから!信頼して下さい、大丈夫です!」


 煌の爆弾発言に戦慄わななく玄二を説得する煌。クシャミの件は後で言及するとして、今は気にしている場合ではない。

 暫く唸っていた玄二だが、覚悟を決めたように柵から乗り出す。反射能力を起動させながら、ドロップキックに近い体勢で、白布に包まれた人形に迫り。


「『克己殉公』―――ッッッ!」


 その足先が白布に触れるが、布は柔らかい故に反射能力は働かない。働くのは、その先。白布に包まれた人形の方だ。

 玄二の落下エネルギーが反射能力によって倍増される。そのエネルギーの行き先は外ではなく、内側で完結した。


 なぜなら、玄二と接触している白布には、『保存する能力』が働くからだ。

 布はたちまち堅固な檻と化し、エネルギーの行き場を失わせたのだった。


 内部で吹き荒れるエネルギーによって人形同士が破壊される。

 前回のような白光を発することはなく、粉塵を巻き上げて、中の人形達は砕けていった。




 ***




「いッてぇ……けど、思ったほど怪我してねぇな」

「そりゃそうです。実際には、大体2メートルぐらいの高さから落ちたみたいなもんですし」


 白布で覆われた人形の山から降り、腰をさする玄二に煌は近づく。その煌の発言に、怪訝そうな顔をする玄二。


「どういうことだ?」

「笠原さんの反射は、発動する際に自分の位置を固定しますよね。反射の性能上、必要な能力なんですが……今回は人形に触れた時点で能力が発動して、位置が固定されます。この時点で落下のエネルギーは全て人形達に行くので、実際は人形と接触した位置においての高低差分しかダメージが来ないわけです」

「な、なるほど……?」


 つらつらと説明してみたものの、玄二には理解が少し難しかったらしい。頭を捻らせながら目を泳がせている玄二を横目に、煌は紅葉のいる空中ブランコを見上げる。

 大声を出して喉を酷使していたか、少し咳き込んでいるように見えるが、大方は大丈夫そうだ、


「さて、あとは…死亡確認か」


 人形が布の中で壊れた時、前回のような眩ゆい光は発生しなかった。今も動いていないのだから、恐らくは死んでいると思うのだが。

 腰が引けた状態で、足先を使って布を蹴り上げ、中を確認する。

 ビクビクしながら覗き込むと、中の人形達は全て木っ端微塵になっていた。残っている木片は大きくても拳大。

 こうしてみると、反射能力の有用さを実感してしまう。

 同時に、煌の無力さも―――


「…いや、考えるな。更科さんに叱られる」


 頭を降り、生まれた思考をかき消す。今はそんな下らないことを考える暇はない。一分一秒を脱出の為に使うべきだ。


 次にすべきことは、おそらくポータル探しだ。

 この作戦を再び実行しようにも、残っている反射能力の回数は一回。人形が何体いるかは分からないのだから、ここで人形殺しに力を入れようが、結局は人形が残っている可能性の方が高い。百体いるとかは考えたくないが、最悪のパターンは想定すべきだ。

 と、なると、反射能力は逃げるのに使いたい。紅葉を庇いながら行動しなければならない以上、唯一の戦闘スキルは取っておきたいのが現状だ。

 結論として、今すべきなのは一刻も早く脱出すること。

 音子には申し訳ないが、この相手では捜索する暇もない。


「……決まり、だな。それじゃ、二人に声かけを―――」



―――違和感。



 …なんだ。

 胸の底で、拭いきれない不快感がある。


 


 人形が複数体いると気づいた時もそうだったが、この手の悪い予感は、煌においてはよく当たる。


 周囲を見渡し、違和感の根源を探す。

 それを見つけるまでは、煌は行動しない。行動してはいけない。二人をこれ以上、危険には晒さない。


 なんだ。探せ。何か忘れていることがある。何か見落としていることがある。

 限界まで集中した視界を張り巡らせた時。


―――違和感を、感じた。


 視界の端に映った光景。


 人形の残骸が詰まった、白い布の中。


『すぐに死体は黒い塵になって消えたんだけど』


 あの美しき硝子の間でそう言ったのは、紅葉だったか。


 反射能力で殺された処刑人エクスキュージョナーは黒い塵になって消える。


 そのはずだ。



「―――



 人形達が死んでいる。それは確かだ。

 けれど、消えていない。


 処刑人エクスキュージョナーのメカニズムが違う?そもそも異なるルールがここでは存在している?

 可能性はあった。だが、煌の直感がそれを否定する。


 結論を言おう。



―――あれは、処刑人エクスキュージョナーじゃない。



「―――ッッッ!!更科さん、笠原さん!すぐにこの場を離れて――」


 危険信号を身体中から感じ、煌が二人に警戒を呼びかけようとした時、『それ』に気づく。



 パン、パン、パン。



 拍手の音がサーカス会場に鳴り響く。


 紅葉も。玄二も。煌も。

 全員が、その存在から目を離すことができない。


 サーカス会場への三つの出入り口。その中央に立っていたのは、一人の『道化師』。


 ピンクと黒のストライプの服装をした、体のバランスが歪な道化師。でっぷりと太ったボディに対して、脚が細すぎるのだ。

 道化化粧の向こう側では、気味の悪いニヤケ顔を浮かべており、その目は鈍い黄色の光を放っている。


 そして、もっと異質なものがある。


 パン、パン、パン。


 ずっと、道化師は拍手をしているのだ。

 ソイツは、煌達の運命への抵抗を、

 ソイツには、相手の行動を賞賛するだけの『知能』がある、ということ。


 そこにいる三人のプレイヤー全員が、その危険性を肌で感じとっていた。

 早く逃げるべきだ。そう分かっているのに、体はすくんで動かない。

 身体中に冷たい血が流れているような感覚がする。汗腺からは冷や汗が溢れ出て、歯は静かに震え出す。


―――間違いない。

 煌は内心で確信する。

 奴が処刑人エクスキュージョナーだということを。

 そして、あの人形達は、を。


 あまりの異質さ。形容できない気味の悪さに、紅葉は耐えきることが出来なかった。


「ぅ、ぁ」


 無意識のうちに口から出てしまった声を、誰が責めることが出来るだろう。


「……ッ、更科さん!喋っちゃダメだ!」


 時すでに遅し。

 道化師は口元を吊り上げ、紅葉の姿を見据える。


 煌達が気づいた時には、紅葉の体には、道化師の投擲したジャックナイフが突き刺さっていた。


「ぉ、ぶ」


 ナイフによって内臓を損傷したらしい。口から血を吐き、よろめいて、ブランコから滑り落ちる紅葉。


「更科さんッ!」


 スライディングで紅葉の体を地上に激突する寸前のところで救出する煌。腕にかかる重力と痛みに、顔を一瞬歪めた煌だったが、奥歯を噛み締めて、それを堪える。


「笠原さん!逃げます!あいつには、絶対に勝てない……!」

「―――ぁ、あぁ!」


 体が硬直していた玄二が意識を取り戻し、玄二は紅葉の体を担いで、その場を後にした。


「追ってこない…!」


 被虐体質持ちの紅葉を、死に物狂いで追ってこない。

 何よりも異質な状況に陥り、煌の脳内は恐怖で埋め尽くされる。


 人形に加えて、あの処刑人エクスキュージョナーからも逃げねばならない、絶望。


―――そして、彼ら三人の、死と隣り合わせの逃避行が始まる。

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