第十六揺 螺旋避行
―――カタカタ。
「どう、すれば…」
絶望的な戦力差に絶望し、頭の中が真っ白になる。
何も考えられない。こうしている間にも背後から人形は迫ってきているというのに、脳は働かない。
どうする。どうすれば―――
「ッ、呆けるな!逃げるしかねぇだろ!」
「……っ、あぁ!」
玄二の怒号で意識を取り戻す。
そうだ。
煌にできるのは、考えることだけ。それだけが、周りより、自分ができること。
(考えを止めるな!状況を見ろ!)
まずは、敵の情報を整理する。
目に見える限り、螺旋階段にいるのが7体、タイルの上にいるのが4体。
廊下に比べれば明るいにしても、フロア全体はやや暗め。隠れている個体がいるかもしれないが、個体数は11体とする。
螺旋階段の数は10本、柵がついた黒を基調としたものだ。すべてが天井に伸びているが、その先が一つの部屋に繋がっているのか、はたまた分かれているのかは不明。天井までの距離は約10メートル。かなり長い。
この部屋には螺旋階段の他に出口はない。この状況を打破するには、螺旋階段を上るしかないだろう。
人形と煌達の位置関係、螺旋階段を上る体力を鑑みるに、ベストの選択肢は。
「一番右奥の螺旋階段の一個手前!そこを上ります!」
「遠いな!一番近くのやつじゃダメなのか?!」
「上のフロアが部屋に分かれてなかった場合、階段にいる人形が上の部屋を通って挟み撃ちしてくる可能性があります!だったら、下を走って人形のヘイトを下に向けさせて、全個体を地面に降ろさせた方が確実です!」
理由はそれだけではない。
この空間は縦にも横にも広い構造をしている。つまり、この部屋にいる時は、全方向に対して注意を向けねばならず、隙が生じやすくなるのだ。
螺旋階段の上から攻撃されるのを防ぐために、あえてルート上に人形のいる階段が少ないものを選んだ。人形を下に降ろす且つ注意の方向を平面にするため、最適な目標地点がそこだった――というわけだ。
「なるほどな、考えるじゃねぇか……!」
「ヘイト分散のために二手に分かれます!笠原さんは更科さんを守りながら、俺は一人で別々に目指します!あと、反射の使用は1回に抑えてください!」
「分かッた!念の為だ、紅葉は声出すなよ!」
「……(ぐっ!)」
被虐体質の発動を極力抑えるためだろう、紅葉に発声を禁止する玄二に、紅葉は口を押さえて親指を立てる。
「そンじゃ、作戦開始だ!」
玄二達は右から、煌は左から。玄二の号令を合図に、煌達は二手に分かれて走り出す。
目標の螺旋階段を目指し、全力で疾駆する煌。
他の螺旋階段からはできるだけ離れて走る煌に対し、人形達は歯音を鳴らして追いかけてくる。
煌達を先程から追いかけてきた人形も煌に追随。螺旋階段の柵を乗り越え、上方から飛びかかってきたのが二体。
「けど、回避は出来る!」
スピードを上げることで攻撃を回避。煌に攻撃をかわされた二体の人形は、ガシャン、と地面に激突した。
「今のところは順調っ…だけどっ…更科さん達は…?」
息を切らしながら、煌は二人のいる方向を見る。
女子の紅葉を心配していた煌だったが、杞憂だったようだ。
煌とは踏んできた場数が違う彼女達は、人形に追いつかれることなく走れている。
紅葉の横方向から一体、人形が地面スレスレを跳躍し、その脚を噛み切らんと迫った。が、紅葉はそれをノールックでジャンプして回避。なんなら人形の体を土台にして行った。流石と言わざるを得ない。
煌は『クレイドル』の中で忘れかけていたが、紅葉は元々運動神経が良い。男子に劣るのは体力だけで、それも筋力補正の能力で強化されている今、彼女に心配は無用であろう。なんなら、煌より運動できる説すら浮上する。
「それはそれで何か複雑……けど、無事で良かった――って、いいっ!?」
紅葉の逞しい姿を見てホッとしていた隙を突き、前方から二体の人形が飛びかかってくる。完全に油断しており、その歯は今にも煌の頭を噛み砕こうとしていた。
「うぉぉぉぉお!?」
咄嗟の行動で、スライディングをする煌。
それが功を奏したのか、煌は二体の攻撃の奇跡的な回避に成功。自身の目の前を人形の体が通り過ぎていく光景は、中々に圧巻であった。
「あ、危なかった…!」
未だに大きく胸を打っている心臓を押さえながら、煌は後ろを振り向く。
追いかけてきているのは6体。前方に残りの人形は確認できなかったので、煌にヘイトを向けてきたのはこれが全部のはずだ。
今のところ、玄二が反射能力を発動させた音も聴こえてこない。反射能力の回数を温存できたのは嬉しい誤算だ。
あの絶望的な状況から、ここまでの打開を見せた。
それだけでも充分に賞賛に値するとは思うが、まだ終わりでは無い。
「煌!早く来い!」
先に着いていた玄二が煌を呼ぶ。紅葉は既に螺旋階段を登り始めていた。
「わかっ、てるけどっ…!くそ、体力もたない!」
先程のスライディングもそうだが、煌は煌でかなりの体力を消費している。ここから螺旋階段を登るとなると、体力が尽きるのも時間の問題。そうすれば、人形達の餌になるのは目に見えている。
「なら、これだ!煌、
「はぁ!?何言って―――」
飛び乗る、というワードに困惑する煌だが、玄二の姿勢を見て察する。
玄二は重心を落とした中腰状態で、両手で受け皿を作っていた。
「マジか……!いや、やるしかない!」
ぶっつけ本番。
煌は玄二の前で跳躍し、片足を玄二の手に乗せる。
「オラァァァァァァァァァァッッッ!!」
野太い掛け声と共に、
筋力2倍の性能により、煌の体は上空へと跳ね上げられたのだ。
「あああああああああああああああああっ!?」
煌は悲鳴を上げながら空中を舞う。
空中での浮遊感と体幹のブレとで一種の混乱状態に陥ったが、なんとか螺旋階段に足をつけ、勢いそのままに盛大に転んだ。
「いたた……体めっちゃ痛いけど、これなら…!」
玄二の
肝は冷えたが、効果はあった。
大幅に人形と距離を離すことに成功したため、螺旋階段を登り切るまでは人形に追い付かれることはないだろう。あれだけの筋力量と走力を持つ玄二なので、彼も階段で人形に追いつかれることはないはずだ。まさに、玄二のファインプレー。
玄二の協力により得たハンデを無駄にしないために、煌はすぐに階段を駆け上がり始めた。
螺旋階段の終わりまで、あと6メートル。ここまできたら、あともうひと踏ん張りだ。
と、煌の前方に紅葉の背中が見えた。
「更科さん!」
「あ、こうく………(ブンブン!)」
紅葉は追いついてきた煌の姿に声を上げかけるが、禁止令を思い出したのか、代わりに手を大きく振る。
「可愛い…じゃない、笠原さんは後で遅れてくる!先に行こう!」
「(ぐっ)」
「いや、もう追いついた」
「え、速っ!?」
「(ぎょっ!?)」
早くも煌達に追いついた玄二に驚く煌と、両手を上げて反応する紅葉。
玄二の走力には顔負けだが、ともあれ、順調にことは進んだ。あとは、螺旋階段を上るだけ。
「あと3メートルくらいか…?」
「だろうな。さッさと行くぞ」
煌と紅葉が頷き、一歩を踏み出そうとした時だった。
―――カタカタ。
「な…?!」
「今のは…!?クソ、どこからだ!」
特徴的な歯音が響き、警戒を強める煌達。
歯音が聞こえた方向。それは―――
「横だ!」
煌が見たのは、柵の向こう、上の階段から覗き込む形で現れた一体の人形。
その人形は柵に指を絡め、玄二に襲い掛かった。
「――ッ!『克己殉公』ッッッ!!」
頭を噛み砕かれる寸前、反射能力を発動させる玄二。
キィィィン、と重ね合わせたような金属音が響き、人形は弾かれて一つ上の階段に衝突する。
「すまん、温存してたのに使ッちまッた!」
「いや、正しい判断です!今のうちに―――」
謝る玄二をフォローする一方で、煌は人形の硬直時間を利用し、先に進もうとする。
が。
―――グチッ。
「……ぇ?」
体が引き止められると同時に、奇音が背後から聞こえた。
振り返り、その正体を知る。
玄二が弾き返した人形。
その人形が、煌の足首に噛み付いていた。
「あがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああッッッ!?」
肉を抉られる想像を絶する激痛に、煌は喉を振り絞るような絶叫を上げる。
反射され、階段に激突した人形は、結果的に煌の後ろに着地していた。前回、反射の反動が長かったのは、単に鴉頭の
しかし、身を焦がす痛覚の中にある煌にとって、そんなことを考えている暇はない。
血管が千切られ、血が噴出する。
腱が噛み切られ、肉がはみ出る。
骨を砕かれ、神経を嬲られる。
獲物の足首を噛み切らんとする人形は、今もノコギリのように歯を食い込ませ、煌を地獄の底に叩き落としていた。
「……ぁ」
「煌ッッッ!!」
紅葉が絶句し顔面蒼白になる中、玄二が煌の状態に気づいて駆け寄り、人形の頭を掴む。
だが、人形の噛む力はかなり強く、筋力2倍を以ってしても容易には取り外せない。
「このッ……とッとと離しやがれ!」
「かさ、はらさん…!」
「煌、待ッてろ!今外してやるからな!」
時間を掛ければ人形達に追いつかれる。
それを念頭においていた煌は、『その選択肢』を早くも選んだ。
玄二のお陰で噛む力が緩み、僅かながらの余裕が出来た煌は、脂まみれの顔で玄二に弱々しく言う。
「笠原さん…
「…は?逆ッ……て、お前ッ、正気か!?」
「このままじゃ、追いつかれて全員死にます…なら、合理的に考えて、それが最善ですっ…」
「でも、お前……あぁッ、クソ!分かッたよ!紅葉、『注射器』の準備しろ!」
玄二は情に熱い人間だが、考えなしではない。
玄二にとっても、それが正論であると理解したから、煌の提案を受け入れたのだ。
小さく息を吐いて、手の位置をずらす玄二。
「……歯ァ、食いしばれよ」
そう言い残すと、玄二は人形の頭を
グチン。
肉と骨が完全に切り離される音がして、
口を開くのには時間がかかる。
ならば、
筋力2倍に、人形の噛む力。
それらが合わされば、人間の足首を切り落とすなど雑作もない。
実際、足首を代償に煌は体の自由を得た。
が、課される更なる代償も、また重い。
「〜〜〜ッッッ!!」
声にならない悲鳴を上げ、無くなった右足を押さえて転がる煌。
先程まで普通についていた足が無くなる喪失感は、大きな不快感として脳に刻み込まれる。足を失うのは2回目だが、慣れることは一切ない。
「このッ……吹っ飛びやがれッ!」
煌の足首を咀嚼する人形の足を掴み、柵の向こうへと放り投げる玄二。
人形は手足をばたつかせて、歪な軌道を描きながら地に落ちていった。
「紅葉!注射器を!」
「(コクンッ!)」
すかさず注射器を顕現させ、煌の右足首に刺す紅葉。
中に入っていた緑色の液体がどんどんと注ぎ込まれていき、やがて煌の足首が光に包まれる。光は徐々に形を得て、元の足首に戻っていった。
その光景は、こんな状況でなければ幻想的だと称賛していただろうものだ。
「煌!大丈夫か!」
「ケホッ…だいっ、じょうぶです……まだ、違和感は残りますけど…早くしないと、人形が来る…」
「分かッてる!首に掴まれ、そッちの方が今は早ぇ!」
「ありがとう、ございます…」
かすれる声で会話する煌だが、そこには覇気が感じられない。流石に弱りきってしまっている。
「とにかくだ!階段登り切るぞ!」
揺れる玄二の背中の上で、煌は麻痺している頭を必死に働かせる。
(あの時、なんで、
思い出していたのは、玄二が人形に襲われた時のこと。
階上から覗き込んできた人形は、真っ先に玄二に飛びかかった。
おかしな話ではないか。
鴉頭の怪物だって、紅葉を視界に捉えた瞬間、雄叫びを上げて紅葉に襲い掛かってきた。
なのに、今回は紅葉をターゲットにしなかった。
(被虐体質は全員に効くわけではない…?いや、でも西条さんはそう言ってなかった)
ならば、被虐体質には発動条件がある?
もしくは、
上から追加でくる個体がいない為、上の階には既に人形はいないのだろう。そう、思いたい。
「登り切ッた!次のフロアだぞ!」
涙で霞む視界の中、煌はその場所を見る。
大して大きな部屋ではない。特徴的なのは、黒い鉄の扉くらい――
「――…ぁ」
煌は、その扉を見たことがあった。
それは、最初に煌が開けた扉。
拷問器具が並んだ部屋にあった扉と、全く同じ形のものだ。
「もう下ろしてもらって大丈夫です…笠原さん…扉を、開けて下さい」
「あ?あァ、良いけどよ…」
玄二が押すと、そこは大きな弧を描いた廊下だった。
「やっぱり、同じ場所…一周回って帰ってきたのか…」
「こッからどうする?どこかに隠れるか?」
「そうですね…更科さんはどう思いますか?」
「……(ブンブン)」
「あ、声出せないんでした、ね……」
―――声?
「……まさか、そういうことか?」
人形が玄二を狙った理由。
もし本当に
「…煌?時間はあんまねぇぞ?」
突然黙り込む煌を不審に思ったのか、早急な判断を迫る玄二。
「……できる、かも」
煌の頭。
その中では、不可解だった謎のピースがどんどん埋まっていき、ある一つの形をなそうとしている。
「……! おいおい…!」
煌の発言に感じるところがあったのか、玄二の口調が一気に明るくなる。
そう、玄二は感じ取っていた。
煌が、何を考えているのかを。
玩具を目の前に差し出された子供のように、玄二は『その時』に目を輝かせる。
―――煌が一発逆転の機を考え出す、その時に。
「そうですね、時間はないです。なので、説明は省かせてもらいます」
冷静に、しかして笑みを浮かべ、煌は提案をする。
「あいつらに、一矢報いましょう―――そのための方法なら、考えつきました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます