第十四揺 Welcome back to CRADLE
『Welcome to CRADLE』
―――ひび割れた声が、脳内に響いた。
「…ぅ、ん」
ひび割れたノイズ音が脳内に直接流れ、それを機に意識が呼び戻される。
紅葉は起き上がって、
現実での記憶と、悪夢での記憶。
現実世界では『クレイドル』の記憶をもたない紅葉が、その存在を再び思い出し、確信する。
「…ここは、クレイドル、だね」
就寝した記憶、淀んだ空気、異界の景色。
それらを材料にして、紅葉は記憶の擦り合わせを行い、ここが忌むべき悪夢の世界であることと結論づけた。
だが、いつもと違う点がある。
「この部屋…見たことない」
暗くて分かりづらいが、床はピンクと黒のタイルだ。
壁はモルタルで出来ていて、光源が少ないために天井がどこまであるのか分からないが、とにかく高いのだけは分かった。
「違うステージってことなのかな…?皆はどう思う?」
背後を振り返って、意見の是非を聞く紅葉。
その時、気づいた。
「あれ…? ユメちゃんと音子は?」
周りを見渡すが、彼女らの姿はない。あるのは、いびきをかいて寝ている玄二の姿だけだ。
「おかしいな…ゲーム開始までは一緒にいるって約束なのに」
ゲーム開始を告げる鐘の合図。それが聞こえればゲームスタートとなり、
なぜか鐘の音がしても起きれない煌と違い、他のメンバーは鐘の音がする前に起きているものなのだが―――
「っ、そうだ! 煌君は……やっぱり、一緒にいない…!」
前回、紅葉達とはぐれてのスタートとなった煌。
それは偶然ではなかった。
彼の、『クレイドル』における特異性。
情報量が多くて一度に処理が出来ていなかったが、現実世界において、煌は信じられない特性を有していた。
「ッ! 煌君、
現実でも『クレイドル』での記憶を保有しているという、明らかな特異性。
『クレイドルって、知ってる?』
『お、覚えてない…何も…?』
『西条音子は?!笠原玄二は?!宮園夢莉は?!』
『あの…約束のことは…?』
「―――ッッッ! 私の、大バカぁっ…!」
煌の声がフラッシュバックして、拳を握りしめる紅葉。
事前に言うべきだった。
『クレイドル』の記憶は現実世界には引き継がれない。
そのルールは、言わずとも支障がないルールだ。
デスゲームとか、そのルールとか関係ない。どんなに説明されようが起きれば忘れるし、また戻ってくれば思い出す。記憶の説明についてはする必要が無いし、今までだって説明してこなかった。
その怠慢が、彼を傷つけたのだ。
紅葉が全てを覚えていないことを知った時の彼を思い出す。
彼の表情が。声色が。瞳が。
絶望に震えるようで。
再びの孤独に凍えるようで。
―――交わした約束すらも、忘れられて。
彼がどれほど苦しい思いをしたのか想像もつかない。
それでも、彼は現実世界の紅葉に『クレイドル』を伝えないことを選んだ。
―――現実世界の紅葉は、煌に救われていたのだ。
「そんなことも知らずに…私はのうのうと…!」
紅葉が煌との日々を無思慮に楽しんでいた中、煌はずっと孤独と戦っていた。彼の優しさに甘えて、自分勝手な考えばかりを持っていた。
現実の自分の愚かさを実感して、奥歯を噛み締める紅葉。
「私のバカっ…本当に、救えないバカだ…!」
無論、悪いのは紅葉ではない。
悪いのは、全て『クレイドル』だ。
だが、「完璧」を目指す少女にとって、自身の一番大切な人を傷つけていた事実は、何よりも重い。
「謝らないと…」
謝ったところで、赦されるわけでない。
―――この後悔すら、夢から醒めれば忘れるのだから。
「笠原君が起きるまでに、何か調べとかないと…」
立ち上がり、行動しようとした時。
「わっ!な、なに?!」
いきなり躓く紅葉。何かに引っかかったらしい。
「これは…窪み?なんでこんなところに…」
あったのは、タイルを砕いた破壊痕。円形に窪んだそれは、まるで
「まさかね…そんな凄い身体能力持った人なんていな…ひゃっ!」
しゃがんで分析していると、首筋に冷たいものが落ちてきた。水滴だろうか。
液体がついた部分に手を沿わせ、その正体を確認する。
それは、ぬめり気のある、赤い液体だった。
「……ぇ」
液体が何であるかを察し、頭上を見上げる紅葉。
目を凝らして、『それ』を確認して。
悪夢の世界に、少女の悲鳴が響いた。
***
『Welcome to CRADLE』
「――ッ!きた!」
何重にもエコーがかかった様な声を聞くと共に、煌の意識が覚醒する。
悪魔の到来を感知し、体はほぼ自動的に飛び起きた。
「まずは、状況の確認…!」
相変わらず、ゲームスタートを告げるという鐘の音は聞こえなかった。煌にとっては、これがデフォらしい。
鐘は聞こえなかったが、
「ここは…拷問部屋…?」
周囲を見渡すと、アイアンメイデン・三角馬・ファラリスの雄牛など、あちこちに有名な拷問器具が並べられているのが分かった。
他にも気づいたところがある。
―――床が石畳じゃない。ピンクと黒のタイルが敷き詰められている。
「前回は全部が石畳だった…つまり、別のステージ?」
前回のステージは産業革命期のヨーロッパの街だった。そのためか、地面は全て石畳で統一されていたし、街並みも石と木を組み合わせた家の住宅街が基本だった。
だが、この場所にそれは当てはまらない。
床は奇抜な色のタイル、壁はモルタルの部屋だ。明らかに毛色が違う。ステージが変わったと考えるべきだ。
なぜか。考えられる理由はある。
「前の
『クレイドル』のルールとして、「死亡したメンバーが二人以上でない限り、逃げる側の人間の構成は変わらない」というものがあった。今回も、メンバーは変わっていないはず。
「そうだ…スクリーンで確認を…」
手をすぼめて開く動作をすると、目の前に靄が発生した。そこには、『夜野煌 ♂』と表記する文字が浮かんでいる。
「これをスライドさせて…っと」
画面が切り替わり、味方の名前が連なっている画面が現れた。
煌が次にやるべき行動は、他のメンバーとの合流だ。
なぜか全員と離れ離れになった状態でスタートしてしまう煌だが、無能力の煌にとって単独行動は危険すぎる。一刻も早く合流をするのが最善だろう。
「確か、名前の横に方位磁針が―――」
夢莉の
「方位磁針が、ない?」
前回のゲームで音子が「名前の横に方位磁針が出る」と言っていた。実際、音子はそれを頼りに煌や紅葉達と合流していたし、皆もそれが当たり前だとしていた。
だが、煌の目には方位磁針などはどこにも見当たらない。
もしかして、『異端児』である煌には方位磁針も見えないのか。
そう思った矢先、メンバー欄の異変に気づく煌。
「…宮園さんの名前がない?なんでだ?」
メンバー欄に夢莉の名が刻まれていない。
―――まさか、死んだ?
一瞬その可能性が頭に浮かぶが、いや、とすぐに否定する。
ゲームスタートから煌が起きるまでの時間差がどれだけあるか分からないが、前回の音子の会話の感じからも、30分はいっていないことが推測できる。
あの四人が集まっている状況で、30分もしない内に夢莉が死んだというのは、些か考えづらい。
ましてや、紅葉がいるのだ。部分欠損すら治療できる彼女の能力があって、すぐに死亡することがあるだろうか。
「ないとは言い切れないけど…可能性は低い」
メンバー欄から消えるもう一つの方法として考えられるのは、既にステージから脱出している場合。
こっちの方が可能性としてはありうる。そう思っておくべきだ。
最悪の状況は、今は考えたくない。
「方向が分からないとなると…適当に移動するしかないか」
夢莉の能力に頼るのは諦めて、まずは部屋から出ることにした。立ち上がって出口を探す。幸い、扉はすぐに見つかった。
重厚感のある扉を押し開けると、そこは回廊。
煌がいる側には同じような扉が弧を描いて連なっており、正面にあるのは、これまた大きな円弧を描く壁だ。通路の先は曲がっているせいで見えないが、上から見れば円形なのだろう。
「…まずは進むか」
黒とピンクのタイルの上を靴音を鳴らす。
壁に手を沿わせて進んでいくと、何も無かった壁の方に門があった。鍵はついていない。
キィ、と
煌が出た先。そこは―――
「これは…サーカス?」
大型の円形のステージで、周囲の4分の3が観客席に囲まれている。
天井にはロープが吊り下げられており、中には空中ブランコなども見受けられた。
地面にはボールやら大型フラフープやらが散乱。何に使うのかわからない正方形の鉄板のような物まで、あちこちに落ちている。
煌が出てきたのはステージ側の門だ。観客席の方にも3つほど出口があるのが見える。
天幕ではないが、オブジェクトを見る限りサーカスなのだろうということは分かった。
「ここにいてもどうしようもないな…とりあえず、3つのどれかに入ろう」
散々迷った挙句、真ん中の出口を選択する。扉を開けると、またも廊下。かなり長く、そして薄暗い。
長いだけの廊下を歩き続けること10分で、ようやく次の部屋が見えた。
部屋の中心に太い円柱がある。部屋の左右の壁には階段が設置されており、壁のその先にはどちらも道があるようだ。
そして、この部屋の一番異常なところは、天井。
無数の鎖が吊り下げられ、それらの先端ではマネキンが胸を貫かれた形でぶら下がっている。気色が悪い、というより他ない。
「前回とは打って変わって、コンセプトが分かりづらい迷路だな…」
前回はある程度の舞台設定に対する考察が出来たが、今回はそうは行かない。
サーカスがモチーフなのかもしれないが、その割には拷問器具や謎のマネキンなど、サーカスに似つかわしくないものが多すぎる気がする。
気になることは多いが、今はそれに構っている暇はない。まずは合流を目指して動くべきなのだから。
「次は…どっちだ…」
先程から分かれ道が多く、選択を迫られてばかりだ。
他のメンバーと合流できないことによる不安感や孤独感により、ストレスが着実に溜まっていく。
「くそ…! なんで俺だけこうなるんだ…!」
内心に抑えきれない苛立ちが口から漏れるが、嘆いても仕方あるまい。
「あぁもう!どっちでもいい!」
その時だった。
かっ。かっ。かっ。
カッ。カッ。カッ。
「な、足音!?」
―――しかも、2つ。
部屋にある左右の通路から急速に近づいてくる足音を聴き、全身から血の気が引く煌。
前回も、鉄格子を蹴破った音で気づかれたのに、また同じことをしてしまった。
「何も学習してねぇな、俺…!」
足音は早いスピードで近づいている。迷っている暇はない。
大声を出したタイミングで接近してくる。
味方か、敵か。
味方が来ているとして、左か右か。両方か。
どちらかは判断がつかず、煌は一旦円柱の影に隠れた。
(どっちだ!?結果オーライか、もしくは敵を引きつけただけになるのか…!)
息を殺し、様子を伺う煌。
通路による音の反響が消え、左右から同時に足音の主が現れる。
「煌!!」
左の通路から現れたのは、玄二。
「っ! 笠原さん!」
再開を喜び、つい影から飛び出した煌だったが。
「
玄二の大声を聞いて、冷静さを戻す。
左から玄二。ならば、右から来たのは―――
「――敵か!!」
咄嗟に振り向き、煌はその姿を確認した。
木製の体に、球状の関節。
目は見当たらず、カチカチ、と大型の口を噛み合わせて鳴らしている。
前回の鴉頭より遥かに小さい、人間サイズの体躯。
「
前回の異形っぷりとは似ても似つかぬ、割と普通の見た目の人形。目や口を除いて特筆すべき点はない、ただの木製の人形だ。
いや、特筆すべきところは他にもあった。
よく見ると、その体には多数の切れ込みがあり、そのうちの一つにナイフが刺さっている。それが特徴と言うべきものかもしれない。
「でも、やっぱりそれ以外は普通―――」
「油断すンな!見た目が変わる
油断を指摘され、ハッとする煌。
確かにそうだ。見た目だけで侮ってはならない。
奴らは常識の通じない、化け物なのだから。
「分かった!今そっちに行く!」
玄二達のいる方の階段へ向かい、駆け上がる。
無論、それを見逃す
人形は脱力したかと思うと、地面に倒れ、四足歩行の姿勢になった。
階段から柵を越えて飛び出し、手足を素早く動かしながら煌を追跡してくる。口をカチカチ鳴らしながら近づいてくる姿は、鴉頭ほどの威圧感はないものの、充分に恐ろしいものだ。
「鴉頭よりずっと速い…けど!」
「あァ、この距離なら撒ける!紅葉はこの通路の途中にある部屋の中で隠れてる!一旦はそこに俺らも隠れるぞ!」
「分かった!」
高校生男子二人の全力疾走。女子達がいたら変わったかもしれないが、現在は人形が煌達に追いつく要素がない。
玄二の言っていた部屋なのだろう、辿り着くやいなや、玄二はノックを二回。すると、扉が内側から開き、煌達を迎え入れた。
「今すぐ閉めろ!」
「りょーかい!」
可愛らしい返事と共に、扉が閉まる。
息を殺していると、人形が四足歩行で歩く音が次第に遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなった。
「いったか…」
「ふぅ…」
「お疲れ様、二人とも」
「……ぁ」
思わず、声が出てしまった。
叛逆軍で一人、孤独に耐えていた中、何度その声を聞きたいと思ったか分からない。
学校で毎日聞いていた声。煌が思い焦がれた人物の声だ。
その声主を暗闇の中で探す。次第に目が慣れ始め、彼女の姿を捉えた。
「更科さん…!」
「ごめんね、煌君。迎えに行くのが遅くなっちゃって」
ややカールした茶髪のミディアムボブに、纏めた長髪を後ろで流した特徴的な髪型。形のいい長い睫毛に、陶器のような白皙の肌。瞳は髪と同色の茶色で、それを見るだけで彼女の柔らかな感性が伝わってくるようだった。
薄桃色のサイズ小さめのナース服から瑞々しい四肢を覗かせている彼女は、他でもない。
煌の想い人である、更科紅葉その人だ。
「――」
「 ? どうしたの?」
「あ、いや。なんでも…」
言えるわけがない。
「夜野君」呼びが「煌君」呼びになって嬉しかった、など。「子供か!」と笑われてしまうだろうから。
「ともあれ、会えてよかった。今度は足がちゃんと残っててホッとしたよ」
「え、縁起でもない…うん。でも、会えてよかった。それは同じだ」
この悪夢の世界でも生気を失わずに戦えているのは、彼女のおかげだと思う。『無職』という絶望の中、紅葉の存在は煌の中で希望になっているのだ。
「ところで、他のみんなは?やっぱり、宮園さんは逃げたのか?」
「――煌君」
「…?」
ぴしり、と空気が張り詰めた。
朗らかな笑顔から深刻な顔になった二人を見て、煌は疑問符を浮かべる。
だって、『その可能性』は煌が最初に排除したものだったから。
「落ち着いて聞いてね」
すっ、と小さな深呼吸をして、紅葉は告げる。
「ユメちゃんは、死んだ」
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