第十一揺 「笠原玄二」 中編

 

「お袋ッ!」


 唐突に、青年の大声が部屋に響いた。


 伝えられた病室の扉を乱暴に開けた玄二。


 カーテンの向こうに居たのは、タブレットを持った医者と看護師が一人ずつ、そしてベッドに横になっている佳苗だった。


「お袋!大丈夫か!」

「玄二、落ち着いて。母さんは大丈夫だから」


 ベッドの横に駆け寄ってきた玄二に優しく声をかける佳苗。先程はカーテンで見えなかったが、その顔は少し青白い気もする。


「なんで急に倒れたんだ!?理由は?!」

「落ち着いてってば……先生、お願いできますか?」

「えぇ」


 眼鏡をかけた初老の医師がタブレットのカルテを見ながら、玄二に佳苗の状態を説明する。


「お母さんは職場先のスーパーでいきなり倒れたそうで、半ば意識を失った状態で救急車に搬送されました。疲労が溜まっていたというのと、ただの貧血です。命に別状はありません」

「……ッ、そうですか」


 安心し、胸を撫で下ろす玄二。

 顔が青白くなっているのも貧血のせいだろうか。ともあれ、無事で何よりだ。


「ただ……」

「ただ?」


 意味深に言葉を続ける医者に対して、玄二は問い返す。


「お母さんは職場で倒れた際、頭を机で強く打ってしまったようで……念のため、入院して脳の検査を受けるべきかと」

「……!」


 佳苗の頭を見てみると、髪の隙間から白い包帯が見えている。前髪が長いので、ぱっと見では分からなかった。


「大袈裟ですよ、先生。私は大丈夫です」

「しかし、経過を見るためにも」

「…お金がかかってしまいますから…」

「…それは、そうですね」


 確かに、専用の医療器具で検査するのに加えて入院もするとなれば、医療費はかさんでしまう。貧乏な玄二達にとって、その出費は痛い。


「本当に、大丈夫ですから。私、こう見えても頑丈なんです」


 青白い顔で笑う佳苗。


 その言葉に、玄二は内心で歯噛みする。


 そうやって、いつも抱え込むんだ。自分が辛いことは全部隠して、気丈に振る舞おうとするんだ。


「…いい加減しろよ」

「…玄二?」

「頑丈ッてなンだよ。今さっき倒れたばッかだろうが」

「でも…」


 佳苗の歯切れが悪い理由。そんなのはわかっている。


 ここで金を使ってしまったら、あの男から遠ざかる機会が遅くなってしまう。


 いや、遅くなるだけならまだ良い。

 もし、あの男に扶養を抜け出す資金を貯めていることがばれたら。

 もし、あの男に引っ越しをしようとしていることがばれたら。


 貯めている金は使われてしまうだろうし、引っ越しをしたところで引っ越し先についてこられる可能性がある。

 引っ越しだって何回もできるものではないし、隠れて居を移そうとしていた経歴があるわけだから、二回目以降は警戒されるに決まっている。そうなると逃げるのは難しくなるだろう。

 以前、あの男は裏社会にもコネを持っていると佳苗が言っていた。全てがばれてしまったら、何をされるか本当にわからない。


「クソ親父の一番の被害者はお袋だ。怖いから、一刻も早く逃げたいッてのは分かる。でも、せッかく逃げたところで、健康に過ごせなきゃ意味がねぇンだ」

「…治療を受けるってことでいいのかい?」

「はい。徹底的に調べてやッてください」

「徹底的に、となると、検査の数も増えてしまうよ。そうすると…」

「いいンです。金に糸目はつけません」

「ッ、玄二!」


 そう言い切った玄二に対し、珍しく声を荒げる佳苗。その目は見開かれており、それだけはならない、と精一杯に主張しているように見えた。


「母さんだけの問題じゃないんだよ?玄二だって、ばれたら辛い思いをすることになるの!すこし、少しだけ我慢すればいい話だから!」

「…また、俺の心配かよ。ふざけンな」


 医者に向けていた視線を佳苗に切り替える。その声には些かの怒気が含まれていた。


「いつも人の心配ばッかじゃねぇか!もッと自分のことを大切にしろよ!」

「だ、だって、息子のことを第一に心配するのは親として普通のことでしょ!」

「ッ、まだわかんねぇのかよ!」


 ベッドに乗り出し、佳苗の顔に近づく玄二。


「息子が母親のことを第一に心配すンのだッて普通のことだろうが!これだけ大切に育ててくれて俺は幸せだ!息子を幸せにした分、お袋だッて幸せになる権利はあンだろ!」

「―――」

「幸せな未来を望むなら、万全を尽くす。後になッてから『あの時調べときゃよかった』なンて、思いたくねぇんだよ!」


 佳苗の顔を間近で見て、思う。


 あぁ、皺が増えたなぁ。

 目元に隈も出ているし、顔だってやつれた。疲れやストレスのせいだろう。整っている顔が台無しだ。


 そうだ。本当は、もっと綺麗な人なんだ。


 もっと、自分の美しさを追い求めていたって良いだろう。まだ、三十代も前半なんだ。

 もっと、煌びやかに輝いていたはずだ。行き交う人が二度見するくらいには。

 もっと、生きてられているはずなんだ。自分の幸せのことだけを考えて。



 ―――幸せな生活さえ、送れていたなら。



 お袋を縛り付けている呪縛は、あのクソ親父のだけじゃない。


 俺も、お袋を縛っているんだ。


 息子を幸せにしなきゃって、いつも思わせてしまっているんだ。


 お袋の幸せには、縛りなんて必要ないんだ。



 今、玄二がバイトで貯めている金は生活費と引っ越し費用だけではない。

 玄二が一人暮らしするための金も貯めているのだ。

 最初にある程度の資金を作っておけば、一人暮らしの最低基盤は作れる。長持ちはしないから、職を探す必要はあるだろうが。


 玄二が佳苗の検査を望む理由が、もう一つある。

 もし一人暮らしを始めれば、玄二は佳苗の傍に常にいることはできなくなる。佳苗に万が一のことがあっても、玄二がすぐに助けに行けるとは限らないのだ。

 ならば、後顧の憂いは今の内に断っておきたい、というのが玄二の本音の一つ。


 一人暮らしの計画については佳苗は何も知らないので、その理由を言うわけにはいかない。知られたら、多分止められると思うから。


「先生、必要な費用についての見積もりを。俺が聞くンで」

「…わかりました。では、外で話しましょう。部屋を一つ取っておきます」

「玄二…」

「お袋は少し寝てろ。内職で、夜もしッかり寝れてないンだろ」

「…うん。わかった。ありがとうね」


 その言葉を背後から聞きながら、玄二は医者と共に病室を後にするのだった。




 ***




「はァ……」


 空が橙色に染まり始めた頃。

 玄二は河原の芝の上で一人、寝っ転がっていた。


「少なくても20万以上、か…」


 医者の見積もりによれば、検査をするのに必要な入院日数、治療費、そして検査費(折角の機会だからと、癌検査を含めた様々な検査をしてもらうよう玄二が頼んだ)を含め、見積額は最低でも20万円以上。

 決して、容易に払える額ではない。

 もちろん貯金から引き出せば払える。その代わり、資金は減ってしまう。

 父親との縁を切るため、扶養を抜け出すのに必要な金額が200万円。

 それに引っ越し代金、家賃、しばらくの生活費、そして玄二の一人暮らし資金を含めれば、少なくとも250万、いやそれ以上が欲しい。


 現在たまっている金額が150万。今までに玄二と佳苗が切り盛りして、必死に父親の目に留まらぬよう隠してきた金だ。


 そこから約20万が引かれる。

 20万の損失はでかい。学生の身である玄二が稼ごうとすれば、ゆうに三、四カ月はかかる。つまり、あの男から金の存在を悟らせてはいけない期間がそれだけ伸びたということだ。リスクが非常に高い。


「ちくしょう…なんで、上手く行かない……ッ!」


 悔しさが沸々とにじみ出てくる。


 そもそも、なぜ被害者側である自分達がこんなに辛い思いをせねばならないのか。今も、あの男は佳苗から搾取した金で賭博でもしているのだろう。どうして、最低な人間が報いを受けず、善良な人間が罰を受けるのか。


「ちくしょう…!」


 片腕で顔を覆い、もう片方の手を握り締める。草がブチブチと千切れ、鼻孔を通じて植物特有の青臭さを感じると共に、手の中がわずかに湿った。

 一度沸き上がった負の感情は止まらない。それがどんどんと膨れ上がっていくのを自覚し、感情の自制ができないことにすら苛立ち始めた。


「――ちくしょうッ!!」


 それらを発散するように大声を出して、拳を地面に叩きつける。


「ひえっ!」


 玄二の怒りの発露と同時に、背後から情けない声が聞こえた。


「…あ?」


 後ろを振り向き、声の主を探す。

 斜面になった芝のてっぺん、コンクリートが敷かれた道の上で一人、尻もちをついた玄二と同じ制服を着た青年がいる。いきなりの怒号に驚いたのか、腰を抜かしてしまった様子だ。

 と、彼の落としたスクールバッグから出た教科書などが傾斜を滑り落ちて行ってしまい、芝の上に彼の持ち物が散乱する。


「……」


 彼がバッグを落としたのには玄二に責任があると思い、玄二は散らばった教材を拾って集め、彼に手渡した。


「あ、ありがと………」

「あ、テメェ、見たことあると思ッたら、同じクラスの墓瀬響也はかせきょうやじゃねぇか」

「え、覚えててくれたんだ………」

「? 同じクラスの奴の名前なんか覚えてて当たり前だろ」

「いや………なんていうか………そういう人だとは思わなくて………」


 一向に目を合わせずに話す墓瀬響也。

 玄二はこういった反応には慣れているので、いつものことだと割り切った。


「ま、いつもの見てたらそう思うわな」

「ところで………あの………どうしたんですか?」

「あ?」

「い、いやっ、特に深い意味はないんですけど………随分と、荒れていたので………」

「―――」


 今度は玄二が驚く番だった。まさか、誰かが親身になって自分の話を聞いてくれるとは思わなかったのだ。


「…面白い話じゃねぇけど」

「教科書拾ってくれた、お礼です………」

「…ま、そういうことにしとくか」


 墓瀬の隣に座り、空を見上げて己の境遇を話し始める玄二。

 思えば、玄二も誰かに話したかったのだろう。

 少しでも誰かに分かって欲しくて。

 絶望に折れてしまった心を癒して欲しくて。



 大した時間は使わなかった。かなり掻いつまんで話したからだ。


「って、訳だ」

「………なんというか、すみません………そんな、辛い思いしてるだなんて気付かなくて………」

「そもそも気付かれないようにしてンだ。それに結果的には、やッてることは不良そのものだからな」


 格好もそうだが、バイト先で乱闘を起こしたり、口調を厳しいものにしたり、不良だと思われることは多くしている。不良だと言うのは、あながち誤解でもないかもしれない。


「僕は、あんまり主張とかできる人間じゃないので………みんなを説得するとか、そんなことはできません」

「いや、別にそんなの期待してるわけじゃ」

「でも、心の中で応援してます」

「……!」

「あ、別に僕に応援されようが、意味ないですよね………ていうか、迷惑ですよね………ごめんなさい………」


 言葉を途切れ途切れにさせながら、卑屈な様子になってしまう響也。


 きっと、彼なりの励ましなんだろう。

 引っ込み思案な自分には周りの玄二に対する誤解を解かせることはできない、という自己評価をふまえた上で、自分に出来る範囲のことを宣言する。自分という人間を正しく捉えた、正当な判断だ。玄二にとっては非常に好感が持てる。


 そして何よりも、玄二のことを思いやってくれた。それだけで十分だ。


「…別に、迷惑なンかじゃねぇ。ありがとな」

「………あっ、いえ………」


 玄二の素直な感謝の言葉に、響也は少し顔を赤らめる。照れているのだろうか。


「あれ?………じゃあ、さっきの乱闘は笠原さんに関係ない………?」

「…乱闘?」

「え?………学校中で話題になってましたけど………」


 微妙に話が噛み合わず、玄二は違和感を覚える。


「今日、隣町の学校の不良達が校門のところに来て、笠原さんを呼び出したんです………いつも笠原さんの周りにいるあの3人が、『あの人を連れて行くから河原で待ってろ』って言って………さっき、そこでアイツらが乱闘してるのが見えたから………アイツらに伝えられて笠原さんが行ったものだと………」


「―――」



 …嫌な予感がする。



「墓瀬!」

「ふぁっ、ふぁい?!」

「その場所を教えろ!どこで戦ってた!」

「え?えっと………」




 ***




「はァッ… はァッ…」


 教えられた場所に向かって走る玄二。

 その場所は意外と近くにあった。橋を二つ横切った先。電車が通っている三つ目の高架の下。


 まだ先だが、遠目からでも分かった。

 ガラの悪い複数人が怒号を響かせながら、喧嘩をしている。


 急いでその近くに行き、柱の影から様子を窺う。見た感じ、争っているのは十人と三人。既に争いは始まっているようだ。


「どういうことだ…?」


 本来なら自分に申し込まれた喧嘩のはず。その当事者である玄二には情報が一切来ず、乱闘が行われる予定だった場所では別の誰かが戦っている。大勢の敵に対して無謀な勝負を挑むなど。

 一体、だれが喧嘩をしているのか。

 柱から顔を覗き込んで、初めて気づいた。


「あいつら…いつも付きまとってくる…?」


 戦っている三人。それは、玄二を執拗に追いかけてくる、あの三人だった。


「何してんだよッ…!」


 よく見れば、三人全員が血だらけだ。顔や手足に傷がつき、服だって所々破れている。

 普通に考えれば、十人も相手にして勝てるわけがないのは分かるだろう。玄二一人に負けたではないか。十人なんて、もってのほかだ。


 そもそも、玄二が挑まれた喧嘩だろう。なぜ、彼らが戦っている。


「あぐっ…!」


 一人は、羽交い締めにされて腹を殴られた。


「げぁ…!」


 一人は、顔を掴まれて顔面に膝蹴りをくらった。


「おぎっ…!」


 一人は、手を掴まれてマウントを取られ、タコ殴り。


「……ッ!」


 痛ましい。痛ましすぎる。

 もはや、これは喧嘩ではない。一方的なリンチだ。

 どうすべきだ。玄二は、ここで飛び出すべきなのか。

 しかし、玄二にとっても十人を一度に相手にするのは厳しい。怪我だって、少なからず負うだろう。


 そんなリスクがあるのに、を助ける意味があるのか。


 そうだ。ここで彼らを助けたら、彼らの中でより一層玄二は神格化される。そうなれば、彼らの付きまといは更に加速する。非常に面倒だ。なら、助けないのが正解ではないのか。


 玄二が逡巡していると、リンチしている男の一人が口を開いた。


「なぁ、もういいだろ。なんで俺らにそんな突っかかってくんだよ。別にテメェらみたいな雑魚に用があるわけじゃねーんだ。笠原玄二を呼べってんだよ」

「お前ら子分だろ?さっさと電話でもなんでも使って呼べや」

「俺らも疲れたし、早く楽になろーぜ?」


 髪の毛を掴まれ、強引に顔を持ち上げられる。

 かなりの痛みのはずだが、その眼差しからは光が失われない。


「ふざっ、けんじゃ、ねぇっ………!」

「あ?」


 その一人が言葉を発したのをきっかけに、他二人も喋り始める。


「あの人には、絶対会わせねぇ……!」

「連絡だってしてやらねぇ……お前らは、俺らがここで倒すんだ……!」

「…………ぶっ」


 一人が吹き出すと、周りもそれに同調した。


『『『『ぶはははははっ!!』』』』


「おいおい!冗談きついって!」

「この状況で!倒す!俺らを!?」

「目ん玉ついてねぇのかよ!あーおっかし!ぶはははっ!」

「………黙れ」

「あ?」


 堪えきれない何かを吐き出すように。


「黙れって言ったんだ………っ!」

「はぁ?生意気な口きいてんじゃねぇよっ!」


 その罰だとでも言わんばかりに、掴んだ頭を三度ほど地面に打ちつける。骨がひしゃげる音と共に、コンクリートの地面には血が広がった。


「っ、いぬい!」

「あれ?他人気遣ってる暇あんの?」

「おごっ…!」


 仲間の名を呼んだ羽交い締めにされている男は鳩尾みずおちに拳を入れられ、えずく。


「なんかさぁ、状況ちゃんと分かってないよなぁ!もうちょいやっとくかぁ!」


 一人がそう言うと、それに同調するように周りの不良も次々に三人組を痛めつける。

 玄二ですら、あまりの悲惨さに目がくらむ中、乾、と呼ばれた男が口を開く。


「……俺達は、あの人を、強い人だと思ってた」

「…は?まだ喋んの?」


 痛めつけられてもなお喋り続ける乾に、苛立ちを隠しきれない男。そして他二人もポツリポツリと、か細い声で彼に続く。


「力強ぇし、他の人の目なんて気にしねぇし…だから、俺たちだって、その強さにあやかりたくて、近づいて…」

「………でも、違った」


「…何が言いてぇんだ?」


 いきなり脈絡のないことを言い始めた彼らに対し、十人組の内の一人がしびれを切らして結論を迫る。

 玄二とて、何を言っているか分からない。文脈が繋がっていないから、彼らが伝えたいことが把握できない。


「あの人はなぁ…俺たちとは比べものにならないくらい、デカいもんにぶち当たってんだよ…!」


「母親のために、身を粉にして働いて…学校の勉強もやって、それでいて自分の体だって鍛えて…」


「俺たちみたいな不良に絡まれて、迷惑だろうに、それでも弱音一つ吐かずに一生懸命頑張ってんだ…!」


「だから!何が!言いてぇんだっつってんだろ!」


 相も変わらず背景が読めないのに腹立って、地面に這いつくばる乾の頭を靴で押さえつける。

 だが、彼はそれで止まらなかった。小さく悲鳴を上げながらも、敵を睨んで、言い放つ。



「あの人は!てめぇらが縛り付けていい人じゃねんだよッ!!!」



「な―――」


「もっと、広い世界に飛び立つべき人だ!だから、縛りなんて壊してやるんだ!」


「鎖になるお前らは、ここで俺らがぶっ飛ばす!これからもだ!あの人が二度と闘わなくていいように、俺らがあの人を守るんだッ!」



 あぁ、なるほど。つまり、こういうことだ。


 不良に絡まれていたら、玄二は決して自由になれない。

 そんなことはさせない。


 彼が母親のことだけに専念できるように。

 玄二がもう二度と不良どもと関わることのないように。

 そして、彼が正しく評価されるように。


 彼にかかる火の粉は、自分たちが追い払うのだと。


「それが!あの人を最初に巻き込んじまった、俺らなりの償いなんだッ!」


「―――あ」



 その時、玄二ら思い出す。


 玄二が番長になるきっかけとなった、玄二のバイト先での乱闘事件。


 彼らこそ、レストランで玄二にクレームをつけた三人組だったのだ。完全に顔を忘れていた。


 そして、玄二が佳苗のために働いているということは、昨日を除いて誰にも言っていないことだ。

 精神的な弱りから、つい漏らしてしまった自身の本音だったが、その大家の老婆との会話を聞いていたのだろう。もしかしたら、後をつけられていたのかもしれない。


 それにしても、彼らが償いをしようとしているなど、考えもしなかった。


 ――彼らは、自分のためにボロボロになってまで戦ってくれていたのか。


 それで、玄二が彼らを許す保証も無い。

 それに、返り討ちにあっていたら元も子もないだろうに。

 なんともまぁ、健気なことだ。


「あぁ、クソ」


 先程から玄二の心の中に湧き上がっていた感情に名前をつける。そして、玄二は前を向いた。

 我ながら、チョロいと思う。

 でも、もう充分だから。

 彼らは頑張ったから。だから。

 

 これが、きっと最善手だ。


「それで俺らにたったの三人で挑んだわけか?」

「それでこのざまかよ!口だけは達者だなぁ、おい!」

「まったくだ!ぶははははは」



「オラぁッッッ!!!」



「「「ぶべぇッ!!!」」」



 彼らの決意を嗤った三人が玄二のラリアットによってまとめて吹っ飛ばされ、衝撃により全員が意識を刈り取られた。


「なんだ!?どうした!?」

「てめぇ、だれだ!?」


 突如現れた玄二の姿に警戒する、残った七人。


「そんな…笠原サン………!?」

「どうしてっ…母親が倒れたって…」

「あ?なンで知ッてンだよ。あ、いや、あれだけ騒ぎにもなれば隣のクラスでも気づくか…」


 気まずそうに頭をボリボリと搔く玄二。しばらく考えてから、言うことを決める。


「安心しろ、お袋は無事だった。あとは後ろで見てろ。俺が全員ぶッ飛ばす」

「え!?いや、それだと意味が…!」

「なンだよ。もしかして、命令に従わねーのか?」

「え……」


 言葉が意味するところが分からず、フリーズする三人。



「子分なンだろ?番長の言葉は黙ってきいとけ」



 ニッ、と悪戯っぽく笑って振り返る玄二。

 それを聞いた後。俗っぽく、三人は同時に『お願い』をした。



「「「やっちゃってくだせぇ、親分ッ!!」」」



 悪役ピッタリの定型文。ありきたり過ぎる三下の発言。漫画なら玄二に死亡フラグが立っているであろう。


 それでも、ないよりマシだ。


 背後からの子分の声援を聞きながら。



「あぁ、任せとけッ!!」



 飛び掛かってくる七人のヤンキー達に立ち向かう、一人の番長。



 ――――その不敵に笑う男、凶暴につき。


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