第四揺 暗澹たる海
冷たい海の中を揺蕩っているような感覚だった。
体は次第に冷たくなって、海の底へ沈んでいく。
水圧で体は軋み始め、だんだんと命が小さくなっていく。
瞼が重くなり、先の見えぬ暗澹の闇に身を委ねんとした。
と、その時。誰かの声が響いた。
すると、不意に頭が浮き上がり、体が暖かい水に覆われる。
密度の違いによって体の周りの水は上昇しだし、それと共に体もまた上昇する。
水面の光は眩しく、暗さに慣れた目は中々馴染まない。
けれど、体は上昇を続け、やがて光の先へと到達して。
***
そして、意識は浮上する。
「…ぅ」
目をおもむろに開ける。
そこにあったのは、大きな影。なだらかな曲線を描く影だ。
「ここは…?」
「…お」
「お?」
「起きたぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ぶふぇっ?!」
急に体が持ち上げられ、顔が柔らかいものに埋められる。
「ッッッ?!?!」
「良かったぁ!ほんとに、ほんとに死んじゃったかと…うぅ…」
「おい、そいつ混乱してンぞ。一旦離してやれや」
「え?」
「おぶぅ…」
「えっ?!あっ、ご、ごめん!つい咄嗟に…」
「ぷはぁっ!」
思いっきりホールドされ、あやうく窒息しかけたが、力が緩んだところで顔を離して呼吸を確保し、改めて前を見る。
目の前に、天使がいた。
訂正しよう。天使ではない。
そう見間違うほど白くきめ細やかな肌に、長い睫毛、大きな目に流水のようになだらかな髪。
それは、他でもない更科紅葉、その人だった。
「さっ、更科さんっ…!?」
「あ、ちゃんと名前覚えててくれたんだ!良かった!」
「そりゃ…」
そうだろ、と言いかけて気づく。
今、煌の頭は更科さんに抱き抱えられている。
服装は、瑞々しい肢体をのぞかせる淡桃色の看護服、それとナース帽。サイズが微妙に合っていないのか、体の所々が窮屈そうだ。…主に、胸が。
そう、それが眼前に2つ、大きな双丘を成していた。
(もしかして、さっきの感触…コレ?)
だとすれば、最初に目を開けた時に見たのは下から見た双丘で。つまり、起きる直前まで煌は膝枕をされていたということに―――?
「俺は死んだか…」
「生きてるよ?!何言ってるの!?」
「頭が沸騰してンだろ、一旦冷やしてやれや。あと、お前いつまで抱かれてンだよ殺すぞ」
「抱かっ…!?」
かなり背徳的な状態にあることを自覚して、ずささささっ、と性急に後退りで距離をとる煌。そして、男の声がした方へ振り向く。
目の前に、ヤンキーがいた。
オールバックの金髪に、金のピアスとネックレス。上半身は黒いスウェット素材のタンクトップで、下半身は耐火着のような物を着ている。上腕や首の太さを見るに、煌のことなど簡単にねじ伏せられるフィジカルの持ち主だろう。
そんな男が、今にも人を殺しそうな目で煌にガンを飛ばしている。なんともまぁ。
「ガラわる…」
「いい度胸じゃねえかテメェ、やっぱ殺すか」
「お、おお落ち着いてくださいっ!せ、せっかく助けた命なんですよっ!?」
今度は横から可愛らしい声がした。
その声主は、見た目が中学生くらいの長い髪が特徴的な垂れ目の女の子だ。眼鏡をしており、だぼだぼのローブに中折れ帽を被った、学者のような姿をしている。
「あははー、やっぱりってことは、ゲンジはワタシの意見に共感してくれたのかナー?」
そして今度は、声帯をこねくりあげて作ったような猫撫で声がした。
もちろん、この人物は煌も知っている。
「西条音子!……って」
「いやー、ほんとに生き残っちゃうとはネ。正直脱帽だヨ。今は帽子脱げないけど」
煌は音子の方を向いて、言葉を失う。
音子は文字通り、縛られていた。
縄でグルグルと簀巻きにされている。それはもう、ピッチリと。というか、その縄は自分で出したものだろう。自分で縛ったのか。
「…高度なSMプレイ…?」
「うーん、心外。これでも反省のつもりだヨー?あの後、クーちゃんにバレちゃってサー、めっぽう叱られたワケ。あんなクーちゃん見たことなかったヨ?よっぽど大事だったん」
「ねこ」
「そりゃクラスメイトが危機だったら心配するよネ当たり前だネ何を言ってるんだワタシはあっはっはっは」
底冷えした紅葉の視線を感じ、冷や汗を滝のように流しながら早口で失言の訂正をする音子。
中々にカオスというか、理解しづらい状況だが、現状を整理する。煌は処刑人から逃げる際、川を利用して足止めしようとして、避けきれなくて、足を失って―――
「っ、そうだ!足、は…」
直前の危機的状況を思い出し、顔を青ざめさせながら自分の足の状態を確認する煌。
先刻、間違いなく煌は右足を失った。そのはずだ。なのに、煌の足は何事も無かったかのように、きちんと付いている。
「…足は治ってる。でも、服は戻ってない…ということは、治癒系の役職かなんかで…?」
「へぇ、本当に頭がいいんだな。あのバケモンを川に落とした機転といい、よく脳みそ回んじゃねぇか」
「え、あ、ありがとう…?」
思ったより素直な賞賛をヤンキーから受け、面食らう煌。
「ちなみに足を治したのは紅葉の能力だ。貴重な『注射器』を使ったんだ、感謝しろよな」
「更科さんが…?」
「あ、うん。一応、私の役職でね」
手元でスクリーンを操作し、煌に見せる紅葉。
○更科 紅葉 ♀
○
・筋力補正D
身体の各筋力パラメータを任意で1.25倍にすることが可能。身体機能の補助効果がつく。
・医療知識A
『注射器』…部位欠損まで再生可能。 1/2
『包帯』…軽傷まで治療可能。重複可。 4/4
・被虐体質S
処刑人からの標的を自身に固定する。
…言及すべき所は多くある。部位欠損を治せる。身体機能補助もつく。軽傷は別口で治せる。素晴らしい能力だ。
だが。
「被虐体質て」
「やめて言わないでッッッ!」
「しかもSて」
「違うから!M気質が凄いとか、そういうんじゃないから!」
顔を赤らめて必死に弁明する紅葉。可愛い。
名前は中々な能力だが、使い所によっては有用だろう。
「俺が死にかけた時ターゲットを移させたのも、この能力のおかげですか?」
「そうだヨ。被虐体質自体は珍しい能力でもないんだけど、Sってのは逸材でネ」
「音子!?」
「処刑人であれば、一目見た瞬間にラブラブ、脇目も振らずに全力で追っかけてくるヨ」
「結構デメリットも大きそうな能力ですね…」
ずっと静かだった鴉頭が発狂しながら追いかけて行ったこともふまえれば、無防備な状態で会敵したら絶体絶命になってしまうだろう。
「ちなみに、あの怪物を吹っ飛ばしたのは玄二君の能力。玄二君、見せてあげて」
「…ま、紅葉の頼みなら見せてやるか」
渋々といった感じでウィンドウを開く玄二。
○笠原 玄二 ♂
○役職…
・筋力補正B
身体の各筋力パラメータを任意で2倍にすることが可能。身体機能の補助効果がつく。
・克己殉公A
選択対象に対し、逆向き2倍の力積を与えて反射する。 2/3
(…反射、か)
筋力補正は言わずもがな、この克己殉公という能力は非常に有能だと言える。
(だけど、反射って言っても種類は色々あるだろうし…それに関しては実験するしかないか…?)
スクリーンを見つめたまま静止する煌を見かねたのか、玄二が些か腹立たしそうに話しかける。
「おい、もう良いのか?」
「あ、はい。すみません」
「…お前、音子の能力は?見たのか?」
「…えぇ、最初に会ったときに」
「なら、次は夢莉だ。夢莉、見せてやれ」
「ははははいっ!」
○宮園 夢莉 ♀
○役職…
・反筋力補正D
身体の各筋力パラメータが常時0.8倍。
・星座早見B
方位磁針によりプレイヤーのいる方向を検知可能。既に死亡または脱出している人間には反応しない。常時発動。
・天体観測A
処刑人の位置を捕捉する。
再使用まで あと 0秒
「凄い…味方だけじゃなくて敵の位置まで…」
「そそ、そんなに便利じゃないです。大体の方向と距離感しか分からないので、てて敵の完璧な位置把握はできませんし…」
褒められたことが嬉しいのか、顔が紅潮する夢莉。その小柄さもあり、小動物のような印象を受ける。
「さて、テメェは全員分の役職を見たわけだが」
相変わらず刺々しい態度で煌に話しかける玄二。
「どれだけ役職ッつーのが大事で、俺らの能力がすげーかも分かっただろ」
「…えぇ」
「その上で、だ。『無職』のお前は何ができる?」
「―――」
「勘違いすンな。俺は音子の考えに基本は同意するが、テメェを殺したいとは思ってねぇ。少なくとも、
なるほど。この男も論理的な思考回路を持ち合わせているらしい。見た目からは想像できない、正しく理論化された発言をしている。どうやら、かなり理知的な人物のようだ。メンバーの中では兄貴分といったところか。
「……俺は、無職です。この世界で生きる価値のある人間の順位があるなら、圧倒的最下位です。守ってもらう価値は、きっと無い」
「っ、そんなこと…」
「…」
紅葉は弁明しようとしているが、煌だって部は弁えている。玄二はというと、自分を卑下するような発言をする煌を無言で見つめている。
「合理的に考えれば、俺はここで死んだほうが皆の為です」
「…なら」
「でも、価値が無いなら創ればいい」
「―――」
「ここからは、俺の行動次第です。皆の役に立って、俺自身の価値を創る。合理性は、ひっくり返す。…それでは、駄目ですか」
奇妙な緊張感の中、煌は生唾を呑むと同時、そう言い切ってみせた。
沈黙が流れた後、玄二がニヤリと笑う。
「は!いいじゃねぇか、気に入った!どうやら俺の考えてたよりも全然マシな人間だぜコイツ!」
「あ、当たり前でしょ!夜野君はすごいんだよ!」
「よよ良かった…一触即発の雰囲気でした…うぅ、怖いぃ…」
「やっぱりこうなったカー。ゲンジが言うならしょうがないもんネー」
「今後はコイツ殺そうとすンじゃねぇぞ音子。コイツは見込みがある。頭の回転の速さといい、もしかしたら化けるかもだぜ?」
「えー、無職だヨー?流石に限界があ」
「ねこ」
「絶対化けるネ間違いないワタシが保証するヨ!あと反省してるからクーちゃんその目やめてッッッ!」
唐突にお祭り騒ぎになる四人の姿を見て、唖然とする煌。
「そういうわけで、よろしくね!夜野君!」
「…えぇ、よろしくお願いします」
満面の笑みを浮かべる紅葉の顔を見て、つい煌も破顔して答えるのであった。
***
「さて、話も一旦落ち着いたところで本題に戻るぞ。今後の方針の確認だ」
そう言って話を切り出す玄二。
「夜野。お前はこのゲームのルールについて、どれぐらい知ってる?」
「えっと、西条さんから聞いた感じだと…
①ポータルから脱出、または3時間逃げ切るのが勝利条件
②死んだ人間が二人以下の場合、次回のゲームではメンバーとステージはそのままで、新しい人員が補充される
③この世界で死んだ場合、現実世界でも死ぬ
みたいなところでしょうか」
「あぁ、大体の概要はそうだ。加えるなら、
④建物の内部には基本入れない。ただし、処刑人によって破壊された建物内には入れる
⑤ステージの外側には出られない。逃げられる範囲は大体町一つ分ぐらい
⑥処刑人は無敵。何しようと傷一つ付かない
みたいなもンか。今から話すのは①について―――」
「待って待って待って下さい!今、無敵って言いました?!」
無知の煌にとっては信じ難い、というか信じたくない情報を平然と数に数えた玄二に食い気味に突っ込む煌。
「ん?そりゃあな。無敵でもなけりゃ突進で骨とかボキボキ折れてンだろ」
当たり前だ、と言わんばかりに首を傾げた玄二を見て、煌は口を手で抑えた。
なんだそれは。あの怪物は、正真正銘のチートではないか。
言われてみれば煌が川に落とした時も、怪物の体は濡れてすらいなかった。どうやら「無敵」というカラクリだったらしい。
「本当に逃げる側に不利な鬼ごっこだな…」
「ンで、ポータルについての説明だ。ポータルは複数個あるが、種類は青、赤、紫の3つだ。色で転送できる人数が違う。青なら一人、赤なら二人、紫なら五人だ」
「つまり、紫のポータルの発見が第一ですか」
「そうだ。見つけりゃ俺たちの勝ち。見た目は…まぁ見りゃわかる。位置はバラバラなんだが、毎回ある場所が違ェから探さなきゃいけねぇ。手分けしたいところだが、被虐体質持ちの紅葉と身体機能にデバフのかかる夢莉は俺と音子が護る必要がある。だから、基本は全員で行動だ。ここまでいいか?」
「大丈夫です」
「よし。紫が一番嬉しいが、見つかったのが青、赤の場合は紅葉と夢莉の脱出が優先だった。……が、今回からはお前もだな」
「……申し訳ありません」
いくら運動ができる方とはいえ、筋力補正のない煌では足手纏いは確実だ。罪悪感は覚えるが、こればかりはどうしようもない。
「そういうわけで、行動開始だ。夢莉、探知を」
「わ、わわ分かりました!」
立ち上がり、持っていた杖を前に突き出す夢莉。
「―――『天体観測』、発動」
そう唱えると同時に、夢莉の周りに天球儀が展開され、辺りが明るくなる。円盤に連なる星は色とりどりに発光し始め、夢莉を中心として円運動をする。非常に幻想的な光景だ。
「どうだ?」
「…だいぶ近いです。この袋小路を抜けた先でウロウロしてる感じ、かな…?」
「チッ、あのバケモンは微妙に勘がいいかンな。仕方ねぇ、俺と音子がアイツを引きつける。その間に紅葉と夜野はここから抜け出せ。夢莉は俺が担ぐ」
早速、「全員で行動」ではなくなっている。が、その理由は恐らく。
「初めから追いかけられるって分かってるなら、被虐体質持ちの人間は処刑人から遠ざけた方が良いって事ですか?」
「そういうことだ。全員行動は基本方針であって、常にすべき行動じゃねェ。しっかり覚えてろよ」
「はい、分かりました」
ビシッと指を突きつける玄二。態度は厳しいが、その実、丁寧に煌に行動の考え方を教えてくれている。なるほど、音子が「根は良い人」というわけだ。
だが、それよりも煌が気になった点は―――
「担ぐ…??まじか……」
「分かった。ごめんね、私の能力のせいで…」
「その分、治癒は有能なんだ。しゃあねェ」
夢莉を担ぐ、というワードに驚く煌と、被虐体質持ちを謝る紅葉。部位欠損すらも治せる能力を持っているのだ、それ相応のデメリットではあるだろう。
ちなみに煌たちの現在地は、最初に音子と話した場所と似た、ゴミ捨て場のような袋小路だ。
どうやら、この手の場所はあちこちに点在しているらしい。袋小路なので、入ってこられたら一網打尽。そうなる前に逃げ出そうという話だ。
「集合はいつもの所だ。先に着いたら隠れとけ」
そう言って、玄二達は外に出て行く。
地響きが遠ざかった後、煌と紅葉も行動を開始するのだった。
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