第五揺 古塔の罠
煌達が二手に分かれ、行動を開始して、約5分。
「行動直後に息切れって、どんだけ足手纏いだよ俺…!」
「しょうがないよ…あの怪物相手に30分近く、それも無能力で乗り切った時点で凄いんだよ?」
既に肩で息をしている煌に対し、フォローをする紅葉。
「それに」、と紅葉は付け加える。
「多分、体力切れだけじゃない。血が足りてないんだよ。私の能力は体は再生できるけど、血は戻らないんだ」
「再生するだけでもチート能力ですよ…」
「あはは…一回休憩しようか。さっきもあんまり休めてないでしょ?」
「いや、三人が囮になってくれてるのに―――」
「少しくらいなら大丈夫!それに」
くるっと振り返って笑う紅葉。
「私、前から夜野君と二人で話してみたかったんだ」
「…!」
「…だめかな?」
皆の役に立たなきゃいけない。休んで談笑なんてしている暇ではない、そんなこと分かっているのに。
あぁ、この笑顔には逆らえない。
「…わかりました。少しだけ、話しましょう」
「うん!」
壁に寄りかかり、橋の下のスペースに座り込む二人。
「夜野君ってさ、もう少し、えぇと、暗い人かなって思ってたんだ。うんと、悪い意味じゃなくて、なんていうか…」
紅葉は言いにくそうに話を切り出す。
「あぁ、そうですね。学校では、そういう風にしてます」
「話してるのも、太田君以外に見たことないし…」
「あれは話しかけてきてるだけなので…3年間も、懲りずにずっと」
「…きっと、夜野君と仲良くなりたいんだよ」
「…そうなんでしょうね。普通なら、心を開くべきだと思います。でも、そうできないのは俺の性です」
「…?」
どこか寂しげに、そう答える煌。
「俺は昔、いじめを受けてました」
「…!」
「それも、小学校の話ですが。俺の養母というか、母親が何でもできる、当時の俺から見たら正義の体現者みたいな人で。俺は彼女の在り方に憧れてました」
「…うん」
「少しでも彼女に近づきたくて、張り切ってたんです。みんなから『良い人』に思われたくて、色んなことを積極的にやって、自分の思う『正義』を掲げて、悪いことは全て撲滅しようとしたんです」
「…それで、いじめられたの?」
「出る杭は打たれるってやつですよ。誰も、『正義』なんて求めてなかった。ちょっとした事でも許さない、徹底的に検挙してやる!みたいな奴は、まぁ目の上のタンコブな訳です。俺が思ってた「良い人』は、周りにとっては『うざい奴』だった」
遠い目をして語る煌。しかし、その声はどこか単調だ。もう、気にしていないのだ、と主張するように。
「っ、そんなに、頑張ってたのに?誰も理解してくれなかったの?」
「…残念ながら。先生に、助けを求めたことはありました」
「返ってきた答えは…」
煌は首を横に振る。
「『良い子なら、我慢できるよね』って」
「そんなの酷い!教師っていう職業なのに…!」
「職業だからですよ、ボランティアじゃない。面倒ごとは避けたかったんでしょうね。先生が暗に見逃すという態度を取ってから、いじめはエスカレートしました。笑っちゃいますよ。良い人になりたくて頑張ってたのに、完全に悪者になったんですから」
「………」
「凛…えぇと、例の俺の叔母が気づいてくれて、転校させてくれました。それから、俺はもう『良い人』をやめた」
「それが、今の疑心暗鬼の状態に繋がったってこと?」
少し逡巡してから、煌は訂正をする。
「…正確には、『他人の性根を理解できない』です。…人の心は、難しすぎる。下手に触れれば自分が火傷をしてしまう。それは、中学校に入っても変わらないし、大人だってそうだ。男は些細なことでマウント取り、女は水面下でお互いの陰口を言い合う、みたいな。全員がそうではないのは分かりますし、長所もあります。でも、善悪の選別は面倒です。する必要がないのなら、しなくて良い」
「…それは」
「だって、それが合理的でしょう?」
「―――っ!」
煌の、諦念に満ちたその言葉を聞いて、彼が合理的にあろうとする理由、その断片を理解した紅葉は、無言の叫びを上げる。
(そうじゃないって、言ってあげたい。けど、それは…
内心で苦悩する紅葉だったが、ふと思い当たる。
「…でも、ここにいる皆に対しては、結構明るいっていうか…ちゃんと接してる気がする」
「…そういえば、そうですね」
本人も気づいてなかったらしい。驚いた顔をする煌。
「…多分、皆が本気だからです」
「本気?」
「生き残るっていう、ただそれだけの為に一致団結する。互いを想って、助けたいと願う。そこに裏表はないように見える。だから、思うんです。『この人達なら大丈夫だ』って」
「…!」
「まぁ、その想いが強すぎて俺は音子に殺されかけた訳ですが。…あれ、今の笑うところでは?」
「笑えないよ!?」
煌の渾身のブラックジョークに思いっきりツッコミを入れる紅葉。
「…ははっ」
「…ふふっ、あははっ!」
少しの沈黙のあと、二人は笑い出した。その笑い声は橋の下の空間に木霊する。
悪夢の中と思えない、幸せな光景がそこにあった。
「…あの、ものは相談なんだけどね?」
「?はい。どうしました?」
「煌君、って呼んでも良いかな?」
「ぇあ?!」
唐突な提案に、変な声が出てしまう煌。
「えっと、嫌なら良いんだけど「とんでもないです」即答?!…じゃあ、これからも宜しくね、煌君」
かなり食い気味の返答をする煌に驚きながらも、首を横に傾け、そう笑いかける紅葉。その姿があまりに様になっていて、一瞬言葉が出なくなる煌だったが、なんとか一言を繕う。
「…はい。よろしくお願いします」
それを聞いて、ニヤリ、と口角を上げる紅葉。
「…敬語禁止ね?」
「えっ」
***
談笑の後、再び移動を開始した煌達。
「ところで、目的地はどこなんです…どこなんだ?」
「この街の中心部にある時計塔だよ!遠くからも見えやすいし行きやすいしで、別れた後の集合場所はそこにしてるの!」
どうやら慣れているらしく、迷いも無く街の中心部に向かう紅葉。1.25倍の身体能力補正があるものの、走力自体は煌とさほど変わらなそうだ。
「やっぱり敬語なしは慣れない…!」
「慣れてね!これからは、ずっとそれでいてもらうんだから!覚悟すること!」
ぼやく煌に、可愛く喝を入れる紅葉。思わず頬が弛みそうになるが、なんとか堪えた。
―――と同時に、遠くで爆音が響いた。
「――!今のは!」
「間違いない、突進の後の衝撃音!多分、三人が引きつけてくれてるんだ!」
そう話すうちに、時計塔が建物の上から顔を覗かせた。
「あれが、時計塔!」
「音が遠かったし、皆はまだ来てない!」
「…なら、今のうちに周囲の探索をしましょ「敬語!」しよう!逆に考えれば、今ならアイツは来ない!」
「分かった!あるとするなら…多分こっち!」
時計塔の前の通路、その脇道に入っていく紅葉。街の中心部とあって、煌が最初にいた場所よりも道幅が広い。
「普通にアイツも入ってこれるけど、今は関係ないか…!」
「えっとね、この奥にちょっとした広場があって、さらにその奥に道があるの!前にそこに紫のポータルがあったんだけど…今回はどうだろ…!」
5分ほど走ると、開けた場所に出る。
真ん中が少し円形に窪んでおり、その周りに階段がある広場だ。ちょっとした公園ぐらいの広さはあるだろう。
そして、煌達が出てきた場所、その向こう側に、まだ道が見える。
「あそこだよ!前に紫ポータルがあった場所!」
そこに入って、すぐ分かった。
道の曲がった奥の方から、紫の光が漏れ出ている。
「ビンゴだよ!紫ポータルだ!」
角を曲がると、
直径3メートルほどの球型の紫の物体。発光していて眩しいが、その中ではデジタル的な紋様が蠢いているのが見える。重低音を響かせて宙に浮く存在は、この古い街並みと合っておらず異質な印象を受けさせた。
「あれが…ポータル…?」
「そうだよ!紫はレアなんだけど…煌君、ツイてるね!」
「絶対にそれはないッ!!」
ツイている人間が悪夢に巻き込まれ、与えられる筈の能力もない無職で、最初から味方は近くにおらず、その味方に捨てられ、挙げ句の果てに足を吹っ飛ばされるものか。
「よく考えたら本当によく生きてるな俺…!」
「や、やっぱり運が良いんだよ!」
「だとしても前代未聞の壮絶なマッチポンプだわ!」
不幸中の幸い(?)なのであり、そもそもこの状況を起こしたのが、この『クレイドル』である。
思わずツッコむ煌だったが、再び爆音が響くのを聞いて表情を変える。
「…っ、また突進音…!」
「とりあえず見つけたんだし、時計塔の前に戻ろう!その頃には振り切ってるかもしれない!」
「あぁ!」
走って来た道を戻る煌達。
急いで時計塔の前に帰って来たが、未だ三人の姿は見えない。
「着いてないか…一体どこに…?」
「…まだ逃げてるのかもしれない。一旦はここで待てばいいと思う」
さっきの爆音を最後に、大きな音は聴こえていない。なら、距離を保ってチェイスしてるか、既に振り切って時計塔に向かっているかの2択だ。
「にしても…随分と古びてるな、この時計塔」
よく見れば、時計塔はかなり老朽化が進んでいる。上部に付いている時計の短針は半ばから完全に折れており、鉄製の部分は殆ど赤く錆び付いていた。
「まぁ流石に自壊することは無いだろうけど…」
煌が上を見上げていた時、またも爆音が響いた。
(逃げてる最中だったか!確かあっちの方向から…)
時計塔の向こう側を見ると、少し離れた場所にある高台が垣間見えた。
そして、その上を動く小さい影も。
「西条さん!」
「え?!どこ!?」
「あの高台の上にいる!多分追いかけられてる!」
音子もどうやら煌達に気づいたらしい。
が、煌達には見えていなかった。
「―――ッッッ!
音子の絶叫が響く。
(隠れる…逃げるじゃなく…?なんで――)
そこまで考えて、ようやく「その発想」に思い至る。
「ッッッ!更科さん!隠れて!」
「え?」
だが、紅葉にその意図は伝わっていない。故の理解のタイムラグ。それは命取りだ。
音子の後に続いて現れた処刑人。
怪物は高台から見下ろし、「彼女」を発見する。
『ォォォォオオオオオオッッ!!』
そう、音子が恐れた可能性。
それは、
「えっ?!」
「っ、遅かった!逃げるぞ!」
「いや、でも!あそこから届くの?!」
「…あ、たしかに」
よく考えればそうだ。地上でも50メートルのレンジだ。たしかに50メートルほど離れているが、空中なら更にレンジは狭まる。せいぜい30メートルがいいところでは。
地面が爆ぜる音と共に、処刑人が飛来する。
当初30メートルと見積もり、逃走をやめた煌達だったが、それは被虐体質「S」という能力を甘く見積もっていた。
射出された巨大な体は宙を進み、煌達に接近する。その距離、約45メートル。
ギリギリ届かなかったものの、巨体は地を滑り、時計塔に激突して静止した。
「危なかった…!被虐体質『S』ともなると、処刑人の能力も底上げされるのか…」
「あ、あんまりSを強調しないで恥ずかしいから…とにかく、今度は逃げないと――」
しかし、煌達は失念していた。
一番怪物とチェイスを繰り返して来た音子は、飛行距離を見誤らない。恐れていたのは、
バキッ。メキメキッ。
「「え」」
異音を背後から聞き、振り返る二人。
(まさか―――)
煌は気づいた。経年劣化でボロボロになった時計塔。そこに大質量の巨大の突進。
ならば、どうなるか。
そう、
「た、倒れてきてる!?」
「くそ…!更科さん、走ってッ!!」
怪物の突進の様子見をしたのが裏目に出た。
危機を察知して走る二人だが、間に合わない。根本から折れた時計塔が逃げる二人に迫り、押し潰しかけたその直前。
「『克己殉公』―――ッッッ!!」
男の声が響き渡ると同時に、キィィィン、という例の金属音。
そして、煌は見る。
「今のは…反射!笠原さんの能力か!」
「玄二君!?逃げてたんじゃ?!」
「逃げてんのは囮になった音子だ!夢莉が飛んできた瓦礫で怪我した!足と肩に一発ずつだ!治療してやッてくれ!」
窮地に現れたのは我らが兄貴分、笠原玄二。よく見れば、背中に顔を苦悶に歪めた夢莉が担がれている。彼らも窮地だったらしい。
「大丈夫!?今治療するから!」
「いや、更科さん、治療は後だ!今は逃げるの優先!宮園さん、耐えられますか?」
「っ、うん…大丈夫…」
「……すみません。よろしくお願いします」
「夜野さんが、謝ることでは、ないですから…」
一方、玄二に吹き飛ばされた時計塔といえば、あの鴉頭が突っ込んだ辺りに落ちて瓦礫の山を成していた。粉塵も多く舞っている。あの様子では、いくら無敵といえど、すぐには出てこられまい。
「笠原さん。先程、紫のポータルを見つけました」
「!よッしゃ、よくやった!すぐに脱出を――」
「いえ、まだです。脱出はしません」
「――あ?」
そう言い切る煌に、怪訝そうな顔をする玄二。
「…なんか、あンのか」
「…ええ、提案したいことが」
「…あぁ、分かッた。ポータルの場所は?」
「前に紫のポータルを見つけた広場だよ。わかる?」
「ん?あぁ、あそこか。よし」
大きく息を吸って、倒壊した時計塔の方角を向く玄二。
「音子ォォォォォォォオッッッ!!」
「「「うわっ?!」」」
唐突に大声を出す玄二。あまりの声の大きさに、三人の耳を覆う動作がシンクロする。
「例の広場だァッッッ!!屋根つたって来いッッッ!!」
遠くから、「にゃ~~~」という声が聞こえる。どうやら返答のつもりらしい。
「あ、あざとい…」
「伝わったみてぇだな!よし、行くぞ!」
ポータルの場所へ向かう四人。
「それで?何思いついたンだ、夜野」
「はい。さっきの、時計塔への反射能力の適応で確信しました」
そう尋ねる玄二に、煌は衝撃の一言を放つ。
「―――あの怪物を倒しましょう」
「「「はぁ?!」」」
今度は、煌を除く三人の声がシンクロする番だった。
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