第二揺 異端児


 見知らぬ光景。

 石レンガ造りの通路。明らかに自分の家ではないし、知っている場所でもない。

 混乱する頭を整理する。


(家じゃない…自分のベッドで寝た記憶はある。…寝ている間に何が…まさか、誘拐か?寝ている間に、攫われた?)


 そこまで考えて、ふと気づく。

 そもそも、寝た時に着ていた服を身につけていない。なぜか、制服を着ている。

 誘拐して、わざわざ学生服に着替えさせるだろうか。


(それに、家はマンションの7階…しかも凛がアホみたいにセキリュティも頑丈にしてる。誘拐するには難易度が高い)


 仮に、苦労してセキリュティを突破して煌を誘拐したとして、拘束具も使わず、扉の壊れた牢屋に放置するだろうか。

 計画された誘拐なら、あまりにも雑だ。


「…まぁ、ご丁寧に扉が壊されてんなら、出てみるか」


 頭の中で考えても始まらないと、まだ少し痛む体を起こして扉へと向かう。


(檻から出たのはいいけど、通路は暗いし、なんか湿ってるし…とにかく、今は出口を探して外に出るしかない)


 錆びた鉄格子の檻をくぐって、壁に手を沿わせながら通路を進む。

 暗闇に目が慣れてきたが、それでもなお暗い通路。

 カビ臭い匂いと、変に湿った壁に不快感を覚え、だんだんと進みを速くする。


 どれほど経ったか。

 時間感覚が曖昧な中、ようやく光が見えた。


 光が照らすのは、階段。上へ続く階段だ。


 酷く長く感じられた時間だった。

 小走りで階段に近づく。通路と同じく石レンガ造りの階段には、所々コケが生えている。

 上を見ると、すぐそこに出口が見えた。ぼんやりとだが、光が溢れている。


 階段を駆け上がると、出口に鉄格子がはまっている事に気づく。

 一瞬ドキリとしたが、どうやらこの鉄格子は錆び切っているようで、あちこちがボロボロに崩れていた。

 強引に鉄格子を蹴破ると、赤錆の粉を散らしながら格子は壊れ、破片が地面に落ちてカラカラと音を立てる。

 予想以上に脆かった鉄格子に多少困惑しながら、出口から光の先へと出てーー



「…は?」



 唖然と、した。

 目の前に広がっていたのは、不気味な夜の街。というか、住宅街のような場所。


 だが、ただの住宅街じゃない。


 家は木と石レンガでできている。資料でよく見る洋風の家だ。

 それが目の前で連なっている。


 街道には所々に街灯が灯っているが、それでもなお暗い。

 やけに視界がぼんやりしている、と思ったが、すぐにわかった。光が弱い、それだけじゃない。


 ――霧だ。霧が出ている。本物は見たことがなかった。


 そして何より、不気味だと思った理由。

 人の気配がしない。夜の住宅街なら、家に人がいるはずなのに、それすらも感じない。


 不気味だった。


 また、見てわかった。これは、明らかに煌が住んでいる町、ましてや日本でもない。

 そして、現代でもないだろう。



 形容するならば、中世のヨーロッパだ。



「…まじで、どうなってんだ…?」



 目前の景色を信じることができない。

 現実を、受け入れられない。


 夢なんじゃないかと、思いたいぐらいに――


「…ん?」


 頭の中がぐるぐるしていたが、突如として意識が引き戻される。


 音が、聞こえる。


 考えるのはやめて、耳を澄ます。


「金属かなんかを引きずってる…?」


 ゴクリと、生唾をのんだ。

 この不気味な住宅街で、金属音。少しずつではあるが、音が大きくなるのを感じる。こちらに近づいてきているらしい。


 煌は一瞬、逡巡した。

 果たして、こんな場所にいる人物が、まともなのか。


 正直、暗い通路を一人で通ってきたせいか、人恋しくなっている。まともな人間なら、是非とも会って話したい。言葉が通じるかは分からないが、それでも良い。


 興味半分、恐怖半分。


 自分が出てきた通路から頭を覗かせ、街角から現れるであろう人物を見ようと――



「」



 煌は最初、その存在を理解できなかった。


『それ』は異形だった。


 まず、デカい。

 体長3mはあるかというぐらいの、巨大な体躯。


 次に、体のバランスがおかしい。

 胸部、おそらく肋骨やらがある辺りの部分が、異常なまでに大きいのに対し、腰は抱きついたら折れてしまいそうなほど細い。

 下半身は、着ている薄汚れた黒装束で見えないが、恐らく腰と同じように細い。


 また、腕は普通の太さだが、その手に握られているのは全長2mはある大鎌。刀身には血がこびり付いた痕だろうか、所々茶黒く変色しており、その生々しさから大鎌が飾り物ではない事がわかる。


 顔は見えない。というのも、仮面をつけているからだ。仮面は灰色の、ツギハギだらけの口の尖ったもの。その形を例えるならカラスだろう。


 その容貌から見るに、明らかに友好的ではないし、足取りは幽鬼のようで、大鎌を力無く引きずっている。


 古びた黒い衣装と相まって、煌にはその怪物が死神のように見えた。


 本能が騒いだ。慄いた。蔑んだ。


 あれは、人間じゃない。


 体が生まれて初めて、殺気というものを感じる。


 話すなんて、無理だ。


 ましてや、近づくこともできない。


 ――あれは、『死』だ。


 その姿を認識し、煌はすぐに身を隠した。


 見つかったら、殺される。そんな気がした。


「―――ッ」


 霧のせいで距離は正確には分からなかったが、そんなに遠くはない。少しでも声を出せばバレる。


 その時、足音と鎌を引きずる音が、止まった。



(バレた?!)


 なぜ、と思った時、視界の端に粉々になった鉄格子が見えた。


(もしかして鉄格子を蹴り飛ばした音で!?)


 あり得る話ではある。

 必死に息を押し殺し、身を縮こめた。

 心臓がバクバク言っている。

 祈るように、目を閉じる煌。


 しばらくの静寂。

 足音で、怪物が去っていくのが分かった。


「――はぁっ、はぁっ!」


 殺していた息を吸う。心臓はまだうるさい。

 恐る恐る首を覗かせると、怪物の姿は消えていた。

 一気に脱力し、へたりと座り込む。


「…何だったんだ、あれ…」


 人間ではない事は確かだが、それ以外は全く分からない。

 そもそも、なぜ自分はこんな所にいるのか。


「…くそ、何なんだ…何でこんな…」


 しかし、嘆いても状況は変わらないのだから仕方がない。

 ありとあらゆる疑問は頭の隅に置いておき、まずすべき事を考える。


 現状を整理する。

 自分がいるのは、最初にいた牢屋への一本道の出口だ。

 ここでさっきの怪物に出会っていたら、完全に詰んでいた。逃げ場所が無い。

 つまり、真っ先にするべきはここからの移動だ。


「怪物が行った方には行かない方がいいな…と、すると、左か」


 先程怪物を見たのは煌から見て右の方だ。ならば、左へ進むのが最善策だろう。


 再度頭を出して左右を確認。やはり怪物はいない。

 足音を出来るだけ出さないようにして走る。

 誰もいない暗い街を、一人で走る。


「はぁっ、はあっ」


 息が切れる。これは、走っているからだけじゃない。

 怪物がまた出るんじゃないか、という恐怖。

 夜道に一人という孤独による心の磨耗。


 足がふらつく。泣きたくなる。叫びたくなる。

 堪える。食いしばる。走る。


 それの繰り返し。おかしくなりそうだっ―――




「ーーあ」


「ッッッ?!」



 突如、人が現れた。路地裏から。


「――」


 あまりの驚きに、声も出ない。心臓が止まったかと思った。


 が、その人物を改めて見た。

 華奢な体つきに、クリクリとした大きな目。

 探検家がしそうな茶色の帽子と服と靴に、中々の大きさのバックパック。

 歳は見た目から判断するに、同い年くらいか。


 人だ。女の子だ。


「…っ、ぁっ…あぁ…っ!」


 怪物がいるような物騒な街。そこを一人で歩き続けていたことにより、ひび割れていた心。それが、ようやく救われた気がした。


 安心感と嬉しさで足から崩れ落ちる。

 正直、泣きそうだった。


「――煌クン、で合ってるネ?」


 女の子が、細いがよく通る声で、そう問いかけてくる。


「…何で…俺の名前…?」

「それについては、後で説明するヨ」


 すると女の子は眼を細め、こちらの事情を伺うように覗き込んだ。



「その様子だと、見たんだネ?あの『怪物』を」

「…えぇ」

「なるほどニャ〜」


 どこか納得したように頷く女の子に、堪らず尋ねる。


「あの、あれは一体…何なんですか?俺は、何でここに…」

「それは、ここでは話せないネ。場所を変えるヨ」


 ついてきテ、と言って、軽快に路地裏を進んで行く彼女。服装も相まって、本当に冒険家のようだった。

 スイスイと障害物を避けて行く彼女に、また一人になりたくないという気持ちから、必死について行く。


「さーて、この辺でいいかニャ、っと」


 どうやら、目的地に着いたらしい。そこは、路地裏の奥の、おそらくはゴミ収集場のような所。あちこちにゴミが転がっている。


「はぁっ…はっ、ゲホォ!」

「…ちょっと飛ばし過ぎたかニャ?」


 そう聞いてくる彼女。

 字面上では、たしかに煌を心配しているその言葉。


 ――しかし、その言葉には、感情がこもっていない。


 彼女は、自分を心配する気なんて毛頭ない。そう、何となく思えた。


「…だっ、大丈夫…ですッ…!」

「ウンウン、上々ニャ!」


 そう言い放つと、彼女はゴミ箱の蓋の上の塵をパッパッと払い、その上に座った。


「さて、じゃあまずは自己紹介からだネ!」


 ニコニコと笑いながら、彼女は自己紹介を始める。


「ワタシの名前は、西条音子だヨ。気軽に『ネコちゃん』って呼んでネ!」


「は、はぁ…西条さん」


「むぅ、堅いネー!もっと柔らかく行こうヨ!ほら、ネコちゃんって、ほら!」


「…それより、早く説明が欲しいです」


「…つれないニャ〜、遠慮しなくていいんだヨ?」


 口を尖らせる音子。


「ま、いいけどネ。それじゃ、説明を始めようかナ」

「…お願いします」

「時に、煌クン。君は、『悪夢ナイトメア症候群シンドローム』って、知ってるよネ」

「え、も、もちろん――」

「じゃあ、その概要は?」

「えと、『10代後半、20代前半の少年少女が寝ている間に死んでしまう、原因不明の病気』…ですよね?」


「合ってるニャ。じゃ、次に質問。


「…え、何で…」


「いーから、答えてヨ」


「…家に帰って、布団に入って、寝て…」


「それから?」


「…気づいたら、ここに…」


「だろうネ」


 さも、そんな答えは分かっていたと言わんばかりの音子。


「あの、一体、何なんですか…?」


「まだ気づかない?君は、何歳かナ?」


「今日で、16歳――」


 …ちょっと待て。


 俺は、寝てから起きた記憶がない。


 それはつまり、家から出た覚えがない、という事。


 間違って、なかった。


 誘拐なんかじゃない。


 さっき、これは夢なんじゃないかと、そう思った。


 ――皮肉にも、大当たりだ。


 一切見覚えのない景色。


 信じ難い異形の怪物。


 そして、『死の年齢』に達した煌。


 そう、これは、夢。


「…こ、これが」


 これが、そうなのか。


「これが、悪夢ナイトメア症候群シンドロームの正体…!?」


「だーいせーいかい!!察しがいいネ!」


 音子はゴミ箱から飛び降りて、煌の目の前に立つ。


「ようこそ!悪夢の世界、『クレイドル』へ!死の恐怖と隣り合わせのデスゲーム!そのプレイヤーの一人に煌クンは選ばれたってワケ!ぱちぱちー!」


 この世界に紛れ込んだことを祝福するように、両手を広げて笑う音子。


「な、なにを…」


「あ、それと。そこまで分かったんなら、これもわかると思うけど――」


 音子がウインクをして、恐怖の宣告をする。


「ここで死んだら、現実でも死ぬヨ☆」




 ――――『Welcome to CRADLE』。



 ひび割れたその声が、頭によぎった。




 ***




 音子の口から発せられる、爆弾発言。

 しかし、煌はあまり驚かない。


 よく考えたら、そうなのだ。


悪夢ナイトメア症候群シンドローム』は16歳の境に、死亡する子供の数が激増する。

 ここが、その正体なのだとしたら――


「――…って事ですよね」


「そうニャ。それで、その死亡の引き金(トリガー)となるのが、ここでの死って訳ニャ」


 信じられない。

 これは本当にただの夢で、起きたら「なんだ、夢か」と言って、それで終わりなんじゃないか。

 こんな悪夢はただの幻想なんじゃないのか。そういう可能性が頭の中で、大きな不安を押しのけて廻っている。


「今、混乱しているだろうから言っておくけど、これは本当のコト。実際、ここで死んだ後、現実世界でも殆ど同時に死んだ人をワタシは知ってる。ただの夢オチじゃ終わらない事ニャ」


「…っ!」


「受け入れるのに時間を割きたいのは分かるケド、そんなに時間はないニャ。とりあえず、伝えはしたヨ。信じるかどうかは知らないケド、試しに死んでみる、とかはオススメしないニャ」


 無論だ。そんな話を聞いて自分から死ぬ訳ないし、何よりアレに黙って殺されるほど度胸は無い。


 とりあえず、生き残る。それだけだ。


「じゃ、ルールを説明するニャ」


 煌の様子など知った事でない、といった口調で喋り始める音子。あくまで事務的な作業、ということか。


「っていっても、ルールはそんなに難しくないニャ。さっきの奴に殺されないように、脱出ポータルを探す。以上ニャ」


「…それだけ?」


「それだけ」


「その、例えば、ですけど…味方を殺したらペナルティ、とか無いんですか?」


「無いネ。自分の身は自分で守れってことニャ」


 なんだ、それは。


「そんなの、本当のデスゲームじゃ――」


「当たり前でしょ。みんながみんな、仲良く和気藹々にクリアするゲームだと思った?」


「ーー」


 唐突に豹変した音子。

 先程の様な、どこかおちゃらけた雰囲気とは真逆。

 その気迫に、背筋に寒気が走った。


「…ま、安心してよ。ウチのとこはそういうのないし。ってわけで、そういうことニャ。このゲームはそんなに甘くないってコト。わかった?」

「…ぁ」

「むー、分かったら返事してヨー!」

「わ、わかり、ました」

「オッケー!じゃあ、本題に入るヨ!」


 先程の気迫とはうってかわって、再び笑顔を見せる音子。その笑顔は、まるでこの時を待っていた、とでも言わんばかりだった。


「『役職(ジョブ)』解禁のコ~~~ナ~~~!!」

「えっ」

「さぁさぁ始まりました皆さん待望!毎度恒例のこのイ・べ・ン・ト!今回もやっていきましょー!」


 煌しかいないのに、まるで複数人いるかのようにして勝手に盛り上がる音子。


「えっと…『役職』って何ですか?」

「『役職』は、ワタシ達みたいな『逃げる側』に与えられる権能のコト。それぞれの能力があの怪物から逃げやすくしてくれるニャ」

「『役職』…そんなものが」


 はっきり言って、少しだけ胸が高鳴った。

 煌だって、漫画やらを見て特殊能力が欲しいと思ったことぐらいある。

 それが、自分にもあり得るだと言うのなら、思春期真っ盛りの男の子としては嬉しい話だ。


「えっと、それはどこで見るんですか?」

「おっ、乗り気だネ!じゃあ、まず空間をズームするみたいに手をしぼめてから広げてみるニャ」


 言われた通り、手をしぼめてから広げてみると、重低音と共に小さなスクリーンが表示される。スクリーン、と言ってもゲームとかでよく見るスクリーンではなく、靄が集合体を成した様なものだ。

 スクリーンには、一番上に『夜野 煌』という名前と『♂』と金色の文字で書いてあり、その下に――


「開いたかナ?それじゃ、名前の下に『役職』っていう欄があるはずだから…どうしたノ?」


 ある一点を見つめて呆然としている煌に、怪訝そうに音子が尋ねる。


「おーい?どうしたー?」


「あの、何も書いてないんですけど」


「…は?」


「いや、だから、何も書いてないんです。『役職』の欄に」


「…空白ってコト?」


 目を大きく見開いて、明らかに動揺している口調でそう言う音子。


「は、はい…」


 しばらくの沈黙。


「……まあ、そういう事もあるよネ、さぁ出発!!」


「ちょちょちょちょちょちょっと待ってくださいよ!何ですかそのあからさまな話題転換!」


「いやー、ワタシもそんな役職の人なんか見たことないからネー。なんとも言えないんだヨ」


「えぇ…」


 …結局、自分には漫画の主人公みたいな能力は与えられなかったってことか。

 どうやら、この悪夢の世界はとことん俺に厳しいらしい、と煌は内心で毒を吐いた。


「…ちなみに、西条さんの役職は何なんですか?」

「ワタシは探検家エクスプローラーって役職ニャ」

「探検家…なるほど」


 確かに、彼女の服装は冒険家のそれだし、あの移動する時の身のこなしからするに、それは妥当な役職だ。


「あの身のこなしも、その役職の能力なんですか?」

「ンー、半分はそうニャ。これ見れば分かるヨ」


 そう言うと、音子はスクリーンを開く動作をして、煌の方向へスワイプさせた。


 と、同時に、煌の前に音子のステータスが表示された靄が出現した。

 唐突に出現したスクリーンに、「わっ」と驚くが、音子は「読んでみテ」と催促する。


 ○西条 音子 ♀

 ○役職…探検家エクスプローラー

 ・『筋力補正B』

 身体の各筋力パラーメータを任意で2倍にすることが可能。身体機能の補助効果がつく。

 ・『冒険心得A』

 任意で先端が変形可能なロープを使用可能。使用度に応じて消耗。


「これは…中々に使えるというか…便利な役職ですね」

「デショ?さっきのは『筋力補正』の筋力2倍と身体機能補助の効果だネ」


「まぁ、ワタシの運動神経が良いってのもあるケド」と、しれっと自慢してくる音子。

 イラッとするが、確かに役職を持っていない煌からしたら羨ましい話だ。


「じゃ、行こっか!」

「え、行くって、どこに?」

「味方の場所」

「え、場所分かるんですか?というか、味方いるんですか?」


 そう聞くと、音子は若干面倒くさそうに、


「さっきの画面開いて、横にスワイプしてみナ」

「…?はい」


 言われた通りにやると、先程とは違う画面になった。

 そこには、4人の名前らしきものが♂♀マークと一緒に書いてある。


「『笠原玄二かさはらげんじ ♂』、『宮園夢莉みやぞのゆめり ♀』――」


 そして、次にある名前を読んで、息が止まる。


「どうして、この人が」



 ――――『更科紅葉さらしなくれは ♀』



 金色の文字で、想い人の名が刻まれていた。


 ***


「やっぱり知り合いだったんだネ」


 入り組んだ細い道を駆けながら、音子が言う。煌はといえば、相変わらずついて行くのに必死なのだが。


「はぁっ…はぁっ…い、一応っ…!」


 そんな煌には見向きもせず、音子はどんどん先へ進んでいく。


「ンー、左後方…さっきまで左前だっから結構近いとこにいるのかニャ?」


 音子が宙を見つめながら、そう呟く。煌からだと、よく分からない独り言を喋っているように見えるのだが、実は違う。音子は先程のスクリーンを見ているのだ。

 さっきは気付かなかったが、味方の名前の横に方位磁針のようなマークが付いていて、それが仲間の位置を示しているらしい。これは仲間の一人が持っている役職の特殊能力の一種だそうだ。距離は分からないが、大体の方向は死なない限り分かるというのだから、便利なことこの上ない。

 音子が煌を見つけられたのも、この能力があったおかげだ。現在は音子と残り三人の二組に分かれて行動しているらしい。


「紅葉ちゃんがネー、大事なクラスメイトだから、ポータルは後回しにして皆で探したいって言ってネ。1、自由に行動しやすいワタシは単独で捜索をしてたってワケ」


「なるっ、ほど…!」


 どうやら煌の捜索を頼んだのは更科さんらしい。流石は性格も完璧な美少女、生き残ること第一のこの状況で、一介のクラスメイトにすら気をかけてくれるなど天使以外の何者でもない。本当に感謝だ。できれば更科さんに見つけて欲しかったが、贅沢は言うまい。


「…もしかして、最初から、一人だったの、俺だけ…?」


「そうだヨ。基本、みんな同じ地点からスタートするんだけどネ。どうしてそんなに不幸なのかナー?もしかして前世とか超極悪人だった?」


「前世の宿業の発動タイミングが絶妙過ぎるっ…!」


 実際、それを疑わざるを得ないほどの不幸っぷりだ。無職でソロスタートとか人生ハードモード過ぎないか。無人島に裸で放り出されたようなものなんだが。


「これって、制限時間とか、あるんですかっ…?」

「だいたい三時間」

「さんっ…!?」

「長いよネー。隠れてやり過ごすのもアリっちゃアリなんだけど、アイツ相手だったら早くポータル見つける方が楽なんだヨ」


 うんうん、と頷きながら愚痴る音子。


「あ、ちなみに経験豊富なワタシから言わせてもらうと、隠れてる時の暇つぶしにピッタリなのがオッタマゲッコンゲームっていうーー」



『…ォ』



「「あっ」」



 大通りに出た瞬間、二度と見たくもなかった敵に遭遇する。

 鴉頭の死神が、大鎌を手に立っていた。


「警戒怠ってた…!逃げるヨ、煌クン!」


「っ、はい!あとオッタマゲッコンゲームって何?!」


「あとでのお楽しみ!」


 二人して大通りを全力疾走する。

 怪物はといえば、大鎌を引きずりながら足音を轟かせて、こちらへ走ってきていた。


「聞き忘れてましたけどっ、何なんですかアレっ…!」

「ワタシ達を殺しにくる鬼だヨ!ワタシは『処刑人エクスキュージョナー』って呼んでル!」

処刑人エクスキュージョナーっ…!」


 なるほど、自分たちがプレイヤーで、それを殺そうとしてくる処刑人。このゲームの形態は鬼ごっこに近いらしい。ただし、途中で降りれず、負けたら死亡し、挙げ句の果てに鬼側は本当に人間をやめている、プレイヤーに有利要素が少な過ぎる鬼ごっこだが。役職ジョブがあれば話は違うのだろうが、それすらも無い煌にとっては圧倒的に不利な状況だ。


「こんな鬼畜難易度の鬼ごっこ、なんか、やってられるか…!」

「お!鬼ごっことは言い得て妙だネ!まさにリアル鬼ごっこ!あ、夢の中だからバーチャルかな?」

「言ってる場合かぁッ!」


 音子にはまだ余裕がありそうだが、煌は体力的に限界が近い。そもそも、捕まったら死、という状況にあるだけで精神力が削られる。音子にその素振りがないのは、何度も修羅場をくぐってきたが故か。

 と、考えていると、急に処刑人の足音が止まる。


「…?」


 振り返ってみると、鴉頭の処刑人は、両手をついて、何やら前傾姿勢になっていた。

 その姿勢にはどこか見覚えがあった。そう、確か、あれは闘牛の動画を見ていた時の――


「…来る」


「え?」


「ワタシが合図したら横に飛んで!」


「な、何を」


 言っているんだ、と言いかけて、煌は驚愕する。

 目の前の鴉頭の体が急激に膨張した、否、体ではなく、筋肉というのが正確か。極度に細かった上腕と脚、元々太かった胴体もさらに一回り大きくなる。

 そうだ。闘牛の何と似ていると思ったのか。

 それは、姿とだ。


「今!」

「ッ!!」


 合図と同時に脇道に飛び込む。

 まだ地に足もつかないうちに、背後から突風が吹いた。あまりの風圧に、体が前方に吹き飛ばされる。


「あぐっ…く、そ。一体、何が…」

「見てごらん」


 音子に言われて視線を戻し、煌は目を見張った。

 先程自分がいた場所が文字通り抉れている。それは一点に収まらず、道全体が円弧を描いて大きく抉れているのだ。


「は…?」


 再び街道に出て、抉れた道の先を見る煌。その目に映るのは、先50メートル程にわたる破壊痕と、その終点で蹲っている怪物の姿だった。現在は筋肉が収縮しており、頭についた瓦礫を振り払っているようだ。


「あれが、あの処刑人が持ってる能力。筋肉を肥大化させて対象に向かって大質量で突進するってモノ。シンプルだけど、その分威力と縦方向のレンジはある。少しでも擦れば体千切れるし、うまく避けなかったら瓦礫とか風圧とかでも怪我するしネ」


「能力って…!処刑人エクスキュージョナー側も持ってるんですか?!」 


「持ってるヨー。まぁ、あれでも能力としては弱い方なんだけどネ」


 あれで、弱い?

 目の前の惨状を見返して、煌は愕然とする。能力を聞いた感じ、あれは要するに超高速で突進してくるブルドーザーのようなものだ。いや、実状をふまえれば、危険度としては更に一段階上だろう。

 まさに、生きる災害。それでも弱い方とは、この世界がいかにハードかが分かってしまう。


 そして、そんな世界でなんの能力も持たない自分が、いかに致命的か、も。


 煌が現実を認識し呆けていると、鴉頭の怪物は既に立ち上がり、こちらを標的にしていた。


「ッ…、突っ立ってないで!次が来るヨ!」

「…ぇ、あ!はい!」


 脇道の奥へと走り出す煌と音子。

 走り出した数秒後、さっきまで二人がいた場所に怪物の体躯が建物を穿ちながら高速で現れる。

 音子は姿勢を低くしてなんとか風圧に耐えたが、煌はというと、またも風圧で吹き飛ばされていた。


 体を強く打ち、苦悶の表情を浮かべる煌に対して、音子は冷徹な眼差しを向けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る