第3話
その後、ナースの持って来た飲み物を2人で分けながら、僕はベッドに腰掛けて座る旧友、芥田との久しぶりの会話を楽しんでいた。
芥田は僕の高校時代からの友人で、今でも出会った時の事は鮮明に覚えていた。
「常盤……なんて言うんだ?」
「えっ……何って何が?」
学生時代、体育の授業の時だった。他クラスとの合同授業となる科目で、僕と芥田はペアを組んだ事をきっかけに出会った。
「いやだから、下の名前だよ」
体操服に刺繍された僕の常盤という名字を指差して、芥田はそう問うてきた。
「あぁ、えっと、常盤悠甚です」
「ユージンってあの友人?」
「あっいや、そっちではなくて、悠久の悠に甚平の甚」そう言いながら僕は芥田と背中合わせになって腕を組み、僕がお辞儀をする形で芥田の背中を伸ばした。
「ジンベエって何?」僕の背中の上で海老反りになりながら芥田は問うてきた。
「甚平ってのは、袖と丈の短い浴衣みたいな」
「わからんなっ」と今度は芥田がお辞儀をする形で僕を持ち上げ、背中を伸ばさせた。
「あとは『甚だしい』とか」
「ハナハダシイ?どういう意味?」
「……これもダメか。あとは勘定の勘の左側とでもいうのかな」
「あぁ……基本の基の下が匹のやつか」
「逆になんで悠久の悠はすぐ分かったんだよ」
「えっ?ユウキュウって休みの方じゃないのか?」
「違うよ」
そう言って僕と芥田は笑い合った。
そうだ、こんな淡いも無い会話がきっかけだった。
芥田は特別勉強が出来るといった訳ではなく、成績こそ並ではあったものも、アイデア性の閃きや賢さ、そして持ち前の手先の器用さで日々を謳歌しているような人物で、地味で根暗だった僕なんかとは対照的に生徒間では勿論、教師陣にも面白い奴だと人気のある生徒だった。
「んで、執筆活動の方は順調なのか、先生?」
「相変わらず順調だよ」
ナースが持ってきてくれたメモを芥田に見せるよう掲げて、まぁ体調以外はね、と僕は自虐めいて笑った。
僕は学生の頃から作家を志望しており、投稿した作品が賞を取ったことを機に、高校卒業後そのまま作家としてデビューした。一方で芥田は機械工学専門の大学に入学し、長期の留学期間などを経て、卒業と同時に機械製造の工場へ就職したと聞いていた。
「確かにその様子じゃ、平気そうだな」と芥田もはにかんで笑った。黄色く変色した歯がチラリと見える。
「まだ煙草吸ってるのか?」
「あぁ、趣味や娯楽がそれしか無いもんでね」
芥田は不良生徒のように教師陣に対して反抗的といった事は無かったが、学生ながら隠れて煙草を吸うという悪い趣味を覚えていた。
「お前も煙草ばっかり吸ってると僕みたいになるぞ」
「お前に言われると説得力が違うな」
芥田は僕の忠告をそうやって冗談めかして受け流した。
僕はもう、あと1年生きられるか分からないんだ。
この事を伝えるべきかどうか、僕は迷った。
僕は交友関係も狭く、家族や親戚内でも近縁で親しい人達は皆早くに亡くなってしまい、親しい人はもう残っていない。
遺言と言ったら重たい物になってしまうが、何かしら伝えるべき言葉があるかもしれないと僕が言葉を選んでいると、そうだ渡す物があったんだと、芥田はポケットからスマートフォンを取り出して僕に渡した。それは見慣れた僕自身のスマホだった。
ありがとうと僕が礼を言うと、それじゃあまた近いうち飯でも食いに行こうと言って芥田は急に立ち上がった。そしてそのまま振り返る事も無く
「お前を助けたヤツが知りたけりゃ、電話しな」
とだけ言って病室を出ていった。
何だったんだアイツは。
遠ざかる芥田の足音を聞きながら、僕は久しぶりにスマホの電源を入れて起動すると、通知履歴が画面いっぱいに表示された。
「白河さん……心配かけちゃったな」
予想通り、担当編集である白河さんから無数の連絡が来ていた。
芥田が言っていた僕を助けた人ってのは白河さんの事だったのか。
時計を見るといつの間にか19時を回っており、電話する気が多少申し訳ないに感じられた。しかし心配を掛けておいて、一切連絡しないのもこれまた申し訳なく思える。
僕はこれを夕方のジレンマと呼んでいた。時刻にして17時から19時くらい時に、ふと何かしようと考えると、時間的にやっぱり明日にしようかと迷うぐらいのタイミングなのだ。
そんなジレンマに惑わされ迷いはしたが、まぁ明日にしようと僕は電話するのを辞めた。そんなに急いだって既に5日以上連絡を取っていなかったのだから、執筆活動に関しては何とかなっているのだろう。
白河さんから送られて来ていた無数の着信履歴とメールに目を通しながら、僕は自分が死に近くなった時に心配してくれる人が2名も居た事に、心なしか喜んでいた。
そんな事を考えているとコンコンとドアがノックされ、ナースが夕食のお時間ですと言って入って来た。最初に出会ったナースと異なる人物で、夕食が乗っているであろうプレートを両手で抱えていた。
そういえば僕は眠っている間、ずっと点滴で栄養補給していたのか。お腹をさすってみるが空腹感は余り感じられず、不思議な感覚だった。
「腹部に何かありましたか?」とナースが僕に尋ねた。
「いえ、大丈夫です。いただきます」
ナースが簡易的な机をセットして、その上にプレートを乗せた。病院食と言うものは味気なくて食べ易さ重視の流動食みたいなペーストを想像していた。しかし出されたプレートにはパンとサラダ、そしてメインにシチューと随分豪華に感じるラインナップだった。これでは普段僕が食べている物の方が質素ではないか。
「食べ終わりましたら、レックにお知らせ下さい」
そう機械的に言ってナースは病室を出て行った。
あのナースはひょっとしてアンドロイドだろうかと考えながらシチューを一口食べる。
「美味しい……」
1人きりの食事で、久しぶりにそんな言葉が漏れた。シチューは仄かに湯気が出るほど温かく、ほぐれた鮭が入っており、野菜やホワイトソースと絡み合ってマッチしていた。サラダも青臭くなく、新鮮なレタスの食感やトマトの果肉が口の中で噛む度に弾ける。パンも見た目こそ簡素なパンだったが、余計な味付けが施されていない分シチューに浸して食べるには最適だった。
気付けば、いつの間にか完食していた。病み上がりなのにペロリと食べきれた事に、僕自身が1番驚いていた。
「御馳走様でした。レック、食べ終わったよ」
「かしこまりました」
その後、ナースが食べ終わったプレートを回収しに来た。今度はアンドロイドっぽくない人間味溢れる若々しい女性だった。ひょっとすると新人なのかもしれない。
「あのぉ……常盤さん?」
「はい、なんでしょう?」
そのナースは他の目を気にしてるのか、目線をキョロキョロとさせ、挙動不審な様子で僕に尋ねてきた。
「あのお荷物は、お部屋の中に入れても宜しいですかね……?」
「荷物?」
ナースは自分が入って来た入口のドアをチラチラと見た。どうやら僕の病室前の廊下に荷物があり、それを室内に入れても良いのかを問いているらしい。
しかし荷物と言われても身に覚えがない。芥田が置いていったのだろうか?
「えぇと、とりあえずお願いして良いですかね」
「はいっ、かしこまりました」
そう言ってナースは僕の食べ終わったプレートを持って一度病室を出た後、今度は段ボール箱を持って再びやって来た。箱の大きさはそれなりに大きいが、女性1人で持ち運び出来る事から重い物ではなさそうだった。
ナースに礼を言って、僕は机上に箱を置いてもらう。箱の宛先を見てみると、案の定芥田からの物だった。
ナースがそれでは失礼しますと言って病室を再度出てから、何が入っているのだろうと僕は箱を開ける。
箱の中には数冊の本と小さなメモが入っていた。
「退院したら祝いにアンドロイドを送るから」
メモにはそう芥田の字で走り書きされていて、一緒に入っていた本は家庭用アンドロイドの詳細が詰まった取扱説明書などが同封されていた。
「アンド……ロイド……?」
僕がアンドロイドを持つ?
にわかには受け入れられなかった。そもそもアンドロイドは高額で、安く流通している物でも自動車とほぼ変わらない高級品だ。ましてや、それを芥田が送ってくれる理由がよく分からない。
よく分からずとも旧友がせっかくくれたのだからと、僕は雑誌を流し読みしていると程なくして心地良い睡魔に襲われ、抗うことなくそのまま瞼を下ろして眠りについた。
She is η(本編) 刻谷治(コクヤ オサム) @kokuya_osamu
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