戦国時代 彼らの青春

妻高 あきひと

戦国時代 彼らの青春

 夜明けが近い。

つがいなのか、鷺が二羽飛んでいく。

「早起きじゃな、これから朝飯か」

正太郎がつぶやくと、部屋の中から孫次郎がきいた。

「何か言うたか」

「おう、起きたか、鷺を見ておった、ひとり言じゃ」


正太郎と孫次郎は村の用事で瓦屋にきて、昨晩は旅籠に泊まった。

ともに百姓で早起きは得意だ。

二人は同い年、仲の良さは兄弟以上だ。

正太郎は孫次郎を”孫”と呼び、孫次郎は正太郎を”正太”と呼び、仕事仲間であり遊び仲間であり悩む仲間でもあり、いっしょに命を懸けた稼ぎをやる仲間でもある。


命を懸けた稼ぎと言っても押し込みなどではない。

戦があると刀を差し竹槍を持って村の者たちと出かけていく。

二三日で終わるときもあれば、半月かかるときもある。


戦をするのではなく、戦の後で銭になるものを探し出し、あるいは捕らえて銭に替えるのだ。

つまり落ち武者狩りである。

相手が死んでしまえば首だけ取る。

首実検にかけ、間違いなければ恩賞として銭がもらえる。


だが当然ながら相手も必死だ。

正太郎の父は六年ばかり前に落ち武者狩りに出かけ、帰ってきたのは仲間が預かってきた村の鎮守のお守りとひとつかみの髪の毛だけだった。

今は母と二人暮らしで他に兄弟姉妹もいない。


万が一のことがあれば母一人になるが、正太郎が落ち武者狩りに出ていくときは

「気いつけてな」

と言うだけだ。

止めても無駄だからとあきらめている。


「お前の戦好きは父親の血じゃ、嫁ももらわずに危ないことばかり、わざわざ侍の首を取りにいかずとも何とか食えるものを、何とかならんもんか」

とたまに愚痴はこぼす。


 孫次郎の父は三年前に落ち武者に斬られて命を落とした。

孫次郎は母と妹との三人暮らしだ。

兄がいたが二つのときに風邪をこじらせて亡くなった。

落ち武者狩りに出かけるたびにお袋は泣き、妹は必死で止めるのだが、隙をみては姿を消し、言うことを聞かない。


 二人は家も隣同士で、今はそれぞれ大黒柱だが、そろって山っ気があるのが玉に瑕(きず)で、それが互いの家族には頭痛の種だ。

二人は百姓だけで生きていくのは性に合わないようだが、百姓が虐げられる世の中では無理もない。

その焦りいらつく気持ちがなおも二人を落ち武者狩りに駆り立てる。


 東の空に遠くの山の形がだんだんと浮き上がってくる。

明ける空を見ながら縁側に座った孫次郎が言う。

「 今日あたり戦が始まってくれんかのォ、今日あれば帰りに寄り道すればええし、都合がええんじゃが」

「勝つと分かってて戦をせぬ奴はおらんからの、陣立てはできておるようじゃし、やるとすれば今晩か明日の朝じゃないか」


「始まれば行こうで」

「もちろんじゃ、しかし村の用できておるので見に行くだけにしょうな」

「それよ、見るだけで行ったときに限ってええことが起きるんでの」

「じゃが道具も人手もねえし、何よりここら辺りではわしらはよそ者じゃ。もめればこっちが殺されかねん。遊びがてらで行って、何かあれば相談すればえかろう」

「うん、それでええ」


 二人が旅籠の玄関で支度をしていると主人が奥から二人の弁当を手にして出てきて

弁当を二人に渡しながら言った。

「国境での国衆の中丸と鎌山のにらみ合いは、昨晩とうとう戦になったそうです」

「昨晩ですか」

「はい、夜陰にまぎれて鎌山と大江の軍が中丸の陣に攻め込んだそうにございます。月があるとはいえ、暗闇の中ですから守るほうは一旦崩れれば立て直しはききませんからな、おそらく勝負がつくのは早いでしょう。お帰りになる道とは場所が離れてはおりますが、追う者追われる者で、どこで斬り合いが起きるやらわかりません。重々お気をつけてお帰りください」


「中丸の当主はどうなりました」

と正太郎が言うと、主人は話し好きらしく身を乗り出してきて話し始めた。

主人が座ったので二人も座った。


「これ、座布団をもってきておくれ」

顔の丸い愛想のいい女がそれぞれに座布団を持ってきて渡した。

主人は二人が話しやすい人物と思ったのか、よほど話し好きなのか、堰を切ったように話し始めた。


「中丸の当主については何も聞いておりませんが、先ほど番屋の者から聞いた話しでは鎌山と大江の本隊は夜陰に紛れて中丸の陣に押し寄せ、一方で大江を主力にした一隊が中丸の館を目指して進んでいたとのことでした。

夜の街道を夥しい数の松明が中丸の館を目指して走っていたと、見た者が申していたそうです。中丸に館を守るほどの手勢はなく、すぐに落ちるのではないか、とも申していました。


ひと月前から国境の野っ原でにらみ合っておりましたが、鎌山の姉の嫁ぎ先の大江がいきなり加勢に加わって状況が一気に変わりましたからな。そもそも鎌山と中丸は所帯が似ており、戦をすれば共倒れになるような有様です。

鎌山も戦に勝つ自信はなかったようで、無用な戦はやめようと中丸に和議を申し入れ証文を渡し、みずからの娘まで人質に出すほど弱気でした。


しかしその直後に大江が加勢することに決まると態度を一変させました。

人質にされた娘はまだ十四でしたが、このままでは命はなかろう、気の毒にのというのが大方の予想でございますが、まあそうなるでしょうな。鎌山の娘にしては美人だと評判でしたからな、磔になったら見物人がさぞ多いに違いありません」


孫次郎が半笑いしながら言った。

「娘の磔か、不憫じゃが見てみたい気もするな」

「あなた様も正直なお方ですな、いやいやみなそうですよ、かくいう私も見てみたいと思うてます。

十四の娘の磔、いやあ、ま、確かに不憫ではありますがのォ、物見高いは人の常にございますからな」

孫次郎が言う。

「しかしわしら帰らなきゃならんし、それにちと遠いわ」


ここで話しは終わりそうだったが、

「そもそもどうして戦に」

と正太郎が薪をくべたから、主人の話し好きに火がついた。

主人はならばと話しを続けた。


「中丸の領内であった十日市でのことです。見物に行っていた鎌山の侍が暴れた馬に蹴られてその場に尻もちをついて転がったのです。それで怒った侍が馬を引いていた馬喰を有無を言わせず無礼者と叫んでいきなり袈裟懸けに斬り殺してしまいました。

それがもめ事の始まりでした。


ですが、その際の経緯を見ていた者が数人おりましてな、その話しによると馬が暴れたのは侍のイタズラによるものでした。

侍は口に咥えていた団子の串先を、ふざけ半分で馬の尻に突き刺し、それで馬が暴れたそうにございます。


 現場は大騒動になりましたが、それでも中丸の当主は、今のようにあちらこちらで戦が続くときに事を荒立てても互いに良いことはないとして、侍を咎めずにそのまま帰し、改めて人を送って銭でよいから馬喰たちを丸く収めてくれ、と鎌山に申し入れたのです。


聞いたところでは大層な額ではございません。

ところが鎌山は、いや払う理由はない、悪いのは馬喰じゃ馬じゃと強弁し、払うどころか逆に中丸に詫び状を求め、あの馬の首を持ってこいとまで開き直ったのでございます。

それが感情的な両家の対立となり、最後は馬喰が殺されたことはそっちのけで両家の面子と意地の張り合いになってしまいました。


 鎌山は中丸を脅すために万が一の場合はと隣国の大江に加勢を申し込みました。

大江の当主の女房は鎌山の姉ですから。

しかし大江の当主は、”いくら嫁の実家とはいえ、そもそもの始まりは鎌山の者の悪ふざけであろうが、そんなことで鎌山に加勢をして中丸と戦ができるか、道理が通らぬわ、ふざけるな”と鎌山の頼みをはねつけたそうにございます。


しかし鎌山の当主は曲者でしてな、それくらいでは引っ込まず ”中丸を攻めて領地を奪い半分づつ分け合おうではないか” と大江を煽ったのです。しかし大江の当主は若いがしっかりしております。

”中丸に恨みはない、そのようなことができるか、断る”とまたはねつけました。


それで終わるはずでしたが、悪いことにそれが大江のご隠居の耳に入りました。

このご隠居がまた曲者でしてな、欲と道連れで鎌山の話しに乗ったのです。

ご隠居は今も事実上の当主ですからな、若い当主に”領地が増えるのに何を逡巡するか、この際じゃ鎌山の加勢をして領地を増やせ”と怒鳴り、重臣たちもそれに乗りました。


大江の若い当主は仕方なしに鎌山に加勢しました。

しかし大江の当主はやはり違いました。

重臣たちを前にしてこう言うたそうにございます。


”何の恨みもない中丸と戦はしとうない。じゃがお家で決めた以上はやる。やると決めた以上は勝たねばならぬ、この戦はほっておいても勝てるが半端な勝ち方はできぬ。中丸には気の毒じゃが、根絶やしにするまでやる”と。


戦とは殺し合い、奪い合いにございましょう。

加勢であれ、戦というものは決めたからには絶対に勝たねばなりません。

最初は反対しても一旦戦と決まれば勝つためには力をつくさねばなりません。

何より大江は中丸や鎌山よりも数段所帯が大きゅうございますからな、人もそろうております。


大江の当主はあれこれ手立てし、策を練り、鎌山には口出しを許さず、あくまでも大江の戦としてやると、万全の態勢で軍勢を送り出しました。

これを悪とみるか否かは人それぞれでしょうが、大江の当主は若いながら大したものです。

みずから進んで悪役になったとも言えます。

こうなると結果はもう出ております」


正太郎は旅籠の主人の意外な言葉に、相槌を打った。

「いやご主人、おっしゃること正しくその通りです。

戦は勝ってこそです。いったん戦うとなれば相手が誰であろうと躊躇は禁物、策を弄して批判を受けようと勝てば人は何も言いいませんから」


「わたしどもの商いとて同じ、儲けた者が勝ちなのです。お百姓さんも同じでありましょ、しょせんは米を多くつくれる者がええ百姓」

「その通りです。ごもっとも」

「いや、お若いがさすがですな、あなた様はよくお分かりになっておられる。いや気に入った」

正太郎が薪をどんどん入れ足すから主人の話しも熱をおびてくる。

横にいる孫次郎は肝心の戦が気になってしようがない。

だが主人の話しも面白いので水を差すのも、と気が引けて聞き役に徹している。


主人は続ける。

「話しは戻りますが、するとですな、中丸もこれはいかんと親戚の瀬田に加勢を求めたのです。しかし瀬田は瀬田で隣の加藤と谷の水源をめぐってケンカ状態でいつ戦になるやもしれない状況です。

万が一の時は頼むと中丸に援兵を頼んでいるような有様ですから瀬田にも余裕がございません。


それでもせめてもの加勢にと二騎の騎馬武者に徒士と足軽を五十人ばかりつけて寄越したのです。

瀬田は所帯の小さい国衆ですから武者を加えた五十人は大きゅうございます。

加藤と戦するにも、この五十人がおるとおらぬでは大違いです。


ところが中丸の当主は人は好いのですが、若いせいか見栄っ張りで短気なところがありましてな、”わずか五十とはバカにするな”と怒られ、その加勢を総て追い返してしまいました。

さりとて瀬田もそれ以上を出す余力もなく、中丸がそう言うなら仕方ないとそれ以後は静観を決め込んでしまいました。


たとえ五十人といえど、それは瀬田が中丸に加勢するという意味に他なりません。そうであれば大江といえども簡単に中丸とは戦えません。瀬田はしっかりした家でしてな、ここら辺りの国衆でも一番に信用があり、瀬田に心を寄せる国衆も多く、大江といえども瀬田も相手にするなら鎌山の加勢にも腰がひけたでしょう。


なのにその場の怒りに任せて短気を出した中丸の当主、それが今の中丸の危機につながってしまったようです。

ホントに短気は損気にございますな。

喜んだのは鎌山と大江です。


大方の予想通り、中丸が瀬田の援兵を追い返したその二日後に大江の主力が中丸の陣の正面に現れました。

団栗の背比べのような中丸と鎌山の戦に柿が加わったようなものです。

これで国境は一気に緊張しました。


鎌山はもう何も待つ必要もなく、いつ動くかだけでした。

それが昨晩だったようです。

号令をかけたのは、おそらく大江でありましょう」


「そういうことでしたか、これは面白いお話しを聞かせてもらいました」

「それじゃもう中丸の負けじゃな」

誰かが話しに割り込んだ。

二人が見ると周りを宿の客が取り巻いている。

なるほど、主人の話しに熱が入るはずだと二人は思った。


「現場はすでに殺し合いになっておりますので、みな頭に血が登っております。出会えばどのようなことになるか分かりません。方角が違うとはいえ、大江も鎌山もしらみつぶしに中丸の者を追うておりましょう。お帰りは遠回りできれば、そうされたほうが、よろしいかと存じます。何でしたらあと二三日お泊りになられたらいかがですか」


「そうしたいところですが、ただ村の用事で来ておりますし、戦もあり、村の者も家の者も案じておると思います。このまますぐに立とうとさっきも二人で相談したばかりです。ああそうじゃ、ご主人、ついでの頼みで申し訳ないが、戦があった国境の場所の様子と辺りの道を紙に書いてはもらえませんか。寄り道にはなりますが、こいつと二人で話しの土産に見物に行ってみるつもりです」

横の孫次郎もニコニコ笑いながらうんうんとうなづいた。


「戦をわざわざ見物に行かれるので、よろしいのか、遠くからならともかく、下手に近づくと・・」

「ああ、構いません、その場の様子を見ながら危ないところには近づきませんから。書いてもらえますか」

「そりゃまあおやすいご用でございますが」


主人は紙と墨と筆箱を女中に持って来させると、

「わたしはあの辺りにあまり詳しくはありませんが、よろしいか」」

と主人が言うと周りにいた客の一人が

「ああ、わしは松茸を探しにあの辺りは何度か歩いておるで、わしが教えてさしあげよう」

と言った。


「こりゃすみませんな」

「なあにどうってことはありません」

主人と客があれこれ言いながら主人が地図を描いている。

客が言った。

「下手ですな、ま、わからんほどでもないが」

主人は気分を壊したようだが、

確かに二人が下を向くほど下手な絵だった。

が、贅沢は言えない。


二人は礼を言い、宿賃を払い、弁当を小さな竹籠に入れて背中に背負い、宿を出た。

「主の話しでいけば、国境の戦はもう終わっておろうが、ちょうどええ」

「うん、急ごう」

二人は急ぎ足で国境への道を走った。

旅籠の主人や女中たち、客までが心配そうに後ろ姿を見送っていた。


 国境への道に入り、しばらく進むと、向こうから男が駆け足でやってくる。

行商人か、背中に大荷物を背負っている。

孫次郎が尋ねた。

「すまんが、この先の国境で戦があったはずじゃが、ご存じか」

男の顔に汗が滝のように流れている。

手ぬぐいで顔を拭きながら男は言った。


「ああこのずっと先じゃ、近づくと危ないで。さっき遠くから見たときは、死にぞこないの者にトドメを刺したり、生きている者の何人かは磔にしておった。捕らえた者はみな殺しているようじゃ。鎌山と大江の多くの兵はもうおらん。中丸の館への加勢と、中丸の兵の追い込みに入っておるらしい。国境の戦そのものはもうすんでおるよ。


もうよかろうと思うて国境を越えようと思うたのじゃが、見るのに街道をふさいでいる者はみな目つきが違うでの、返り血を浴びた者も多いし、こりゃまだ早いわと思うておったら足軽どもが手招きしながら大声で呼びおった。

”おい、貴様こっちへこい”とな、こりゃ行ったらどんな目に合わされるかと思うたもんであわてて向きを変えたら、二三人追いかけてきょった、必死で駆けると後ろで笑い声が聞こえた。あいつら、からかいやがって、腹がたってしょうがない」


「ああそんな様子か、行かんほうが良さそうじゃな、これは。戦は終わったか、小さい戦じゃからの、すむのも早いな」

「でお前さんたちはそんな恰好であそこを抜ける気か、やめといたほうがええ」

「いや戦見物をしようと思うてきたのじゃ」

「・・・なんとモノ好きなことじゃ、気いつけよ、みな血に飢えておるでな、近づくと危ないぞ」

行商人はそのまま走り去っていった。


 すでに戦は終わった。

大江はおよそ千の兵を出し、中丸との正面に半数の五百ほどまわし、残りを鎌山の兵百とともに夜中に中丸の館を急襲させていた。

館に大江と鎌山の軍勢が向かっているという知らせを聞いて国境の陣屋にいた中丸の当主はすぐに館に引返し、残った者が対峙していたものの、鎌山と大江の兵に押されてすぐに総崩れになり、勝負はあっけなくついていた。


同じころには、館はすでに火をつけられ燃え上がっていた。

人質にされていた鎌山の娘は戦が始まれば磔にせよと指図されていたが、娘は生きていた。

館から離れた観音堂にいると知らされ、鎌山の兵が見つけたときは横に中丸の家臣が数名いて、そのまま娘を無傷のまま鎌山の兵に引き渡した。


中丸の者をどうするかとなったが、調べれば娘を磔にしようとした中丸の家臣つまり朋輩を殺して娘を連れ出したことが分かった。

娘を助けることで鎌山に命乞いをしようとしたのだ。

大江の兵が問答無用でその中丸の家来を殺し、娘は馬に乗り、鎌山の兵が守りながら帰っていった。


 正太郎と孫次郎はそんなことは知る由もない。

国境に向かって歩き続けている。

戦が終わると気になるのは、その後だ。

落ち武者狩りの血が騒ぐのだ。

いつ頃からこの血がでてきたのかは分からないが、おそらく生まれたときにはすでに背中に背負っていたのだろう。

二人だけではない、人はみなそうである。


夏の山道はきつい。

息継ぎに大きなブナの木の陰で休んでいると、国境のほうから今度は百姓がやってきた。

一家で逃げてきたようだ。


「ああ、日陰がある、休ませてもらおう。お邪魔しますよ」

親父が言うと、そこは百姓同士だ、二人と立ち話になった。

「ああ、どうぞどうぞ、向こうはまだ危ない様子ですか」

「戦がすぐにすんだのはええが、中丸のもんが逃げてくるのに弱った。ボロボロになった者、血まみれの者、何人も家の横を通り、水を飲ませろという奴がおるかと思うと、うちの戸板を外して血まみれの武者を乗せ、四人でその武者を戸板ごみ連れて行った奴もおる。

戸板の銭ももらわにゃならんが、あそこでそれを言うたら殺されたじゃろう。


抜き身や槍、弓を持ったもんが逃げてくるし、あげくに鎌山と大江の兵が喚声を上げながら高みから現れた。

すぐそこで斬り合いになった。

こっちは女房も子もおるし、あぶのうてかなわんのでケガしておらんうちに、何もかもほったらかして着の身着のままで逃げてきた。家が無事ならええが」


親父は女房と子を四人連れている。

子の一人はまだ赤子だ。

女房が赤い顔でおっぱいを飲ませている。

一番上はまだ童顔だが長男だろう、一緒に働いているようだ。


親父が言う

「アンタたちは向こうでは見かけなかったが、こっちから来たのか、まさか国境にいくわけでもあるまい」

「いや国境に行くんです」

「何しに」

「見物です」

「・・・・    物好きじゃな、殺されんように気いつけてな」

長男らしき若者が言う。

「見に行くんですか、一緒に行ってもええですか」


親父が怒鳴った。

「作治! 何を言うか、戦見物なんぞバカのすることじゃ」

親父は正太郎と孫次郎を見てバツが悪そうに下を向いた。

二人は笑って言った。

「ええ、ええです、戦見物なんぞバカしかできんから」


女房が赤子をあやしながら言った。

「気いつけてな、家に帰れば嫁も子もおるんじゃろう。泣かすでないよ」

二人には嫁も子もいない。

「ああ、どうも、じゃおたくらも気をつけて。このまま道なりにいくとええんですよね」


「ああ、そうじゃが、まっすぐ行けば修羅場じゃぞ、この世の地獄じゃ。余計なことかもしれんが止めといたほうがええ。味方でない者、得体のしれない者は殺されるでな。

それよりな、しばらく行くと道が分かれておる。石の地蔵が立っておるで、左の細い道を行けば国境の様子がまんま見える峠に行ける。道は細いが草に隠れてはおらん。その道ならまだ安心じゃ。峠も低いでそう手間もかからん。分かれ道を右に行けば地獄が待っておるぞ」


「ええことを聞かせてもろうた、ありがたい、お宅らも気いつけて」

二人は礼を言い、走った。

後ろから親父の声が聞こえた。

「左の道じゃぞ、左~ 」

二人は走りながら手を上げた。

正太郎がいう。

「あの子どものような長男坊、作治とか親父が言うておったが、いっしょに行きたそうじゃったの」


「ああ、まだ十四五じゃろうが、連れてってくれと言うておったの、似たような命知らずのバカはどこにでもおるの」

「作治か・・あいつ、なんかまたどこかで会いそうな気がするな」

「ハハハ、そうか、わしにはわからんが、お前は勘がええで、ひょっとしたら会えるかもな」


正太郎が振り返ると親父たちはブナの木の日陰で寝ころんでいたが、作治は日向に出て正太郎たちを見ていた。

笑うように手を振った。

正太郎は孫次郎に声をかけた。


二人で作治に手を振った。

お互いに笑っていた。

「初めてじゃあんな奴は、また会えるとええな正太よ」

「ああそうじゃの、オレたちにもいつか弟子が出来るかもな」


「弟子のォ、なら俺たちは師匠かい、何の師匠じゃ、落ち武者狩りの師匠かい、それならそれでもう少し場数を踏まんといけんの、ま、それもお前と俺が生きておればの話しじゃが」


「ああ、ともに長生きしょうで、わしゃこの先、世の中がどうなるのか、誰が最後に勝つのか、それを生きて、見たい」

「そうじゃの、頑張って生きようで、どんなに卑怯なことをしてでもな。生き残ったが勝ちじゃ」


道に二人の汗が飛び散る。

山が少しづつ高くなり、青空が大きくなっていく。

二人の青春は戦国時代の真っただ中だ。


正太郎も孫次郎もともに二十、今でいう青春真っ盛りである。

戦国時代が彼らの青春であり、今そこに生まれた者の運命でもある。

信長も秀吉も家康も青春は戦の中だ。

彼らの青い春だが、おそらく誰もみなそれが悲惨だとは思っていない。

戦国時代は、彼らには青春の時代なのだ。


                  峠からの眺め


地蔵が立っている。

「孫よ、どっちへ行くか、あの親父は右は地獄と言うておったが、地獄かどうかは行ってみねば分からん、じゃが分かったときは遅いかもしれん。どっちへ行くかでオレたちが明日生きているか死んでいるか決まる」


「わしはどっちでもええけどな、正太よお前は生き運があるで、お前についていくでの、お前決めろや」

「わしは生き運があるんか、初めて聞いたで」

「ああ、お前には前からそう思っておった。お前は死なんよ、オレもお前にあやかりたい。ここまで無事にきたのもお前のそばにおったからじゃと思うておる。お前の生き運にオレは賭ける。決めろや、お前が死ぬときはわしも死ぬときじゃ、死ねばもろともよ」


「ハハ、そうか、腐れ縁じゃの」

「そういうことよ、でどっちに行く」

「よし、あの親父の言うた峠に道をとろう。行くで」

「おう」


二人は緩い峠道をのぼっていく。

草むらが続き、周りは藪の林が囲んでいる。

一番高めのところが峠か、なるほど下がよく見える。景色がいい。

孫次郎が

「正太、あれ見てみい」

正太郎が孫次郎が指さしたほうを見ると、広い野原が広がり、そこに多くの人の姿があるのが見えた。

旗や旗指物、幔幕が散らばっているのが見える。

戦があった場所だ。

なるほど見通しがいい。

多くの兵が動いている。

転がっているのは死体か、ざっとみて二百以上はありそうだ。

すでに戦は終わっていた。

「片付けよるで」

「うん、早くすんだもんじゃな、中丸の当主はどうなったろうな、館に戻ったらしいが。戻ったのか戻ってないのか、首を取られたのか、それとも逃げたのか」


孫次郎が

「どうしょうか、ここへこのままおっても仕方ないし、あそこへはやはり行けぬし、どこかへ行けば何か拾えるかもしれんが、そのどこかも道もわからん」

正太郎はあの地図を頭をひねりながら見ている。


「それにしてもここは静かじゃの何の音もせん。戦どころか鳥の鳴き声さえ聞こえんわ。足軽一人の姿も見えんし。草むらを飛んでおるトンボもいかにもヒマそうじゃ。風もなく、屁をすかせば自分でおどろくくらい静かじゃの」

正太郎が応えた。

「あっちこっち歩き回っているとこっちの身が危ないしの。さてどうするか」


と言いながら、ずっと地図を見ている。

旅籠の主人と客が相談しながらその場で描いた地図だ。

ともに山の者ではないので、大ざっぱでどこまで本当なのやら分からない。

「頭をひねりながら描いておったでの、それにしても絵の下手なオッサンじゃ」


孫次郎が言う。

「そもそもこっちにくるはずではなかったしの」

「そうじゃの、悪口言うたらばちが当たるの」

「中丸のもんが逃げる先は、おそらく瀬田しかあるまいが、肝心なのはその道よの。この道もどこに通じておるのかわからんし」


「そうよな、瀬田にしか中丸が逃げる先はなかろうしな」

「しかし道を探すというてもな、さっきの百姓の息子、作治か、連れてくればよかったの」

「そうじゃの、素直そうじゃったしの、あいつ。う~んこの図でいけばここら辺りに間道がありそうじゃがな」

「いやあ、道は無さそうじゃで」


 すると突然、右手の後ろのほうで人の声らしきものが聞こえた。

二人は振り返ったが誰もいない。

「確かに今人の声らしきものが聞こえたよの、何を言ったかはわからんが」

「ああ、今のは人の声じゃ、どこにおるんじゃろうの」

風が少し出てきたのか、目の前の草むらがわずかに波立ち始めた。


「はよう来い」

また聞こえた。

それも今度は何を言っているかはっきりと分かった。

「はようこい、と言っとるな」

「うん、そう言った。どこからか」


すると草むらの向こう、右手の後ろの藪の林の中から三人の鎧武者が現れた。

正太郎たちと武者たちの距離は二十間ばかりか、相手の顔もはっきりと分かる。

二人は草に隠れるように腰を下ろし、正太郎が小さな声で言った。

「おった、おった、あれは中丸じゃ、落ちていきよる。まさかここで、それも目の前に出てくるとはの、いやおどろいた」


先頭の武者が後ろの者に尋ねた。

「別れ道を真っすぐきたが間違いないか、左ではないのじゃな」

「間違いございません。左に取ればまた国境に戻ってしまいます」

「さようか、ならよいが・・・・  」


正太郎がいう。

「この先で道が別れておるのじゃ、左にとればこの道、真っすぐ行けば瀬田へか、なるほどの、あそこに道があったとはの。まったく気づかなんだわ」

「草むらに隠れて分からんかったが、かえってよかったで、もう少し先に行っておったら、あいつらの真正面に出ておったで」

「うん、えかったの、ここにいて」

「それにしてもあの三人、負け戦とはいえ、惨めじゃの。侍も負け戦で落ちていく姿は憐れなものじゃ」


三人とも顔は埃まみれで、先頭は足を引きずり、二人目は槍を杖がわりにしている。

最後の一人は横腹を押さえ腰をかがめながら立木に寄りかかって止まり、後ろを振り返り叫んだ。

「あやつらは近いぞ。はよう来い」


孫次郎がいう。

「まだ後ろがおるんじゃ」

すると藪の陰から武具を身につけた徒士と足軽が三人現れた。

ほぼみなが傷を負っているように見えるが疲れもあるのだろう。

木に寄りかかっている武者が絞り出すような声でまたいった。

「瀬田の領内までまだ遠い、急がねば追いつかれるぞ」


「瀬田というたの、あの道は瀬田への道か、いやこれはついておる。館に戻る途中で鎌山か大江に襲われて崩れ、街道を避けて山越えして瀬田へ逃げるつもりじゃろう。中丸の館がどうなっているか知らぬままじゃろうな」

正太郎が言うと孫次郎が先頭の武者を指差しながらいった。


「あいつ、派手な陣羽織を着ておる。あれが中丸の当主ではないのか」

「ううん、確かにの、それらしいいで立ちじゃの、あれほどの陣羽織ならやはりそうじゃろう。武者の鎧も並みのものではなさそうじゃ。あの陣羽織だけでもええ銭になるで」

二人は顔を見合わせて笑った。


正太郎が真面目な顔をしつつ笑い気味に孫次郎にささやいた。

「これは追手がおらねば良いがの」

「うん、追手がこなければええが、なんとかしたいの。無理やりはぐわけにもいかんしの」

「しばらく隠れながら後ろをついて行こうじゃないか。せっかくここまで来たんじゃ、刃物はないがあいつらのものを使えばええ。あの様子ならもう長くはもたん。飯も食わず水も飲まずじゃろう」


「足軽もいつまでも負けた大将についてはいくまいしの。そろそろ逃げるかもしれんし、バラバラになるのを待って、そこでまた考えればええしの。村に帰るのも少々おそうなっても言い訳はなんぼでもできるし、そうしょう」

「ええで」


 後ろを行く徒士も足軽も無言で自分の足元だけを見ながら歩いている。

木に寄りかかっていた武者はとうとうそのまま座り込んでしまった。

草むらの向こうから顔だけが見えている。

徒士が武者に何か言っているようだ。

二人は耳をそばだて、じっと聞くが、さすがに聞こえない。


正太郎が小さな声で言った。

「あの武者、横腹を押さえておったが傷を負うておるようじゃな、道を歩いているならすぐに追手に見つかろう。姿をさらしてまるで見つけてくれと言っているようなものじゃ、山にも入る余裕がなく、もうあきらめておるように見えるの」

「なんやわくわくしてきたの正太よ、まさかこうなるとはの、ついてるなこりゃ」


一番前を行く武者の背中を槍を持った武者が片手で押し始めた。

「あの背中を押されているのがやはり中丸の当主じゃな、こりゃこんなことは滅多にないで」

「そうじゃ、そうじゃ、中丸の当主の首なら安くはないで。首に陣羽織に刀か、いやこれはええ銭になる。誰ぞ言うておったな、中丸の当主は見栄っ張りじゃと。あの陣羽織もそのせいじゃな、大きくもない所帯なのに、あのような派手な陣羽織とはな、まあわしらには好都合じゃが」


足軽三人は固まって立ったまま、しきりに林や草むら、座り込んだ武者のほうを見ている。

正太郎たちに気づいた様子はない。

「あいつら逃げるんじゃないか」

「うん、逃げそうじゃ、林に入る前に逃げる気か、こっちへ来るやもしれんで気をつけや」


と正太郎が言い終わるか終わらぬうちに、足軽の一人がいきなり草むらに飛び込むと二人の足軽も追うように草むらに飛び込んだ。

「殿さん、達者での~」と叫びながら草むらの中を斜めに横切り、あっという間に姿を消した。

一人の陣笠が吹っ飛んだが、振り向きもせずに逃げた。


「達者でのぉと言うたの、あれは何じゃ、中丸をコケにしたのか、酷いの」

「あの世まで付き合えるか、ということじゃろうな。余計なことを言わんでもの、いやはや戦は勝たねばだめじゃ、それにしても足も引きずり、弱っていたように見えたのは芝居じゃったのか、あきれたの」


残された武者たちと徒士はただ見ている。

座り込んだ武者もすぐに顔を戻した。

足軽を当てにもしていなかったのだろう。

「逃げると勘付いておったのじゃろうな、落ち目にはなりたくないもんじゃ」

「まあ、裏切って後ろから刺されるよりはマシじゃがの」


先頭の陣羽織の武者はまた歩き出した。

背中を二番目の武者が押している。

二人は林の中に消えた。


徒士は座り込んだ武者の耳に口をつけるようにして何か話している。

武者が右手を上げて、行け行けというような仕草をしている。

「あの武者、オレをおいて先に行けと言ってるようじゃな」

正太郎が言うと孫次郎もうなづいた。


すると武者と正太郎の目が合い、武者は正太郎たちに気づいた。

武者は目つきが変わり、それを見た横の徒士も二人に気づいた。

徒士は血のせいか赤黒くなった顔で、憤怒のような形相で正太郎を見据え、刀に手をかけた。


二人はあわてた。

「あいつ、オレたちを落ち武者狩りと勘違いしておるぞ」

孫次郎が言うと正太郎は背を伸ばしそこへつま先立ちした。

背中には小さな竹籠を背負い、刀も竹槍もなく、手にしているのは木の枝をそのまま使った杖だけだ。

そして正太郎は徒士に向かって軽く頭を下げた。


徒士は正太郎のその姿を見ると刀の柄から手を離した。

二人にはもう目もくれなかった。

「やれやれ、よかったの、距離もあるし、そばには手負いもおる、向かってはこまいが勘違いさせても気の毒じゃ」

徒士は座り込んでいる武者に頭を下げると足を引きずりながら林に消えていった。


草むらから武者の顔だけが浮き上がり、そのまま二人を見ている。

二人も武者を見ている。

死んでいく者と生きていかねばならぬ者が草むらをはさんで見合っている。

夏の青空を小さな雲が風に乗って次々と流れていく。

雲の影が武者を横切っていく。


武者の目が段々と生気を失っていくのが二人にも分かった。

「もう、だめだなありゃ」

「ああ、だめだな、あのまま死ねば首は残るの。陣羽織と一緒におったのじゃから重役であろう。あれだけでも銭になるぞ」

「うん、ええな、ええ、首は残るな」


「どうする今からいくか、あいつは手負い、それも深手のようじゃ、隙をみて刃物を奪って刺すか斬ればいちころじゃ」

「向こうがこいこいと言っているようなもんじゃな、せっかく待っておるのに行かん手はないしな」

「うん、ええな、よっしゃ、それでええ、ええ土産になるで」

「じゃ、行こう」


二人はしゃがんで武者に見えぬように笑った。

武者の首を取る気だ。

鎧や武具はどうして持って帰るか、相談を始めた。

「村までしばらくあるし、鎧はでかいで持って帰るには竹籠もいるしの、追手の者も落ちていった者をしらみつぶしに探しておろうし、何よりも中丸の家中の者に出くわしたらこっちが斬り刻まれる。


「やはり首と小物だけにしておくか、首なら隠しやすいし、一番金になるからの、あとは大小刀と小物くらいにしておこうではないか」


「それでええ、それでいこう、無理してかついでも追われたら逃げきれんしの、目立って野盗に襲われたらなんにもならんし、百姓でさえ何をされるやらわからんしの」

「確かに百姓も危ないよの」

二人は笑った。


「じゃ行こう、死ぬのを待ってはおれんわい、引導渡してさっさと土産にしよう」

「よおし、善は急げじゃ」

二人が立ち上がり、草むらに二三歩足を入れたときだ。

武者の後ろの小高いところにとつぜん人が立ち上がった。


侍ではなく、どう見ても百姓姿だが、手には竹槍を持ち、刀を差している。

そしてまたすぐにぞろぞろっと同じ姿で五人ほど立ち上がった。

みんなが正太郎と孫次郎を見ている。

目つきは尋常ではない。


そして最初に立った百姓が口を大きく開けながら右手で正太郎たちに、後ろへさがれ、とばかりに激しく手を振った。

二人はすぐに理解した。

「あいつら落ち武者狩りじゃないか」


「ああそうじゃ、落ち武者狩りに来た連中じゃ。あの様子では初めから見ていたのじゃろうな。中丸たちを追ってきたものの、人数が多いから様子を見ていたのじゃろう。それが足軽が逃げ、武者が一人残ったところでわしらが近づこうとしたからあわてて姿をだしたに違いない。ええところで出てきょたな」


孫次郎がいう。

「向こうはわしらの様子を見ておったということかじゃな」

「ああ、そうじゃ、こっちが気づかんだけじゃったの」

「最初から見られておったんじゃの」

「二人で相談しているところもな、向こうへ行こうとしたから姿を現して止めたのじゃろう。いやああそこへ行かんで良かったわい、行ってたら今頃はこっちが血まみれで転がっていたところじゃった。


一人は相変わらず手を上げて後ろへさがれ、というような仕草をしている。

正太郎は男に向かってベロッと舌を出した。

「まあええ、見ているだけなら向こうも何もしまい」


そのうち一人二人と坂を下り始めた。

「おいおい、下りてきよるで」

「ああ、もういかんな、こりゃ」

するとなぜか今度はあわてて上に戻り始めた。

一人ひっくりこけたが、必死で草をつかみながら上に戻った。

「どうしたんか、何かあったんか」


 そのとき、同じく右手の藪の林の中から今度は馬の足音が聞こえてきた。

それも一頭ではなく何頭かいそうなほどの音だ。

二人は姿勢を低くして様子を見た。

藪の林の中からは騎馬武者が飛び出てきた。


すると座り込んでいた武者が立ち上がり二三歩歩いたように見えると両手を広げて騎馬の前に立ちはだかった。

騎馬武者が叫んだ。

「一人おったぞ、槍出てこい」

騎馬は六騎いる。

槍持ちの騎馬武者が前に出てきた。


後ろには徒士や足軽がおよそ五十人ばかり。

孫次郎が言う。

「おいおい、ありゃ鎌山の連中じゃ、中丸を追うてきたもんじゃ、良かったの、あそこへ行ってたらオレたちも、あの上におる奴らもみな斬られとったで、いやあ既(すんで)のところで命拾いしたわい、びっくりしたのぉ、間一髪じゃった」


正太郎が言う。

「追われるもの、追う者、狩る者、わしら、役者が勢ぞろいじゃ、村祭りにやってくる神楽みたいじゃの」

二人が笑う。


 立ち上がった武者は両手を広げて道をふさいで立っている。

槍を持った騎馬武者が大声で言った。

「中丸の家老ではないか、主殿は先に行かれたか、忠義なことじゃが先に逝って主殿を待っておれ。御免!」


というや一気に武者の喉を突いた。

武者はまったく抵抗はしなかった。

もう死にたかったのだろう。

二人にははっきりと見えた。

槍の穂先は武者の首を貫き、三寸ほども後ろに突き出ていた。


騎馬武者が槍をぐいっと抜くと同時に武者は後ろへどっと倒れ、草に隠れた。

騎馬が言った。

「三四人残ってこいつの首と刀を取れ、中丸の主が近いはずじゃ、他の者はついて来い、あやつは近くじゃ、急げ」


同時に騎馬がどっと走り徒士や足軽も後を追って林に消えると、すぐに叫び声や喚声が聞こえた。

怒声と喚声に悲鳴が混じって林から響き出てきた。

孫次郎が言った。

「中丸はすぐそこで休んでおったのか」


 林の中の斬り合いをよそ目に足軽が四人残って刺し殺された武者の首を取っているようだ。

その後ろの小高い藪ではあの連中も下の様子を見ながら正太郎たちを見ている。

「草に隠れて見えんが、あいつら首を取っているの。上の奴らにはよう見えようの」

「あの鎌山の奴ら、武具や着物はどうするのかの、置いていくのかの」


「置いていったところで、あの上の連中がおればこっちには手が出せんわい。こっちは二人でおまけに包丁すら持っとらん。勝負にはならん。もったいないが今回はあきらめじゃな」

孫次郎も異論はないが、やはり気になる。


「ああ、もうこうなるとどうしようもないの。もったいないのォ、ああ、クソッ腹の立つ、それはそうと腹が減った、正太よ弁当食っておこうではないか」

目当てのものがだめになったら腹が減ってきたらしい。

「そうじゃの、飯を食っておこう。この先、他にすることもなさそうじゃし、今のうちに腹ごしらえをしておこう」


二人は林や草むらの向こうが見えるように道が少し盛り上がったところを選び、背負っていた箱から弁当を出し、竹皮を開いて握り飯を食い始めた。

林の中は静かだ。時々声が聞こえてくるだけだ。

「血の匂いが流れてくるような気がするの」

孫次郎がぼそっと言った。


向こうの連中はみな座り込んだり立ったりして下を見ている。

ちらっちらっと正太郎はたちを見ている。

同じ思いだが、こちらに分は無い。

向こうもその気でこちらを見ている。

「貴様らには髪の毛一本とて渡さんぞ」

という無言の欲が正太郎と孫次郎を脅すように刺さってくる。


しばらくすると林からぞろぞろと騎馬武者や足軽たちが出てきた。

先頭の騎馬武者は先ほど武者を突き刺した人物だ。

槍を立てて持ち、その穂先には首が突き刺してあった。

あのまま陣屋まで帰るつもりだ。


”中丸は討ち取った。以後は我らに従え”ということだ。

中丸の白髪混じりの髪が馬の動きに合わせてゆらゆらと揺れる。

まだ血が滴っているのがわかる。


中丸の首が笑っているようにも見える。

「孫よ、中丸が笑っとるで」

孫次郎もいう。

「負けて笑うとは、豪気なもんじゃの、成仏せいよ」


二人は竹皮にくっついた握り飯の飯粒を大事そうに指でとりながら口に入れ、笑っている。

侍の死なんぞに憐れみは無い。


首を掲げた騎馬武者は二十人ばかりの徒士と足軽を連れて先に戻って行った。

まだ多くの徒士と足軽が林の中にいる。

二人は竹皮を風呂敷に戻して竹籠に入れ、林の様子を見ている。

林からぞろぞろと出てきた。


死人から剥いでのであろう着物に包んだものを大事そうに抱えている足軽がいる。

首が入っているようだ。

奪った刀や槍を持った者もいる。

一人の竹籠には、あの陣羽織が入っている。

列を組んで藪の林の中に戻っていった。

「すんだの」


正太郎と孫次郎は向こうの連中の様子を見ている。

すると連中は一斉に駆け下り、道に転がっている家老の骸を見ながら林の中へ一斉に入っていった。

ほとんどが背中に大きな竹籠を背負っている。

孫次郎がそれを見ながら言った。

「残り物を取りにいきよった、鎌山のもんは首と兜と槍刀くらいしか持っておらんかったからまだ鎧も武具も着物もみな残っておるのじゃろうな。そこそこの稼ぎになるでこれは」


「ああ、そうじゃの、竹籠も何人か抱えておったで根こそぎ持っていく気じゃろうな。あいつらいなかったら持って帰れたのにの、残念じゃの、惜しいわい、いやほんまに惜しいわい」

「ま、こんな世じゃ、またいくらでもある」

「ああ、そうじゃがの、やっぱり惜しいで、こんなに近くにおるのに、何の手出しもできん。あいつらさえおらんかったらの、妹になんぞ買うてやれたのに」

正太郎は孫次郎を見ながら苦笑している。

「しかたないの、行けば間違いなく殺されるしの」


二人は、なかなかそこを離れない。

何をするでもなく、林を見ている。

しばらくすると連中は林からぞろぞろと出てきた。

みな笑っている。


竹籠の中は獲物でいっぱいになり、あふれている。

着物に褌、陣笠に鎧や胴巻きなどもある。

よくは分からないが、みな血まみれのはずだ。

でも構わない。

切れていれば縫い直し、穴は繕い、汚れは洗って干し、血が多くついていれば切って端切れと雑巾にして売れる。売れなければ自分で使えばいいのだ。

順々に丘の上に駆けあがっていき、姿が消えた。


最後にあの手を振っていた男が二人を見下ろして手を振りながら大口を開けて何か言った。

「あいつ何て言ったかわかったの」

「うん、わかった」

すると後ろで声がした。

「バカヤローと言ったのよな」


二人は身体が固まった。

正太郎が小さな声で孫次郎にささやいた。

「後ろに誰かおるで」


それも立って二人を見下ろしているようだ。

戦はまだ終わっていない。

頭に血が登った相手なら面白半分に殺されかねない。

侍か、鎌山のもんか、中丸のもんか、誰か、斬られるのか。

正太郎の顔が恐怖にゆがんだ。

孫次郎は身体が固まったままだ。


正太郎がそっと後ろを振り返った。

浅黒い顔で前歯の抜けた男がにやにやと笑いながら立っていた。

横には三人いた。

四人とも竹槍を持ち、刀を差し、竹籠を背負っている。

一人はまだ十五六か、白い顔でどうみても童顔で子どもといっても通じそうだ。

腰に小刀を差し、竹籠を背負い、不安そうな顔で正太郎と孫次郎を見ている。


正太郎が言った。

「アンタたちもか」

歯抜けが笑いながら言った。


「ああ、そうじゃ、少し遅れてしもうたわい、こいつの」

と横にいる若い者を指差し、

「女房が産気づいての、バタバタしておったで遅れてしもうた。もっとも鎌山の追手や他の村のもんがあれだけおってはの、わしらのほうが狩られるところじゃったで、遅れて良かったわい、お前らもそうじゃろう、お互いに命拾いしたの、不幸中の幸いじゃったで」


歯が抜けて涎も垂れているせいか、言葉がはっきりしないが、言っていることはおおよそ分かった。


「これで中丸も一巻の終わりじゃな」

と正太郎が言うと

「ああ、館には女房子供がおったが、皆殺しじゃろうの。負けたとはいえ中丸の殿さんは、ええお人じゃった。お前さんたたちも知っておろうが、勝ったほうの鎌山は評判が良くねえでの。

鎌山の領内では一家で逃散する者も多かった。それも捕まったらみな死罪、女は売り払いよ。これから鎌山に身を預ける中丸の百姓町人は大変じゃ。じゃが鎌山もあのようではいつかは中丸の後追いになるじゃろう。鎌山も長続きはしまいて」


風体に似合わず物静かな物言いだが、急に表情が変わった。

「ところでお前さんたちは、どこのお人じゃ」

言い方が詰問調になった。

正太郎が答えた。

「長須村のもんじゃ」


「ああ長須か、庄屋は達者か」

「ああ、元気じゃ。ご存じか」

「よう知っておる、帰ったら大田村の五兵衛が達者かと言うておったと伝えてくれ」

「ああ、言うときます」

「それじゃな」


と言うと連れに指図して草むらに入っていった。

孫次郎が尋ねた。

「今からあそこへ行くのか、もう何もなかろう」

歯抜けたちは笑いながら何も答えずに草むらの中を横切り、道に転がっているのであろう首の無い武者の骸を一瞥すると林の中へ入っていった。


「あいつら林で何をするんかい。もう何もなかろう。こうなったら何でもええから持って帰りたいのかの、それにしてもな、裸にむかれた死人だけじゃぞ」

森の中にあるのは首の無い骸や切り刻まれた骸だけだ。

それもみな褌まで剥がれて丸裸になっているはずだ。


何をしに林に入って行ったのか。

正太郎が言う。

「首を取られたのは武者だけじゃ、徒士も首はあるはずじゃ。なので首を取って名前は分かりませぬが兜首にございます、などとウソ言って銭をもらう気ではないか、ときたまそういう奴がおると聞いたことがある。あいつらそういう奴らじゃないのか。狙ったら絶対に銭にする、大したもんじゃ」


「ああ、そういえばそんな奴がおるという噂じゃの、ほんまにこの世は血も涙もない」

正太郎は笑いながら言った。

「オレたちも同じじゃろうがな」

「そうじゃの」


「さあて帰るとするか」

「ああ、そうしよう。しかし中丸の女房たちの最後の様子は分からんじゃろう。あいつはもう殺されておるようなことを言うておったが、見たわけでもなかろうし怪しいもんじゃ。正太郎よ帰ってみなきゃ分からんで、もしも逃げていれば追うことになろう」

正太郎もうなづいた。


「よし、急いで帰ろう。ちと寄り道したで帰りつくのは明日になろうが仕方ない。

松明が無いのが辛いが、道は来た道を帰るだけじゃ、月もある。孫よ走るで」

おうと孫次郎も応えて二人は早足で帰っていく。


頭の上でカラスが何羽も回っている。

「カラスのやつめ死人を食い散らかしにいくのじゃろう」

「あいつらも落ち武者狩りじゃのう」

二人の笑う声とは裏腹に、後ろ姿がどこかわびしく見えたのは、土産を取り損ねたせいだろう。


               棚田


  あくる朝のこと、庄屋には戦のことも説明したが、中丸の一族についてはまだ何もないという。

「落ち武者狩りの触れが出れば、すぐに知らせるでの、今日明日か明後日迄そのつもりでおってくれ」

「わかりました。じゃとりあえず家に一旦帰ります」


「ああ、ご苦労じゃった、それと正太郎と孫次郎よ、これは少ないが駄賃じゃ、受け取ってくれ」

と庄屋は二人に懐紙に包んだ銭を渡した。

「こりゃどうもすみません、ありがたくちょうだいしておきます」


「ああ、また何かあったら頼むで、お前たち二人は足が早いでの、助かるわ。二人ともお袋さんによろしゅう伝えてくれ。気をつけてお帰り」


正太郎が棚田を駆け上がっていく。

見ると上の畑でお袋が鍬を振って畑を耕している。

正太郎に気づくと笑った。

帰りが遅れて気をもんでいたに違いない。


「帰ったで」

「ああ、無事で良かったの」

お袋は家に入るとすぐに仏壇で線香を上げていた。

「似た者親子じゃ、無茶をせねばいいが。本当に気の休まらぬ息子じゃ」

と母は仏壇で手を合わせながらひとり言を言っている。

何だかんだと言っても無事に帰ってくればそれでいいのだ。


辺りの山は高くはなく、坂もゆるい。

陽当たりもよくて雪が降っても溶けるのも早く、陽が昇って沈むまでも長くて山の棚田の生活とはいえ、他人が思うほどきつくはない。

棚田と畑、これに辺りの山では栗も柿もキノコも山芋も筍も無花果も取れるし、山を越えれば松茸山もある。


水も並みの年なら枯れることはない。

後ろの山は低く、水がどこから来ているのか分からないが、家の横の清水は多く湧き出し雨不足の夏でも枯れたことがない。


食い物も水も親子二人で暮らしていくにはまあまあだが、ただし年貢が無ければの話しだ。

やはりここでも年貢がきいてくる。

そのため百姓仕事のかたわら、大工や炭焼きの手伝い、馬喰の手助けなぞで日銭を稼いでいる。


年貢さえ無ければと正太郎はいつも思っているが、それが無理であることは分かってもいる。

”年貢を取られるのではなく、取る身分にならねばダメじゃの”というのが正太郎の口癖だ。


そういう意味でも戦国の世の今、落ち武者狩りはもってこいの稼ぎになるのだ。

百姓も生きていかねばならない。

哀れみだの気の毒だのという余裕のある言葉は、そういう立場に立ってこそだ。

崖っぷちにいる人間に他人への気配りを求めるのは酷であり偽善でもある。


正太郎も孫次郎もすでに村の者と一緒に四度ほど落ち武者狩りに出かけている。

向こうもこっちも命がかかっているが、こっちは逃げ場があるが向こうは無い。

それだけに向こうは必死だが、最後まで抵抗する者もいれば、あきらめの早い者もいる。見事な最後を遂げる者もいれば、これ以上ない醜態をさらす者もいる。

人間、土壇場になれば正体が出るというが、まさしくその通りだ。


 正太郎の今の宝ものは胴に巻く桶側胴だ。

最初の落ち武者狩りで手に入れた。

誰ものだかは分からない。

襲った徒士が身につけていた。


つくりも見た目もいいが、これだけではさほどの防具にはならない。

だが一応つけておけばそれなりに見えるし、取りあえずは防具なので気が休まるようだ。

ヒマをみてはせっせと磨いている。


押し入れからその桶側胴を取り出し、囲炉裏のそばに置いてじっと見ている。

ぼそっとつぶやいた。

「これをつけてはよう狩りにいきたいもんじゃ」

「与助、なんか言うたか」

「いや独り言じゃ」


「はよう落ち武者狩りにいかんでも食えるようにせねば、命も丈夫な足もいつまであるかわからん。さりとて百姓のおれに剣術や算盤ができるわけでもねえし、字を書くのもひと苦労じゃ。今さら学ぶところもねえし、その銭もねえ。気は焦れども・・・じゃな。まあええ、その気でおれば何とかなるじゃろう。そのためにも落ち武者狩りは欠かせん」


誰もみながやはりそう思っている。

だが実行するのは難しい。

最後の決断ができないからだ。

正太郎は、今その最後の決断のところで彷徨っている。

正太郎の母はとっくに気づいているが、何も言わない。

その気になれば母が止めても家を出ていくだろう。


 陽が山陰に入り、暗くなり始めるとともに蝙蝠が飛び始めた。

正太郎は旅の疲れが出たのか、かすかに鼾をかきながら寝てしまった。

「正太郎、その桶を横にのけんかジャマじゃ、正太郎・・・寝てしもうたんか」

母が縁側の障子を閉めようと空を見ると星の中に満月が遠くに浮かんでいた。

明日もいい天気のようだ。


             知らせ


 あくる日、正太郎が棚田の稲の様子を見て回っていると下の家の平吉がやってきた。

「正太郎よ」

「おう」

「例の中丸のことじゃが、当主が討ち取られたと昨日言うとったの」

「うん、それがどうかしたか」


「さっき又造が庄屋の伝言をもってきての、当主の女房とその嫡男、姫二人が行方知れずらしい。まとまって逃げたのか、バラバラになって逃げたのかは不明じゃが、まだ捕まっておらんらしい。つき従っている者も何人かおるらしい。逃げるとすればもう瀬田しかないでの。瀬田ならお前も知っての通り、この向こうの間道から細道に入って山伝いにいけば瀬田に行ける道に出会う。

あれから日が経っておるが、女子連れであの辺りの山道ではまだいくらも進んではいまい。

おまけに横道も多いしの。


庄屋や他のものも落ち武者狩りの触れが出ればうちの村が一番有利じゃ。今日あたり捕まらなんだらおそらく触れが出るであろうから、そのつもりでおってくれと言っておった。特にあの道を村で一番知っておるのは、お前と孫次郎じゃ。なので庄屋も組頭の常次郎さんも当てにしておる。お前はお袋と二人じゃで庄屋も気にしとるが、できるだけ加わってほしいとのことじゃった」


「ああそうか、そりゃむろんわしゃ行くで、お前も行くんじゃろうの」

「うん、もちろん行く。わしゃ孫次郎に伝えにいくで」

「わかった、ご苦労さん」

(女房に嫡男に姫か、一番狙うのは跡取りの嫡男じゃな、いくつか知らんが前に聞いた年ならまだ元服前じゃろう。少々気の毒じゃが、これも戦の世のならいじゃ。しかたないの」


 その女房一行は瀬田に逃げる山中ですでにバラバラになっていた。

正太郎と孫次郎が村に戻り庄屋にあれこれ説明していたころには、中丸の嫡男は三人の供といっしょに近くの間道を瀬田に向けて逃げていた。

正太郎たちも庄屋ももちろんそのようなことは知らない。


嫡男には世話役の侍女が一人、同じく若い侍女と侍が一人従っていた。

だが途中で大江の兵に見つかり、侍が追手をさえぎった。侍女は短刀を振り回したものの槍で突かれて死んだ。

侍は血まみれになりながら最後は追手の大将格の武者に抱き着き刺そうとしたものの後ろから胴を横に斬られて絶命した。


嫡男と侍女はすでに見えなくなっていた。

どこへ行ったのか、隠れたのか、天気続きで土が固まり足跡さえ見えない。


嫡男と侍女はその後どうなったのか、その後日譚。


           お雪


 「この家は林にさえぎられ、街道からは見えません。家までの細い道も今は夏草に覆われ、知らぬ者は昼間でも通り過ぎてしまいます。

ところがあの日の夜のこと、とつぜん誰かが戸を叩きました。

この山中にずっと一人暮らしですが、夜中に戸を叩かれることは今までなく、正直おどろきました。

いや、おどろきというより恐ろしかったです。


タンタン タンタン、

黙っていました。


黙っているとまた、たたきました。

今度は少し強くたたきました。

ドンドン、そして女の声がしました。

「もしもし 夜中にすみませぬが どなたかおいでか」

女、やはり妖怪怪異か、これは絶対に人ではない、と思いました。

女が夜中にここにくる、絶対にあり得ません。

そこでなおも黙っていると、こう言いました。


「怪しい者ではございませぬ。山中を子を連れて歩いてまいったのですが、道に迷い途方に暮れていたところ日暮れ時にこちらのお家が目に入り、道を探しながらなんとかたどりついてございます。

子がつかれて水も飲んでおらず難儀をしております。

申し訳ありませぬが、縁側で休ませてはいただけませぬか。水も少々いただけると助かります。お礼はいたしますので、お願いできませぬか」


どうやら化け物でないことはわかりましたが、喋り方は百姓町人ではなく、武家か相応の家の者じゃと思いました。

ですがそれならなおさら、この夜中にこの山中をそのような女が子連れで歩いてくるのはおかしいと思いました。


ひょっとしたら男が隠れているのではないか、いや男がいれば裏から入ってくるだろう、いやいや男ならいきなり戸を開けて入ってくるか、あれこれ考えました。

何しろ表もですが裏も戸締りなんかしちゃいません。

戸を閉めているだけですから、引けば戸は開きます。

そこで名前を尋ねました。


「このような夜中に子連れとは、どういうことか。名前はなんと言われる。お名前を言うてくだされ」

すると返事がありません。

言わないのか、言えないのか、もう一度尋ねました。

「お名前を聞くまで戸は開けられん」


しばらく黙っていました。

そして女は名を言いました。

「西宮と申します」

「どちらから来られた」

また黙りました。

「お礼は十分にさせていただきまする。休ませていただけませぬか」


どうしたものか、と思いましたが、やはりおかしい。断りました。

「お断りする。その横を行けばすぐに街道じゃ、街道を左に行けば中丸、右に行けば瀬田の領に行ける。どこから来たかさえ言わぬ者に戸は開けん」


すると、しばらく黙って言いました。

「あい分かりました。申し訳ございませんでした。お許しくだされまし」

と言い、小さな声で言いました。

「若、まいりましょう」

若、と聞こえました。


街道へ出て行く草鞋を擦る音が聞こえました。

わたしは木刀を持って裏からそっと外へ回り見ました。

それでもなおも男が隠れているのではないか、とも思ったのです。

でも男はやはりいませんでした。

月明かりに見えたのは、若い女と元服前のような男子がよろよろと街道へ向かって歩いて行く後ろ姿でした。


わたしは、これは物の怪でも怪しい者でもない、本物じゃと思いました。

声をかけました。

「もし、西宮さまといわれたか、失礼をしました。戸を開けますので中にお入りください」

わたしはすぐに戸を開け、中に入ってもらいました。


蝋燭と囲炉裏の火に浮かんだ二人の姿はひどいものでした。

武家の者とは分かりましたが、女も男子も笠もかぶらず、枝を杖にして腰に脇差を差し、男子は腰に短刀を差しておりました。

ともに髪はばさばさで、二人とも旅姿ではなく、何の支度もせずにいきなり山に入ったように見えました。


「この山中を歩いて来られたのか、よくぞ御無事で。囲炉裏のそばへお上がり下さい」

と申したところ、

「ありがとうございます。さ、こちらへ」

と男子に言いました。

親子かと思いましたが、そうではなく主従の間のようでした。


男子は私に軽く頭を下げると框に座りました。

女が草鞋を脱がしてやると、囲炉裏のそばに上がり、短刀を置いて座りました。

腰を伸ばし正座しておりました。

足袋は泥まみれでほつれて穴が開き、着物も泥だらけで、あちらこちらが小さく裂け、木や葉っぱのクズが全身についておりました。


山中を抜けてきたのは確かだと分かりました。

囲炉裏の火に手をかざして暖めておりました。

夏とはいえ山中は日が落ちると一気に冷え込みます。

手がかじかんでいたに違いありません。


女も同様の有様で長い髪はまとめて紐でくくって垂らしておりました。

この二人、よくぞここまで歩いて来たものだと感心しました。

よほどの決心、よほどの事情があるのだろう、決死の覚悟だと思いました。

どこからかともう一度聞こうと思いましたが、あれを思い出してやめました。


その前の日に山師から聞いたことを思い出したのです。

”中丸と鎌山は戦になり、中丸が負けて当主とその嫡男、女房と姫の一家が落ちて行ったらしい。触れが出たかどうかは分らんが、落ち武者狩りが始まっているらしく、近在の者や野盗たちがここぞとばかりに周辺の山や里をしらみつぶしに探している”と聞いておりましたので、おそらくそれのからみではないかと思い、一切事情は聞きませんでした。


 女は男子が落ち着いたのを見ると懐から巾着を取り出し、擦り傷だらけの手で銭をすくい、私の手を広げさせてその上に多額の銭を載せて言いました。

『何も言わずに収めてくだされ。その代わり私どものことはすぐに忘れてくだされ』

わたしは黙って頭を下げ、手ぬぐいで銭を包み、行李の中に入れました。


ふと男子を見るとわたしと目が合いました。涼しい目をしていました。

乱れた髪を手ですくっていた女ともども、生まれと育ちの良さを感じました。

二人を囲炉裏のそばで休ませ、茶を入れ、さいわい飯が残っておりましたので粥をつくり、漬物と梅干を出しました。二人ともよほど腹が減っておったのか、一気に食べてしまいました。


男子は粥を食べて落ち着くと『寝るがよいか』と女に聞きました。

女が『はい』と答えると、男子は横になって目をつむりました。


 『おかげさまで命拾いを致しました。この御恩は生涯忘れませぬ。夜が明ける前に出立いたします』

といいますので

『ああ、どうぞゆっくりされてかまいません』

と応えると、女は男子のそばに行き、壁にすがって目をつむりました。


あのときの女の姿もよう覚えております。

壁に左の肩を預けて顔はこちらに向け、脇差は左の腰の下に置き、着物の裾も整え、右手は遊ばせておりました。わたしを警戒しながら外にも気を配り、万が一の場合はすぐに脇差が抜けるようにしていたのでしょう。おそらくですが、わたしがおかしなことをすると斬られていたに違いありません。

正真正銘の武家の女だと思いました。


 わたしは二人に握り飯を持たせようと思い、飯を炊きながら朝がくるのを待ちました。

朝が近づいたので見ると女は起きておりました。

どうやら寝てはいなかったようでした。

ずっと、あの子を守っていたのでしょうな。

若い女といえど、ここら辺の男が束になっても敵わぬと思いました。


女は男子の身体を小さく揺さぶり声をかけました。

『若様、夜が明けますぞ』

若様、と言いました。

やはり男子は中丸の嫡男であろう、そうにほぼ間違いないと分かりました。

なるほど、街道を歩けぬはずじゃと思いました。


竹皮で包んだ握り飯と梅干を背中に負えるようにし、竹筒の水筒もそれぞれに持たせると女は礼をいい、わたしに尋ねました。

『間道を歩いて瀬田へ行きとうございます。道を教えてはくだされませぬか』


わたしはいいました。

「ここから瀬田への道は獣道です。マムシはおりませんが、今は夏草が茂り道が消えています。こられた道よりもなお一層険しく、そこの曲がりを曲がったところからすでに道がはっきりしません。慣れた者なら道も見当がつきますが、慣れておらねば一歩も進めません」

女は泣きそうな顔になりました。


「街道は・・歩けないのでしょうな」

とそれとなく訊くと、女はうなづきました。

そしてすがるような目でわたしを見ました。

わたしは、道案内をしてほしいのだと察しました。


「なら瀬田の近くまでご案内します」

女は喜びました。

「ありがとうございます。改めてお礼もさせていただきます」


とにかく急ぐようでしたから、すぐに出ました。

瀬田までは上り下りの連続で道は草で消えています。ただ見通しはよく慣れてさえおれば昼間ならさほど危ないところもなく、道に迷うこともありません。

しばらく行くと男子が足の痛みで歩けなくなりました

女も同様でしたが、弱音もはかず男子に言いました。


「あと少しにございます。瀬田へ着けばわたしの父母も身内もおります。迎えの者も出ておるに相違ございません。追手はおそらく近くまできておりましょう。急がねば追いつかれます」

追手、と言いました。


男子が初めて口を開きました。

「足裏が痛うて無理じゃ、先にゆけ」

草鞋は裂け、足袋の裏が真っ赤に染まっておりました。

「若をおいて、そのようなことはできませぬ」


わたしは言いました。

「わたしの背中でよければ」

女は何も言わず頭を下げてくれました。

涙ぐんでいたのが見えました。


わたしは山中の一人暮らしで風呂もめったに入りません。

おまけに夏とあって汗もかいておりましたが、男子は黙って背中に乗ってくれました。

脚が自然と早くなりましたが、女は必死でついてきました。


男子が背中でぼそっと言いました。

「世話をかけてすまぬ」

そのひと言で疲れが吹き飛びました。

二人は命がけです。

これは大変なことになった、何が何でも無事に瀬田まで連れていかねばと思いました。


昼近く、瀬田の町が少し見える峠に着きました。

「ここからはほぼ平らな一本道で、しばらく行くと谷川沿いに一気下りの道になります。普通に歩いても一刻ほどで瀬田の街道に出ます。谷川沿いからは道ははっきりと分かります。いかがされますか」


女は「若は足がまだ無理と思えます。街道まで出れば手もありますゆえ、そのまま背負って行ってはいただけませぬか」

「ではそういたしましょう」

と言ったときでした。


遠くのほうから怒鳴るような声が聞こえました。

「おったぞ~ あそこじゃ~ 男がおるぞ~ 急げ~」

見ると後ろの小高いところから草をかきわけ追手が現れました。数人の武者を中に入れて徒士や足軽が四五十人ばかり迫ってきます。


女の顔色が変わりました。

女に「逃げましょう」

といい、男子を背負いながら必死で走りました。


振り返れば、女は足をひきずり、遅れ始めていました。

「先へ行ってくだされ」

と女は後ろから叫びました。

男子がいいました。

「待ってやってくれ」

追手に追いつかれます。

でもそれを承知していたように思えました。


待っては走り待っては走りでしたが、追うほうももう捕まえられると思っていたようです。

「どこまで行く気か、もう逃げられんぞ、あきらめい」


谷川を見下ろすところで女はとうとう歩けなくなりました。

足は足袋も裂けて素足同然で、血がついておりました。

槍を持った足軽数人が歩きながらわたしの前に回り込み、行く手をさえぎりました。

万事休すでした。

男子は、

「下ろしてくれ」

と言い、わたしの背中をおり、女の前に立って短刀を抜きました。


女は杖を頼りに立つと懐から巾着を出し、わたしの懐に押し込み、追手の頭と思える武者にいいました。

「この者は道案内を頼んだだけじゃ、事情も知らぬ。家に帰してやってくだされ」

武者はいいました。

「よい、百姓、帰れ」


そういわれても去ることもできず、囲みから離れ、木の陰から様子を見ておりました。

追手が二人の前と左右を囲み、じりじりと迫っていました。

後ろは絶壁で下は川です。

落ちれば命はなく、逃げ道はありません。

追手も二人を谷に落としては何にもなりませんので、どうしたものかとためらっておりました。


武者が男子を見ながらいいました。

「もはや逃げられぬ。そなたの父母ももはやこの世におらぬ。そなたも大人しくすれば命まではとらぬ、あきらめよ」


女は武者にいいました。

「仇も討たずに死ぬは無念なれど致し方もない。じゃが若は渡さぬ、この期に及んで命乞いはせぬ。我らの死にざまをとくと見よ」

武者が叫びました。


「待て、早まるな、その子もお前も連れていくだけじゃ、やめよ」

「騙し討ちにするような一味の戯言を信じると思うか、通じぬわ」

女は男子に向かっていいました。

「お許しを、ともに参ります」

男子の肩を抱きよせ、腰に回した脇差を抜き、ためらうこともなく男子の首の横を一気に突き通しました。わたしは身体がふるえました。

追手はなす術もなく呆然としていました。


女は刃を抜くと脇差を馬上の武者目がけて投げました。武者が身をかわすと女は血まみれになった男子を両手で抱きかかえ、声も上げず谷川に身を投げました。


あっという間の出来事でした。

追手はみな立ちすくんでおりました。

武者がわたしにいいました。

「おい百姓、下の谷川に下りる道はどこか」

「下りる道はございません。瀬田のほうまで下らねば水さえすくえません」


「そうか・・・」

ちょっと考えておりました。

「仕方ない、証拠も証人もおるでもうよいわ、おい小僧の短刀を拾っておけ、大事な証拠じゃ、帰るぞ」

徒士が急いで男子の短刀を拾い、手ぬぐいで包んでおりました。

武者はわたしには目もくれず、家来を連れて戻っていきました。


谷のふちに男子の血がべっとりと残っておりました。

手を合わせながら、谷をのぞき込みましたが、暗く深くて川の音が聞こえるだけで何も見えませんでした。


わたしが申し上げられるのは、そこまでです。


 男の家を侍が馬に乗り、供を三人連れて訪れている。

縁側に腰をかけ、板の間に座っている男の話しを聞きながら横に座っている書き役の若い侍に男の話しを書き取らせている。

家の表では馬のたずなを持った足軽と、雑用役なのかまだ若い男が立って侍と男を見ている。


「さようか、よう分かった。わしも事の顛末を聞いて上に知らせねばならんでの。ついでじゃがの、女が言うた西宮というのは女の実家の名じゃよ。

女は名を”雪”というての、出来の良い女での、嫁にという話しが多かったそうじゃ。

「雪、お雪殿と、さようですか」


「ああそれとの、二三日後のことじゃが瀬田の河原に二人の遺骸が流れ着き、女の親が二人を引き取ったそうじゃ。

女はの、男子を両腕でしっかりと抱きかかえておったそうじゃ。

川仕事の連中に二人をはがすように命じたものの、夏の暑さと水の傷みに加え、皮は柔いのに身体は硬くての、腕をはがすすと肉までいっしょに剥げて痛ましくての、しかたがないので二人をそのまま一緒に荼毘にふして檀寺の墓地に埋めたそうじゃ」


「さようでしたか、今でも寝ておると、あのお雪殿でしたか男子を抱えて谷に飛び込んだ様を思い出して目が覚めるときがございます」


「それ、まだ続きがあるんじゃぞ、聞きたいか」

「続きが、どのような続きで、そりゃ、聞きとうございますが」

「雪は中丸の女房のそばに仕え、男子の面倒をみる役についておった」

「はあ・・」

「での・・」

侍はニコニコ笑いながら、ゆっくりと茶を飲んだ。


「お侍さま、続きがあるのでございましょ、じらさないでください」

「はは、いやいやすまん、ちょっとからかってみただけじゃ、許せ。

あの男子はの、中丸の嫡男じゃったがの、実際にあの嫡男を産んだのは女房ではないのじゃ」

「ならば側妻(そばめ)が」

「いや、そうではない」

「ではどなたが」

「お雪じゃよ」

「えっ、・・・・ ならば、あの二人は母と子で」


「そうじゃ、驚いたであろう、わしもそれを聞いたときは腰が抜けるほどおどろいた。中丸の女房が一年近く表から消えたことがある。現れたときには赤子の男子を抱えておったでの、それでどこかに養生がてらいっておったのかという者もおったが、なんで黙ってたのかと訝しむ者もおった。でもすぐに誰も気にしなくなった。


結局あれは中丸の一家上げての芝居だったわけじゃ。中丸の当主が雪に産ませたのじゃが、世間体を気にしていかにも女房が産んだように見せたらしい。女房が産めば嫡男じゃからの、それであのお雪が是非にと頼んで子の面倒を見ていたというわけじゃ」

「いやあ、これはおどろきました」


「じゃが息子はお雪が実母とは知るまい。いや知っておったかもしれんが、雪はそれを言うような女ではなかったと聞いたがの、お前はどう思うた」


「あのとき男子が『待ってやってくれ』と背中で言ったとき、泣いているような声にも聞こえました。女を心配してのことじやろうとあ思うておりましたが、ひょっとしたら母を案じてのことだったのかも・・・・いやよくわかりません」


「さようか、じゃが最後は二人で一緒に旅立ったということじゃ。悲しいのォ、あ~たまらん。

そなた酒はないか、飲みとうなったわい」

「酒は飲みませんので」


「さようか、しかたないの。しかしそなたも命がけでようやったの。それと上役から二人を助けたことは見逃すと聞かされておるで、安心せい」

「ありがとうございます。それを聞かせていただいて安心しました」


「今さらお前を咎めてもの、面倒なだけじゃ。ところで、わしが言うのもなんじゃが、お前のことは追手の頭であった者からも聞いておる。一歩間違えれば磔もんじゃが、ようやった。

百姓にしておくのはもったいないの、わしは大江に仕えておるが、これから大江はもっと大きくなる。殿も人を探しておる。

どうか、このような山の中にいるのもいいが、わしに仕えて世間を見んか、悪いようにはせぬぞ」

「有難いお申し出ですが、いきなりおっしゃられても、それにわしは百姓ですから」


「今どき百姓でどうこうはない。秀吉ももとは百姓の倅じゃ、信長も家康も元をたどればそもそも出自は何であったかわかったものではない。今はそういう世じゃ、仕える気があるなら今じゃぞ。オイっ作治、ちよっとこい」

侍は中腰になり外で馬の横に控えていた若い者を呼んだ。

「ご用でしょうか」


見ればまだ小童に近い。

ほぼ小袖だけの姿で裾をまくり上げて帯の後ろに突っ込んでいる。

腰には小刀を差し、水がはいっているのか瓢箪を下げている。

髷はなく、紙縒りで髪を後ろに束ねているだけだが、それがまた初々しい感じを与える。

顔は日焼けしているが、それでも地が白いのだろう、顔はまさに童顔だ。

涼しい目をして、まだ慣れていないのか、挨拶もぎこちないが、どことなく爽やかだ。


「おい、こいつもほんのこの前まで百姓の倅じゃった。逃げる中丸の兵とうちの者で斬り合いになっての、こいつの家が側にあったもんで、家の中でも斬り合いになったのじゃ。幸いこいつも家族と一緒に逃げておって大丈夫であったが、家はめちゃめちゃになり、家財は壊れて一家六人が途方に暮れておった。家を直し、なんとか生きていかねばならんが、とりあえずは銭もいる、


たまたまそのときわしが通っての、見れば親父は無理じゃが長男はちょうどええ年ごろじゃった。働き手を奪うのも心苦しかったが、仕えれば当座の銭は払ってやれる。武家のことも読み書きも教えてゆく、と言っての、ほぼ無理やりに家来にした。


本人も”ではお仕えいたします”という。侍になりたかったようでの、ちょうど良かったというわけじゃ。家来になったばかりで挨拶もぎこちないが、みな初めは同じじゃ。家中の他の者も今度の戦で領地が広がりみな人手が要る。親戚から集めても人がまるで足らぬ。


家中の者が新しく召し抱えた者も千差万別じゃ。百姓はむろん町人もいれば川の漁師もいる。まこれは大きな声では言えんがの元山賊もおるのじゃ。殿さえ知っておるが、役に立つなら今なら咎人でも召し抱えそうな有様じゃ、

いずれは使える者使えぬ者が峻別されようが、それは自分の努力と仕え方次第じゃ。わしとてご先祖は百姓じゃ。出自を気にすることはない。世は下剋上じゃ、度胸か知恵か才覚か何でもええからその気さえあれば刀が差せる。どうじゃ」


男はどうしていいか分からない。

だが人生でおそらく初めての言葉を聞いて必死で考えているのがはた目にもわかる。

「わたしでも勤まりましょうか」

「真面目に仕えれば最初の堰は越えられる。あとはお前次第じゃ。殿の命でわしがこの辺りを預かることになった。あれこれ助けを借りて調べねばならぬことも多い。二三日うちにも、また来ることになる。よく考えておけ。これからは大江も人がいるでの、今ならわしの一存で入れられるぞ」

「はい、考えておきます。ありがとうございます」


 侍は茶をすすると遠くの山を見ながら言った。

「女も嫡男も気の毒じゃったが戦の世じゃ、仕方ない。

あのとき瀬田からはいくつか二人を探し迎える組が出ておったらしい。一歩間違えればうちの者が川を流れておったところじゃったよ。


”お雪”か、一度会ってみたかったの。

平家物語じゃの、琵琶法師の声が聞こえてきそうじゃ。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・

お雪と一緒に逃げたお前が羨ましいわい。」


すると側にいた作治が聞いた。

「ぎおんしょうじゃとは、なんでございましょう」

「はは、そうか、聞くことは良いことじゃ、帰る道々教えてやるでの」

「はい」


返事しながら笑う顔が清々しい。

侍もこの作治が気に入っているようだが、作治もこの侍に仕えてよかったと思っているらしい。

どうやら主人というよりも、親分いや師匠のような気持でいるらしい。

そうして見るとこの二人、師匠と弟子のように見えなくもない。

どうやら侍と家来の関係は超越しているようだ。

年はずいぶん違いそうだが、相性がいいのだろう。


「ま、そういうことじゃ、手間を取らせたの。仕官のことは本気で考えておけ、また来る」

「あの失礼でございますが、お名はなんと申されましょうか」

「ああ、名を言わなんだか、すまんすまん、わしは神馬信秀と申す。大江の家中なら誰にでも通る。いずれ他家にもわしの名を響かせたい、仕官の事よく考えておけ、よき返事を期待しておる」


神馬は”山は夏に限るのぉ”と言いながら供を連れて帰っていった。

作治は一番後ろをついて行きながら男に頭を下げた。

笑顔がいい、男は仕官したい気分になり始めていた。


「二人は親子じゃったのか、なるほどの、”お雪”か、ええ女じゃったの、惚れるとは、こういう気持ちか,とても手の届く女ではなかっただけに、余計に想いがつのるわい」

男はひとり言を言いながら仏壇に手を合わせた。

仏壇には空になった巾着が置かれている。

(二人の弔いをオレなりにしておくか、お雪だったか大層な銭も置いてもらっておるし。そうしよう、明日にでも坊さんに相談に行こう。


あの侍の家来か、人生一度じゃ、ちと遅いが賭けてみるか、戦で仲間とともに死ぬのも悪くはないの。うん・・・・ )

屋根の上を夏の雲が二つ流れていった。


                縁側


山の中とはいえ日差しは熱い。

平吉が庄屋の伝言を聞いて正太郎を訪ねてきた。

「おう、正太郎、相変わらず暑いのお。ちょっと孫次郎を呼ぶでの」

家の横を右に曲がると孫次郎の家が見える。

大きな声で叫べば十分聞こえる近さだ。


平吉が孫次郎の家を見ると妹のお春が洗濯ものを干している。

平吉が叫んだ

「お春よ~ 孫次郎はおるか~」


お春が笑いながらすぐに家に入った。

入れ替わりに孫次郎が飛び出てきた。

平吉が手招きしながら呼んだ。

「ちょっとこいいや~ 庄屋の伝言じゃで」

孫次郎はすぐに走ってきた。


三人で縁側に座り、平吉がいった。

「さっき組頭の常次郎さんが馬に乗っての、庄屋の伝言を伝えにきた。村中を触れて回らにゃならんで手身近に話すがいうての」

正太郎がいった。

「中丸のことか」

「ああそうじゃが、がっかりじゃが、中丸の女房と娘は鎌山が捕まえたそうじゃ」


孫次郎もいった。

「なら嫡男が残っているのか」

「のはずじゃが、その嫡男は大江の者に囲まれ、侍女とともに谷川に身を投げたそうじゃ。それが数日後に瀬田の河原に流れついての、侍女の親が引き取ったそうじゃ。谷川を背にしておったで追手も手出しができずに見るしかなかったらしい」


「つまりはもう中丸を追うことはない、ということか」

「ああ、そうよ、中丸はもう誰もおらんようになった。年の瀬を控えての、総て終わったということじゃ。あれこれ思うておったが、捕らぬ狸の皮算用とはこのことよ。まあそういうことじゃ」

「なんじゃ、面白くないのォ」

孫次郎も算段が狂ったようで、三人で意気消沈している。


喜んでいるのはそばで洗濯物を干している正太郎のお袋だけだ。

「そりゃまあ仕方ないの、まああきらめることじゃ。危ない目におうてまで、負けた武家の女子どもを追わんでもええ。女子どもを追い込んで殺すとは、死んだら地獄行きじゃぞ」

と言いながら喜んで奥に引っ込んだ。

奥から鼻歌が聞こえてきた。


すぐに茶が出てきた。

「二人とも熱いけどな飲んでいき」

「ああ、すんません」

正太郎も孫次郎も平吉も当てにしていたものが外れて意気が上がらない。


正太郎が尋ねた。

「それで女房と娘を鎌山はどうする気か」

平吉は茶をすすりながらいった。

「今は館の近くの掘立小屋に押し込んでいるそうじゃが、女房は娘ともども近いうちに館の前で磔にするそうじゃ。娘は尼にするかして助けてやってもよかろう、と大江は言うたそうじゃが、鎌山はうんとは言わずにみな磔にすると押し切ったらしい。あいつは恐ろしい男じゃからの。これから鎌山の領民になる者は大ごとよ。逃散や死人が出るじゃろうとみな言うておる」


「そうか、そうじゃろうな。この前中丸の当主を見たとき太田村の五兵衛てやつが言うとった。

『この先、鎌山の領民になる者は大変じゃ』とな。この調子ではいずれ鎌山も何か起きそうじゃの」


平吉は茶瓶を傾けながらいった。

「悪人はどこにでも掃いて捨てるほどおるが、そいつを捕らえ罰する者がおらんのが困るのよ。

幕府も内裏もこれほど力がのうなってはの、誰かが天下を取って治めぬ限り無理じゃ」


孫次郎もいう。

「ああそうよな。それにしても鎌山の当主はおかしい、狂うておるのじゃないか。まともではないぞ、あいつは。何か起きるかもな」

正太郎も同じだ。

「ああ、起きるな、このままでは収まるまい。謀反が起きても不思議ではない有様じゃからの」


平吉もいった。

「大江との領地の分け方もまだ決まってはおらぬしの。どうせ鎌山があれでは大江と丸くは収まるまい。今度は鎌山と大江が戦になるわとみな言うておるよ、領地で話しがこじれたらもう話し合いではすまぬでの。鎌山の姉は大江の当主の年上女房じゃが仲がええそうで、家中の者にも信頼されておる。あの女房はどうなるのか、離縁されても鎌山には戻るまい」


正太郎は平吉に尋ねた。

「そうなると、うちの鮫山の主殿はどちらへつく気か。何か聞いておるか。鎌山と中丸の戦は大江が加わったとはいえ、”他人のケンカ、わしゃ知らん”で済んだが、鎌山と大江の戦になれば、そうもいくまい。まあ心情的には大江についてもろうたほうがええがの」

平吉が応えた。

「いや、何も耳にはしてない。でもまあつくとすればやはり大江でないとな、まあこっちら下の者にはわからんが」


「鎌山と大江、もめてくれればええがの」

「ああ、ほんま、もめてほしいわ」

「もめるじゃろうの、その先がどうなるか、見ものじゃ」

「できれば年の瀬に間に合うようにもめて戦を起こしてくれるとありがたいがの」

三人の笑い声が辺りの山々にこだました。


 その後、丸焼けになって残骸が残るだけの中丸の館跡で磔が行われた。

竹矢来で周りを大きく囲み、鎌山と大江から検使役の侍が正面に座ると女房と娘が磔の木に縛られて立てられた。


見ると娘二人はすでに死んでいた。

鎌山の当主は娘も磔と言い張って譲らず、ならば娘は泣き叫ぶじゃろうから、せめて先に楽にさせてやれと大江の者が言うと鎌山の者がすぐに娘の首を刺したという。

『左様でござるか、では』ですぐに刺したのじゃからな、鎌山は家来も狂うておるよ。

磔にされているのは形だけだが、娘の首には手ぬぐいが巻かれていた。

もちろん磔だから再び三度も槍で刺された。


続く女房の磔は見世物同然の磔で、突く槍も穂先を針のように細くして突いて穂先を動かすと折れるようにしていた。

それも急所を外して突かせる非情さだった。

急所を外され突かれ、加えて折れた穂先が体内に残るのだからすぐには死なない。

女房は激痛で悲鳴をあげる中でそれを繰り返した。


検使役の大江の者がそばの従者にささやいたという。

「娘を先に引導わたしてよかった。それにしても鎌山はやり過ぎじゃ。酷いものじゃ。中丸の当主ならまだしも、女房に何の恨みがあるのか。このようなものに最後まで付き合おうておったら大江の名に傷がつく。帰るぞ!」


検使で来ていた大江の家中の者五人は途中で帰った。

帰るときは女房はまだ息があったという。

集まった領民も多かったが、気分の悪くなる者が続出し、どこからともなく「お慈悲を」という声があがったが、容赦はなかった。


そして肝心の鎌山の当主は刑場には来なかった。

これで中丸は一族ごみ消えた。

女房娘の骸はその後どこへ運ばれたのか、分からない。


 その後、鎌山と大江の間で中丸の領地の折半が行われたが、折半とは名ばかりで要は取り合いになった。

土地はどうか、水はどうか、百姓の数は、田畑の陽当たりは、果樹山菜の取れ具合は、岩や石はどうか、そして肝心な米の出来高はどうか。

家の収入に直結するとなると、中々まとまらない。


それのみか、元々悪評の高かった鎌山に支配されてはたまらないと大江に願訴する領民が続出し周りがうるさくなり、分捕り合戦は困難をきわめた。

みな鎌山ではなく、どうせなら大江の領民になりたいのだ。

どうせ年貢を納めるなら、できるだけ話しのわかるほうにと思うのは人情である。


談合は最後には鎌山の家中の者と大江の家中の者が怒鳴り合いするまでにもめた。

このままでは周囲の国々の侮りを受けるのではとなり、鎌山の当主と大江の当主の直接の話し合いとなった。


それでも二日に一度の合議で延べ十日かかった。

とにかく一応の折り合いはついた。

譲ったのは鎌山ではなく、大江だった。

この分捕り合戦は双方に遺恨を残した。

それも時間が経っても収まらない遺恨だ。

どうせ長くは続くまいというのが世間の評だ。


 鎌山は当初ゆるい治政で領民は半分安堵しながら半分はなおも構えていたが、じきに鎌山は本性を現しだした。

予想通り過酷な治政に耐え切れず、逃散する者がぼちぼち出始めた。

逃げたところで行く先もなく、安心できる保証もないが、それでも逃げたいのだろう。


百姓が土地を離れて逃げるのだからよほどのことだが、最初に逃げた一家五人は見せしめのためにことごとく死罪、磔になった。

鎌山の当主が領内見回りと称して村々を回りながら、鞭で領民をたたくところを何度も見られている。

鎌山の当主の荒れようはますます酷くなっている。

鎌山の領内が荒れれば、他国に狙われ、それは他の家にも及ぶ。


            十月 神無月


 米の収穫が始まった。

山間部で陽当たりも水の温かさも一様ではなく、収穫にも早い田と遅い田という違いがでてくる。

それに合わせて村の者同士が順番に稲刈りや運搬を手伝う。

正太郎の家も手伝いを頼んだり頼まれたりだ。


とはいえ百姓ならみな仲がいいかといえば、必ずしもそうではない。

例えば一番大事な水は、みな自然水なので山の清水であったり、沢や森から流れてくる。

高いところにある田んぼの水は当然ながら冷たい、しかしその水が下の田んぼに流れていくほど陽に当たって暖かくなる。

冷たい水と暖かい水では米の出来が違ってくる。

これだけでも上の百姓と下の百姓の間に小さなわだかまりができる。


正太郎の家の辺りは他よりも少し収穫が遅れるが、それでも今年も何とかできて米の飯が食える。

しかし正太郎は不満だ。

(また年貢で取られる)

と正太郎は思っている。

しかしどうしようもない。

稗や粟などを食うところに比べれば恵まれているのかもと思いながら、やはり年貢を取るほうにならねば抜け出せないと思っている。


 孫次郎の家の米も一緒に下の街道まで運び下ろし、荷車に積みかえ、庄屋の家まで運んだ。

庄屋がやってきた。

「おう、正太郎も孫次郎もご苦労様じゃな」

「いえ、とんでもありません」

「二人ともお袋さんはかわりはないか」

「ええ、達者でやっております」

と二人はいった。


「暮れまでにはまたのぞいてみるで、そう言うといてくれ」

「はいどうもありがとうございます、お袋に言うときます」

すると庄屋の番頭役の徳治がやってきた。


徳治は正太郎より二十歳年上で、元は山城に近い摂津と丹波の境のあたりで材木問屋の番頭をやっていたらしく、腰が低く愛想もいい。

材木問屋の番頭が田舎の庄屋勤めとは珍しいが、番頭をやっていたときその店の娘とできて猛反対されたあげく、二人で駆け落ちしてきた。


そしてたまたま雨の日に神社の境内で休んでいるところを庄屋の目にとまった。

放浪人にしては男も女もそれなりにちゃんとしている。顔は埃まみれだが、庄屋を見る目もしっかりとしている。

男と少し話してみると正直そうで受け答えにもそつがない。


聞けば、途中で戦や野盗にもあいながら苦労してここまで来て、伝手を頼ってこれから備後まで行くという。よくよくみれば女のお腹が少し大きい、尋ねると子が入っているという。それでは備後までは無理じゃ、幸いなことに守護所の命で土手の改修や田畑の開墾が続いており読み書き算盤のできる者を探しておった。ちょうどよいと言ってはなんじゃが、うちでしばらく働かんかと言うと徳治も庄屋の人柄を見たのだろう。

ならばご厄介になります。ということになった。


以後はそのまま庄屋に居着き、今では大番頭になった。もっとも大番頭というても他に手代も番頭もおらず、小僧や女中がいるだけで、庄屋は一人であれこれやっていた。当然手が足りず、一家総出だが身内ばかりで中々前に進まない。今までも何人か人を入れてみたが、運が悪いのかみな”帯に短したすきに長し”だった。


そこへ徳治がきたので、庄屋の仕事もはかどり、何より自分の時間ができて庄屋は大喜びだ。なので村の者も外の者もみなが勝手に大番頭に仕立ててそう呼んでいる。

庄屋の仕事に精通しているので村の者も頼りにしており、村の若い者の面倒をみている組頭役の常次郎とも仲がいい。


当初はいわゆる”よそ者”で多少の行き違いや誤解もあったが、今では村に溶け込み、その後、子も無事に生まれて育ち、今は大坂の商家で丁稚になり商いの修行をしている。

本人は元商人だけに侍の扱いも心得ており、陰ひなたなく働くし、女房は百姓や職人の手伝いしながら、今では実家とも縁が戻ったという。


正太郎や孫次郎に無理に誘われ、初めて落ち武者狩りに連れて行かれたときは、いきなり竹槍で落ち武者の腹を突かされ、首を取る手伝いをやらされた。帰ってから三日ふさぎこみ、飯もほとんど食べなかった。


よほど衝撃が大きかったのだろうが、その後二回ほど連れて行っているが、これもやはり慣れだ。三回目に連れていったときは庄屋の名前が入った前掛けをつけたままきて、みなに”余裕があるのう”と大笑いされて気づいたくらいだ。


今回の中丸と鎌山のことでも『武具や刀を磨きながら、落ち武者狩りの触れを待っておりました』と女房が言うくらいだから、そうなのだろう。

こういう人物は多く、いざとなれば血が沸騰するらしい。

たまにくる町医者がいっていた。

『三日ふさぎこんでいたのは、もう一人の自分に気づいて悩んでいたのではないか』

そうかもしれない、というのが庄屋たちの徳治評だ。


その徳治がいった。

「鎌山の治政はとんでもないことになっておるようじゃ。先日も鮫山の館まできて、鎌山はあまりにひどい、何とか助けてはくれまいかと哀訴する鎌山の村役人までおったそうじゃ。


庄屋もいった。

「うちの主殿にも役目の者を通して何度か伝えておるが、さりとて他家のことじゃでどうしようもないでの、と言われるだけじゃ、まそれはそうじゃしの、他家のことには口出しはできぬ。それをやれば今度はこっちが口出しをされかねん。互いに互いの領内のことは口出しせぬのが一番じゃ。鎌山の領民の辛さはわかるが、こっちにはのどうしようもないて」


徳治が続ける。

「色々と聞くに噂通り、どうも鎌山の当主は頭の病ではないかという。幼少のころから少し奇怪なことを言ったりやったりする男じゃったが、そのころからすでにおかしかったのではないか、とも聞いた。


十四五歳のときに家督を継ぐ兄が川で溺れて死んだことがあるそうじゃな。何でもいきなり姿が消え、下流で見つかったときはすでに溺れ死んでいたと」

正太郎がいった。

「ああ、それは、ここら辺りの者はみな知っておる。消えたところは流れもゆうで深さも腰くらいのところじゃった。なぜ消えたのかとみなが不審に思ったもんじゃ」


孫次郎も続ける。

「あのとき弟だった今の当主が腹心の者に命じて溺れさせたのではないか、という噂が立った。

 兄の守役だった者は責任をとって腹を切ったが、確かなところは分からぬ。いずれにせよ、昔からまともな男ではなかったようじゃ」


 庄屋もいう。

「大江の今の当主の女房は鎌山の姉じゃ。嫁に来た頃は鎌山もさほどおかしな男ではなかったがの。女房は今では鎌山とはほとんど付き合いがない。

中丸攻めは大江のご隠居が煽って鎌山と組ませて中丸を潰したのじゃが、今ではご隠居は何も言わずに黙っているそうじゃ。


先日もな大江の家老が”鎌山との領地の分け合いが前に進みませぬ。困っております”と水を向けるとな、”倅に聞けばよかろう、わしゃ隠居の身じゃ”と言うて逃げたそうじゃ。

なら最初からのォ、黙っとりゃいいものを、おかげで中丸には取り返しのつかんことをしてしもうた。大江の若い当主も寝覚めが悪かろう」


徳治が話しを引き取る。

「その後の領地の仕分けも前に進まぬ。領地の境すらはっきりしておらんところがまだかなりあっての、領民の苦労と他領への直訴とあいまって鎌山の家中では謀反の噂まで出ておるそうじゃ。


鎌山はこの先どうなるかわからへん。大江と戦になるか、謀反が起きれば今度は鎌山への落ち武者狩りの触れが出るやもしれへんし、二人もよおく気をつけておいてや」

時々浪速あたりの言葉が出る。


「わかった。そうなってくれるとええけどな」

正太郎が応えると、孫次郎が言った。

「もう十月じゃで、何とかな、暮れまでにケリがつくようにしてくれるとええんじゃが。ええ正月になるけどな。いやほんまにそう思うわ。妹もじきに嫁に出さんといけんしの」


庄屋も笑いながらいった。

「そうか、妹のお春もそろそろ嫁にいく頃じゃな。愛嬌はあるし、はきはきしておるし、」

といったところで偶然か、みなが正太郎を見た。

聞いていたのか、いなかったのか、正太郎は荷車の荒縄を締めなおしていた。


庄屋が少し笑いながら続けた。

「あと三月で今年も終わる。触れが出れば長うても四五日でケリがつこう。それから始末してあれこれ銭に替わるのはおよそ半月。師走になれば雪が降る。ということはせめてこの十月が終わるまでにはの、何とかしてもらわんとな」


孫次郎がいった。

「向こう任せじゃな」

「そうじゃよ、こっちでどうこうもできんでの」


 それから二三日後のこと、村は秋の祭りで近郷からも人が集まり鎮守のお宮も森も人で賑わっている。

これがすむと冬はもう目の前だ。

幸いというか今年は例年より暖かい。

枯れ葉や枯れ枝で焚火を焚いても手をあぶる者もおらず、もっぱら芋を焼くのに役立っている。


お宮の社務所代わりの幔幕の中でいつもの顔がそろっている。

今日は神主も仲間に入った。

話すことはむろん鎌山と大江のことだ。


神主がいう。

「これはうちの主、鮫山に近い者から聞いた話しじゃが、鎌山と大江が戦になっても、”中丸のときと同様に、鮫山としては手は出さぬ”と決めておるそうじゃ。

鎌山のみか大江からも打診があり、この前は瀬田からも使いが来たらしいが、”他家のもめ事に手を出す気はござらぬ”というて丁寧に帰したそうじゃ。


「ただし『逃げてくる者も、追うてくる者も領内には入れぬで、それぞれの国境には兵を出す。無理に入ってくれば斬る』とも言うたそうじゃ。それはそれでありじゃろうがの」

「でも国境だけ閉めても、ぜんぶ地続きじゃでどこからでも入れるでの、そういうのも斬るのかの」

「それは分らんが、中には女子ども年寄りもおろうしの、その場その場で扱う気であろうて」


「瀬田がきたということは今度は瀬田もやる気なのか」

「いや、加藤との間がまだ決着がつかん。瀬田が来たのは探りじゃろう。うちの主までが動き出したら、どっちにつくかで瀬田も他人事ではなくなるからの」

「うちの主殿は瀬田とは仲がええが、瀬田も加藤が片付いておらんで、うちも瀬田も大江と鎌山の戦には加わるまい。瀬田にとっては鎌山は遺恨の相手じゃがの、急いて仕損じては何にもならんということよ」


「するとやはり鎌山と大江の一騎打ちか」

「そうなるな」

「周りの国衆もな、どっちに味方して勝ったところで大したこともないので様子見よ。いずれにせよ大物が現れれば様相は一変するで、それまでは余計な怪我をせんように、見物ということじゃ」


「数でいうたら大江が圧倒的じゃろうの」

「それじゃが、鎌山も大江も人を集めているそうな。ともに中丸の領地が入ったでそれでなくとも人手が足りん、中丸の家来もほとんど殺したしの、そりゃ人手は足らんわな。


加えて双方には領地の不満があるのでなおさらじゃ。特に鎌山は人を手当たり次第に集めているともいう。すでに二三百は集めているらしい。これだけでも大層な数じゃが、ただ集めた人をいつまでも養うこともできぬ。日が経てば経つほど金蔵の銭も米蔵の米も無くなるでの」


「すると戦は早いということか」

「そうよ、抱えた者の中には色んなのが混じっておる。早くせねば鎌山自身が自分の首を絞めることになる」

「いつぶつかるのかの」

「でも国境にはまだ陣立てもないし、今年はこのままいくかもしれんの」


「いや、年を越すことはあるまい。

遠方を攻めるなら年が替わってということもあろうが、おそらく年内には始まるのではないか。大江もあまり伸びて鎌山に助太刀が出てきても困るでの。鎌山と大江はともに急いでおるはずじゃ」


「人はそれぞれどれだけかの」

「大江は普通は千四五百、増えて二千近くかの。それ以上では家がもつまい」

「鎌山は普通ならせいぜい五六百じゃ。だが大江が相手じゃで必死に増やして、まあせいぜい増えても千どまりか」

「なら大江の勝ちじゃの」


「う~ん、なんともいえんの、鎌山も今の不利な状況で大人しくはしていまい。鎌山には戦の気があるようじゃから、オレたちにはわからぬ何かがあるのではないか」


            松明がゆく


 秋の満月が辺りを照らしている。

雲は一つも無く、向こうからくる人の顔さえ見当がつくくらい明るい。

満月が低くなったころ、ススキが広がる原野を大勢の兵が移動していく。

多くの松明が山のほうへ延々と続き、流れるように国境に向かっている。

騎馬武者が乗る馬が啼く、鳥がおどろいて逃げていく、鎧や武具がすれる音がする。

揺れる旗印は大江の印だ。


 戦が始まった。

国境では小さな衝突があったが、なんなく通過して軍勢は鎌山の館に真っすぐに向かっている。

しばらく進むと小山が点々とある盆地に入った。

この盆地を出て低い山ひとつを越えると、正面の小山の麓に鎌山の館がある。


大江の動きを早くに察し、鎌山は盆地の真ん中で待ち構えていた。六尺ほどの荒削りの木の柵が横に途切れ途切れに並び、間に板の盾が並んでいるだけだ。


大江の副将がいう。

「館周辺に籠るかと思いましたが、このような場所に出てくるとは、負けに来ているようなものですな。こちらはおよそ二千五百、向こうは千と二三百というところでしょうかな、一気に押し出せばすぐにもケリがつきましょう。あれを崩せば鎌山の館へはもう一本道にございます。中丸のときより楽な戦になりそうでござる」


総大将の大江がいった。

「しかしちと解せんな、わが方の半数の軍勢しかおらぬのに、平地でそれも柵だけで対峙するとは、あまりに備えがゆるすぎる。なんぞあるのではないか。それに何やら風に乗って臭ってくるが、これは何じゃ」


副将がいう。

「この臭い、なんでござろうか、覚えがございませぬが。しかし、奴ら後ろまで丸見えじゃが何も見えませぬぞ」

大江は”わからぬなら、もうよいわ”というような口ぶりで命じた。

「騎馬を先頭に槍で押し出し足軽隊を続けさせる。騎馬をまずかからせ、すぐ後ろに槍、そして足軽隊の一番と二番を出せ、三番と五番は後詰めにせよ」


法螺貝が吹かれ、太鼓がなり響き、騎馬隊が押し出した。

すぐ後ろを槍隊が走る、その後ろには半数の軍勢が押し出している。

半数の兵は残って総大将の周りで構えている。


喚声とともに騎馬隊が突っ込もうとしたそのとき、白い大きな煙の固まりが見えるやいなや天地をも揺るがす大音響が山野に響きわたった。

すると最前線の騎馬隊が大混乱に陥った。

なおも煙が立ち上がり、音は断続的にだが山野に木霊し、山が震えるようだ。


大江は何が起きたのか、さっぱり分からない。

風が無いせいか前面は煙がたまってよく見えない。

何かが起きていることは確かだが、大江も家来もさっぱり分からない。


「あの音と煙はなんじゃ、すぐ見に行ってこい」

そばの騎馬が数騎駆けだした。

前方は音と煙と喚声と馬の鳴き声で大混乱しているようだ。

槍隊も後ろの足軽隊も総崩れだ。臭いは辺り一帯に広がっている。

主人を失った馬が煙の中を走り暴れ回り、外に出た空馬はあちらこちらに散って逃げ、一部は大江の陣にも向かってきた。


物見にいった騎馬が引き返してきた。

音は断続的に続き、煙も立ち続けている。

大江が大声で訊いた。

「何じゃったか、あの音と煙は」

「鉄砲にございます」

「鉄砲・・」

「はっ、攻め手の大将山井様は鉄砲に撃たれ討ち死に、その他お味方には相当数の死人とケガ人がでております。

先陣は斬りこみ乱戦になっておりますが、様相はこちらに分があらずのようにございます。いかがいたしましょうや」


大江の者は初めて鉄砲の洗礼を受けた。

臭いは火薬の臭いだった。

そもそも誰もが鉄砲を見たことがない。

まずはその音におどろき馬が暴れ出し、いうことをきかなくなった。


最前面では矢も当たらず槍も刺されておらぬのに、パシッと音がするたびに武者や足軽が倒れる。

一部の者が”これは鉄砲か”と思ったものの、時すでに遅し、大江の兵は混乱し、逃げる者が出始めると、それを見た鎌山は一斉に押し出してきた。


大江の目にもそれが見える。

大江は攻め手に後退を命じた。

法螺が鳴り、馬の伝令が走って後退を叫んで回っている。


続々と引き揚げてくる。

後ろに迫る鎌山の軍勢は大喚声を上げながら、逃げる大江の兵を襲っている。

大江の軍勢はもうバラバラだ。


大江は軍の立て直しを命じたが、思いもかけない展開に乱れて収拾がつかない。

大江が

「静まれ、列に戻れ」と叫ぶが、鎌山には走りながら鉄砲を撃ちかける者もいる。


そのときだ、前方の右奥の小山の陰から騎馬隊が喚声を上げながら向かってきた。旗指物は鎌山のものではない。

よく見れば瀬田ともめている加藤の旗だ。

「お館様、あれは加藤の旗にございます。後ろには五六百の槍と足軽が続いております。


鉄砲の音が響き続ける。

白い煙が上がると音が聞こえてくる。

鉄砲が近づいているのか、たまに横をヒュッヒュッと弾が飛んでいく音が聞こえ始めた。

前のほうでは何もないのに”ううっ”とうなっていきなり倒れる者が出始めた。

鉄砲弾に当っているのだ。


大江の軍はますます混乱してきた。

大江は逃げることにした。

逃げるのも兵法のうちである。

また挑めばいいだけのことだ。

逃げると決めたらなりふり構わず一気に逃げることだ。


総大将大江が下知する。

「一番隊と二番隊を先に逃がせ、三番隊と五番隊が後詰で当たれ。盆地の端まで下がりそこで立て直し、いったん館へ帰る。神馬を呼べ」

神馬が来た。

「神馬、これより陣を退く、五番で殿に加わり後詰めせよ、毘沙門天に武運を祈る、生きて帰るんじゃぞ」


「お任せくだされ、必ずや防いでご覧にいれまする」

神馬は馬廻りの者、供の者に声をかけた。

「下がるな、力働きは今ぞ、みなを逃がす。命をかけよ、わしの側を離れるな、固まれ」

神馬は叫びながら作治を見て笑った。


作治は神馬の馬の横にぴったりとついている。

作治は大刀を抜いた、重いはずだがなぜか、軽く感じた。

前からはまだ味方の兵が逃げてくる。

その後ろから鎌山の兵が迫り、右のほうでは加藤の騎馬と足軽隊が大きく回り込みながら迫ってくる。

袋のネズミにする策らしい。

ダーと鎌山の兵が斬りこんできた。

あとは作治もよく覚えていない。


無我夢中で刀を振り回し、神馬のそばを離れず、何人か斬り倒したことは覚えている。

肩と尻に切り傷を負ったが、日をかければ自然と治る程度のものだ。

馬廻り組にも少なからぬ被害が出たが、総大将大江も無事に逃げ、日暮れとともに鎌山も加藤も兵を退げた。

深追いしてはかえって危ないと思ったようだ。


結局大江は二百人あまり失った。

全軍の一割であり、大損害だ。

ケガ人の手当もある。

このまま戦は続けられない。

思わぬ敗戦であった。


幕の中で総大将大江がいった。

「あれが鉄砲か、あれが火薬とやらの臭いか、まさかと思うたが、鎌山が鉄砲をそれも百丁近い鉄砲を持っていたとはの、これほど見事に負けるとかえってせいせいするわ」


「お館様、亡くなった者も多くござります。せいせいはちと」

「ああ、すまぬ言い過ぎた。しかし見事に負けたの、鎌山と加藤にまだ深追いされておったらと思うと寒気がするわい」

家来はみな声が出ない。

副将は青菜に塩の有様で足元を見たままだ。

大江が声をかけた。

「しっかりせい」


「負けたものは仕方がない。怪我した者の手当をしっかりとせねばならぬ。いったん館に戻って立て直さねばならん。退くも兵法じゃ、夜を徹して帰る。後詰はそのままで、すぐに立つ、全軍に知らせよ」


神馬が作治を見ると返り血を浴びてあちらこちら血まみれだ。

顔にも血が飛び散っている。

血まみれの顔で作治がいう。

「ここが終わりの場かと思いましたが、なんとか、死なずにすみました。向こうの数が少なくて助かりました」

横の武者がいう。

「こちらも三番は無傷じゃしの、鉄砲はあっても数なら負けん。勝っておるのに引いたたのは深追いしてはかえって危ないと思うたのじゃろう」


神馬がいう。

「そうよ、まだ深追いされておれば、わしも首を取られたろうが、ま、負け戦とはいえ最後はなんとか面目が保てた。みなもようやってくれた」

他の武者がいう。

「それにしても作治よ、ようやったのお前は、まさかあそこまでやるとはの、百姓の子倅かと思うておったが、いやいや謝らねばならぬわい。お前はたいしたもんじゃ」


神馬も嬉しそうにいう。

「わしの思うておった以上の働きじゃった。お前の働きは周りの者もみな知っておる。『神馬よ、ええ若い者をつかまえたの』と先ほども言われた、わしゃ鼻が高い、それにようわしも守ってくれた。ケガはどうじゃ、傷むか」


「いえ今はさほどでも、血も止まりましたし、御無事でよろしゅうございました」

「うん、まだ油断はできん。みなを無事に帰すためにもうひと働きせねばならぬ。命を大事にしてもうひと働き頼むぞ」

「はい」


夜になり大江に戻って行く松明の火が燃えるヘビのようにグルグルと回りながら山の向こうに消えている。


              庄屋の家

 

正太郎たちが庄屋の家に集まっている。

「大江が負けたそうじゃ」

「鉄砲がでてきたらしいの」


庄屋がいう。

「まさか鉄砲とは、それも鎌山がじゃ、誰ぞが知恵を授けたのじゃろうが、それにしても百を超える鉄砲をの、一体どこで手に入れたのか。

大江が負けたのは鎌山に加藤が加わったことも大きいが、鉄砲の威力に負けたようじゃ、あちらこちらで鉄砲のことは聞いておったが、あれほどの威力があるとはの、やはりこれからは鉄砲の時代じゃろうての。


大江が負け、かなりの家臣をうしなっておるし、いったん引き揚げたものの、鉄砲が登場しては年内にはもう動けまい。

何もかも来年のことじゃろう。


それとの、次の落ち武者狩りからは鉄砲が出てくるやもしれん、鉄砲玉は弓矢と違って飛んでくる弾は見えん。ヒュッという音が聞こえたらもう通り過ぎておるか、死んでおるそうじゃし、音が聞こえんこともあるという。


ただし火薬を使うので雨には弱い。火薬は時化たり濡れると発火せぬ。

それに火薬と弾込めに手間がかかるらしい。一発撃つとすぐ次は撃てぬという」


徳治がいう。

「わしも以前に聞いた話しじゃが、五寸ほどの線香を四本に折り、その一本が燃え尽きるくらいらしいの、もっとも慣れと人にもよるらしいで、早い者はまだ早く、遅い者はまだ遅いのであろう」


平吉が訊いた。

「鉄砲て、どんな形をしておるので」

庄屋も見たことがない。

「わしも見たことがないでの、なんや左手で抱えて右手の指で何やら引くと弾が鉄の棒から飛び出てくるそうじゃ。鉄の棒には先に火薬をいれ、その後に弾を押し込むという。じやから鉄の棒の中は穴が開いておるという」


「鉄の棒に穴を開ける、そんな器用な鍛冶屋がおるんですか」

「元々は海の向こうから南蛮人が持ってきよったのじゃが、今では堺やあの近辺でもつくっておるらしいで、そういう鍛冶屋がおるのであろうな」

「へ~、田舎におってはわかりませんな」

「まあそういうことじゃ。

弓より重いが、女子でも持てるほどじゃで重さは大したものではあるまい。ただ撃ったときにもの凄い反動があるそうじゃ。女子どもでは後ろに吹っ飛ぶくらい反動がすごいという。

これからは鉄砲の時代じゃで、みなも気をつけんにゃならん。


 がしかしこれは同時にかなりの銭にもなる。

鉄砲はそのまま銭じゃと思ってくれ。

兜や鎧よりも値がええじゃろう。鉄砲を見つけたら手に入れるように心がけておいてくれ。長さはおよそ四尺、荒縄で縛れば四本か五本は一人で持てよう。


落ち武者狩りに行って見つければ、できるだけ手に入れてくれ。大将の首につぐええ銭になるでの、ただし撃たれて弾に当たったら死ぬでの」

わーっと笑い声が上がった。


正太郎が孫次郎にいう。

「これからは鉄砲か、もう弓槍ではないのかの」

「どうじゃろうの、じゃがこれで何もかも来年になったの」

「それにしても加藤が入ったとはの、この前から算段が狂いっぱなしじゃ」

「ま、年が明けてからじゃの」

「うん、鉄砲は大将首の次か、これはあれば首よりも手に入れやすいで」


正太郎は家に帰った。

囲炉裏で天井を見ながらつぶやいた。

「てっぽうか、てっぽうの、人の首ばかりではわしも浄土にもいけまい。鉄砲ならなんぼ取っても仏さんも怒りはしまいが、鉄砲を取るために人を殺せばやはり同じか、まあええわ」

「正太、何か言うたか」

「いや、ひとり言じゃ」

棚田に秋の夕陽が写っている。

もうじき霜が降りだす。

辛抱の冬は近い。


               若侍


 大江の家中は静かになっている。

死人を弔い、ケガ人は手当し、馬を養い、人も減ったので新しい者を積極的に入れている。


そんなある日、作治が神馬の前に座っている。

作治は相変わらず髪を後ろで束ねて紙縒りで結んでいる。

赤白の紅白の紙縒りにしているのが、作治なりのおしゃれなのだろう。


神馬がいう。

「この前の鎌山との戦で、わしはお前のおかげで命拾いしたが、それのみか、あのときのお前の働きは家中に響いておる。お館様もすでにご存じじゃ、それでのこういう時でもあるし、わしもそれとなく願い出たらの、その場でお許しをいただいた。


作治よ、お前は今から侍じゃ、二本差しじゃ」

作治はあまりのことに声が出ない。

親が知ったら何というか、喜ぶか、いやそうではないか、わからない。だが侍になれることは、これ以上ないことだ。


「もちろん受けるよの」

「はい、喜んでお受けさせていただきます。ありがとうございます」

「明日髪結いを呼んであるで髷を結ってもらえ」

「はい」

「今度の戦でお家もかなり死人を出しておるでの、こう言ってはなんじゃが減った人数も増やさねばならんでの、言い方は悪いが、ちょうど良かった、ここだけの話しじゃぞ」

「はい」

理由は神馬なりの気づかいなのであろうことは作治にはすぐにわかった。

侍への取り立てを重荷にせぬための言葉なのだとわかっている。


喜ぶ作治の顔を神馬は頼もしそうに見ながら言った。

「でこうなると、いつまでも作治というわけにもいかぬし、名前もいる。でお館様に聞かれての、名前はまだ考えておりませんと言うたらの、じゃわしが考えると言われた。


作治の新しい名をお館様に考えていただくのじゃ、わしもこれほど嬉しいことはない。何よりも嬉しいのは、あのときお前を見どころがありそうじゃと思うてお前を連れてきた、わしの目に狂いはなかったことじゃ。わしはそれが一番嬉しい。

この後も色々とあろうが、前を見て進めば通れぬ門はない。頑張って勤めてくれ」


作治は畳に頭をつけるように礼をし、しばらく頭を上げなかった。

嬉しさと涙とが一緒で顔を上げられなかった。

何よりも自分を取り立て、百姓なのに他の者とも分け隔てなく接し、侍の世界で生きていく知恵と文武を教えてくれた神馬の命を救い、礼までいわれたことで胸がいっぱいだったのだ。


 後日、作治はその館の広間で大江の若い当主の前に座っていた。

緊張している。

「面をあげよ」

作治が顔を上げた。

「家中やあの戦で何度も見ておるが、改めて見るとなるほどのォ よき顔をしておる。先般の後詰と殿での働き、見事なものじゃった。礼を言う」


作治は頭を下げ”もったいなきお言葉、恐悦至極に存じまする”と昨晩必死で覚えた言葉を口にすると急に気持ちが落ち着いてきた。

「そちが士分になることは家中の誰も異論はない。二本差しの気分はどうじゃ」

「腰がなれるまでまだ数日はかかるかと」


「はは、そうか、での、神馬に訊けばまだ作治という名で新しき名を考えていると申しておった。

いつまでも百姓の名のままではいかぬゆえ、ならばわしがそなたの名を考えた。受けてくれるか」

「身に余るありがたきお言葉、これ以上の誉はございませぬ」

「うんうん、今日よりはこう名乗れ」


そばの用人が紙をもち、作治の前で広げて見せながら大声でいった。

「神馬作次郎」

「作治を作治郎にしただけじゃがの、名はいつでも替えられる。大事なのは姓のほうじゃ」


うしろに離れて座っていた神馬がいう。

「作治いや作治郎、そちは今より神馬を名乗れ。今日よりそなたはわしの養子じゃ、これはお館様の命でもある。

それにわしには男子がおらぬでの、そちはもうわしの後継ぎじゃ。お館様の許しも得ておる。女房もすぐに首を縦に振った。


お前の親にもの、すでに人を送って許しも得ておる。親のことは心配せいでもよい。これより一層忠義に励み、陰ひなたなくつとめよ」

作治郎は泣いているようだ。

畳に小さく光るものがぽつりと落ちた。


大江がいう。

「良かったの、すべてはそちの武勇と働きの結果じゃ。これよりもなお一層お家につくしてくれ」

作治郎は頭を畳につけたまま震える声で言った。

「身に余ることの数々、御礼の申し上げようもございません」


大江がいう。

「ところで神馬作治郎」

「はい」

「主でもあるが神馬は父となった。父についてどう思うておる」

思いもよらぬ言葉で神馬もおどろいたが、作治郎も咄嗟のことで言葉が出ない。

何よりも神馬についてといきなり問われてもそうそう簡単にはいえない。

さりとて黙っているわけにもいかず、ええいとばかりに思いの丈を口にした。


「養子ではあっても今もわたしには主殿です。あらゆることを教えて頂いた師でもございます。礼も剣も文字書きまでも教えていただきました。今わたしがあるはすべて神馬様のおかげでございます。

神馬様はわたしには生きる標であり、総てにおいて二人となき師匠殿にございます」


神馬は天井を見ている。

泣きそうなのか、唇を固く閉じて何かを我慢しているようだ。


「師匠か、そうか羨ましいの。わしにも色々な師匠がおるが、鬱陶しいだけでの、ときたましばいてやろうかと思う者もおる」

と言いながら笑うと、用人が割って入った。

「お館様、そろそろ刻限にて」

「こいつもな、わしには槍の師匠じゃがの、生真面目でうるそうての。

神馬作次郎、しっかりと頼むぞ、頼りにしておる」

「ははあ」


大江は神馬を見ると畳に頭をつけるように平伏していた。

大江の家に、若い侍が生まれた。


               11月 霜月


 暦は11月に入った。

まだ霜は降りない。

正太郎は囲炉裏で草鞋を編んでいる。

「いや、今年は暖かい、まだ霜も降りん、助かるのぉ、これであの鎌山がコケてたらな、えかったのにな、しょうがないが」


外で平吉の声がした。

「お~い 孫次郎~ ちょっとこんか~」

平吉がきて孫次郎を呼んでいる。

縁側からのぞいた。

「正太郎よ、どぶろく持ってきたで久しぶりに飲まんか。お袋さん、今から正太郎と孫次郎の三人で酒盛りやるでなんぞ酒の肴はないかの」

「珍しいことじゃの、三人とも日頃でもほとんど飲まんのにの、なんぞ探してみよう」

孫次郎もきた。

縁側で酒盛りが始まった。


正太郎がいう。

「何でもないのに、ほとんど下戸のお前が飲もうとはどういうことか、なんぞあるのではないか」

「いやあ、実はの、事が大きゅうての、今でも身体に震えがくるようじゃ」

平吉はそこでどぶろくをグイっと飲んだ。


「昨日の、用があってうちの主の鮫山の館へ行ったのじゃが、ションベンがしとうなっての、まさか館の雪隠を借りるわけにもいかず、しようがないから庭の隅の松の木に隠れてやってたんじゃ。

するとすぐ横の東屋から侍が四人出てきょった。だれもおらんと思うておったのであわてての、こんなとこ見られたら斬られると思うて、出るものを無理に止めて木の陰にしゃがんだんじゃ、するとその四人がすぐそこで話しの続きらしいことを口にしたのじゃ」


正太郎と孫次郎は平吉の顔をじっと見ながら次の言葉を待っている。

「二人はうちの主、鮫山の家老とその用人で顔は知っておる。あとの二人はわからんが、じっと息を殺しておった。するとな鮫山の家老がこう言った。


『委細承知つかまつっております。当方もかねてより鎌山の乱暴狼藉には腹を据えかねております。鮫山家としても大江様がそうならば何の躊躇もございませぬ。家中の主な者にも異を唱える者はおらず、備えはそれなりに進めております。あとはいつやるか、それのみにござります』


「すると二人がいったのじゃ、『先日も申し上げた通り、年を越せば鎌山の勢いはまだ増しましょう。鉄砲も増えると思われます。やはりやるのは、この月のうち、幸い例年になく暖かく、どこの山の頂きにも雪の兆しもござらぬ。これより急ぎ帰り、明日中にでも決め、すぐに使者を遣わします。そのおつもりでお待ちなっていただいて結構にございます』ということじゃ。うちの主も加勢して大江は鎌山を攻める気じゃ」


「そりゃ今月にやる気か、こりゃえらいことになったで、うちの主もやっとやる気になったか」

「そうじゃ、やっとうちの主もその気になったようじゃ、鎌山の鉄砲におどろいて、こりゃ今のうちに鎌山をつぶさねば、いずれ鮫山自身の家が危ないと思うたのじゃろう」

「大江と鮫山が組んでやるか、それも数日うちか。加藤はもう来年のこととたかをくくって引き揚げておる。すぐに陣を立てるのもむつかしかろう、やるなら確かに今よの」


「誰にも言うとらんのか」

「ああ、誰にも言うとらん」

「しかし庄屋と徳治さん、組頭の常次郎さんには言うとったほうがええんじゃないか」

「ああ、わしもそうは思うたんじゃがの、内密の話しじゃで慣れておらんし、一人でいくのもなんや気がすすまんでの」


「それで酒飲んでわしらに付き合えと」

「ああ、そうじゃ」

「そういうことかい、よし孫よ、今から三人で行こう」

「うん、それがええ、あとは庄屋が考えるじゃろう。とうとううちの主も立つか、この前も様子見じゃったからの、鎌山のやつおどろくじゃろうの」


棚田を三人が走って下りていく。

正太郎のお袋が心配そうに三人の後ろ姿を見送っていた。

庄屋の家にいくと徳治が蔵にいて帳面を広げていた。

「おやまあ、日頃は酒を飲まぬもんがそろって酒臭いではないか、何かええことでもあったんかい」


「徳治さん、庄屋さんと常次郎さんに言うてくれんか、三人だけに平吉から大事な話しがある」

徳治は何事かとすぐに庄屋を呼び、常次郎を呼びに丁稚を走らせた。

蔵の中で五人のひそひそ話しが始まった。

途中で常次郎が駆け込んできた。


庄屋がいった。

「ようわかった。まだみなには言うなよ、これはその時まで口にはできぬ。

うちから鎌山に話しが漏れたとなれば、わしら全員磔じゃぞ。

お前たちもお袋にさえも言うでないぞ」


正太郎がいう。

「うちのお袋は知っとりますが」

「お袋さん聞いとったのか」

「ええ、三人で縁側で話してましたが、お袋はすぐ横で縫い物をしておりましたので」

「しようがないの、幸いあの棚田の上で人も滅多にはこぬから大丈夫とは思うが、とにかく絶対に人に話すな、漏れたことが分かると親子そろうて磔にされるぞと脅しておけ」

「ああ、そうします」


しかし、とうとうわが主殿もやる気になったか、鉄砲のおかげじゃな。待てば海路の日和ありじゃ。それにしても酒臭いの、お前ら」

「すんません、飲むのに慣れておらんもので」


それから二日過ぎた。

外は曇り、わずかに雨が降っている。

例年なら雪だろうが暖かいせいで雨になっている。

夜明け前、平吉が拍子木を打って二人に知らせた。

二人が見ると平吉は両腕を高く上げて丸をつくっている。

戦が始まったようだ。


正太郎たちは庄屋の家に向かった。


すでに村の連中が集まっている。

「おう三人ともきたか、これでそろいじゃの、大江がうちの主鮫山と組んで鎌山攻めに入った。館の者がいうには瀬田も加藤との国境に兵を出して加藤をけんせいしながら、大江と鮫山の加勢に百五十人ほど出しておるという。


つまりはこの戦、大江と鮫山と瀬田の三国衆と鎌山との戦いじゃ。

それに大江も急遽鉄砲を仕入れたらしいが数は少ない。

鉄砲はつくる端から売れていくほど売れているという。

大江は限られた時間で旧知の国衆にあれこれ手を回したが、手に入ったのはわずかに二十五丁だというが、無いよりはマシじゃ。


鮫山も手配したが、絶対数が不足しているのだから値段も跳ね上がり、

結局鮫山は一丁も手に入らなかったらしい。

『なら鉄砲は鎌山攻めでただで手に入れようではないか』という話しになったらしい。

皆笑っているが鮫山の主は本気で鉄砲も分捕る気じゃ。

この戦、勝てるぞ。


鉄砲の数では負けるが、数と勢いでは負けぬ。

おまけに昨日よりわずかだが雨が降っておるで、鉄砲の火縄も湿って使いものにならないそうじゃ。

すでに昨晩から大江も鮫山も瀬田もそれぞれが所定の場所に陣を張り軍勢をまとめておる。


加藤は瀬田が国境に兵を集めておるので、動けないようじゃ。

瀬田の兵が減ったのをみて攻めても鎌山が滅べば次は自分が攻められるゆえ今度は様子見に入っておるのであろう。

今回は大江も万に一つも負けることはあるまい。


大江は単独で東から鎌山に攻め入り、うちの鮫山と瀬田は国境から入った街道の合うところで合流して西から攻め入り鎌山を挟み撃ちにすることになっておるそうじゃ。

それでうちの主からも力を貸せという知らせを持って先ほど使者がきた。

それぞれの村に加勢の人数を出せと決めておるようじゃ。

うちの村では十二人以上出せとのことじゃ。

つまりは十三人でもええし、それ以上ならなんぼでもええ、ということじゃ。


肝心の手当はさほどよくはないが、”此度の戦で鎌山を滅ぼす。その後は鎌山と鎌山が手に入れた中丸の旧領を鮫山と大江と瀬田の三者で分けるゆえ、加勢に参じた村には田畑も分け与える。戦はこちらでやるので残党や落ちていく者の取り囲みや捕縛の手伝い、見張番をやってくれればよい、よってすぐに参じるように”、とのことじゃ。

もう一つ、”落ち武者が出れば狩り取り勝手、相手次第もの次第では恩賞も取らせる。手に入れた武具、着物などは勝手にしてよい”とのことじゃ。

もう勝ったつもりで、飛んでる鳥の献立を考えるような話しじゃが、それだけ勝てる自身があるのじゃろう」


「落ち武者が出そうかの」

「それはわからぬが、悪い話しではない。ただうちの主に従うことになるゆえ勝手には動けず、自由はきかぬのが難点じゃが、人数だけは出さねばならん。十二人以上じゃ、手を上げてくれんか」

するとゾロゾロと三十人近い手が上がった。


「来月は師走じゃ、家にいても銭にはならんし」

「そうじゃ、しめ縄つくりも門松づくりも大方はすんでおるし、何がしかでも銭になるならいくで」

そうじゃそうじゃと声が上がった。


「有難い、では全部で三十四人じゃの、これで鮫山には各自の名を記し、届を出す。すぐに支度して鎌山に入る国境の茶屋の前に明日の夜明けまでに集まってくれ」

みなが家にいったん帰っていく。

庄屋が正太郎と孫次郎にいう。

「二人ともよいか、命を失うではないぞ、正太郎は母だけになるし、孫次郎は母と妹だけになるでの、わしが一生恨まれることになる。それはわしにも耐えられん。助けおうて必ず無事に帰ってくるんじゃぞ」


「大丈夫です」

「どってこともありません」

二人は帰っていった。


二人の後ろ姿を見送っていた庄屋の草履の緒がプツンと切れた。

「なんじゃ、縁起の悪い」

見ると二人の姿はもう消えていた。


                大団円


国境には近くの村の者が百人近く集まっていた。

中には鎌を腰に差した者、鍬を持った者もいるが、さすがに竹槍はみなが持っている。

竹はどこにでもある。

割れれば新しい竹を切り、先がつぶれれば研げばよいだけだ。


鮫山の顔なじみの侍がいう。

「もう聞いたじゃろうが、戦はわしたちがやる。お前たちのすることは人囲いをつくり、竹槍でふすまをつくり、逃げる者あれば追い捕まえることじゃ。手に負えずば殺せ。


ただ逃げることは許さぬ、よいな、これだけは厳として言っておく。

逃げればわしが斬る。逃げるときはわしが下知を出す。そもそもお前たちは日頃は田畑が相手じゃで無理強いはせぬ。

敵を囲んだときも前で斬り合いはさせぬゆえ、そこのところは安心しておけ。

ではこれより出発する。わしの後に続け」


そろって国境を越えた。

先頭には鮫山の足軽が三人それぞれ鮫山の紋を白く抜いた青い旗を立てている。

だがさすがに本物の軍勢と違い、どこか一揆を思わせるような姿だ。


無理もない、日頃のままで竹槍と刃物と籠を背負っているだけだから。

途中でどこぞのガキが

「ほいとが群れになってようけきよるで」

と叫びながら家に駆け込んだ。


すぐに家の主人が出てきたが、笑いながら頭を下げていた。

「俺たちゃほいとか」

わーと笑い声が上がった。

どこか戦の場にいくようには見えない行列だ。


途中の番屋では十人ばかり鮫山の者がいた。

戦があるような気配はない。

組頭の常次郎が訊くと番屋の者はこういった。

「鎌山は館と後ろの小山に籠り、外にはでておらんらしい。みな出口をふさがれて雪隠詰めになっておる。籠城のようじゃがしょせんは館じゃ、一日で落ちよう」


鎌山の館が近づくと遠くからやってくる瀬田の兵が見える。

鮫山の兵も丘の上や林の陰に三人四人と集まっている。

なおも進むと検使役の大江の旗が見え始めた。

大江の者が検使と連絡のために二十人ばかり来ているらしい。

瀬田の兵を先に行かせると”休め”になった。

前の山を越えると鎌山の館が見える。


常次郎が大江の兵に訊くとこう答えた。

「鎌山は当主もその一家も館の中じゃ。明日、明けの前には火をかけ、総攻めして一気に決めるのではないか。鉄砲もあるとわかれば攻め方があるでの」


村の者はすることもなく、三々五々地面に座り休み始めた。

みな百姓同士だ、世間話になった。

陽が傾き山の影が段々と長くなってきた。

その日が暮れた。


 朝、まだ暗いが号令が響いた。

「村の者ども、起きて支度せよ、すぐに出るぞ」

皆が急いで支度する、といっても刃物を差し、籠を背負い、竹槍を持つだけだ。


「早足でいくぞ」

足が早くなった。

日頃はぐだぐだしているような侍もいざとなれば百姓顔負けに足が早い。

常次郎がいった。

「さすが侍じゃの、日頃はやはり鍛えておるのじゃろう、いや足が早いわい」


低い峠を上がると朝陽の中で鎌山の館が燃えている。

鉄砲の音が絶えない。

大江も鮫山も瀬田も総掛かりで攻めている。

多少の犠牲を払っても今日で決着をつける気だ。


坂を下りて館に近づいていく。

徒士が叫んだ。

「左の奥、瀬田の旗の後方に回り込め、逃げてくる鎌山の者は捕らえよ、刃向かえば殺せ」


ここは命をやり取りする戦の場だ、みなそれを実感した。

館の中や後ろの小山から怒声や喚声、女の悲鳴も遠くかすかに聞こえてくる。

顔がちりちりと熱い。

館から距離はあるが、それでも火の粉が飛んでくる。

轟轟と燃えている。

誰かがいった。

「炎の中は地獄じゃろうが、外から見るときれいじゃの」


みなは瀬田の旗の後ろに回って戦を見ている。

突然、まん前で怒声が響き、瀬田の兵が刀を抜き、槍を構えた。

徒士が叫んだ。

「鎌山のもんが逃げてくる。みんな構えろ、後ろへ下がって数人づつ固まれ。不用意に近づくと危ないぞ、間をあけて竹槍でたたくか、さもなくば相手の顔か足を狙って投げろ、投げたらまた拾って投げろ。石も拾って投げろ」


わーっと鬼のような形相で鎌山の武者や徒士足軽が五人逃げてきた。

一人は鉄砲持ちの足軽だが、火薬を込めて弾を込めるような余裕はなく、持っているだけだ。


竹槍が飛ぶといっても数が多い。

五人ともすぐに顔も足も手指も血まみれになり、たまらず足軽は鉄砲を捨てた。

すぐに誰かが拾うと鮫山の徒士が叫んだ。

「鉄砲はこっちへ寄越せ」


「命のやり取りをしていても、忘れんの」

孫次郎が笑いながらいうと周りも笑った。

足軽は一人倒れるたびにわっと何人もが一斉に寄ってたかって斬って突き、殴り、蹴っている。

足軽はみな血まみれで転がった。

すでに息はない。

武者の横にいた徒士ももう虫の息だ。

瀬田の者かとどめを刺した。

残っているのは武者が一人だ。

だがこいつが強い。


顔は血で真っ赤で片目もつぶれているようだが、なおも刀を構えてあたりを見回している。

周りは味方が囲んでいるので竹槍も投げられない。

徒士が斬りこんだが、かわされたところを上から斬り下ろされて肩が割れた。

悲鳴を上げていたが、すぐに静かになった。

武者の刀は血のりがつき、すでに刃こぼれでボロボロになっている。


すると大江の背旗を差した鎧姿の侍が三人やってきた。

中の若い一人が武者と向き合った。

度胸はいいが、まだ剣は修行中のようだ。

どこから斬りこむか少し考えていたが、決めたのか突きでかかろうとしたそのときだ。


とつぜん孫次郎が竹槍を持って横から武者に突きを入れた。

武者の横腹をかすったが、武者は竹槍を左手で握ると右手の刀を孫次郎に振り下ろそうとした。

そこを正太郎が飛び出て刀を大上段に上げて振り下ろすと武者はそれを刀ではねのけ、逆に正太郎を斬ろうと刀を振り上げると、同時に孫次郎が正太郎の前に出た。


一瞬だった。

孫次郎がグワッとうめいた、斬られた。

正太郎が大声で叫んだ。

と同時に武者は再び右手で刀を振り上げ、正太郎を斬ろうとした。

そのとき、若い侍が気合とともに飛びかかり武者の首を半分横に切り裂いた。


返り血が若い侍にも正太郎にも飛び散った。

武者はううっとうなると大の字になって後ろにどっと倒れ込み、土煙が上がった。

孫次郎はすでに下にくずれていた。肩から胸にかけて大きく斬られ血が流れていた。

正太郎は大泣きしながら孫次郎を抱きかかえた。


孫次郎はもう虫の息だ。

正太郎を見つめる目が、なぜか正太郎には笑っているように思えた。

正太郎は泣きながら孫次郎を抱きしめている。

孫次郎はもう助からないと正太郎もわかった。

「孫よ、孫よ」と泣く正太郎の声をみなが黙って聞いている。


孫次郎の手が正太郎の腕をつかみ、何か言いたそうに正太郎を見ているが、何をいっているのかはわからない。

孫次郎の手からだんだんと力がなくなっていく。

目がもう見えないのか、空を見ているようだ。


正太郎が力いっぱいに抱きしめると孫次郎の手がだらりと落ちた。

常次郎も徳治も平吉も泣いていた。

館はすでに燃え落ち、白い煙が上がり始めた。

まだ騒然としているが、正太郎にはわからない。


徳治が近寄って座り正太郎の肩を抱いた。

あの若い侍がぼそっと言った。

「わたしが斬られるところじゃった、気の毒なことをした」

徳治がいう。

「いやこれは仕方ない、そこもとのせいではない」


「孫はおれの前に出て斬られた、おれの身代わりになって斬られた、お前さまのせいではない」

正太郎は涙であふれる目でゆっくりと若い侍を見上げた。

見覚えがある。

しかし大江の侍に面識はない。


だがやはりどこかで会っている。

どこだったか、どこだった。

孫次郎と一緒に・・

思い出した。

そして泣きながら孫次郎を抱え、若い侍に孫次郎の顔を向けた。


「孫よ、あいつじゃ、あの作治じゃ、よう見よ、わしの言うた通りじゃろう、また会えたぞ」

作次郎は一瞬なにかわからない。

だがすぐに思い出した。


「お前様たちは・・あの峠への道で会った、歩いていった二人の・・」

「そうよ、覚えておったか」

正太郎は泣きながらいう。

「はい、よう覚えております。振り返ってわたしに手を振ってくれたことも、親父が左へと叫んだことも」

「まさかここで会えるとはの、それもこのような因果での・・」


遠くで何人もが叫んでいるのが聞こえてきた。

「鎌山の当主は討ち取った、一家もみな捕らえるか自害した、戦は勝ちじゃ、勝ったぞ~」


うわ~と大喚声が上がった。

正太郎は孫次郎を抱えたまま泣き笑いしている。

見上げると作治いや作次郎は泣くとも喜ぶともつかいない顔で正太郎と孫次郎の横に座った。


孫次郎は他の者ともども荼毘に付され、わずかな骨と遺品を持って村に帰った。

正太郎が孫次郎のお袋にそれを渡すと、正太郎を力いっぱいに抱きしめながら、正太郎の腕の中で泣き続けていた。


               春


 あれから二年が過ぎた。

春の田植えがじきに始まる。

正太郎は仏壇に線香を上げ、手を合わせて何かつぶやいている。

「孫よ、お袋はお前んとこもうちも元気じゃ。お前の妹を嫁にもらって一年になる。まさか妹をもらうとはの、あまりに身近にいたもんで気づかなかったわい。


お前も最後に見たじゃろうが、覚えておろう。あのいつかおうた作治、今では堂々たる侍になっておる。

おれたちにあのとき、ついてきとったら今の作次郎はあるまい。

おれたちあいつの師匠かのと話したが、作治は本物の師匠と親子になっておった。


作治はあのとき、こうも言っておった。

『わたしはあのとき、鎌山の武者の強さを知り躊躇しました。これは斬り殺されると思いました。あのとき孫次郎殿が竹槍を入れてくれなかったらわたしが死んでいたところでした。孫次郎殿はあのときわたしの前に回り込んでいましたから、わたしがあのときの小僧だと気づかれていたのかもしれません』


 孫よ、わしに侍は向かん、わしは一生百姓で生きていくことにした。

お春は腹が日増しに大きくなっておる、お袋は二人おるし、作次いや作次郎はたまにでも訪ねてくるでの、もうここから逃げられぬよ。


そういえば作次郎はこう言っておった。

『今の世に国衆も一人では生き残れませぬ。

大江の家は織田信長様の配下である明智光秀殿に参じることになりました。

生真面目過ぎて命を賭けるにはどうもな、という噂ですが、信長様の命では断れませぬ』

明智光秀、どのような人物か知らんが、この先どうなるのかの、作次郎を守ってやってくれ。


おお春が呼んでおる、また話しにくるでの孫よ」

線香の煙がゆっくりと上がっていっていた。


 戦の時代を生きる三人の青い春はひと区切りがついた。

一人は亡くなり、一人は百姓に戻り、一人はなおも激しい戦の真っただ中に飛び込んだ。


















































                                      















        





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戦国時代 彼らの青春 妻高 あきひと @kuromame2010

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