さよならの準備をしよう
清野勝寛
本文
さよならの準備をしよう
「明日世界が終わるとしたらさ」
「え、なにその寒い例え話」
そう言って彼女は俺を嘲笑う。液晶から目線は逸らさない。
「……だよな」
それが普通の人間の反応。子どもが話すならまだ分かるが、良い歳をした大人が真面目に話す内容ではないだろう。
「暇なら洗濯物たたんでおいてよ」
「了解」
立ち上がりベランダに干していた二人の洗濯物を取り込む。最近はあまり家から出ていないので、この作業ばかりしているような気がする。最初は彼女にたたみ方がなっていないと窘められ、何度も作業をやり直していた。この家に二人で住み始めたばかりのことだ。
そう言えば、似たような会話を別の誰かともしたことがあるような気がする。誰だったか。洗濯物をたたみながら記憶を探ってみる。
「――なぁ、深く考えずに答えて欲しいんだけど」
「なに」
ベランダで煙を吐きながらそいつは言う。夕陽が眩しい。
「もしも、もしも明日世界が終わるとしたらさ、」
「なんだよそれ、急に」
冷やかしながらそいつの方を見ると、逆光ではっきりと表情が窺えたわけではないが、言葉の軽薄さとは裏腹に深刻そうな表情をしていて少し不気味に思う。確か、そう確か、真面目な顔の似合わない奴だったんだ。
「最後死ぬその瞬間、後悔とか未練ってお前、あると思うか?」
少しだけ考えてみる。なんてリアリティのない話だろう。自分が明日死ぬだなんて想像したこともない。まだ両親も祖父母も生きている。親戚で何人か亡くなったという話を聞いたことはあるが、正直もうどんな様子だったかも覚えていない。
「んー、そりゃあるんじゃないかな。死にたくないって、思うだろ普通」
「そうだよな」
そう呟いたそいつの声色を聞いて、俺は直ぐに悟る。あぁきっと、俺はこいつが求めていた言葉を答えてやることが出来なかったんだ。
「――ねぇ、ちょっとってば!」
ふわふわとした感触が頭に触れて、我に返る。見上げると靴下をひらひらとさせ少し不貞腐れたようにしている彼女がいた。
「あぁごめん、ぼーっとしてた」
「良いけど、夕飯買い出し行ってくるから。何食べたい?」
「そうだな……なんでもいいよ」
作って頂いている身で、贅沢は言えない。それに彼女が作る料理はどれも必ず美味しいものだったから、本当に、なんでも良かったのだ。
「またそれ。それが一番困るっていっつも言ってる」
「ごめん。それじゃあそうだな、肉……そう、鶏肉が、食べたい、かも」
彼女は大きく息を吐いた後、了解と言って家から出ていった。周囲の環境音だけが聞こえてくる。彼女が帰ってくるまでに服をたたむ仕事は終わらせなければいけない。作業に戻りつつ、再び思考に潜る。
「久しぶりだよな、結局一年くらい会ってないよな、オレ達」
年末、久しぶりに友人との飲み会で集まる。皆それなりに歳をとり、皺が増えたような、髪が薄くなったような、そんな気がするだけで実は何も変わっていないという線が濃厚そうだ。
「仕事が忙しくてさ、中々時間が取れないんだよな」
「あ、お前のところもう子ども生まれたんだっけ?」
そんなことを言い合いながら焼き鳥をつまみ、酒を飲む。久しぶりに口にした酒は胃の奥底まで染み渡るようで、瞳の奥の方に涙が溜まっていくようでもあった。
「あ、そういえばあいつは結局呼べなかったのか?」
「ん、そうだなぁ。知り合い当たったけど、結局最新の連絡先まで辿り着けなくってさ」
そうだ、あいつは唐突に、まるで煙みたいにいなくなった。住んでいたアパートにも行ってみたが既にもぬけの殻で、電話をしてもメールを送っても連絡が着くことはなかった。
「ま、どっかで愉快にやってんじゃないか。そういう奴だったろ」
その一言に、俺含むその場にいる全員が同調する。それは願いにも似た何かだった。皆、本当は分かっている。同じように見えて、それぞれ少しずつ変わってしまっていることも、もう昔のようには一緒に居られないことも。だから、せめてあいつくらいは何一つ変わらないままでいて欲しいと。
それ以降、あいつについての話をすることはなかった。
正しかった。それでいいと思う。そうでなければ生きていくのが辛くなるから。だから俺も、忘れなければいけない。「今」を生きなければならない。所詮過去の出来事だ。自分の中の大部分をそれが占めていようと、過去に生きていくわけにはいかない。
玄関が開く音と、ビニール袋が擦れる音、それからただいまという声が聞こえてくる。あぁ、おかえりとただいまを言える人が傍にいてくれて、本当に良かった。俺の生きている理由になってくれて、本当に。
「おかえり」
そう言って、そっと彼女を抱きしめた。
さよならの準備をしよう 清野勝寛 @seino_katsuhiro
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