ⅩⅩⅧ 終わりの時
ⅩⅩⅧ 終わりの時
船底にある儀式部屋へと戻った僕は、魔法円の描かれた床の上を目を凝らして隈なく捜し、そこに落ちているあの羊皮紙を見つけると急いで拾いあげる。
そして、蝋燭の灯にかざしてその中身を見ると……。
「そ、そんな……」
そこには、次のような文言がキッドマンの字で書かれていた――。
拝啓、悪魔殿。
本日はお日柄もらよろしく……て、書くの面倒くさいんで長々しい挨拶は抜きにさせてもらおう。
これは俺達キッドマン一味が絶体絶命の危機に瀕した時の最後の切札だ。
もしこれを、貴殿を呼び出した術者が対価として差し出した時は、どれほどの犠牲を払ってでもその願いを聞き届け、船と一味の者を逃がしてくれ。
どれだけ犠牲者が出ようがかまわねえ。最悪、その術者一人だけでも助かればそれでいい。
もし、それでも対価が足りねえっていうんなら、俺の魂もくれてやる。泣く子も黙る大海賊、
そんじゃま、そんなことでよろしく頼んまさあ、悪魔さんよ。
地獄でまた、礼がてら一杯奢らせてもらうぜ。
敬具。
ウォルフガング・キッドマン
震える瞳でその文字を見つめながら、僕は唖然とその場に立ち尽くす……。
キッドマンは、僕を騙したのだ……彼は隠し財産ではなく、一味の者の命と、自分の魂を悪魔への対価とし差し出したのである。
僕の腕に〝一味の命運がかかっている…〟というのは、本当はそういう意味だったのか……それだけの犠牲を払ってでも、たとえ自分の魂を悪魔に奪われたとしも、彼は海賊〝キッドマン一味〟を存続させようという腹積もりなのだ。
バカ正直なマルコシアスは、ほんとにどれだけの犠牲を払わせようとも、この船と、辛くも生き残った一味の者をこの場から逃がそうとするだろう……しかし、相手はあの重武装ガレオンの艦隊だ。下手をすれば、本当に僕以外、全滅なんてこともありえなくはない。
「なんてことだ……あんた、卑怯だよキッドマン!」
僕は踵を返すと、もう一度、梯子を駆け登って甲板へ出ようとする。
「マルコシアス! さっきの話はなしだ! なるべく犠牲の出ない道を探ってくれ! キッドマンの魂も奪っちゃだめだ! 逃げれなくても別にいい! とにかくみんながなるべく生き残れる方法を!」
見えないが、どこかにまだいるであろうマルコシアスに語りかけながら、ガタガタと激しく取手を揺り動かして、開かない扉を再度開けようと僕は試みる……だが、やはり鍵でもかけられているように、その扉はまるで開こうとしなかった。
これも〝術者一人だけでも助かる〟という最悪の結末を死守するため、僕を戦場から遠ざけようとするマルコシアスの力が働いているのだろう。
「頼む! 開けてくれ! 開けてくれよ! このままじゃ……このままじゃほんとにみんな死んじゃうかもしれないんだ!」
なおも悪魔に訴えかけながら、僕は諦めずに扉を開けようと試み続ける。
だが、僕の声に悪魔が答えてくれることはない……嘘の嫌いなマルコシアスが、一度取り交わした契約を
そんな悪魔の返事に代わり、扉の外からは今も続く激しい砲撃の音と、それに混じって誰かの悲鳴が聞こえてきている……。
「うわっ…!」
それに時折、僕も梯子から転がり落ちそうになるくらい、振動した船体が大きく揺り動かされ、敵の砲撃が命中したことを嫌がおうにも教えてくれる……。
「くそうっ! くそうっ…!」
そうしてどれくらい、開かない扉と格闘していたことだろう……気がつけば、妙に外が静かになっている。
「……ん? …ああっ!」
と、それに気づくのと同時に、あれだけやっても開かなかった扉が、ちょっと押しただけでなんの苦もなく容易に開いた。
無論、すぐさま扉を全開に押し開くと、急いで僕は外へと出る……するとそこには、半ば覚悟をしていたことだが……いや、その覚悟以上に凄惨な景色が広がっていた。
なぜか周囲にあのガレオンの船団は見えず、すでに砲撃は止んでいたが、度重なる直撃にレヴィアタン号の船体は甲板も船縁も穴だらけになり、マストも中央の一本を残して前後の二本は無残に折れて、辛うじて根元で繋がっているような状態だ……。
そして、その浮いているのが不思議なくらいな船の上には、一味のみんなが無残な姿で転がっていた……。
「…くっ、こっちもダメか……」
カノン砲の直撃で吹き飛ばされた者、銃弾に貫かれて横たわる者……駆け寄って一人々〃確認してみるが、皆、甲板に広がる血の海に倒れたまま既に息をしていない……。
「あっ! リバーさん!?」
その中には、あの射撃の名手であるリバーさんの姿もあった……両手にマスケット銃を握ったまま、その毛皮のジャーキン(※ベスト)を真っ赤な自らの血に染めて、カッと眼を見開いた形相でボロボロの船縁に寄りかかっている。
「サー・ウィリー!?」
また、サー・ウィリーも全身を無数の銃弾に撃ち抜かれ、唯一、ご自慢のバケツ型兜だけは弾の跡があっても貫通はしておらず、誇りある〝神の眼差し軍〟騎士の姿を保ったまま、その手には剣を握って倒れ伏している。
「セーラ姐さん!? エドガーさん!? ……ああ、ロンパルドさんまで……」
さらにセーラ姐さんとエドガーさんも血塗れで横たわり、甲板中央にある操舵輪には、やはり銃弾を受けたロンパルドさんが、操舵輪に寄りかかって、立ったままの姿で生き絶えていた。
「……みんな……みんな死んじゃったのか……ハっ! キッドマン!」
その真っ赤な甲板の上に広がる地獄絵図に、呆然と立ち尽くしてしまう僕であるが、その向こう、船首のカノン砲のもとにキッドマンの姿を見つけ、僕は慌てて彼に駆け寄った。
「……ああ、マルクか……へへへ、うまくいったようだな……」
すると、彼は瀕死の状態ながらもまだ生きていた。
その口と、ガタイのよい身体に開いた無数の銃創から鮮血を流しながら、カノン砲に背を持たせて甲板に座り込み、手にしたカットラスで船尾の方を僕に指し示す……。
見ると、遥か遠くの水平線には、あのガレオンの船団と思しき黒い船影が、最早、点にしか見えないくらいの小ささで浮かんでいた。
どれほど激しい戦闘があったのだろう? バウスブリッド(※船首から斜めに突き出たマストを張るための柱)がひしゃげているし、一斉砲火を受けながらも突撃して強行突破したのだろうか……。
いったいどうやってあの囲みを突破したのか実際のところはわからないが、とにかくマルコシアスは約束通り、僕らとこの船を安全な場所まで逃がしてくれたらしい……代わりに多大なる犠牲を払って……。
「ぜんぜんうまくなんかないですよ! 何やってるんですか!? これじゃあキッドマン一味全滅ですよ!」
再びキッドマンの方を向き直ると、僕は涙目になりながら、瀕死の彼に激しく文句をつける。
「なあに、まだおめえがいるじゃねえか……それに、ボロボロの沈みかけだがこの船もある……キッドマン一味はまだまだ健在よ……俺達の勝ちだ……」
しかし、キッドマンはいつになく力ない声で、だが、その髭面にニヤリと笑みを浮かべてそれに反論した。
「マルク、これからはおめえがこの一味の頭だ……なに、別にキッドマンの名に拘らねえでもいい……その、なんだ……魔導書を奪う海賊か? おまえがやりてえようにやってみやがれ……」
「何言ってんですか!? キッドマン一味のお頭はあなたでしょう!?」
途切れ途切れの苦しそうな声で、まるで遺言のようなことを言うキッドマンに僕は再び声を荒げる……もう、彼の命の炎が燃え尽きかけていることは、充分すぎるほどわかっていたのであるが……。
「へへへ……
対してキッドマンは冗談めかしてそう答えると、いつもの高笑いをあげた拍子に大量の血を吐き出す。
「ハッ…! お頭っ! 逝っちゃだめだ! お頭ぁっ! キッドマンっ!」
僕は慌てて呼びかけるが、残る片目から光を失った彼は、もうそれ以上、口を開くことはなかった……残念ながら、聞き慣れたあの高笑いが、生前に聞いたキッドマンの最後の言葉となったのだった。
……僕は、またしても大切な人の犠牲の上に、自分だけ命を長らえてしまった……。
祖国滅亡の折、亡くなった実の父母によって国外へ逃がされ、育ての親であるイサークに命を賭して危機から救われ、そして、今度はもう一人の父ともいえるキッドマンと、それに家族のような仲間達を犠牲にして命を繋がれた……。
「くっ……」
僕は、また一人になってしまった……第二の育ての親であるキッドマンの
いくら泣き叫けんだって世界は何も変わらない……それよりも、僕にはやらなければならないことがある……僕には、これまで命を繋いでくれた大切な人達の、その思いを背負う責任があるんだ……。
「ああ、キッドマン。まずはあなたの残してくれた一味の誇りとこの船を糧にして、僕も僕らしい海賊としてしばらくやってみることにするよ……父上、母上、それにイサーク、一味のみんなも見ててくれ……」
僕は、澄み切った南洋の天を仰ぐと、僕をここまで導いてくれた人達にそう誓いの言葉を述べる。
「マルコシアス! 聞こえてるんだろう!? もう一つおまけに、僕の言う所までこの船を運んでくれ! これだけの対価を払ったんだ! それくらいしてもバチは当たらないだろう!?」
そして、目に見えない悪魔に大声で呼びかけると、帆も破けてボロボロなのにいまだ推力を保っている、この沈みかけた半壊の船を送り届けるよう追加の命令を与えた。
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