ⅩⅩⅥ 輸送船の罠(2)

「――目標、見えましたぁ〜っ!」


 フォア・マストの檣楼しょうろうで見張りに立っていた一味の者が、水平線の彼方に浮かぶ黒い点を見つけ、下の甲板にいる僕らに向かって大声で叫ぶ……無論、標的であるエルドラニアのガレオン船だ。


 小一時間ほど後、急遽、トリニティーガーの港を出航した僕達は、エルドラーニャ島から少し離れた大洋の真ん中で、首尾よくくだんのガレオンを捕捉した。


「よーし! 煙幕を張れぇーっ! マルク、そっちの首尾はどうだ!? 」


「はい! もうヴェパルを召喚して依頼済みです! 普段より素早く近づけますし、煙幕による目眩しもよりいっそう効くはずです!」


 船首像フィギュアヘッドである悪龍〝レヴィアタン〟の口から煙幕を出すように檄を飛ばし、こちらを振り向いて尋ねるキッドマンに僕はそう答える。


 キッドマン一味の得意とする、この〝煙幕で姿を隠して密かに近づき、相手の船に乗り込んで白兵戦に持ち込む〟という戦法の要は、とにかく接近する前に発見されないことである。


 途中で見つかれば相手の激しい砲撃にさらされ、特にそれが多数の大砲を積んだ軍艦級であるならば、辿り着く前に撃沈させられる可能性だってありえるのだ。


 なので、大型重武装ガレオン相手の今回はいつも以上に用心をし、すでに悪魔召喚の儀式でお馴染み海洋公ヴェパルを呼び出すと、速い潮流と追い風を起こして目標への接近速度を上げるとともに、彼女の幻影を見せる力で煙幕に紛れて姿を消す効果も強化してある。


 高い兵力を持った相手というのに加え、今回は夜陰に乗じてではなく白昼堂々という悪条件も重なっているが、さすがにこれだけしておけば、まあ、なんとか船を着けることができるだろう。向こうの船に乗り込んでしまえば、よほどの豪の者でもいない限り、キッドマン達に敵う相手はおるまい。あとは船ごと奪うなり、銀をこちらに積み替えるなりして逃げるだけである。


「これで大丈夫だとは思うんだけど……」


 それでも、なんだか妙に胸騒ぎがする……だから、急な事態にも即対処できるよう、事前に魔術を仕掛け終わると、こうして甲板へ上がって様子を覗っているのである。


 だが、このいつになく感じるなんとも言えない不安の原因は、普段相手にしている私的な商船や小型の船とは違って、今回の獲物が大帝国の所有する大型輸送船だからということで、無意識に僕自身、気圧けおってしまっているためなのかもしれない。


 ……ああ、そうだ。これまでだって滅多に途中で見つかることはなかったんだし、稀に見つかって砲撃を受けても、『ソロモン王の鍵』のペンタクルで魔術強化してあるこの船は、数発弾を食らったくらいでは沈むような心配もいらない。きっと僕の取り越し苦労だろう……。


 そうして僕がそこはかとない不安を抱えて見つめる中、ギラギラと南洋の太陽が輝く抜けるような青空の下、〝レヴィアタン〟の口から白い煙をモクモクと吐き出し、その煙を海上にじわじわと広げながら、僕らの海賊船は高速でガレオンの黒い船影へと近づいてゆく……きっと向こうに乗っている船員達は、ヴェパルの見せる幻で突然の霧でも出てきたようにしか思わないだろう。


「よーし野郎ども! 乗船の準備だ! 相手は素人じゃなくエルドラニアの水兵だからな。全員ぬかるんじゃねえぞ!」


 ぐんぐんと近づいてくる大型ガレオンの黒い船影に、船長キャプテンキッドマンが一味の者達にいよいよ襲撃の準備を促す……。


 僕の不安とは裏腹に、このキッドマン一味お得意の煙幕戦法はいつも通りうまくいくかに思われた……しかし。


「……ん? なんか煙幕が晴れてきてねえだべか?」


 猟師のリバーさんが短銃を両手に身構えながら、小首を傾げてそう呟いた。


 その声に僕も目を凝らして周囲を見回すと、確かに煙幕がなんとなく薄れてきているような気がする……いや

、なんとなくどころではない。そう思った矢先にもみるみる煙幕は霧散してゆき、それまで黒い影だったガレオン船の、細かな作りまでがしっかり見通せるくらいに海上はクリアになってしまったのだ。


今では、その白い帆に大きく赤で描き出される、〝神の眼差しと護教の剣〟を組み合わせたエルドラニア帝国の国章までもがしっかりと見て取れるほどだ。


 しかも、レヴィアタンの口からは現在も大量の煙幕が吹き出されているというのに、すぐに風で流されて滞留することすらもない。


「おかしい……何か変だ……そういえば、なんか船の速度も……」


 それに、気づけばヴェパルの作り出した潮流もなぜだか無くなっている様子で、目に見えてガレオンへ近づく速さも低下している……ここに至って、ようやく僕はその異変に気づいた。


「お頭! 悪魔の力が消えてる! それにこの煙幕を散らされたのも、おそらくは向こうが対抗魔術を……」


 そこへ思い至った僕は、慌てて大声を張りあげるとキッドマンにその旨を伝える。


 私的な商船や小さな船ではそんなことも稀だが、国の遠洋航海船や軍艦なんかには普通に魔術担当の魔法修士が乗っている……なので、僕ら海賊のような者に襲撃されれば、当然、対抗魔術を使ってくることも考えられるのだが、こちらの悪魔の力を完全無効化し、それどころか煙幕まで吹き飛ばすとは相当な腕前だ。


 ソロモン王の72柱の悪魔の内序列64番・豹公ハウレスの魔除けの力を使ったのか? あるいは『ソロモン王の鍵』掲載のペンタクルには対悪霊用の力を持つものもいくつかあるので、それが常日頃からあのガレオンには仕掛けられているのか……それに煙幕を散らしたり潮流を止めたりしたのは、こちらと同じヴェパルのような、海の悪魔の力を用いたのかもしれない。


「ああん? どういうことだ?」


「たぶん、かなり腕の立つ魔法修士が向こうには乗ってます! もう目眩しも悪魔の力も効きません! ここは襲撃をやめて撤退した方が…」


 僕の感じていた不安が現実のものとなってしまった……これまでに経験したことのないその異常事態に、聞き返すキッドマンへそう進言しようとしたのであったが、真の意味での〝異変〟は、むしろこの後に待っていたのである。


「……ん? なんだ? ガレオンが二隻に増えおったぞ……」


 不思議そうに、サー・ウィリーがそう呟く……。


「いや、二隻だけではない。三、四……どんどん増えてゆくぞ!」


 それを受けて、エドガーさんも周囲の海上を見回しながら皆にそう告げる。


 彼らの言うように、見ればそれまでその場にいなかったガレオン船が、何もない空中から蜃気楼が如く浮かび上がり、続々とその数を増していっているのだ。


 あれよあれよという間にその数は計七隻にまで膨れ上がり、幻影の類とも思えない、確たるその姿を威風堂々と洋上に披露した。


 それぞれ些細な違いこそあれど、皆、最初の一隻同様に重武装の施された大型のガレオン船だ。やはりその白い帆にはエルドラニア帝国の国章が大きく赤で描かれている……しかも、その七隻の重武装ガレオンはこちらの船をぐるりと取り囲むようにして、巨大な円陣を大海の上に描いて配されているのである。


「しまった! 取り囲まれたぞ!」


 今度は操舵輪を握るロンパルドさんが、その危機的状況に気づいて大声をあげる……その不可解な現象にただただ驚いている間にも、僕らは全方位をすっかり大型船に取り囲まれ、どこにも逃げ道のない、いわば〝籠の中の鳥〟と化していたのである。


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