ⅩⅩⅤ 将来のこと
ⅩⅩⅤ 将来のこと
ま、嫌がおうでもそうして毎日のように酒盛りが行われるため、僕も次第にお酒の美味しさというものを覚えていった(※注 現実世界においては、お酒は二十歳になってから!)。
と言っても強くはなかったので、この頃はワインを水で薄めて飲んでいたりしたけど。
そして、キッドマン一味に入ってから早や四年の月日が経った、ある夜の宴の場でのことである……。
「――ふぅ……ちょっと飲みすぎたな。でも、セーラ姐さんに〝あたしの酒が飲めないのか〟と言われちゃ断れないもんなあ……」
この夜もいつもの如く定宿の〝サン・ティモス〟で宴会が催され、少々酔いの回った僕は宿の前の桟橋に出て、しばらく夜風に当たることにした。
「ふぅ……相変わらず海賊の島とは思えない景色だな……」
木でできた桟橋の端に腰を下ろし、生暖かい南洋の潮風に吹かれながら、夜の港の風景を僕はぼんやりと眺める……。
蒼白い月明かりに照らされた、静かな
それはきっと、この島が僕にとっても自分の暮らす土地になったということなのだろう……。
「おう、どうした? 酔い覚ましか?」
そうして物思いに耽けりながらまったり夜景を眺めていると、そこへホロ酔い気分のキッドマンもやって来た。
「あ、お頭! お頭も酔い覚まし…なわけないですよね」
「おうよ。なあに用達しだ……」
振り返って尋ねるも、
「ああもう、やめてくださいよお。宿のトイレですればいいじゃないですかあ」
「なに言ってやがる。これがすこぶる開放的で気持ちいいんじゃねえか……ふぅ、スッキリしたぜ」
その幻想的な港の夜景も台無しにする、なんとも品のない彼の行いに僕は顔をしかめて忠言をするが、キッドマンはどこ吹く風という様子で恍惚の表情を浮かべている。
「そういやマルク、おめえもうちに来てもう四年か。いくつになった?」
用を達し終えて爽快な面持ちのキッドマンは、そのまま帰るのも味気ないとでも感じたのか? ふと思い出したかのようにそう訊いてくる。
「……え? あ、えっと……今年で15になります。たぶん」
「15だぁ!? なんだ、いつまでもガキみてえな顔だと思ってたら、まだほんとにガキだったか! その歳にしちゃあ、もういっぱしの海賊だな。ガハハハハ…!」
急に問われ、指折り数えて僕が自分の歳を答えてみると、キッドマンは片目を大きく見開き、少々本気で驚いたようにそう言って笑った。
「もお! いつまでも子ども扱いはひどいですよお!」
「なあに褒めてんだよ。魔術も医術も一流だし、最近じゃあロンパルドのやつから教わって、航海術もだいたい身についたようじゃねえか。これならもう、いつでも自分の船を
なんだかバカにされているような気がして、僕はフグのように頬を膨らますと文句をつけたのだが、意外やキッドマンは素直に褒めてくれているみたいである。
「え? ……や、やだな。僕が船長だなんて。若輩者の僕にはまだまだですよぉ」
「いや、最初は海賊なんざぜってえ無理なヘタレだと思ってたが、存外、おめえにゃあ海賊どころか船長にだってなれる素質がある。なんていうか……生まれ持っての王者の品格とでもいうかな? 前々から思ってたが、おめえ、じつはけっこうないいとこの出だろ?」
一転、予想外に褒められて僕が気恥ずかしさに照れていると、不意にキッドマンは真面目な顔になって、さらに想定外にも重ねて僕にそう尋ねてきた。
「それは……ま、お頭に黙ってるのもなんですね……ええ。以前、エルドラニアに滅ぼされたスファラーニャ王国の出身だとは話しましたが、じつは僕、その王家の王子だったんです。ま、王位継承権は一番下の末っ子ですけど……あ、本名をマルク・デ・スファラニアといいます」
やはりキッドマンという男はこう見えてかなり鋭い……今さら知られたところで特に問題はないだろうし、この機会に僕は思い切ってカミングアウトすることにした。
「お、王子だあ!? いや、貴族かなんかだとは思ってたが、まさか一国の王子さまだったとはな! いや、こいつはまた驚きだぜ! ガハハハハハ…!」
すると、さすがに驚いてはいる様子だったが、もと王子と知っても敬ったり畏れたりするようなことはなく、それまでとまったく変わらぬ態度でおかしそうにキッドマンは笑ってみせる。
そんな、キッドマンやこの島の海賊達に共通する、既存の権威や権力に媚びようとしないその生き様が、僕にとってはなんだか妙に心地がよかった。
「で、その王子さまはこの先どうするつもりだ? もともとおめえは海の真ん中で捨てられねえために、仕方なくうちの一味に入った人間だ。なりたくてなったってわけじゃあねえだろ?」
だが、再び真顔に戻ったキッドマンは、いつになく真面目な調子で僕の意向を確かめてくる。
「これからも海賊としてやっていくのか、それとも他に何かやりてえことがあるのか……俺達は自由を愛する新天地の海賊だ。ま、おめえを失うのは一味にとってけっこうな痛手だがな。抜けてえって言うんなら別に止めはしねえぜ」
「いやあ、確かに最初は仕方なくだったんですけどね。でも、なんか思ったよりも海賊暮らしは性に合ってるみたいだし、とりあえず、もうしばらくは続けていこうかなと……あ、でも、一つやってみたいことはあります!」
大真面目なキッドマンの質問に対し、先のことをあまり深く考えてはいなかった僕は、なんとなく現状維持の方向でそう答えたのであったが、話す内にふと、最近思いついたある計画のことが頭に浮ぶ。
「やってみてえこと? なんでえそれは?」
「ほら、この前、襲撃したエルドラニアの使節団が乗ってたガレオン船で、積み荷の中に『ソロモン王の遺言』っていう魔導書も入ってたじゃないですか?」
またも尋ねるキッドマンに、僕はその考えに思い至ったそもそもの発端から詳しく話し始める。
「魔導書? ああ、確かそんなもんもあったな」
「他に欲しい人もいないし、けっきょく僕が使わせてもらうことになったんですが、あれ、けっこうレアな魔導書で、写本もあまり世間には出回ってないんです。建築や工業関係に強い魔導書なんで、おそらくは植民地経営のために本国からわざわざ輸送されてきたものじゃないかと……」
思うに、たぶんあれはその力を独占せんがために、どこか修道院の図書館の奥深くに厳重にしまわれていたものだろう……しかし、そうしたものでも植民地を発展させるのに必要となれば、今のエルドラニアは表に出してくるのである。
「そこで! まさに神の啓示とも呼ぶべき素晴らしい妙案が不意に僕の中で閃いたんです! こうしてエルドラニアの船で運ばれてくる稀少な魔導書を強奪し、その写本を作って世間に広めるという方法が!」
「その、なんだ……俺にゃあよくわからんが、つまり、その希少価値の高い魔導書の写本を売り捌いて大儲けしようっていう話か? 本屋にでもなりてえのか?」
思わず興奮して少々先走ってしまった……当然、僕の目的を知るわけもなく、なんとも怪訝な顔をしているキッドマンに、僕はもっと懇切丁寧に説明を加える。
「あ、いえ、もちろん写本作るのにも諸費用かかるんで、その回収はしなきゃいけませんが、これはお金儲けのためではなく、教会やプロフェシア教国のやっている魔導書の禁書政策をぶっ壊すためなんです」
そう……それこそが、本当に僕のやりたかったことであるとようやく気づいたのだ。
「禁書政策をぶっ壊すだと?」
「はい。僕のように無許可で魔導書を使ってる
酔いが回っているためなのか? それともこの幻想的なロケーションがそうさせるのか? まだピンとこないらしいキッドマンに僕は饒舌になってさらに続ける。
「そうして教会や各国の王権は、魔導書のもたらす強大な力を独占しているわけなんですが、それが社会にとっては大きな弊害となり、多くの者が理不尽に苦しむ結果となっています。かくいう僕だってそうでした……」
説明をしながら、僕はその禁書政策との浅からぬ因縁を一つ一つ思い出してゆく……。
スファラーニャ王国が禁書政策をとっていなかったことも、祖国が侵攻を受ける大義名分の一つになったこと……バレたら火焙りにされるため、ずっと魔導書は隠してイサークと旅を続けていたこと……魔導書の使用が制限されていたために、白死病の犠牲者を増大させたベローニャンの街……そして、魔導書の不法所持を理由に、政争に巻き込まれて命を落とした我が師イサーク……振り返れば僕自身、その魔導書の禁書政策がずっと人生に暗い影を落としてきたのだ。
「悪魔の力を以てすれば、旱魃や水害、疫病なんかも防ぐことができます。みんなが自由に魔導書を使え、その悪魔の力の恩恵に預かれたならば、この世界はもっとより良いものになるはずなんです! そのための禁書政策を崩壊させる突破口を僕ら海賊が開けるんじゃないかと思ったんですよ! そう! エルドラニアの船から魔導書を奪う海賊です!」
思いつきはしたものの、これまではなんだかぼんやりとした曖昧な願望にすぎなかったのであるが、こうしてキッドマンに語って聞かせている内に、不思議とそれははっきりとした形のあるものへと変化してゆく……。
「なるほどな。魔導書を専門に狙う海賊か……いいじゃねえか」
僕の真意を理解したキッドマンは、その聞いたこともないような、世界を変えたいなどというなんとも大風呂敷で、また、ずいぶんとふざけた海賊稼業を始めたいなんていう話にも真剣に耳を傾け、バカにしたり否定するようなこともなく、それどころか愉しげに、ニヤリと不敵な笑みをその髭面に浮かべてみせたりする。
「大帝国どころか、この世界の仕組みにケンカを売るたあ、なかなか気に入ったぜ。だが、それにゃあやっぱり自分の一味が必要になるだろう。どうする? 今すぐじゃねえが、俺の引退した後にこのキッドマン一味を継ぐか? おめえが望むんなら別に譲ってやってもかまわねえぜ? ま、ロンパルドが黙っちゃあいねえだろうがな、ガハハハ…!」
さらには本気なのか冗談なのか? 僕以上に具体的な方法について話を進め、冗談めかした調子でいつもの高笑いをキッドマンは響かせる。
「あ、いや、その時は
思いの外、大真面目に受け止められ、僕の方が逆に面食らってしまうと、苦笑いを浮かべながら僕はそう返した。
「ガハハハ…違えねえ。あいつはそうとうにしつけえからな……だがまあ、こっちとしても、もうしばらくはいてもらわねえとやっぱり痛えや。今やおめえはロンパルド達同様、このキッドマン一味にとってはなくてはならねえ魔術師兼船医だからな」
「お頭……」
キッドマンのその言葉が、根無し草のように彷徨い歩いてきた僕にとってはなんとも言えないくらいにうれしかった……気がつけば、いつの間にかこの愉快で気のいい海賊の一味が、僕のいるべき〝家族〟のような場所になっていたのである。
「フゥ…長話してたら酔いが覚めちまったあ。さ、マルク、戻って飲み直すぞ!」
その、いつになく僕らの間を流れる妙な空気に気まずくなったのか? そう口にしたキッドマンは不意にその場で踵を返すと、ドカドカといつもの豪快な足取りで宿屋の方へと帰ってゆく。
「アイアイサー!」
それに僕もいつもの如く返事を返し、その大きな背中に急いで従った――。
この時はまだ、こうした彼らとの海賊暮らしが、この先もずっと変わらずに続いていくものだと僕は思っていた……しかし、そんな仲間達と過ごす心地良い一時も、終わりの時がすぐそこにまで迫っていたのである……。
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