ⅩⅩ 海賊の島

ⅩⅩ 海賊の島

「――新天地はまだ見えてこないんですか?」


 海賊〝キッドマン一味〟に加わり、改めて新天地を目指す船旅を始めてから半月ほどが過ぎようとしていた頃、いまだ大陸のようなものは何も見えない大海原の景色を眺めながら、傍らに立つ船長キャプテンキッドマンに僕は尋ねた。


「ガハハ…何言ってやがる。もう新天地の海域に入ってるぜ? 新天地っていっても別に大陸だけのことじゃねえ。その周辺にある群島や海も含めての〝新天地〟だ。ほら、よく目を凝らして見てみやがれ」


 すると、キッドマンはニヤリとイヤらしく笑みを浮かべながら、顎で青い水平線の彼方を指し示す。


「ん……?」


  その言葉に目を細めてよくよく見つめてみれば、大陸とはとても呼べないながらも黒い小さな島影のようなものが点々と海面から突き出ているのが見えた。


 そう言われてみれば、なんだかここのところ、太陽の照りつけがギラギラと強くなっているし、吹きつける海風も妙に生暖かい気がする……。


 それに海の色も、これまでに見たことのないような鮮やかな水色をしているし、気づかない内に僕達は〝新天地〟へ足を踏み入れていたっていうことなのか?


「その中でも特にバカでけえエルドラーニャ島は、初めてエルドラニアが築いた植民都市サント・ミゲルがあるし、いわば新天地の窓口と呼んでもいい場所だ」


 キッドマンは話を続けながら、腕を前に伸ばすとその島影の浮かぶ水平線の方を真っ直ぐに太い指で指差す……そこには、他のものよりも三回りほどは大きく見える黒い影が一つ確認できる。


「でもって、そのとなりに浮かぶトリニティーガー島こそが、俺達が今向かっている海賊達の楽園よ。ガハハハ…!」


 そして、ほんの少しだけ指先を左にズラすと、大きな島影のとなりにある、ごくごく小さな黒い点を指し示して再び愉快そうに笑った。


「トリニティーガー……」


 その〝海賊の楽園〟とやらをあれこれ想像しながら、その悪名高き島の名を僕はぽつりと呟く……。


 だが、勝手な妄想を密かに巡らす必要もなく、その日の内にも僕を乗せたレヴィアタン・デル・パライソ号は、その海賊の島へと到着した。


「――うわあ! これ、全部、海賊船なんですか!?」


 停泊した木製の桟橋に並ぶ大小様々な船を見渡しながら、僕は驚きと好奇の声をあげる。


 そこには港を埋め尽くすかのように、大きなガレオンのような遠洋航海用帆船から少し古い型のキャラック船、それよりも小さなキャラベル船なんかが無数にひしめき合っている……これならば、エウロパのちゃんとした港町にも引けを取らないだろう。


 いや、引けを取らないのは船の数ばかりではない。港に面した建物の数々も赤い煉瓦造りであったり、漆喰の白壁に木の梁が表に見えるハーフ・チェンバー様式であったり、思っていた以上に立派なものばかりで、ここはウェトルシア地方の都市国家かどこかではないかと錯覚するくらいの佇まいである。


 また、港からさらに続く街の中心部もエウロパに変わらぬ整然とした街並みだ。もっとも、裏通りや外縁部にはボロ小屋を増築したようなカオス的な場所もちらほらと存在してはいるが、それを言ったらエウロパの都市の貧民街だってそんな感じだろう。


 〝海賊の島〟といえば、なんかこう、もっとごちゃごちゃとして小汚いものを思い描いていたが、どうやらそれは僕の勝手なイメージだったようである。


 これは後で知ったことであるが、海賊達の旺盛な掠奪行為によって得られた豊富な財力が、こうしたエウロパにも負けず劣らずの街並みを作り出しているのだそうだ……うーん、それを知ってしまうといいんだか悪いんだか……。


 一方、そんな街の華やかさの反面、この島は全体が堅固に要塞化されており、港のある湾の入口も含めて海岸線には高い石積みの城壁が張り巡らされ、その上には百門をゆうに超えるカノン砲が配備されている。


 おとなりのエルドラーニャ島に駐留するエルドラニアの艦隊も手が出せない〝海賊の巣窟〟だとは聞いていたが、なるほど。それはこういうことだったのか……この島の堅牢さは一国の城塞都市と同等のレベルである。


 もともとはアングラント人やフランクル人移民など、エルドラニア支配下のエルドラーニャ島から弾き出され、やむなく海賊となった者達が移り住んだことから島の歴史は始まったらしいのだが、今や完全に都市国家並みの独立地帯へと成長を遂げているようだ……。


 さて、そうしたトリニティーガー島の高度に発展を遂げた街において、個性豊かな海賊達は数あれど、殊にキッドマン一味の生活スタイルは少々変わっていた。


 だいたいの海賊達は島に家を建てて拠点としていたのだが、キッドマン達はおかに特定のアジトを持たず、港に泊めた自分達の船を主な生活の場とし、補足的に桟橋近くにある宿屋〝サン・ティモス〟を定宿に使っていたのだ。


 キッドマンの言うには、常に船乗りとしての心意気を忘れないためと、獲物・・の船が近海に現れた際など、緊急時に即対応できるようにとの理由らしい。


 新たな海賊船〝レヴィアタン・デル・パライソ号〟に乗り換える前にも古い船で同様の生活をしていたようだが、今回、幸運にももう一艘、むしろこちらの方がデカいガレオンの〝ケダー・マーハイター号〟も手に入ったので、これからはこちらも手下達の寝泊まりや倉庫代りに使うつもりでいるみたいである。


 ま、そんな根無し草のような暮らしぶりができるのも、キッドマン一味が比較的小規模な、団員数の少ない一党だったからというのもあったのだけれども、その割に彼らは一目置かれる存在として、この島の海賊達の間では扱われていた。


 例えば……


「これはこれはキッドマンの旦那、ご機嫌麗しく」


「なにが麗しいだよ、気取りやがって。おめえも元気そうじゃねえか」


 とか……


「旦那、いつもお世話になってます」


「おう。別にてめえの世話なんざ焼きたくもねえけどな、ガハハハ…!」


 ……と、いう具合に街で会う小者の海賊達が、口の悪い彼にこぞって礼儀正しく挨拶をしていたのを見てもそれは明らかだったが、特にそれが顕著に現れたのは、キッドマンを先頭にみんなで目貫通りを歩いている際、〝メジュッカ一家〟という他の海賊の一団と出くわした時のことだ。


 このメジュッカ一家、規模も歴史も島では一、二を争う老舗的な大海賊で、その頭、フランクルにルーツを持つルシアン・ド・エトワールは大親分として皆に恐れられていたのであるが……。


「よお! ルシアン。まだデケえツラしてのさばってやがったか!」


「フン。キッドマンか……しばらく見ねえんでどっかでくたばったかと思ってたんだがな」


 その大物の大海賊相手でも臆することなくタメ口で会話を…というか、もうお互いに口汚く罵り合っている。


 こんな口利いて、下手したら生意気だと殺されてもおかしくないところだと思うのだが、その乱暴な言葉に反してルシアン親分も、別段、怒っているわけではない様子である。


「キッドマンの旦那、ご無沙汰しておりやす。なんでもウェネティアーナまで船を買いに行ってたとか。長旅、ご苦労さまにござんした」


 また、そんなルシアン親分のとなりに立つ、頬に大きな古傷のある中年男の方はといえば、慇懃な口調で礼儀正しく、キッドマンへ丁重な挨拶を述べている。


 この異様に目つきが鋭くて頭に剃り込みの入ったチョイ悪オヤジ――じつは彼も有名な人物で、名をシモン・サキュマルといい、巷では〝人斬りテュアー・サキュマル〟として知られた凶悪殺人鬼だ。


 なんでも、メジュッカ一家と敵対する海賊やギャング、サント・ミゲルの総督府から送り込まれた間者スパイなんかを始末する汚れ仕事を一手に担っているんだとか……その人となりを聞いただけでチビりそうな、ガチでやべえヤツである。


 そんな超危険人物にまで一目置かれているとは……以前、僕の乗っていた船を襲った際、「新天地じゃちったあ名の知れた云々…」と嘯いていたが、本当にちったあ・・・・どころではなく名の知れた海賊であったらしい。


「キッドマンのおじちゃま、こんにちは!」


 そのやりとりからでも窺い知れる彼の力量に、思わず僕が心の内で感心してしまっているその傍ら、今度は場違いに朗らかな幼い女の子の声が聞こえてくる。


 よく見れば、キッドマンに負けず劣らずの良いガタイをした親分の足下には、彼の太い脚にしがみつくようにして、可愛らしい小さな女児が一人、ちょこんと密かに潜んでいる。


 イカツイ髭面のルシアン親分とは似ても似つかない、金髪の巻き毛をした色白の美しい女の子であるが、彼女は親分の愛娘、フォンテーヌ・ド・エトワール嬢である。


「おお、 フォンテーヌ嬢ちゃんもいたのか。このむさ苦しいクソ野郎ばかりの島で嬢ちゃんの顔を見ると、おじさんもほんと癒されるぜ」


「おい、うちのカワイイ娘に癒されるのは紛うことなき普遍的な真実だが、てめえの下品さがうつるから話しかけるんじゃねえ! 害虫はととっとどっかへうせやがれ! シッ! シッ!」


 その愛くるしい女児の笑顔にいつになく髭面を綻ばせるキッドマンだったが、ルシアン親分は顔をしかめると、愛娘を背に隠すようにしてキッドマンを手で追い払おうとする。


「ハン! その言葉、そっくりそのまま返させてもらうぜ。こんなオヤジじゃあ、嬢ちゃんの将来が心配ぇだ。嬢ちゃん、パパが嫌になったら、いつでもおじさんのとこに来ていいかんな。嬢ちゃんなら大歓迎だぜ」


「おい、キッドマン、言葉に気をつけろよ? 娘に指一本でも触れてみろ、てめえの一味全員バラバラに切り刻んで撒き餌にしてやるからな」


 対してキッドマンはまた遠慮もなしに悪態を吐くが、ルシアン親分は不意に真顔になると、据わった眼をして静かに凄んでくる。


「おお、怖え怖え。ガチな親バカはジョークも通じねえからいけねえや。野郎ども! 怖えから俺達はとっとと退散するとしようぜ!」


 すると、それでもキッドマンは冗談めかした口調でそう答えながら、僕らを引き連れてまたぞろぞろと通りを歩き始めた。


 この彼らにとってはなんてことのない日常の出来事から、一見、大らかで快活な、むしろ親しみやすさすら感じる〝海の男〟といった印象のウォルフガング・キッドマンという人物が、じつはかなりの大物海賊であったことを僕は図らずもよく理解することとなった。


 そして、もう一方の洒落にならないくらい本気マジで恐ろしい、大海賊の親分ルシアンド・エトワールの方はといえば、その反面、超が付くほどのそうとうな子煩悩で、狂気を感じるほどに幼い一人娘を溺愛しているのだということも……。


 ちなみにこのフォンテーヌ嬢、後にまだ若くしてメジュッカ一家の名跡を継ぐことになるのだが、ルシアン親分の愛ある教育方針のおかげで海賊には不似合いな心優しき立派な淑女に育ってしまい、老舗の名門海賊であった一家も存亡の危機に直面してしまったりなんかも……ま、それはまだまだ先のお話なのでここではやめておこう。

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