ⅩⅣ 夜霧の中の龍(2)

「いくぜえ、野郎どもぉっ!」


 そんな誰かの掛け声が煙る船上に響いたかと思うと、ドラゴンの首を伝って正体不明の者達が次々と船の中へ飛び込んでくる……。


 皆、麻の編み上げシュミーズ(※シャツ)にオー・ド・ショース(※半ズボン)、頭にバンダナを巻くという船乗り船の服装をしており、各々手にはカットラス(※船乗りが好む短いサーベル)が握られている。


「か、海賊だあぁぁぁーっ! 海賊が襲ってきたぞおぉぉぉーっ!」


「いただくもんさえいただきゃあ、乱暴はしねえ。怪我したくなかったら、おとなしくしてるんだな」


 水夫の叫びに答えるかのようにして、その乱入者の内の一人がカットラスの切先を突きつけながらそう口にする。


 それは、まさしく海賊だった……万が一にもないだろうと思っていたのだが、そのまさかの海賊が襲ってきたのである。


 僕が〝海賊〟というものを見たのは、この時が初めてだった。


 しかし、こんな重武装のされた船に仕掛けてくるなんて……そうか! それでこの煙を……あのドラゴンの口から出てるのは煙幕だったのか!?


 体当たりされても船はそのまま動きを止めていないため、また、潮風に吹かれて徐々に黒い煙が霧散していくと、ドラゴンの首から続く胴体部も月明かりに照らされて次第に見え始める……。


 だが、そこに龍の胴体はない。代わりにあったのは、黒い横帆と三角帆を張った一艘の船だった。こちらのガレオンよりひとまわりほど小さく、ガリガリー海賊がよく使うという〝ジーベック〟だろうか?


 そして、あのドラゴンの首はやはり作りものの、その舳先に飾られた船首像フィギュアヘッドだったのだ。


 しかも推測するに、あの口の中には煙幕を出すなんらかの仕掛けが設けられていて、赤く光っている眼もそのための灯火か何かが漏れているのだろう。


 賊はこちらの火力を見てまともには近づけないと判断し、夜陰に乗じて襲撃してきたばかりか、そのドラゴンのカラクリを使って煙幕を張ることで姿を眩ませて接近してきたのである。


 船を寄せて乗り込んでしまえば、あとは近接戦闘による白兵戦。どれほどこちらが大砲を積んでいようが関係ない。


「行け! 行けえーっ! どんどん行けえぇぇーっ!」


 そうして賊はこの船を制圧しようと、突撃したまま並走させた海賊船より続々とこちらへ飛び移ってくる。


「海賊の襲撃だあーっ! 各員、迎撃態勢をとれえーっ!」


 だが、こちらもただやられっぱなしのままではいられない。


 騒ぎを聞きつけてアンドリアさんとともに船長室から駆け出してきたジョバンニさんが、水夫達に檄を飛ばして自らも腰のカットラスを引き抜く。


「この海賊野郎があぁーっ!」


「チッ…おとなしくしてりゃあいいもんをよお!」


 それを合図に双方の怒号と、キン! キン…! と火花を散らしながら刃を交える金属音が湿った夜気の中に響き渡り、海賊達との激しい戦闘が予告もなしに始まった。


 カットラスで斬りかかってくる海賊に対し、こちらの水夫達はカットラスの他に〝パイク〟という長い柄の槍みたなものや、武器のないものは近くにあったオールやデッキブラシなどを掴んで果敢に応戦する。


「うわわわわ…ど、どうしよう……?」


 他方、一変して大乱闘の場とかしたこの船上に、僕はあたふたと逃げ場を探す。


 医術や魔術、学問に関してはそれなりに自信があるが、剣術や喧嘩の仕方については王宮にいた頃にも習ったことがなかったのでからっきしだ。こういった実際の戦闘において、僕は完全に役立たずである。頑張って立ち向かったみたところで呆気なく瞬殺だろう。


「……あ! いいものあった!」


 慌てて辺りを見回す僕の目に、水を使い切って空になった樽が一つ、マストの影に放置してあるのが映る。


 早々、僕はその樽に飛び込むとしゃがんで身を隠し、マントに付いているフードを目深に被って周囲の闇に溶け込んだ。これならとりあえずは見つからないだろう。


 いやあ、えらいことになっちゃったなあ……海賊を追い払えればいいんだけど……。


 その状態で目だけを樽の縁から出して様子を覗っていると、こちらの水夫と海賊は一進一退の攻防を繰り広げている。


「死に腐れやこらあっ!」


「海賊風情が生意気なぁっ!」


 目くらましの煙幕が晴れたため、満ちかけた月の光に照らさて甲板上は意外とよく見える……方々で水夫達は激しく刃を打ち合わせ、けして海賊に退けはとっていない。


 ……と思えたのだが。


「信仰の力をしかと受け止めよ……フン!」


「うわあっ…!」


「どわあっ…!」


 不意に船上の片隅で、水夫達が悲鳴とともに数名同時に吹き飛ばされる。


 な、なんだ? あいつは……。


 見れば、それはバケツをひっくり返したような兜を頭からすっぽりと被り、全身を黒ずんだ鎖帷子で隈なく覆うと、その上に〝髑髏と交差する剣と銃〟の描かれた白い陣羽織サーコートを纏う…といったなんとも奇妙な格好の男だった。


 その手にはカットラスではなくて肉厚幅広の古風な〝ロングソード〟を握り、海賊というよりもなんというか……教会の石像や本の挿絵で見る大昔の騎士みたいである。


「なんだ貴様ぁ!? ふざけた格好しやがって……俺が相手だあぁぁーっ!」


 異様に強いけどなんだか変なやつの登場に、他の水夫達同様、呆気にとられながらもジョバンニさんが、カットラスを大きく振り上げて斬りかかってゆく。


「そなたの信仰心、しかと見せてもらおう! フン!」


「うごっ…!」


 大柄なジョバンニさんの打ち込みは見るからに重そうであるが、バケツ頭の騎士モドキはなんなくその剣を弾き飛ばしてしまう。


 剣の腕もさることながら、男の持つ重厚なロングソードの方がカットラスよりも分があったらしい。


「ギャっ…!」


「うがっ…!」


 また、他方でも悲鳴が連続して聞こえたので、今度はそちらへ目を向けてみれば……。


「まったく。手間かけさせてくれちゃって。急所は外しておいたから安心なさい」


 長く麗しいブロンドの髪に赤のターバンを巻き、スタイルの良い長身には純白のシュミーズ(※シャツ)に茶のロングスカートを履くという、なんだか場違いに美しい女海賊が一人で水夫達を翻弄している。


 ちなみにその手に握られているのはカットラスではなく、細身で軽い〝レイピア〟である。


「ひ、怯むなっ! て、鉄砲を撃ちかけよ!」


 思わぬ強敵の出現に後方で見守っていた船長アンドリアさんが指示を飛ばし、いつ準備を整えたのか? 火縄マッチロック式のマスケット銃を持った水夫達が二名、バケツ頭と女海賊にその銃口の狙いを定める。


 と、次の瞬間、パァァァァァァーン…! と乾いた銃声が湿った夜気に響き渡るが、倒れたのはなぜかマスケット銃を持つ水夫達の方だった。


「うくうっ…!」


「いつっっ……」


 マスケット銃を床に落とし、苦悶の表情を浮かべる彼らの利き腕には、なんらかの攻撃を受けたように真っ赤な血が流れ出している。


「おっと、そうはさせねえべ。おらの射撃は百発百中だべ」


 その声に、反対側のドラゴンの首の方へ視線を移せば、そこには白髪混じりの縮毛を荒れ放題に伸ばす、海なのになぜか毛皮のジャーキン(※ベスト)を羽織った猟師風の男が龍頭の上で立ち膝を突いている。


 左右の手にはそれぞれ銃口から白い煙をたなびかせる、燧石(火打石)フリントロック式の短銃が一丁づつ握られているが……今、同時に二人の腕を撃ち抜いたのがその男の仕業だとしたら、確かに自慢通りの超絶的な射撃の腕である。


 このバケツ頭、女海賊、猟師の登場を契機として、戦況はあれよあれよという間に海賊達の優勢へと傾き始め、ふと気づけば水夫達の大半が手傷を負って、船尾楼の前へと追いつめられていた。


「ガハハハハ…勝負あったな。命まではとらねえから潔く観念しな」


 そんな中、さらに新たな人物がまた一人、ドラゴンの首を伝って甲板の上へドカリ…と降り立つ。


 ジョバンニさんに負けず劣らずの髭面の大男で、やはり同様に船長か艦隊の提督が如く、黒のジュストコール(※ロングジャケット)に黒の三角帽トリコーンを被り、赤茶けた長い髪をざんばらに伸ばすと、左のこめかみに小さな三つ編みを作っている。


 だが、一番特徴的なのはその左眼だ。戦闘で傷でも負ったのだろうか? そこには黒い革製の眼帯がかけられている。


 なんだろう? この威圧感……あいつが海賊の親玉なんだろうか?


 そのガタイの良さや服装からだけではなく、他の海賊達とはどこか違う、妙な威厳とでも呼べるものを僕はその男に感じた。


「ま、俺様達に狙われたのが不運と諦めな。この船と積荷は俺様達、船長キャプテンウォルフガング・キッドマンとその一味がいただいたぜ」


 樽に潜んだ僕がこっそり密かに見守る中、その男は手にしたカットラスと短銃をアンドリア船長以下水夫達に突きつけながら、凶悪にして陽気な笑みをその髭面に浮かべてそう言い放った。

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