ⅩⅢ 水の都
ⅩⅢ 水の都(1)
ヴァレンチーノ氏からたんまり
さすがに子供一人で宿に泊まってはいろいろ怪しまれそうだし、詐欺師とか人攫いとか、何かよからぬことをたくらむ輩も寄ってきそうだからである。
まあ、長年の逃亡生活で野宿は慣れてるし、お金はあるので食べるものには苦労しない。
なので、意外なほど順調に僕の独り旅は進んでいったが、それでも最愛のイサークを失った悲しみと淋しさを忘れることは一時たりとてない。
ただ独り、延々と続く街道を歩む僕の瞳からは、気づけば自然と涙が零れ落ちていた。
そして、溢れ出すままに泣くだけ泣いて、その流す涙もようやく乾いたその頃、僕はついにウェネティアーナの街へ辿り着いた。
ウェネティアーナ共和国……オンドリア海に面したウィトルスリア半島の西端に位置し、神聖イスカンドリア帝国に属するベローニャンなどの多くの都市とは異なり、いずれの権力からも独立した共和制を敷く都市国家である。
古代イスカンドリア帝国崩壊後、分離して誕生した東イスカンドリア帝国の制海権内にあったことからプロフェシア教と敵対するアスラーマ教(帰依教)勢力の脅威に晒される心配もなく、ウェネティアーナはそんなアスラーマ教国とも交易を通して協調路線をとった。
また、武器製造や造船などの高い工業技術に裏打ちされた軍事力を背景に領土を拡大すると、オンドリア海貿易をほぼ独占するばかりか、隣接するミッディラ海に進出するまでの大海洋国家に成長する。
近年、東から迫るアスラーマ教勢力・オスレイマン帝国の台頭で領土は本国の一都市のみに縮小、また、〝新天地〟や東方世界への新たな航路が発見され、海上貿易の主役がそちらへ移ったことで海洋国家首位の座はエルドラニアに奪われたが、造船をはじめとした高い工業技術力で今なおその影響力は衰えていない。
小さな都市国家ながらずっと独立が保たれてきたのも、地理的条件や外交手腕ばかりでなく、そうした高度な技術力の賜物なのだろう。
「――うわぁ……ここがウェネティアーナかあ。ほんと、まさに
噂には聞いていたが、まさかここまでとは……渡し場で連絡船に乗り込み、満潮の海にそびえるその島が近づいてくると、思わず僕は感嘆の声を揺れる船の上であげてしまう。
この世のものとは思えないその美しい景色は、打ち沈んだ僕の心も少なからず浮上させてくれた。
よく晴れた青空の下、オンドリア海に浮かぶ干潟の上に作られたオレンジ色の整然とした街並み……その街にはまるで道のように細長い運河が張り巡らされ、その上を幾つもの瀟洒な意匠の施された石橋が優美なアーチを形作っている……。
ウェネティアーナはベローニャンや他のウィトルスリア地方の諸都市同様、
「――カプレチョーサ商会さんかい? それならここを真っ直ぐ行って三通り目だよ」
「ありがとうございます! 助かりました!」
ウェネティアーナ側の渡し場で船を降り、ロープを結んで停留作業をしている船頭さんに尋ねてみると、目指す先の在所はすぐにわかった。
「――ごめんください。ご当主のアンドリア様はご在宅でしょうか? 僕はマルコという者でして、ベローニャンのヴィスケッティー家の紹介でこちらへ参りました」
港に面して立つ、やはりオレンジ色の煉瓦と白い石材で作られた自宅兼用の立派な社屋。
その大きな入口の扉に付いた獅子噛みのノッカーをドン! ドン! と叩きつけ、出てきた守衛さんにヴァレンチーノ氏からもらった紹介状を見せる。
「これは確かにヴィスケッティー家の紋章……ようこそおこしくださいました。さあどうぞ、お入りください」
さすがはベローニャン大公家、その紋章は広く知られているのだろう。燕脂のスリット入りプールポワン(※上着)に黒い羽根付き帽を被ったお洒落な守衛さんは、紹介状の羊皮紙にプリントされたそれを見て、すぐに僕のことを信用してくれる。
建物の中へ通された僕は、守衛さんから執事さんへと引き継され、そのまま当主のいる執務室へと案内された。
「――ほう。ヴァレンチーノ公の大恩人の御子息なのだそうで。それならば歓迎しないわけにはいきませんな。ようこそ、ウェネティアーナへ。当カプレチョーサ商会の会長でアンドリアと申します」
執事から手渡された紹介状を見ると、やはりご当主も顔色をパっと明るくして僕を歓待してくれる。
アンドリア・カプレチョーサ……ヴァレンチーノ氏が紹介してくれたその貿易商は、恰幅のよい
まあ、ヴィスケッティー家の紹介ということで、こんな出自も知れない放浪者の子供(じつは王族出身だけど…)にもよくしてくれているのだろうが、それでもあこぎな商人とか悪い人ではなさそうである。
「いや、しかしよいところへ来た。じつはちょうど三日後に新天地へ向けて船を出す予定だったのだよ」
そのアンドレア氏が目を大きく開いて言うように、僕の幸運はさらに続いた。
禍福は糾える縄の如し……人生はバランスをとるために、大きな不幸の後には運が良くなるものなのだろうか?
なんという良いタイミングなのだろう。新天地行きの船が近々あるというのだ。短くても数ヶ月、長ければ一年以上待たなければならないと思っていたので、まさに渡りに船である。
「そんなわけで、少々
「ありがとうございます。それでは、お世話になるついでにお言葉に甘えさせていただきます」
こうして僕は思いの外順調に船へ乗せてもらえることになると、さらには〝水の都〟と称される美しい街を観て廻れる機会にまで恵まれたのだった。
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