Ⅻ ひとりだけの旅立ち

Ⅻ ひとりだけの旅立ち

その後、イサークが捕縛中に死去したために異端の罪への裁きは一件落着となり、僕はイサークの吐いた嘘の通り、買われて強制的に働かされていた奴隷の子として無罪放免となった。


ヴァレンチーノ氏とジュリエッティ嬢もイサークに騙されていただけで、魔導書の使用は知らなかったということでお咎めなしだ。


 そして、異端者なのでプロフェシア教会による葬儀は許されなかったものの、異端審判士より返されたイサークの遺体は、ヴァレンチーノ氏がベローニャン市の為政者として共同墓地の片隅に葬ってくれた。


「――父さん、まさか、こんな風に別れの時がくるだなんて……」


 こっそりヴァレンチーノ氏が業者に作らせてくれた真新しい墓碑の前で、僕は今は亡き我が養父であり、師でもあった人物に訴えかける。


 ヴァレンチーノ氏を含め、この町の人々はそんな旅の医師である彼しか知らないので仕方のないことではあるが、そこに刻まれた名前は〝パラート・ケーラ・トープス〟という偽りのものだ。


 この墓の下に、かつて世界に名を轟かせた大学者にして大魔術師〝イサーク・ルシオ・アシュタリアーノ〟が眠っていることは僕しか知らない事実なのである。


 ま、世間的に大魔術師イサークという人物は、あのスファラニア王国滅亡の混乱で行方不明(…という名のほぼ死亡扱い)になっている。


 先日命を落としたのは、本当は何処にも存在しない偽りの存在、〝パラート・ケーラ・トープス〟なのだ。


 また、今回の一件で、このベローニャンの町におけるその医師の評判も180度一変し、異端の悪魔崇拝者であるというレッテルを貼られてしまった。


 もっとも、泊まっていた宿のオヤジさん達とか、皇庁派以外の住民の中にはその疑惑を信じていない人達も大勢いたが、それでも異端審判士に有罪認定を受けてしまったので、 世間の目もあって墓参りに来てくれる者も皆無だ。


「もしも、あなたがわたくし達を許してくれたらですけれども……マルコ、よろしければ我がヴィスケッティー家の下僕(※下級の使用人)になりませんこと?」


 そんな中、日傘をさしてとなりに立つ、唯一、一緒に墓参りへ来てくれたジュリエッティ嬢が静かに声をかける。


「カラッカラー家が戻り、今後はこれまでのようにはいかないでしょうけれども、それでもロメロットが何かと協力してくれますし、先生の打ってくれたお芝居のおかげでヴィスケッティー家はまだまだ健在ですわ。あの嘘で裏切り者の執事の言葉も異端審判士さまは疑うようになりましたし……」


 ジュリエッティ嬢は、そう言って親切にも、父親・・を失った僕の身の振り方を案じてくれる。


 自分ばかりか彼女の家まで救ってくれたイサークに対する恩情や、それが原因で命を落とすことになってしまったという負い目もあるのだろうが、〝悪役令嬢〟のような世間のイメージとは随分と異なり、本当の彼女は心優しいお嬢さまなのである。


「いえ、ありがたいお言葉ですが、僕はまた旅を続けようと思います」


 でも、僕は彼女の方を振り返ると、日傘の下に隠れたその顔を見上げて、せっかくのお誘いをきっぱりとお断りする。


 世情の変化と宿敵ライバルの復活により、その権勢はだいぶ弱まることとなるだろうが、それでも名家ヴィスケッティー家の下僕だ。一介の医者の息子(ほんとは王子だったりするけど…)が望んでなれるようなものでもない。なんとももったいない話だ。


 だが、僕にはイサークの遺言がある……。


「ごめんなさい。こんなことに巻き込んでおいて、なんともおこがましい話でしたわね……」


「ああいえ! そうじゃないんです! なんというか、これは父さんとの約束というか、まあ、遺言みたいなものなんです」


断る僕に誤解をしてしまい、自分を責めてなんとも悲しい顔をするジュリエッティ嬢に、慌てて僕は手を前に出すと、首をふるふると横に振ってみせた。


「父さんは最期に、〝ブエンビアーヘ〈buen viaje〉〟――僕らの故郷の言葉で〝良い旅を〟と言いました……それに、この前、父さんと話したんです。今度は新天地にでも行ってみようかと……だから、僕は海を渡ろうかと思います」


 そして、憂いを浮かべたハシバミ色の瞳を真っ直ぐに見上げ、続けて僕はイサークとともにするはずだった旅の予定と、それにともなうささやかな決意を彼女に告げる。


「……そうですか。確かにその方が先生の望んでおられた生き方かもしれませんわね」


 すると、僕の真意を理解してくれたのか? もうそれ以上、ヴィスケッティー家に留まる話を彼女が勧めてくることはなく、ジュリエッティ嬢はただ静かに、微笑みを浮かべて大きく頷いてみせた。


「ですが、当てはあるのですか? 海を渡るにしてもそれなりの船やお金が必要でしてよ?」


「とりあえず新天地行きの船があるウェネティアーナかウェヌーザの港に行ってみようかと。あとは水夫にでもなんにでもなって乗せてもらうつもりです」


 代わりに今度はその具体的方法について尋ねてくるジュリエッティ嬢に、やはりイサークと話していた計画を僕は答える。


「でしたらお父さまに頼んで、懇意にしているウェネティアーナの貿易商に紹介状を書いていただきましょう。それがあれば、すんなり新天地行きの船に乗せてくれるはずでしてよ」


 その計画と呼ぶのもおこがましい、なんとも場当たり的な僕ら・・の算段を聞くと、彼女は嬉しそうにそう言って、心強い協力を申し出てくれる。


 この世間では性悪と評される心優しき貴族のご令嬢は、独りぼっちになってしまった僕を少しでも手助けしてくれようとしているのである。


「ありがとうございます! それは大助かりです。なんか、幸先よくなってきた気がします」


「あらそう? それならばよかったですわ」


 その、さすがはベローニャンの名家といえるありがたい申し出を素直に喜ぶと、ジュリエッティ嬢もその顔に、どこか淋しさを漂わせた屈託のない笑顔を作ってみせた――。




 そして、旅立ちの朝……。


「――どうも、お世話になりました。紹介状も大変助かります。それに旅費までこんなに……」


 ベローニャンの町の外れにある大きな城門の前で、二人並んで立つヴァレンチーノ氏とジュリエッティ嬢に僕は頭を下げる。


 あの後も泊めてもらっていたヴェノッキオ城からここまでは、イサークのこともあるし、皇庁派に何かされてはいけないと二人が馬車でわざわざ送ってくれた。


 その上、ヴァレンチーノ氏はウェネティアーナの貿易商宛の紹介状に加え、旅の駄賃として革袋いっぱいの銀貨まで手渡してくれる。


「それはこちらの台詞だ。君らのおかげで私も娘も…いや、それどころか、このベローニャンの町自体が救われた。どれほど礼を言っても言い足りんくらいだ……」


「そうですわ。もし先生がいなかったら、今、わたくしはこの場にこうして立っていることもできなったでしょう。なのに、そのせいでこんなことになってしまい……先生やあなたにはお詫びのしようもございませんわ……」


 ヴィスケッティー家の父娘はなんとも哀しげな顔で僕を見つめながら、異口同音にイサークへの感謝と謝罪の言葉を述べてくれる。


「いえ、お二人のせいではありません。悪いのはあの執事ですし、その執事も異端審判士に疑念を抱かれたことで、身の危険を感じてカラッカラー家からも出奔したという話ですしね……」


 だが、僕は首を横に振ると、罪悪感に苛まれる二人を生意気にも諭すように言う。


「それにあの時、父がこう言っていたのを思い出したんです……〝これは運命というものか〟と。僕らが戦で故郷を追われた時も、まさにそれは今回のように突然のことでした。もしも運命がそのようなものなのだとしたら、これももともと決められていた運命さだめだったのかもしれません……きっと、父もそう思って死を受け入れたことでしょう」


「そうか……君にそう言ってもらえると、少し救われたような気がするよ」


「今はただ、先生の魂が安らかに眠られることを心よりお祈りいたしますわ……」


 僕の言葉で、わずかなりと良心による責苦を癒すことはできたのだろうか? 二人はそう呟くと、淋しげながらもどこか安心したように穏やかな微笑みをともに浮かべた。


「それじゃ、僕はそろそろ行きます。お二人とも、どうぞお元気で」


 なんだか話し込んでしまったが、こうしてダラダラしていても別れが惜しくなるだけなんで、僕は改めて別れを告げると、今度こそ城門の外へと歩み出そうとする。


「うむ。君も達者でな。旅の安全を祈る」


「さよならですわ、マルコ! こちらへ帰って来た時は絶対にうちへも寄るんですのよ!」


 踵を返し、ゆっくりと歩み出す僕に親子は手を振りながら、そんなはなむけの言葉をかけてくれる。


「はい! 必ず! それじゃあ、ご縁があればまたいつか!」


 対して僕も一度だけ振り返って大きく手を振ると、それ以降はただ前だけを向いて、ウェネティアーナへと向かう街道を黙々と歩き出した。


 古代イスカンドリア帝国時代に作られたこの街道は、今も当時の石畳が其処此処に残り、整然と広い道がどこまでも真っ直ぐに続いている……。


 本当だったら今、僕のとなりには一緒にイサークも歩いていたはずの旅路である……。


「なあに大丈夫だ。僕には二冊の魔導書と、まだ少しだけど自分で作ったペンタクルもある。医者でも魔術師でも、きっと一人でもちゃんとやっていけるさ……」


 黙々と足を動かしながら、僕はパンパンに膨らんだ肩掛け鞄を左手で擦り、自分に言い聞かせるようにして、そう、独り言ちる。


 その中には自分で書写した魔導書『ソロモン王の鍵』と『ゲーディア』、それに召喚魔術に使う魔術武器の、悪魔の印章シジルが記された〝ペンタクル〟が入っている。


 イサークの持っていたものは異端審判士に没収されてしまったが、僕自作のものはなんとか見つからずにすんだのだ。


 これさえあれば、僕は父さんの――大魔術師イサーク直伝の悪魔召喚魔術を使うことができる……鉱物や薬草に詳しい悪魔・〝探索者の総統フォラス〟を召喚して、これからも医術や錬金術の勉強だって続けられるんだ……大丈夫だ。イサークがいなくたって、一人だってぜんぜん大丈夫だ……。


「……大丈夫だ……きっと、一人でも…グスン……一人でもなんとかなる…うく……なんとか…グスン……なんとかしてみせるよ、イサーク……グスン……うぐっ……グスン……」


 だが、そうやって弱い自分の心に言い聞かせたつもりなのに、やっぱり自信や勇気よりも不安や淋しさの方がむくむくと大きくなってきて、遥か街道の先を見つめる僕の目からは思わず涙が溢れ出てきてしまう。


「…うく……グスン……グスン……うぅっ……グスン……」


 止まらない涙を袖で拭い、込み上げてくる嗚咽を必死に奥歯で嚙みしめながら、僕はその堪えがたい孤独感から逃れるようにして、ただひたすらに前へ前へと歩き続けた。

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