Ⅺ かりそめの終焉(2)

 思わずイサークも呪文の朗唱を止めてそちらを振り返ると、開いたドアの向こう側には、今しがた体当たりをしたらしい、屈強な巨漢の兵士の姿を覗うことができる。


 明らかに、その兵士の一撃でドアとバリケードは吹っ飛んだのだろう……しかし、鍵はまあ、執事が合鍵を持っていたかもしれないが、あれだけ重たい家具が一瞬にして倒壊したのは、巨漢に体当たりをされたにしてもどうにも不自然だ。


「フン! まさに無駄な抵抗だな……貴様だけが魔術を使えると思うな、異端の魔術師めが」


 唖然としてイサークと僕が見つめる中、屈強な兵士の背後からは、黒い平服を着た司祭のような男がそう嘯きながら姿を現わす。


「水星第5のペンタクル……」


 イサークの呟き通り、その手には『ソロモン王の鍵』に記されるペンタクルの金属円盤が握られている……閉ざされた扉を開け、邪魔されずに移動する力を付与する水星第5のペンタクルだ。


 ペンタクルの力のみではこの包囲網を突破できない僕らとは対照的に、相手方はこのくらいのバリケード、それに対応した悪魔の助けと、あとは力業を使えば簡単に無効化できるというわけである。


 その上、司祭に続いてドカドカと室内へ踏み込んで来た兵達の中には、儀式用の白いローブと冠を身に着けた魔法修士も三人ほど混じっている。


 密告したのがヴィスケッティー家の執事ならば、こちらの情報は筒抜けだ。どうやら魔術の達人であるイサークへの対応もしっかりしてきているらしい……。


「本教区の異端審判士エスカルロスだ! 異国人医師パラート・ケーラ・トープス、魔導書の不法所持並びに不法使用の現行犯で捕縛する! 神妙に縛につけ!」


 意表を突かれ、立ち尽くす僕らに対して、司祭に見えたその男は朗々とした声でこちらの罪状を明確に告げる。


 黒髪をオールバックに固め、異様に血走った眼をした細身の神経質そうな男だ。


「ほおう。これはこれは……ヴァレンチーノ、この期に及んで最早、言い逃れはできんな」


「こ、これは……その……」


 また、異端審判士と兵士のあとからは、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた中年の紳士と、さらに真っ青い顔をして狼狽えるヴァレンチーノ氏も入ってくる。


「親父……」


 先に入って来た中年紳士を睨みつけ、ロメロットが誰に言うとでもなく呟く。


 悪どく微笑む、いかにも狡猾そうな顔をしたその紳士は、スリットの入った赤色のプールポワン(※)に白タイツ、キュロット(※カボチャパンツ)という貴族の出で立ちで、金色のざんばら髪に赤黒い色の羽根付き帽を被っている……おそらくは彼がロメロットの父親でカラッカラー家の現当主、ポーチェス・カラッカラーなのだろう。


 ロメロットの服装もそうだし、青色のヴィスケッティー家と帝国派に対して、どうやらカラッカラー家や皇庁派の人々は、赤色をパーソナルカラーとしているみたいである。


「ん? ロメロット、なぜおまえ、ここにいる? なんだ、もしや手柄ほしさに先走って乗り込んでおったのか?」


「い、いや、それはその……」


 そのポーチェス氏もなぜか部屋の中にいたロメロットに気づき、怪訝な表情を浮かべて息子を問い質すが、どうやらジュリエッティ嬢との仲は知らないらしく、自らそんな勘違いをしてくれる。


 予期せぬ父親との遭遇に狼狽えるロメロットも、息子を信じて疑わない彼に救われたようだ。


「ご覧ください異端審判士さま! 私の申し上げた通りでございましょう!」


 いや、そんな他人の心配なんかしている場合ではない。一群の最後に現れた裏切り者の執事ティボリィ・クロッカスが、イサークを指差して大仰に声をあげる。


 そのイサークはといえば、手に悪魔の印章シジルの刻まれた銀の円盤と魔術武器の短剣ダガーを持ち、即興で描いた〝ソロモン王の魔法円〟の上に如何にも・・・・な姿で立っているし、僕も僕で床に置いた香炉に火を入れようとしている……完全に現行犯だ。最早、言い逃れはできまい。


 他方、異端審判士の引き連れて来た兵士達は、ハルバートの鋭い鉾先をヤマアラシの棘のようにしてこちらへ突きつけ、火縄から煙を上げてマスケット銃の銃口を向けている者さえもいる。


 文字通り、万事休すだ……。


 いくら魔導書の魔術の力が絶大であろうとも、悪魔を召喚してその加護を得るまでにはそれ相応の時間と手間を必要とする。昔話に出てくる魔法使いのお爺さんや魔女のように、呪文を唱えれば空を飛べたり、杖の先から炎や雷を出すなんて芸当はできないのである。


 さすが、相手は魔術や悪魔学にも精通した〝異端審判士〟だ。そこをよく理解していて、召喚儀式を行う暇すら与えないよう唐突に、しかも、気づく間もないよう静かに急襲してきたのである。


 ここで捕まれば、即効、異端審判にかけられ、二人とも有罪判決で火炙りにされるのは免れないだろう……この見事な捕縛の仕方からしても、相手はなかなかの切れ者だ。おそらく牢屋から逃げ出す暇すらも与えてはくれまい。




〝殿下、一つ憶えておくとよろしい。確かに魔術の力は強大です。ですが、最終的に戦の勝敗を決めるのは現実の兵力であり、戦の腕なのです。いくら悪魔の力を用いようとも、この世の法則性を超えることは難しい……〟




 なぜだか不意に、落城間際のアルカスティージョラ城の王の間で、まだ幼かった僕にイサークが言ったその言葉が鮮明に蘇った。


「やられたな。我ながらこうもぬかるとは……いや、これは運命というものか……」


 異端審判士と武装した兵達に囲まれる中、香炉の傍らで固まったまま動けずにいる僕を、不思議とイサークは悟りを得た聖人の如き、なんとも穏やかな微笑みを湛えながら見つめて言う。


「イサーク……っ!?」


 と、次の瞬間、突然、イサークは僕の襟首を掴んで抱き寄せると、首筋に短剣ダガーの鋭い刃を突きつけて周囲の者達に見せつけるようにする。


「ハーハハハハハっ! バレちゃあしょうがね! せっかく世間知らずな貴族さまを騙して取り入れたと思ったのに台無しだぜ!」


 そして、いつになく下卑た高笑いを室内に響かせると、これまで聞いたことのないようなべらんめえ・・・・・調で、声を荒げて皆にそう告げた。


「…………」


「ティボリィ、てめえ、裏切りやがったな! 二人でこの家を拠点に魔導書密売の一大シンジケートを作ろうって約束したのに……長年に渡る友情もこれまでだぜ!」


 あまりのことにポカンとした顔で僕が見上げる中、続けざまにイサークは執事の方をジロリと睨みつけ、そうした嘘八百な出まかせを白々しくも口走ってみせる。


「なに? ティボリィ・クロッカス、今の話はまことか?」


「な、な、何をいきなり!? う、嘘だ! こんなやつ、知り合いでもなんでもない! 貴様、なにデタラメなことを言っている!?」


 そんなイサークの真っ赤な嘘にも異端審判士は眉を吊り上げて反応を見せ、疑惑の眼を向けられた当の執事は大慌てで事実無根と否定をする。


 だが、その否定の仕方がまた、むしろ真っ黒・・・な犯人の嘘の釈明っぽく聞こえてしまう……イサークは今の一言で、執事に対する強い疑念を異端審判士に抱かせてしまったのだ。


 これで彼の証言も一々本当かどうか疑われることになる……先程、ジュリエッティ嬢と口裏を合わせた、彼女達ヴィスケッティー家を巻き込まないためのシナリオを信じ込ませる下準備なのだろう。


 ……だが、どうやって逃げる? イサークはすでにその方法も思いついているのだろうか?


 僕の首に短剣ダガーを突きつけ、極悪人に扮したこの演技……もしかして、僕を偽の人質にとって、この場から脱出するつもりか?


 ジュリエッティ嬢やロメロット青年ならばともかく、僕ではまったく人質にならないと思うんだけど……。


「こうなりゃ最後の手段だ! このガキを生贄にして、強力な悪魔を召喚してやらあ! おっと動くなよ? さすがの異端審判士さまでも知らねえだろうが、この秘伝の黒魔術には召喚しゅもいらねえ。こいつの首を掻っ切った瞬間、てめえらも悪魔の餌食になること確定だ」


「なに!?」


 だが、僕が疑問を抱いている内にも、イサークはまた予想外のことを口走る。


「魔術を仕込んで手先に使うつもりだったが、なあにもとは奴隷市で買ったガキだ。命あってのものだねよ。代わりはまた買やあいいからな!」


 もちろん、それも全部大嘘だ。僕を奴隷市で買ったというのは言うまでもないが、イサークがそんな黒魔術を使うなんて話、一度として聞いたことがない。


 ……そうか。これはハッタリか。イサークはこの窮地をそんなハッタリで切り抜けるつもりなんだ……。


「た、助けてえぇぇぇ〜!」


 彼の意図に思い至った僕は、大根役者ながらも手助けをすべく、大袈裟に泣き叫ぶ演技なんかをしてみせる。


「うまいぞ、マルク……いいか? この先、何があってもそのまま奴隷のフリを続けるのだ」


 すると、イサークは僕の耳元で、声を潜めて口早にそう命じる。


「はい。父さん」


 僕も小声で他の者には聞こえないよう、いつものようにそう返事をする……。


「? ……父さん?」


 だが、ふと見上げるとイサークは、なぜかジュリエッティ嬢の方へ視線を向け、眼で何かを訴えかけているような、そんな不可解な表情をしていた。

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