Ⅺ かりそめの終焉
Ⅺ かりそめの終焉(1)
その夜、ヴァレンチーノ氏やジュリエッティ嬢とともに豪勢な晩餐をすまし、明朝、ここを発つことを告げて再び二階にある客室へ戻ると、まだ済んでいない荷造りの仕上げを始めた時のことだった……。
「――先生、マルコ! たいへんですわ! たいへんなことになってしまいましたの!」
突然、ドン! ドン! と激しくドアが叩かれたかと思うと、血相を変えたジュリエッティ嬢が飛び込んで来て声をあげる。
「先生! すいません! 俺が迂闊でした!」
その背後には、なぜかロメロット青年の姿もあり、やはり尋常ではない様子で声を荒げている。
「おや、ロメロット君も一緒か。君が窓から入って来ないとは珍しいな」
「ああいや、やっぱりさっきジュリエッティの部屋の窓から入って来たんですが……て、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないです! 二人とも、今すぐここを逃げてください! もう時間がありません!」
いつになく普通にドアから現れた彼にイサークは冗談を口にするが、ロメロットは律儀に答えるもすぐに気を取り直し、なおも切迫した様子でなぜか僕らを急かした。
「逃げる? ……いったい何があった?」
何か、ただならぬ事態が起きていることにイサークもようやくにして気づき、険しい表情を作ると彼らに尋ねる。
「ポーチェス・カラッカラーですわ! 皇庁派に先生が魔導書を使ったことを知られましたの! 今、異端審判士とともにこちらへ捕縛に向かってますわ!」
代わりに答えたジュリエッティ嬢の言葉は、まさに最悪なものだった……。
「なんと! それは確かに大変だの……」
「そんな……まさか、あなたが……」
驚きに顔を強張らせた僕らがまず考えたのは、やはりロメロット青年から漏れた可能性である。
ヴィスケッティー、カラッカラー両家の融和を望んでいる彼のこと、故意に密告したんじゃなくても、うっかり誰かに話してしまったなんてこともあるかもしれない……。
「いや、俺じゃない! この家の執事のティボリィ・クロッカスだ! あいつ、金を積まれて親父達と繋がってやがったんだ!」
だが、僕らの予想に反し、真犯人は思いもよらない人物だった。
「俺もまったく知らなかったんです! クソっ! 俺がもっと早く気づいていれば……」
「金銭に目が眩んで主君を裏切るとはなんという恥さらし! そのように下劣な者を出してしまったこと、ヴィスケッティー家の人間としてわたくしも恥ずかしいですわ!」
なんだか疑ってしまって申し訳なく思うが、ロメロット青年は自分のせいでもないのに重く責任を感じ、ジュリエッティ嬢も郎党から裏切り者の出たことにいたく憤慨している。
「あの執事殿が? ……そうか。もしや最初からそのつもりで我らのもとにも……ヴァレンチーノ公も喉元にナイフを突きつけられましたな。となれば、あなた達も異端の罪に問われることとなりましょう。なんとかいたさねば…」
「わたくし達のことなどよろしいですわ! それよりも、このままでは先生もマルコも火炙りにされてしまいます! さあ、早くお逃げくださいまし!」
盲点だった近臣の裏切りに驚きを覚えながらも、むしろ彼女達に迷惑のかかることを懸念するイサークであったが、ジュリエッティ嬢は激しく首を横に振ると僕らの身の安全だけを案じてくれる。
「スィニョリーナ・ジュリエッティ……わかりました。では、我らは早々にこの城を脱出し、そのまま領外へ逃亡します。貴女もヴァレンチーノ公も、私が無許可で魔導書を使う医者とは知らず、騙されて肺病の治療を受けてしまったということにしておいてください。なに、捕まることはないんでご安心を」
「まあ、逃亡生活には慣れてるんで。これまで通りの旅暮らしをするだけのことです」
心配してくれる彼女達にイサークはそんな提案をし、僕も苦笑いを浮かべながらその言葉を捕捉する。
魔導書の使用は本当のことだし、どうせ叩けば埃の出る身だ。いまさらその埃が一つや二つ増えたところでどうってことはない。
「……わかりましたわ。わたくしにはこの家の令嬢として、ヴィスケッティー家を守る義務がございます。大切心苦しくはありますが、この際、先生達には悪者になっていただくことにいたしましょう」
世間では誤解されていても、じつは心根の優しいジュリエッティ嬢ではあるが、彼女の中ではそれ以上に、誇り高きヴィスケッティーの家名を守ることが人生においての最重要課題でもあるのだ。
そこをよく理解したイサークの提案を、なんとか彼女も飲み込んでくれたようである。
「うむ。では、善は急げだ。どうもお世話になった。これにて失礼いたす…」
だが、これ以上、悠長に話し込んでいる余裕もないと、イサークが早々に別れの挨拶をしようとしたその時。
「…ティボリィ、貴様、裏切ったのか!?」
ドアの向こう側から、ドカドカと大勢の人間が歩く足音と、そんなヴァレンチーノ氏の怒鳴る声が遠く聞こえてきた。
「クソっ! もう来たのか!? 先生、一階からはもう無理です。
その緊迫した様子に、ロメロットが焦りを覚えながらイサークに早口で告げる。
「うむ……いや、こちらもダメなようだな」
言われてイサークも窓に近づいてカーテンを開けてみるが、ガラス越しに眼下を見つめると、眉根を寄せた渋い顔でそう呟いた。
「これは!? いつの間にこんな…… 」
僕もそちらに近づいて見てみると、城壁の内部にはキュイラッサー・アーマー(※近世風の胴体部だけを覆う鎧)とモリオン(※帽子型の兜)で武装した大勢の兵士が整然と並んでこの建物を包囲している。
しかも、手にしているのはハルバート(※槍・鎌・斧が一つになったポピュラーな長柄武器)ばかりでなく、火縄から黒く細い煙を立ち上らせながら、マスケット銃を肩に担いだ者達まで混ざっているのだ。
おそらくはカラッカラー家の私兵やこの町の衛兵だろう……堀と塀に囲まれた城とはいえ、平時は跳ね橋も下ろされているし、信じられないくらい簡単に侵入を許してしまったようだ。
これでは、窓から逃げたとしても強行突破は難しい……いや、防御のための城壁や堀までが今や逆に逃走の障害となっている。
一応、僕もイサークも魔導書『ソロモン王の鍵』を用いて作った、あらゆる危険から身を護る木星第6のペンタクルや、襲われても怪我をしない火星第6のペンタクルを所持してはいるが、たとえ悪魔の力といえども完璧ではない。これほどの多勢相手では、その魔力を以ってしても防ぎきれないだろう……。
「こうなれば、いつぞやの時のようにフォラスの力で透明になって逃げるか……少々時間がほしい! ドアに鍵をかけて、椅子か何かでバリケードを作ってくれ!」
瞬時にそれに代わる打開策を考え出すと、イサークは素早く僕らに指示を飛ばす。
「はい! 父さん!」
「わ、わかりましたわ!」
その指示に従って僕達がドアを閉めて椅子やら机やら棚やらを積み上げている内にも、イサークは床の上に絵コンテで〝ソロモンの魔法円〟を描き始めている。
「チッ…気づかれたか! 無駄な抵抗はやめて、速やかにここを開けろ!」
だが、魔法円を描き終わらない内にも、ガタガタと鍵のかかったドアノブが引っ張られ、外からは怒鳴り声が聞こえてくる。
「よし、描けた。マルコ! 香を焚け! 待ってるのも惜しい! 私は先に始める! 大幅に端折っていくぞ!」
「はい! 父さん!」
それでも、厳重に閉ざしたドアを開けるにはまだまだ時間がかかるだろう……魔術に長けたイサークならば、その間に悪魔を召喚し、願いをかなえさせることもギリギリ可能なはずだ。
あの、スファラニアから落ち延びた時と同じように、ソロモン王の72柱の悪魔序列31番・探索者の総統フォラスの力で透明になって逃げようという算段である。
「乱暴だが、はじめから
「な、なんで!?」
ところが、かけたはずの鍵がガチャリと開き、次の瞬間、積み上げた家具も一瞬にして吹き飛ばされると、いとも簡単にドアは開いてしまった。
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