Ⅷ ベローニャンの二人(2)

「――ああ、ロメロット、あなたはどうしてカラッカラー家の人間なの? もしそうでなかったら、わたくし達は簡単に結ばれることができるのに」


 草木も寝静まる深夜、人目を忍び、自室のバルコニーへ出てきたジュリエッティが、眼下の庭に潜むロメロットへ語りかける。


「ジュリエッティ、君はどうしてヴィスケッティー家の娘なんだ? もし違っていたら、今すぐにでも君に結婚を申し込むというのに……」


 方や蒼い月光に照らし出され、バルコニーを見上げるロメロットも異口同音の言葉を悲痛な面持ちでジュリエッティに投げかける。


「ああ、ロメロッ…コホっ! コホっコホっ…コホっ! コホっコホっコホっ…!」


 と、その時、不意にジュリエッティが口元を押さえ、苦悶に表情を歪めて激しく咳き込んだ。


「ジュリエッティ! また肺病がひどくなったのか!? 皇庁派の僕なら魔法修士にもツテがある。これ以上悪くなる前に、やっぱり魔導書の魔術を使って治療をしてもらった方がいい!」


 息をするのも辛そうなその姿に、ロメロットはこれまでにも思っていたその提案を口にする。


 原則、個人的な理由での魔導書の使用は禁じられているが、何事にも例外・・というものがある。殊に預言皇庁支持の貴族であるカラッカラー家ならば、それなりに融通が利く。


「…コホっ、コホっ……いいえ。それはなりませんわ……わたくしがご禁制の魔導書に頼ったと知れれば、きっとヴィスケッティー家を陥れるスキャンダルとして皇庁派に使われます…コホっ、コホっ……ですから、そのようなことをするわけにはいかないのです…コホっ、コホっ……」


 だが、自らの家門に対する自負のため、ジュリエッティは激しく咳き込みながらもその申し出を頑なに拒む。


「で、でも、それでは君が…」


「いいんですわ…コホっ、コホっ……わたくしはやはり、一人の人間である前にヴィスケッティー家の一員…コホっ、コホっ……ですから、あなたと結ばれることも…うぅ…」


 そして、なおも食い下がろうとするロメロットの言葉を遮ると、眼にいっぱいの涙を湛えながら、悲痛な面持ちの顔を翻してバルコニーから部屋の中へ引っ込んでしまう。


「あっ、ジュリエッティ!」


 ロメロットは慌てて彼女の名を潜めた声で叫ぶが、その夜はもう、再び彼女がバルコニーへ姿を現すことはなかった――。




「――確かに魔法修士に治療を頼むことは、ヴィスケッティー家を…ひいてはジュリエッティを危機に追いやりかねない……だから、俺も魔導書の魔術を使うことをそれ以上勧めることはありませんでした。でも、そこに現れたのが先生です!」


 その夜のことを脳裏に思い浮かべるようにして語り聞かせた後、ロメロットはイサークへの願い事の件へと再び話を戻す。


「先生は魔法修士ではなく、その…失礼ですが、いわば非合法・・・な教会や預言皇庁とは無関係の魔術師。皇庁派に通じることのない先生ならば、なんとか彼女を納得させることもできると思うんです!」


 なるほど。ヴァレンチーノ氏も同じことを考えて訪ねてきたのだろうが、魔法修士や公的に使用許可を得ている者達とは違って、イサークが教会や皇庁派に密告することはまずありえない。そんなことをすれば、自分が異端の罪で火炙りになるからだ。


 ……にしても、「そうあってほしい」という希望的観測がそうさせるのか? その場を目撃したというわけでもないのに、彼もイサークが魔導書を使ったことを無根拠に確信してしまっている……ま、事実なんだけどね。


「しかし、ご本人のジュリエッティ嬢にもきっぱり断られてしまったからな。本人が嫌だと拒んでいるものを強引に治療するわけにもいくまい?」


 最早、誤魔化すのも面倒臭くなったのか? イサークは魔導書の使用を否定することなく、だが、ジュリエッティ嬢の意思を理由に彼の頼みも断ろうとする。


「あれもやはり、見ず知らずの先生のことがすぐには信じられず、もしや密告するんじゃないかと警戒してのことです。でも、俺も一緒に説得すれば、きっと信じて素直に応じてくれるはずです。本心では彼女だって、なんとか助かりたいと願っているんです!」


 対するロメロットも諦めはせず、改めて恋人の治療をイサークに強く願う。


「俺が信じられないというんなら、カラッカラー家や皇庁派の仲間とも縁を切る覚悟でいます。だから、どうか、どうかジュリエッティを、彼女を助けてやってください!」


「うーむ……そこまでいうのなら、もう一度だけ説得を試みてみるか……ただし、それでも彼女が拒んだら今度こそきっぱり諦めてもらおう。それでよいな?」


 強い意思の宿る、真っ直ぐな瞳を向けて請い願うロメロットに、イサークもついには絆され、条件付きではあるが彼の願いを聞いてやることにする。


「はぁ…あ、ありがとうございます!」


 イサークの色好い返事を聞くとロメロットはパッとその顔を明るくし、僕らはベローニャンを発つどころか、再びヴェノッキオ城を訪れることになったのだった。

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