Ⅷ ベローニャンの二人

Ⅷ ベローニャンの二人(1)

だが、明日にでも旅立とうかと荷造りを始めた、その夜のことだった……。


「――先生、パラート・ケーラ・トープス先生!」


 深夜、コン、コン…と何かが中庭に面した窓を叩く音があり、その音に目を覚ますと、外からそんなイサークの名を呼ぶ、潜めた男の声が聞こえてくる。


「こんな時間にかような所からご来訪とは、いったいどちら様かな?」


「けして怪しいものではありません。失礼は承知の上で、先生におりいってお願いしたいことがございます。どうか、どうか話を聞いてください」


 真夜中の珍客にイサークが冗談めかして尋ねると、その男はやはり潜めた声のまま、妙に丁寧な口調でそう答える。


「何やら深い事情がありそうだの。よし、今開けてやろう」


「ありがとうございます!  フゥ…旅立たれる前に間に合ってよかった……」


 どうやら物盗りや強盗の類ではなさそうなので、豪勢なヴェノッキオ城とは異なり、ガラスではなく木の板でできた粗末な窓の戸をイサークが開けてやると、屋根に乗っていたらしい一人の青年が溜息まじりに部屋へ入ってきた。


 青い眼に短い金髪の髪をした、綺麗な顔立ちの美青年だ。


 細身の体には赤いプールポワン(※上着)とキュロット(※カボチャパンツ)、白タイツを身に着け、その上から焦げ茶のフード付きローブをまとっている。


「このような形での突然の来訪、ご無礼を平にご容赦を。俺はロメロット・カラッカラーと申します」


 一息吐くと、青年は慇懃にお辞儀をしながら、自らの名を包み隠すことなく僕らに告げる。


「カラッカラー? それでは君は皇庁派の……」


 その家の名に、イサークも僕も聞き憶えがあった……それは、帝国派であるヴィスケッティー家との抗争に敗れ、このベローニャンの町から追放されたという皇庁派のリーダー格である。


「はい。カラッカラー家の現当主、ポーチェス・カラッカラーは俺の父です。今は一族揃ってこの町を追い払われた身、こうして忍ばねば、先生の元をお訪ねすることもできませんでした」


 なるほど。それでこのカラッカラー家の御曹司は、こんな夜更けに窓からやって来たというわけだ。


 しかし、そこまでしてイサークに頼み事とはいったいなんなのだろう?


 先刻、ヴィスケッティー家の執事が尋ねて来た時もそうだったが、ある不穏な疑念が僕の脳裏を過る。


 貴族がイサークを頼る理由……すぐに思いつくのは、やはり権力闘争に使うための〝毒薬〟である。


 特に凋落したカラッカラー家としては、宿敵ヴィスケッティー家当主のヴァレンチーノ暗殺を企ててもなんらおかしくはない……。


「そのカラッカラー家のご子息が危険を冒してまでおこしになるとは、一介の医者である私にいかなる御用ですかな?」


 おそらく僕と同じ疑念と疑問を抱いたのだろう、イサークがいささか表情を険しくして彼に尋ねる。


「じつはその……お願いというのはジュリエッティのことなんです……彼女を、ジュリエッティを助けてやってください!」


 だが、またしても予想外なことに、彼の口から出た願い事というのは、ヴァレンチーノ氏と同じジュリエッティ嬢のことだった。


「彼女の肺病がよくないことは素人の俺にもわかります。もう、ジュリエッティの命を助けられるのは先生しかいないんです! どうか、どうかジュリエッティを助けてやってください! 今はないですが、お金ならどうにかしていくらでもお払いします!」


 まあ、毒薬製造の依頼でなくてよかったが、反面、むしろますます疑問が深まってしまった。


 父親のヴァレンチーノ氏ならともかく、なぜ宿敵であるカラッカラー家の御曹司がジュリエッティ嬢の治療を頼んでくるのだろうか?


「ちょ、ちょっと待ちたまえ! カラッカラー家の君がなぜヴィスケッティー家のご令嬢の身を案じるのかね?」


 藁をもすがるという勢いで必死に請い願うその青年に、イサークは彼を手で制すると、訝しげな顔色を浮かべて再び問い質す。


「そ、その……俺とジュリエッティはお互い想い合っている仲なんです」


 と、ロメロット青年は、思いの外にロマンチックな答えをイサークに返したのだった。


「君と、あのヴィスケッティー家のお嬢さまが?」


「いや、信じられないのも無理はありません。俺の家と彼女の家は犬猿の仲ですからね。でも、好きになってしまったんだから仕方がない。家の都合だのなんだの、そんなもの恋には関係のないことなんです!」


 驚くイサークの口を今度はロメロットが手で制し、さらに詳しく彼女とのなり初めを語り始める。


「まだ俺達がベローニャンを追放される前の話です。とはいえ当時から対立関係にあった帝国派の内情を探るべく、俺はヴィスケッティー家で開かれたパーティーにこっそり忍び込みました。そこで、ジュリエッティと出会ったんです。お互い一目惚れでした」


 まあ、性格はともかくとしてかなりの美人ではあるし、中身を知らなければ一目惚れするのもわからなくはないけど……。


「でも、彼女に恋をしたのは見た目からだけではありません。むしろ、その純真で健気なところをなんとも愛おしく思ったんです」


「じゅ、純真で健気!?」


 だが、こちらのイメージとは相反することをロメロット青年は言い出し、僕は思わず声をあげてしまう。


「いや、世間で彼女がどう思われているかは俺もよく知っています。でも、みんなジュリエッティのことを誤解してるんです。彼女があんな振る舞いをしているのも、すべてはヴィスケッティー家の令嬢として、誰にもあなどられたりすることのないよう、常に気高くあろうとしているからなんですよ!」


 図らずもツッコミを入れてしまう僕に、ロメロットもその評判は充分理解しているらしく、それを踏まえてなお彼女のことを擁護する。


「気高く……ねえ……」


「確かに先程は先生達に失礼な物言いをしていましたが、あれにも深い事情があるんです…ああ、じつはあの時、俺もバルコニーで話を聞かせてもらっていました」


 またも無意識に心の声を口に出してしまう僕だったが、それを受けてロメロットは、今度も驚くべきことをさらっと言ってみせてくれる。


「えっ!? じゃ、じゃあ、もしかしてあのカーテンに映ってた人影って……」


「なるほど。あれは君だったか……」


 これまた驚くべき新事実ではあるが、僕らは大きく目を見開く一方、それで得心がいったところもあったりなんかする。


「あの時、俺はジュリエッティに一目逢いたくて、城へ潜入すると壁伝いにバルコニーへよじ登っていたんです。今夜、久しぶりにベローニャンへ帰ってきたのも彼女に逢うためでした。でも、そうしたら先生達の話す声が聞こえてきて……」


 そうか。あの壁に絡まる蔦の葉っぱがちぎれていたのも、彼があれを使って壁を登ったためだったんだ……で、僕らの話を盗み聞きして、ヴァレンチーノ氏が娘の治療をイサークに頼んだことを知ったわけだな。


 続けて状況を説明するロメロットに、僕はすべての謎が解けて合点がいった。


「ま、そんなわけで話は聞かせてもらいましたが、あれは彼女の本心じゃありません。わざとあんな失礼なことを言って、先生が魔導書による治療を断るよう仕向けたんです」


「断るよう仕向けた?」


「はい。それもまたヴィスケッティー家の…そして、父親を守るためです。以前、俺も彼女の病状を心配して、魔法修士に頼ることを勧めたことがあります。でも、その時もやはり彼女はそれを拒みました」


 怪訝に白い眉をひそめ、短く聞き返すイサークにロメロットは過去の出来事を語って聞かせる。


「あれも今夜と同じように、こっそりバルコニーで逢っていた時のことでした。もっともその時はヴェノッキオ城ではなく、当時彼女が住んでいたヴィスケッティー家の邸宅でしたが――」

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