Ⅶ 病床のご令嬢

Ⅶ 病床のご令嬢(1)

 その後、僕らが案内されたヴィスケッティー家の邸宅は、家というよりは最早、だった。


 淡いオレンジ色の煉瓦でできた高い城壁で四方を囲まれ、堀を渡るための跳ね橋や物見のための塔なども備えている。


 それもそのはず。この建物は〝ヴェノッキオ城〟といい、歴代〝ベローニャン大公〟を称する者達が住居としてきた城塞なのだ。


 宿敵カラッカラー家を追放した後、名実ともにベローニャンの支配者となったヴィスケッティー家も、自身の邸宅からこちらへ移り住んだという次第である。


「――ようこそお越しくださいました! パラート・ケーラ・トープス先生」


 その城のこれまた豪華な応接室で、当主のヴァレンチーノ・ヴィスケッティーは僕らを歓喜して出迎えた。


 天井にはウェネティアーナ・ガラスのキラキラ輝くシャンデリアが下がり、美しい壁紙の貼られた室内は古典回帰運動リグレッシォネを代表する芸術家達の絵画や彫刻作品で飾り立てられている。


 そのまさにウィトルスリアの宮城と呼ぶに相応しい瀟洒な部屋の中で、ヴァレンチーノ氏は両腕を大仰に広げ、イサークの来訪を熱烈歓迎する。


 がっしりとした体躯にスリットの入った濃青のプールポワン(※)と白タイツ、キュロット(※カボチャパンツ)をお洒落に着込み、長い巻き毛は水色のリボンで束ねると、彫りの深い顔には威厳に満ちた口髭を蓄える、やはり典型的なウィトルスリア貴族といった風貌の人物だ。


そういえば、執事も青色の衣服を身に着けていたし、この色がヴィスケッティー家を象徴するパーソカラーなのかもしれない……。


「さあ、どうぞ。よろしければ、まずはお茶でも」


 カモミールの良い香りのするティーポットを侍らせたメイドに持たせ、ヴァレンチーノ氏は僕らにソファへ座るよう促してくれる。


「いや、お気持ちだけで。それよりも、診てもらいたい患者というのは……」


 だが、手を前に出してそれを制すると、イサークは早々に本題を切り出した。


「あ、はあ……じつは、診てもらいたいのは我が娘、ジュリエッティなのです」


「ご令嬢を? ……白死病というわけではないのですな?」


 ヴァレンチーノ氏の答えに、白い眉をひそめてイサークはさらに尋ね返す。


「はい。幸いなことに白死病の感染は免れましたが……いや、むしろ白死病ならばまだなんとかなったやもしれません………あの子の母親もそれで数年前に亡くなったのですが、娘も我が妻同様、以前より重い肺病を患っているのです」


「肺病? ……なるほど。それで私を……」


 不意に悲痛な表情になって答えるヴァレンチーノ氏のその言葉に、イサークも僕も、彼がなんでわざわざ僕らを呼び寄せたのか? その理由をようやくに理解した。


 もし仮にこれが白死病だったならば、特にこの町の為政者である彼の娘は、優先的に魔導書の魔術を使って魔法修士に治療してもらえたことだろう。


 だが、国をも滅ぼしかねない流行病ではなく、個人的な肺病となればずいぶんと話は違ってくる……たとえどんなに恐ろしい不治の病であろうとも、また、どんなに身分の高い人物であろうとも、禁書である魔導書を個人的な理由で使用することは原則・・禁じられているのだ。


 もっともそれはあくまで表向き・・・であり、密かに大金を積んだり、権力に任せて道に外れた魔法修士を使う王侯貴族も少なくはないが、ヴァレンチーノ・ヴィスケッティーの場合はさらにその立場がよくなかった。


 彼は帝国派――即ち、プロフェシア教会を統べる預言皇庁と敵対する派閥の有力者である。


 べローニャンの一大事に白死病対策では協力したものの、この地の教会とは微妙な対立関係にあるのだ。


 娘の治療を頼んだところで聞いてくれるかどうかは難しいところだし、むしろそれを突き入る隙と敵に捉えられ、「魔導書を無許可で使用しようとした異端的行為」として摘発すらされかねないのである。


 殊に今のベローニャンは皇庁派の重鎮・カラッカラー家が追放され、潜伏した皇庁派は巻き返しの機会を狙っている……いくらかわいい娘のためとはいえ、おいそれと魔法修士を頼ることはできないのだ。


 ……だが、そうなると、ある一つの懸念が僕らをますます不安にさせる。


 彼がイサークを頼ってきたのは名医だからというだけでなく、もしかして、べローニャンの白死病終息に魔導書の魔術を使ったことを疑っているのではないか? という懸念である。


「今度の白死病を収めた見事な手腕……失礼を承知でお訊きします。ひょっとして先生は、治療に魔導書を使ったのではございませんか?」


 その懸念は現実のものとなった……意を決して尋ねるヴァレンチーノ氏に、イサークも僕も、内心、ドキリと心臓を鷲掴みにされたかのような感覚を覚える。


「ハハハ…悪い冗談ですな。まさかそんな、魔法修士でもない私が禁書の魔導書を使うなど……無論、持ってもおりませんよ」


 そんな心の内をひた隠し、わざと笑い飛ばしたりもなんかして誤魔化そうとするイサークだったが。


「いや、咎めるつもりは毛頭ないのでご安心を。むしろ、そうであってくれたならばどんなに頼もしいことか……他に治療法のなかったあの白死病を抑え込んだ先生の薬、悪魔の力を借りたものとしか到底思えません。どうか、どうかその魔術で我が愛しき娘も治してはいただけませんか?」


 ヴァレンチーノ氏は首を横に振ると、逆にその異端行為を歓迎するかのような口ぶりで、再度、愛娘の治療をイサークに請い願う。


「なに、ただ幸いにも調合した薬がよく効いただけのことですよ……ですが、医者として目の前の患者を見過ごしにするわけにもいきますまい。ともかくも診させてはいただきましょう」


 とはいえ、簡単に魔導書の使用を認めることはさすがにできない。イサークは再びはぐらかすと、ヴァレンチーノ氏を納得させるためにもその肺病だという娘を診察することにした――。




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