Ⅵ 町の支配者

Ⅵ 町の支配者

 ベローニャンの白死病を封じ込めてから数日、僕とイサークはまだ、この古代イスカンドリアの遺跡が点在する美しい町に留まっていた……。


 感染者が再び出てぶり返す可能性もあったので、念のために宿屋へ泊まって様子を見ていたのだ。


 それにしても、同じ町なのに病魔に覆われていたつい先日までとは打って変わり、今のベローニャンは活気に満ち溢れている。


 街の通りには賑やかな喧騒と共に大勢の人々が行き交い、市場もこの前訪れた時とは大違いに明るい声が木霊している。


 なんだか、前までは灰色だった街に鮮やかな色が付いたような、そんな感じだ。


 また、病魔から解放され、生命力を取り戻したベローニャンの人々は、みんな親切で明くる陽気な、とってもいい人達ばかりだった。


「――パラート先生、こいつぁ奢りです。どうぞ、マルコの坊ちゃんと一緒に食べてくだせえ」


 宿屋の一階にある酒場で夕飯を食べていると、不意にご主人がイサークの偽名・・を呼んで、ベローニャン名物の赤ワインで煮込んだ豚肉入りのリゾットをサービスで出してくれる。


「あ、いや、毎度悪いですよ。せっかくなんでいただきますが、お代はちゃんと払いますんで」


「何言ってるんですか。先生はこのベローニャンの救世主、守護天使でさあ! リゾットの一杯や二杯でこのご恩は返しきれませんぜ。この〝カヴァッロ(※馬肉)〟のコンビーフも召し上がってくだせえ!」

 

 食事の度にそんな感じなんで、イサークが手を前に突き出して遠慮をするが、ご主人は豪快な声を大きく店内に響かせ、これもまた名物の馬肉料理を手にそう言い返してくる。


「そうですよ、もし先生がいなかったら、あたし達全員、今頃、土の下で仲良く永遠の眠りについてたんですから!」


「その通りでさあ! あっしもワインを奢らせてもらいますぜ!」


 また、給仕の娘さんや酒場にいた他の客達からも、次々にイサークへの感謝と賞賛の声が湧き起こる。


 まあ、こんなにも親切にしてくれるのは、やはりイサークが白死病からベローニャンを救ったからなんだけど、それを差し引いてもやっぱりこの町の人達は基本、善良な人間であるのだろうと僕は思う。


 でも、そうした善良な人々ですらも、国家や社会の仕組みなどという大きな世の中の流れの前では、時として恐ろしい狂気と憎悪の渦中へと向かわされてしまうものなのだ……。


「い、いやあ、気持ちはありがたいのだが、ほんとそんなにしてもらっては悪いんで…」


 なおもサービスの品を追加してくる宿のご主人に、白い眉をひそめたイサークが困り果てているその時だった。


「パラート・ケーラ・トープス先生はこちらにいらっしゃるか!?」


 突然、そんな張り上げた男の大声が酒場内に木霊したのである。


 その声に僕らやご主人、給仕の娘さん、それに他の客達も一斉にそちらを覗うと、入口にはたいそう立派な身形みなりをした中年男性が堂々とした態度で立っていた。


 黒い巻き髪に立派な髭を蓄え、濃青のシルクのジュストコール(※ジャケット)とキュロット(※カボチャパンツ)、やはり青の羽根付き帽子を被った、いかにも上流階級と思しき人物だ。


 背後には、 キュイレッサー・アーマー(※胴体部だけを覆う今風の鎧)とモリオン(※帽子状の兜)を身につけた護衛の兵士も二人、当然のように従えている。


 その男を見た瞬間、店にいた僕ら以外の全員にピンと張りつめた緊張の走るのがわかった。


 彼らの顔は強張り、畏怖とも警戒とも、あるいは憎悪ともとれるような視線を突然の闖入者達に注いでいる。


「私がそのパラート・ケーラ・トープスだが、何か御用かの?」


 そのただならぬ空気に気づいたイサークが、皆に迷惑がかかる可能性を懸念して早々に名乗り出た。


 もしかしたら、魔導書の無断使用がこの町の為政者にでもバレたのか?


 そんな不安を抱き、僕も椅子に座ったまま密かに身構える。


「おお! あなたが評判に聞く名医の……私はヴィスケッティー家の執事、ティボリィ・クロッカスと申します。我が主人がぜひともあなたにお頼みしたいことがあると。どうぞ、我らとともにヴィスケッティー家の屋敷までおこしいただきたい」


 イサークの問いにそう答えた男の言葉で、店の者達の緊張の理由が僕らにもすぐにわかった。


 ヴィスケッティー家――この町に住む者ならば、その名を知らない者はまずいないだろう……それは現在、このベローニャンの町を支配している有力貴族の名前だ。


 ベローニャンは神聖イスカンドリア帝国を構成する領邦(※王国にみたない小国)の一つで、自治権を認められた都市コムーネである。行政的には寡頭かとう制をとっており、限られた幾人かの有力貴族による合議ですべてが決められている。


 その内でも一人頭抜けて、最も力を持っているのがヴィスケッティー家だ。最早、この都市の〝大公〟と称しても過言ではない。


 少し前まではカラッカラー家という、それに対抗するだけの力を持った貴族がもう一つあったらしいが、〝帝国派〟と〝皇庁派〟の争いに敗れ、皇庁派のカラッカラー家はベローニャンの町から追放の憂き目にあってしまったようだ。


 ちょっと政治的にややこしい問題が絡んでいるので、ここで少し説明を入れておこう……。


 〝帝国派〟と〝皇庁派〟というは、そもそもこのウィトルスリアとガルマーナ地方における世俗の最高権力者・神聖イスカンドリア帝国皇帝と、その叙任権(※皇帝に任命する権利)を持つ霊的な最高権威・プロフェシア教会の預言皇の対立に端を発するものだ。


 この遥か昔に起こった叙任権を巡る対立で、皇帝側についた者が〝帝国派〟、預言皇側についた者が〝皇庁派〟と呼ばれたが、お互い聖俗両界の支配者として代を重ねるごとにその諍いはなおも続き、双方どちらの側につくかで各都市間において、または一つの都市内部でも、貴族達の権力闘争とも相まって、その争いは根深く人々の分断を生んでいた。


 それはこのベローニャンにおいても他人事ではなく、帝国派が勝利したことでそのリーダーであったヴィスケッティー家がこの町の権力を掌握し、敗れた皇庁派のカラッカラー家とその一派は粛正されたというわけである。


「頼みごととはいかなるものですかな? 私は一介の医者ですから、できることには限りがあります」


 その、今や逆らう者のいない天下のヴィスケッティー家の郎党に、警戒の眼差しを送りながらイサークは抑えた声で尋ねる。


 魔導書絡みの件もあるが、権力闘争に明け暮れる貴族達は、政敵にを盛って暗殺するのも日常茶飯事と聞く……それに、イサークの薬学の知識を利用される懸念だってある。


「いや、まさにそのお医者様のお力が必要なのです。ここでは詳しく申せませんが、先生に診ていだきたい患者がいるんです。どうか、私どもをお助けください」


 だが、僕らの懸念を他所よそに、そのティボリィ・クロッカスと名乗ったヴィスケッティー家の執事は、医者に頼むには至極まっとうな依頼をその口にする。


「患者? ……白死病が終息した今、その件でもなさそうですな……うーむ。わかりました。お役に立てるかどうかはわかりませんが、とりあえずお話をお伺いしましょう」


 ここで断るのもむしろ厄介事を招きかねないだろう……そう考えたイサークは、ともかくも、この町の支配者から遣わされた使者におとなしくついて行くことにした――。

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