Ⅴ 死神の町(2)

 これまたいつものように、イサークの白いローブと僕の黒いマントには、左胸に金の五芒星ペンタグラム、右裾に仔牛の革製の六芒星ヘキサグラム円盤が着けられ、二人して手に魔法杖ワンドを握っている。


 イサークが一人で儀式をすることももちろん多いが、こうして機会のある時は、僕を伴って行うこともまた、重要な実践魔術の勉強の場となっているのだ。


 魔法杖ワンドとともに、対象とする悪魔の印章シジルが描かれた銀製の〝ペンタクル〟をもう一方の手に掲げ、イサークは召喚呪文の内の〝通常の呪〟を連続して唱えてゆく……。


「霊よ、現れよ! 偉大なる神の徳と知恵と慈愛によって、我は汝に命ずる! 汝、ソロモン王が72柱の悪魔の内序列5番、地獄の大総裁マルバス! ……霊よ、現れよ! 偉大なる神の徳と知恵と慈愛によって…」


 僕も魔法杖ワンドを宙に突きつけてイサークに声を合わせ、そうして幾度となく、二人して厳かに〝通常の呪〟を唱えていると……。


「――霊よ、現れよ! 偉大なる神の徳と知恵と慈愛によって…」


「ガオォォオォーン…!」


 どこからともなく、腹に響くような重低音の、恐ろしい猛獣の咆哮が響き渡る……。


 見れば、魔法円の前方に描かれた〝深緑の円を内包する三角形〟の上に、モクモクと真っ黒な煙がいつの間にか立ち上っている……そして、その煙が徐々に大きくなっていくの見守っている内に、その中からは口元を真っ赤な鮮血に濡らし、黒いたてがみを持った一頭の大きな獅子ライオンが姿を現した。


「マルバス! 来てくれたか! そなたに頼みたいことがある!」


 だが、その突如として現れた猛獣にも臆することなく…いや、むしろ旧知の仲のような親しげな様子でイサークは声をかける。


「なんだ、イサークか。どうした? 我が友よ。そのように神妙な顔をして何か重大な要件か?」


 すると、獅子ライオンの方も野太い声で馴れ馴れしくそう言葉を返し、その獰猛な獣の身を金色の肌に黒髪をツンツン逆立てた大柄の男へと変貌させる。


 だが、それは完全な人間の形ではなく、両足の先は割れたひづめになっているし、目を凝らせば全体的に半分透けて見える……。


 その異形は魔導書『ゲーティア』に記される、伝説のダーマ人王ソロモンが使役していたという72柱の悪魔の一人、〝地獄の大総裁マルバス〟である。


 医者という職業柄、鉱物や薬草に通じた序列31番〝探索者の総統フォラス〟同様、病気や薬学を司るこのマルバスもよく召喚しているため、イサークとは悪魔と人間の召喚者という、むしろ対立軸と呼べるような立場を超えて、なんとも奇妙な親しい関係にあるのだ。


 ちなみに医学や薬学に関していえば、序列6番・盗賊の公爵ヴァレフォールも精通しているが、こちらは窃盗癖がある上に召喚者もその道へ引きずりこもうとするため、フォラスやマルバスと違ってけっこう扱いづらい。


「ん?……いや、この辺りに充満する濃密な死の臭い……そうか、白死病か……貴様達人間には悪いが、我ら悪魔にしてみれば格好の収穫時期・・・・だな……」


 ともかくも、そんな人間の友人に要件を尋ねるマルバスであったが、さすが悪魔、この町を覆うその死神の気配に気づき、イサークの召喚目的も大凡おおよそのところをなんとなく察する。


「残念ながらその通りだ。今、この街は滅亡の瀬戸際にある。どうか、そなたの力で病魔から人々の命を救ってほしい」


 対してイサークは、悪魔に頼むには不似合いな、むしろ神や天使に願うような頼みごとを続けてその口にする。


 もっとも、それらの存在の区別は人間が勝手に決めた極めて恣意的なものであり、その本質はほとんど変わらないことを、イサークや召喚した悪魔から学んで僕は知っているのだけれども……。


「ま、白死病だからな。一度ひとたび流行すれば、町一つ滅ぶなんてこともわけはない……いいだろう。他でもないおまえの頼みだ。その願い、特別に対価なしで引き受けてやろう」


 いつになく懸命なイサークの頼みに、意外にもあっさりと、マルバスは首を縦に振ってくれた……かのように思えたのだったが。


「……と、言いたいところだが、今回は数が数だ。全員を救うとなると、さすがに対価なしでとはいかん。俺も悪魔なんでな。その決まりをそうそう破るわけにもいくまい。もし願いをかなえたくば、おまえの魂を…いや、それでも足りんから、そこの坊主の魂も一緒にもらい受けることになるが、それでもよいか?」


「えぇっ…!?」


 続けてそう告げると、爛々と光るネコ科の眼でこちらを睨む悪魔に、僕は思わず頓狂な声をあげてしまう。


 〝悪魔との契約〟において、こうして悪魔が交換条件を突きつけてくることは何も珍しいことじゃない。むしろ、それが自然な形といえるだろう。


 それを神の威光なり、悪魔が苦手とする印章シジルの力なりでどうにかこうにか言い含め、けして悪魔の口車に乗ることなく、条件なしで言うことを聞かせるのが魔術師の腕前であり、またイサークのように親交のある悪魔には融通をきかせてもらうという場合もあるのだが、さすがに今回のような大規模な願望になると、悪魔としてはそうもいかないらしい。


 それが、この世界の理――等価交換というものなのだ。


「無論、それは百も承知……そこで、相談だ」


 慈悲深く人道的なイサークのことだ。ひょっとして、人々を救うために自分と僕の魂を対価に差し出すのではないかとちょっと心配してしまったが、イサークはその返事もはなから織り込み済みだった様子で、むしろここからが本題というように話を続ける。


「まず、ここにある私の調合した滋養強壮と自然治癒力を高める丸薬にそなたの力を宿してほしい。そなたに求めるのはそれだけだ。その薬を患者達に投与するが、それで助かる者はよし。それでも治らなかった者は、残念だが諦める。それならば、大した望みではないであろう?」


「…………!」


 イサークの導き出したその代替案に、正直、僕は驚いた。イサークのことだから、ぜったい全員を助ける道を選ぶと思っていたからだ。


 だが、すぐに僕はその考えを改める……それは大学者として、あるいは大魔術師として、常に論理的思考で行動するイサークにはむしろ相応しい選択といえるかもしれない。


 時に、犠牲を払わねばなし得ないことというものがある……それが、より大きな成果を求めるものであるのならば、なおさらだ。


 この世の中は、0か? 100か? ではなく、ほとんどの場合がその間なのだ。


 それに、時間的な問題もある……。


 悠長に一人々〃治していたのでは、その間に何人が病状悪化して死に至るか知れたものではない……彼の考えたこの方法が、現状では最良ベストではなくとも最適ベターなのだろう。


「対価というのであれば、助からなかった者の内の悪業を積んできた輩の魂を持って行けばよい。悪人ならば、遅かれ早かれ死後はそうなるのだからな。無論、本人の了承なしに他者の魂を対価には使えんが、ま、力を宿した薬を配ることでその者をそなたも感知できるゆえ、地獄行きの魂を斡旋してやったということで手を打ってくれ」


 さらにイサークは、そんなやや屁理屈ともいうべき詭弁を弄して、駄目押しとばかりに悪魔マルバスの説得を試みる。


「うーむ……まあ、それならば特に支障はないか。つまるところ、俺が為すのはお主の薬に細工をするだけなのだからな。少々、量が多すぎる感はあるが……よし。その願い、聞き入れてやろう」


 太い筋肉質の腕を組み、眼を瞑ってわずかに思案した後、イサークの作戦と弁舌が功を奏したらしく、マルバスは大きくうんと頷いた。


「そうか! それは助かる。この礼は今度、旨い生ハムでも手に入ったら供犠に供えよう」


「ふぅ……」


 悪魔の色良い返事に、イサークはパッと顔色を明るくして、僕もそのとなりで安堵の溜息を吐く。


「ほう。それは楽しみだ。ま、本来ならばこの魂の大豊作・・・・、邪魔はせずに獲り放題といきたいところなのだがな。それでも、助からなんだ者だけでも充分集められるゆえ、今回はそれでよしとしよう。ガハハハハハ…」


 すると、マルバスは獅子ライオンの眼を怪しく闇の中で輝かせながらそう嘯き、高笑いを響かせるとともに再び煙へと変化する……そして、魔法円の前方に安置するかの如く置かれていた丸薬入りの袋の中へ、まるで吸い込まれるかのようにしてその姿を消した。


「くれぐれも、獲ってよいのは悪人の魂だけだぞ~!  ……よし。これで最大の難関は突破できたが、大変なのはまだまだこれからだ。マルコ、この場を片付けたら、急いでこの薬を患者達に配って回るぞ!」


 悪魔が姿を消し、室内に再び静寂が戻ると、念のために注意をしたイサークは一仕事終えたといった様子で、だが、なおも気を抜かずに僕にそう声をかける。


「はい! 父さん!」


 その指示に、僕もいつものようにすぐさま返事をすると、後々面倒がないよう、床の魔法円を箒で掃いて消し始めた――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る