Ⅴ 死神の町

Ⅴ 死神の町(1)

 さて、そうして旅暮らしをする医者の親子もすっかり板に付いてきた頃、僕らはフランクル王国の南西、北ウィトルスリア地方にある〝ベローニャン〟という都市を訪れた。


 ウィトルスリアは、かつて古代イスカンドリア帝国の本国があった場所であり、また、古典回帰運動リグレッシォネの起こったそもそもの震源地でもある。


 今ではかつてのような大国は存在せず、プロフェシア教の総本山、サン・ケファーロ大聖堂のある預言皇庁領と、ガルマーナ地方と同じ神聖イスカンドリア帝国を構成する領邦国家(※公国や都市国家など)が点在する細切れ状態になっているが、それでも、どこの都市も街並みは美しく、商いや文芸運動も活発な、エウロパ世界でも文化の最先端を行く地であることはいにしえより変わっていない。


 ベローニャン市もその例に洩れず、ウィトルスリア第二の大河アデデ川の渡し場があり、街道交わる交通の要衝でもあったことから商業活動が盛んで、その一方、円形闘技場などの古代イスカンドリア時代の遺跡がいまだ方々に点在する、まるで現在と過去がモザイク画のように混ざり合った、なんとも不思議な街並みをしていた。


 だが、そんな美しくも活気あるベローニャンの町を突然のわざわいが襲った……〝白死病〟の流行である。


 白死病――それは、ネズミやノミなどが媒介する細菌によって健康な血が急激に減少し、全身に酸素を行き渡らせることができず、非常に高い確率で死に至る病だ。血の気が失せることで罹患者の皮膚が蒼白になることから、世間では広くそう呼ばれている。


 その高い致死率に加えて感染率も凄まじく、何十年に一度かの間隔で大流行を見せると、各国の人口を半分以下にまで減少させるなど、その度に甚大な被害を世界的な規模で与えていた。


 今回も、そんな白死病の悪夢がベローニャンの町を覆ったのである。


 きっかけは、例年以上に多くネズミが繁殖したことにあったらしい。


 穀物倉庫でのネズミの被害が問題となった秋の中頃、突如、一人の感染者が現れると瞬く間に市内全域へと病魔は拡がりを見せ、それを知った周辺の都市は巻き添えを食らわぬようベローニャンへ通じる道をすべて封鎖、商業活動も含めて一切の交流を絶った。


 おかげで他の都市への感染拡大は免れたものの、病魔に蝕まれるばかりでなく、経済的にも、また食料をはじめとする物資不足でもベローニャンが窮地に陥ったのは言うまでもない。


 それに、けっきょくこの年の冬にはベローニャンに限らず、ウィトルスリアばかりかフランクルやエルドラニア、北のガルマーナ地方に至るまで、エウロパ世界全域で同時多発的に白死病が大流行を見せ、ベローニャン封鎖はまったくの徒労に終わることとなるのだったが……。


 ともかくも、そんなベローニャンの噂を耳にしたイサークは、その惨状を見かねて白死病の治療に入ったのである。


 当時、イサークは偽名の〝パラート・ケーラ・トープス〟として、名医の評判がエウロパ全土に轟いていた。


 医療の知識や錬金術を応用した効能の高い薬に加え、こっそり行っている魔導書の魔術による悪魔の治療は、確かに万病を治すことができたのだ。


 その名声が通行手形代りとなり、イサークと僕は封鎖された街道の関所もなんなく通過するとベローニャン市内へと潜入した。


「――これが、白死病……」


「ああ、そうだ。白死病の恐ろしさは病それ自体の症状ばかりではない。その流行による二次、三次の被害により、社会が崩壊するところに真の恐ろしさがある……」


 死の町と化したベローニャン市街を呆然と見つめる僕に、教え諭すようにしてとなりに立つイサークが言う。


 そこには、まさに死の臭いが充満していた……。


 生きた人間の姿が見えない閑散とした街は静まり返り、よく目を懲らせば点々と、白蠟のように白くなった人の死骸が行き倒れたまま放置されている……感染を恐れて、住民達も下手に手が出せないのだろう。


 もちろん、街の為政者達も対処していないわけではなく、役人が荷馬車で回ってそんな遺体を集めてはいるのだが、いかんせん人手が足りないのだ。


 また、必要不可欠な食料を売っている市場にも重たい鉛のような暗雲が垂れ込め、本来なら活気に溢れているであろうこの場所においても、葬儀の只中かと錯覚してしまうほどに人々の表情は暗かった。


 教会に付属する墓地には真新しい土饅頭だけの墓が溢れ返り、静寂に包まれた町の空には、死者の冥福を祈る鐘の音だけがひっきりなしに響き渡っている……。


「よし、まずは病原を断つところからだ。マルコ、おまえはその子・・・達を市中に放ってから、調合した殺鼠剤をネズミのいそうな所にばら撒け」


「はい、父さん! さあ、みんな、ここならご馳走食べ放題だ。しっかり仕事をするにゃん!」


 イサークの指示に僕は大きく相槌を打つと、背負っていた籠を下ろし、中に入っていた猫達に激励の言葉をかける。


「ミャー! ミャー…!」


 お腹が空いているのか? 元気よく鳴き声をあげるその猫達は、ネズミ駆除のために来る道すがら集めてきたものだ。


 保守的なプロフェシア教徒の中には、猫が魔女の使い魔だという迷信を信じて迫害する者もおり、ネズミの天敵を排除するそのことが、白死病流行の一つの原因ともなっていた。


 そこで、彼らの類い稀なる狩猟の腕と遊びたくてしかたない欲求をお借りして、白死病の病原となっているネズミを一掃しようという算段である。


 もちろん、ニャンコ達に頼るだけじゃなく、イサークが錬金術用に持っていた鉱物を原料に作った殺鼠剤を、僕が町中駆け回って仕掛けたりもしたんだけどね。


 さて、そうしてネズミ駆除の仕掛けが済むと、いよいよ僕らは白死病患者の治療を開始した。


 これまで同様、イサークの調合したよく効く薬と、こっそり魔導書の魔術を併用しての治療だ。


 特に白死病の場合、強大な悪魔の力を用いなければ、急速に悪化するこの病から命を救うことができないのである。


 もっとも、治療に魔導書を使っているのはなにもイサークだけではない。


 魔法修士は公式に魔導書の使用を許可されているため、こういった社会の崩壊を招くような流行病の際には、その悪魔の力を用いて治療に当たることになっている。


 だから、この街の修道院に所属する魔法修士も投入されているのだが、圧倒的に数が足りないのである。


 とてもじゃないが急速な感染拡大には追いつかないし、それにその恩恵に預かれるのは、一部の貴族などの街の有力者と教会関係者だけである。


 もしも、自由に魔導書を使えたならば、もっと多くの者が治療に当たることができ、こんなにも犠牲を出さずに感染拡大を食い止められたのだろうに……。


 だが、現実はそうじゃない。数少ない魔法修士と幾許かの助けにはなる町医者、そして、非合法に魔導書を使うイサークと僕とでなんとかするしかないのである。


「想像以上に多いな。これだけの数、さすがに全員を悪魔に治させるわけにもいかん……やむをえん。効果は薄れるが戦法を変えよう。マルコ、すぐに召喚の儀式だ。悪いが空き家・・・を使わせてもらおう」


「はい! 父さん!」


 人助けをするというのに、教会公認の魔法修士とは違って非合法に魔導書を使うイサークは、彼らと共に大手を振って堂々と魔術による治療ができないのはもちろんのこと、人に見つかれば所持してるだけでも罪に問われてしまう……そこで、僕らは付近に誰も住んでいない家を探すと、申し訳ないが勝手に上がり込んで悪魔召喚の儀式を行うのに使わせてもらった。


 なんとも皮肉なことに、一家全員白死病で命を落としたり、他所へ避難した家もけして珍しくはないため、ちょうどいい空き家はすぐに見つかった。


 どうやら帽子職人の家だったらしい、そのひっそりと静まり返った白い土壁の家へ上がり込んだ僕らは、すべての窓の木戸を閉め切り、専用の香を焚き込めると、儀式に相応しい環境を整える……。


 通常、賑やかな街中は召喚儀式に不向きなのであるが、人気ひとけがなく静寂に支配されたこの街の状況も、今の僕らには幸いした。


 そのどこの誰なとも見知らぬ人の家で、帽子の製造が行われていた作業場を片付けて広い空間を作ると、その土間の床にイサークは慣れた手つきで、とぐろを巻く蛇の同心円と五芒星ペンタグラム六芒星ヘキサグラム、そして三角形を組み合わせた複雑でカラフルな〝魔法円〟を素早く描く。


 今は亡き故国スファラーニャから脱出する際にも使ったし、便利なのでよく利用されている、魔導書『ゲーティア』にあるいわゆる〝ソロモン王の魔法円〟だ。


「よし、始めようか……」


 続いて、指定の位置に置かれた蝋燭と香炉にも火を点け、薄暗い部屋に甘ったるい煙が充満していくその中で、僕とともに魔法円の中央に立ったイサークは、いつもの如く悪魔召喚の儀式を開始した。

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