Ⅲ 戦場の逃避行
Ⅲ 戦場の逃避行(1)
今は使われていないその古井戸、じつは秘密の地下道の入口であり、城壁の下を通って城外へ出られるようになっていたのだ。
「へえ〜……こんなとこに出るんだあ……」
松明を持ったイサークについて真っ暗な隧道をしばらく進んで行くと、出口はアルカスティージョラ城が建つ丘陵の森の中、粗末な石造の猟師小屋の中にあった。
蓋になっている床石を外し、階段を登って屋内に出た僕は、最初、カビ臭く廃墟然としたその狭い空間に、そこがどこなのかまるでわからなかった。
でも、朽ちかけた木のドアを開けて外へ出ると、なんだか見慣れた感じのする新緑の風景と、どこか懐かしいそよ風の運んでくる草木の香りに、そこが丘陵に広がる森であると直感的に理解した。
時折、イサークとともに薬草を摘みに来たり、大きな狩猟の催しなどで父母や兄弟姉妹達とともに訪れたことのある場所だ。
「この丘の上まではしばらく敵の手も及びますまい。ここから山道を通って王都を出ます。しんどいでしょうがしばしのご辛抱を」
そんな言葉をかけるイサークに促され、僕は森の中の道を速足で歩き続けた。
涼やかな木陰に降り注ぐ暖かな木漏れ日と、そよ風に揺れる緑の樹々に時折聞こえる小鳥の
そのためか、確かに体力的にはきつかったが、なんだか野山を散策でもしているような心持ちで、これが父母や故郷との今生の別れになるなどとは思ってもみなかった僕としては、内心、むしろ楽しかったといっもいいくらいである。
だが、森を抜け、ちょうど眺望のよい崖の上にさしかかった時のこと……。
ドォォォーン…! と雷でも落ちたかのような轟音と振動が、眼下に広がるグランダルシアの街から聞こえて来た。
「城門が破られたか……」
その音にイサークは崖の端に駆け寄り、僕も後について近づくと、そこから街の様子を遠望する。
すると、街のあちこちから炎と煙がごうごうと立ち上り、大砲のものと思われる地響きのような轟音も、一定の間隔を空けて絶えず響き続けていた……。
さらに耳をすませば、微かに馬の嘶きや兵のあげる雄叫びなんかも聞こえてくるような気がする……。
それまでは、王都を取り囲む城壁によって防いでいた敵軍勢が、いよいよそれを越えて王都内へなだれ込んで来たのだろう。
敵軍に破壊され、燃え上がる故郷の街……今、見ているこの景色が実際のものなのかそれとも悪夢なのか? なんだかわからなくなってしまうような現実味のない光景だ。
「父上……母上……」
それでも、幼い子供ですら尋常ならざる状況だと一目でわかるその情景を前に、ここへきて、ようやく僕は離れ離れになった父母や家族のことが心配になってきた。
「これでいよいよ勝負は決しました。我が国の残存兵力もそう長くはもちますまい……完全に王都が占領される前に脱出しなくては……急ぎましょう」
そんな僕の呟きを気にかけることもなく、イサークは独り言のようにそう告げると、再び僕を連れて険しい山道を歩き出した――。
そのような猟師ぐらいしか使わない、人里離れた山道を行ったことが功を奏したらしく、僕らは敵に見つかることなく、王都グランダルシアを脱出することができた。
しかし、それ以降に見た地方の光景は、山から見た王都の街以上に凄惨なものだった……。
敵軍に焼き払われ、いまだ燻る赤い炎と細い黒煙が風にたなびく、瓦礫の山と化した行く先々の街や村……戦場となった荒野の大地は砲弾の雨によって穴ぼこだらけとなり、敵味方ない混ぜに無数の屍が方々に投げ出されている。
「――ハァっ! 急げっ! 王都はすでに落ちたぞ!」
また、時に進軍する敵と遭遇し、壊れた家屋の壁の背後で息を潜めながら、大気を震わす馬の蹄と甲冑の奏でる耳障りな騒音の通り過ぎるのをじっと待つこともあった。
「――パパぁ〜っ! ママぁ〜っ!」
あるいは、戦火に巻き込まれて破壊の限りを尽くされた街の跡で、生き別れた父母を探す、僕よりもまだ幼い女の子と遭遇するようなことも……。
「先せ…父さん。あの子、親とはぐれちゃったみたい。一緒に探してあげましょう!」
泥と煤まみれになったボロを着て、三つ編みのおさげもボサボサに泣きじゃくるその姿に居た堪れず、歩みを止めないイサークに僕は助けを求める。
「いえ。おそらくあの子の両親はもう……それに、今の我らに
だが、イサークは険しい顔で首を横に振り、その子を無視してさっさと先を急ごうとする。
「でも……ほんのちょっとだけ待ってて!」
イサークの言う理屈も子供ながらになんとなくわかったが、それでも納得のいかなかった僕は、そう断りを入れてから女の子のもとへと駆け寄った。
「あ、あの、これ……よかったら食べて……」
そして、マントの下の肩掛け鞄から、お弁当用に入れておいたパンを一つ、取り出して彼女に手渡す。
両親の捜索は手伝えなくとも、せめて何かしら救いの手を差し伸べなくては、人としての本性から居ても立ってもいられなかったのだ。
「……ひっく……うぐ……ありがと……もぐもぐ……」
どうやらお腹もとても空いていたらしく、女の子はもう何がなんだかわからないという顔をしながらも、本能のままにパンを受け取るとすぐに食らいつく。
「急がないと置いていってしまいますぞ〜!」
「ああ! 今いくよ〜! ……ごめんね。僕はもう行かなくちゃいけないんだ……元気出してね……」
イサークに急かされ、無心にパンへかじりつく少女にそんな言葉をかけると、僕は後ろめたさを感じながら彼女の前を走り去る。
「殿下、人としてその行いは正しい……ですが、今、この状況においては間違っております。この無慈悲な世界を生き抜くためには、時に非情にならねばならぬ時もあるのです」
呼ばれてイサークのもとへ走り寄ると、彼はいつになく怖い表情を僕に向けて、そう、お説教を口にした。
なんだか今まで見たことのなかった、僕の知らないイサークの一面を目にしてしまったような気がして、その後はしばらくの間、どこか恐怖にも似た感情を抱きながら、彼の大きな背中をずっと黙って追いかけていたように思う。
もちろん、いろいろな経験をしてきた今では、この時、イサークの言っていたことが至極当然の処世術であると身に沁みてよくわかっている……そんな彼の用心深さと、悪魔フォラスによる気配を消す加護が功を奏してか、僕らは幸運にも敵兵に捕まることなく、エルゴン・カテドラニア連合王国(※エルドラニア)領内へと通じる街道の国境線まで辿り着くことができた。
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