Ⅰ 亡国の王子(3)
「――海上も艦隊に封鎖されているか……エルドラニアの支配後は非プロフェシア教徒への迫害も行われよう。可能な限りアスラーマ教徒とダーマ教徒にはオスクロ大陸へ避難させたいのだが……」
玉座の間へ赴くと、甲冑姿で広間の中央に立つ父は家臣達と難しい話し合いをし、その後方でいつもは穏やかな微笑みを湛えている母も、この日ばかりは不安げな顔を見せて王妃の椅子に座っていた。
「父上〜! 母上〜!」
普段と違うピリピリとした空気を肌で感じながらも、久方ぶりに父母に会えた喜びから、僕はパッと顔色を明るくしてその側へと駆け寄る。
「……ん? おお! マルク。来たか」
「マルク……」
すると、気づいた父は僕の肩を両手で強く掴み、母も椅子から立ち上がると、慈しむような、あるいは哀れむような複雑な眼差しをして僕のことを見つめる。
「マルク、これから父が言うことをよーく聞くのだぞ? 悲しいことだが、我々はもうこの城に住むことができなくなった。その内、敵の軍勢がここへも攻め寄せくるだろう。その前に、おまえはイサークとともにこの国を出て、落ち着くまでしばらくは身を隠すのだ」
そして、跪いた父は僕の目を真っ直ぐに見つめると、ひどく真剣な口調で僕に言い聞かせるようにそう言った。
「このお城に住めない? ……敵をやっつけられなかったのですか? イサーク先生も戦ったのに?」
優しげな口調だが重苦しい父の言葉に、自分の国が戦に負けたことを僕はなんとなく理解した。
「うむ。残念ながらな。敵軍はあまりにも強大だった。それに、エルドラニアの艦隊と最新の火器の威力は想像以上だ……」
「殿下、一つ憶えておくとよろしい。確かに魔術の力は強大です。ですが、最終的に戦の勝敗を決めるのは現実の兵力であり、戦の腕なのです。いくら悪魔の力を用いようとも、この世の法則性を超えることは難しい……」
純真さゆえの無神経なその質問に、父はどこか淋しげな表情を浮かべてそう答え、傍に控えるイサークがいつもの勉強の時みたいにそれを補足する。
後にイサークから聞いて詳細を知ったが、エルドラニア・預言皇庁の連合軍に開戦当初から為す術もなく、我がスファラーニャ王国は大敗を喫したらしい……。
イサークの指導もあり、確かにスファラーニャ王国の魔術師団は有能であったが、魔導書の戦における有用性については敵方とて充分に心得ている。
禁書政策をとっているプロフェシア教国とはいえ、魔法修士は日々研究と修練を重ねていたし、それに狂信的な彼らの中には召喚魔術の禁忌――即ち、願いをかなえてもらう代わりに魂などの対価を悪魔に払う…という反則技に出る者もあり、その力は洗練されたスファラーニャの魔術にもけして引けをとるものではなかった。
そうして魔術的な技量が拮抗すれば、現実世界への影響力は相殺され、後は実際の兵力差と戦の得手不得手がものを言うことになる。
そうなると、兵の数に勝り、戦のやり方にも長けた敵軍を前にしてスファラーニャ王国軍はあまりにも非力だ。
エルゴン・カテドラニア連合王国――即ちエルドラニアはもともと軍事大国であったし、一方の預言皇庁は常備軍を持ってはいないものの、その権威と財力を後ろ盾に大量の傭兵を雇い入れており、その連合軍の兵力はゆうにスファラーニャ軍の三倍以上のものとなっていた。
また、長きに渡ってこのエウロパ南端の地をアスラーマ教徒から奪還する戦いに明け暮れていたエルドラニアは戦慣れしていたし、預言皇庁の傭兵団は戦を
平和を謳歌していたスファラーニャ王国の将兵とでは、たとえ魔導書の魔術を以ってしてもなんとも埋めがたい、歴然とした力の差が存在していたのである。
その上、近年飛躍的に発展を見せた造船技術を背景に、エルドラニアはエウロパ世界随一の強力な大艦隊を擁しており、進化したカノン砲などの火器ともども、それらはさらにスファラーニャを苦境に立たせることとなった。
陸と海の双方から同時に攻め込んできた大軍勢によって、我が祖国の地はなす術もなく、瞬く間に蹂躙されたのである。
「では、イサーク。マルクのことは頼んだぞ? 他の子らも亡命させる手筈は整えたが、国外脱出もすでに困難な状況だ。果たして何人が無事に逃げおおせられるか……末子のこの子はまだ追求の手が及ばない可能性が高い。イサーク、そなただけが頼りだ」
父は僕からイサークの方へ視線を移すと、事前に決めていたらしいその申し合わせについて念押しをする。
「マルク、達者でな。イサークの言うことをよく聞くのだぞ? 父も母も常に遠くからそなたのことを見守っておる……」
それから再び僕のことをじっと見つめると、これが今生の別れとばかりに熱を帯びた声でそう告げた。
「父上や母上は一緒に行かないのですか?」
いまだ状況をよく把握していなかった僕は、またも無邪気に怪訝な顔でそう尋ねる。
「父達にはまだやることがあってな。もうしばらくこの城に留まっておらねばならぬのだ。なに、後で迎えに行くゆえ、いい子で待っておるのだぞ?」
果たして本当にそのつもりだったのか? それとも、ただ僕を安心させるための嘘だったのか? そんな僕に父はそう言うと、小さな僕の頭を優しく大きな手で撫でてくれた。
「ああ、マルク……わたくし達の魂はいつもあなたとともにありますからね……」
続けて、母も僕の方へ歩み寄ると、膝を突いて強く僕を抱きしめる。
「は、母上…い、痛いです……」
あまりにも強く抱きしめものだから、白いドレス越しの腕に締めつけられて息もできない有様だったが、その苦しさとは裏腹に、これまでで一番、母の愛を感じられたような気がして、それどころではない状況だというのに、僕はなんだかとても温かく、なんとも嬉しい気持ちで満たされていた。
「お時間がありません。では、殿下、参りましょう」
別れを惜しむ父母と事態をよくわかっていない僕を、背後でイサークが急き立てる。
「うむ……ではな、マルク。さらばだ」
「マルク、何があろうと負けずに元気で暮らすのですよ」
イサークに言われ、目頭を熱くした父と潤んだ瞳を輝かせる母は、無理矢理僕を突き放すようにしてイサークの方へと押しやり、水っぽい声でそう言葉をかけてくれる。
「はい! 父上と母上もどうぞご健勝で!」
父の言葉通り、すぐにまた両親と再会できる……そう信じて疑わなかった僕は、いい子だと褒めてもらいたいたくて、どこかで憶えたそんな台詞を大人ぶって二人に返す。
「では、エイブラハーン王陛下、サラマリカ妃殿下、長きに渡りお世話になりました……」
そして、自らも心痛な面持ちで別れを告げるイサークに連れられ、熱を帯びた眼をうるうると震わせる父母の前を、僕はどこか誇らしげな心持ちで後にするのだった。
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