矢場杉栄吉の挑戦

lager

第19話

 光の中に、桜が舞っていた。

 白けた青空の元、あるかないかの風に乗って、はらり、はらりと、薄桃色の花びらが踊っているのである。

 桜木は見えない。

 それなのに、気づくと目の前を儚げな色をした花弁が舞い落ちていく。

 大空いっぱいに広がる陽の光が何かのきっかけで凝り、それが花びらと化して宙に現れているかのようであった。


 はらり。

 はらり。


 時折若葉の緑がそれに混じり、立ち上る砂煙の中に消えていく。


 はらり。

 はらり。


 狭い舞台の上で、二人の男が正対している。

 一人は小太りな中年の白人男性。頭頂部が薄くなったブロンドの髪も、身に纏う警察官らしき制服も、所々が血に濡れている。

 手には一振りの忍者刀。


 もう一人は日本人の青年。頭にはチューリップの髪飾り。唇にはダークピンクの口紅。爪先の丸いローファーと、レース模様のソックス。手にはパステルピンクのブラジャー。身に着けているのは、それで全てだ。

 ほほ、全裸である。


 はらり。

 はらり。


 風上に立つ警察官から全裸の青年に向け、緩やかに砂煙が流れていく。

 警察官は、手にした忍者刀を八双に構えた。その刀身は妖しく濡れ光り、その輝きに応じて、風に乗って舞い散る葉桜の勢いが増していく。


 それを見た全裸の青年は、静かに腰を落とし、手に握る70AAのブラジャーを鞭のようにしならせた。

 すると、青年の剥き出しの尻から、黒い靄のようなものが細い糸となって宙に浮かび上がった。その先には、掌ほどのサイズの古ぼけた匣が繋がっている。

 匣は目の前の忍者刀の輝きに対抗するように黒々と靄を吐き出し、青年の体を薄く覆い始めた。


 はらり。


 幻の花弁が舞う。


 じり、と。

 警察官がすり足を前へ進めた。

 一歩分、二人の距離が縮まる。


 全裸の青年に動きはない。

 ただ顔を伏せ、中腰を保ったまま右手に握るブラジャーを風に泳がせている。


 はらり。

 花弁が舞う。


 じり。

 距離が縮む。


 距離を詰めながら、警察官の男は、構えを八双から脇構えに移していく。


 はらり。

 じり。

 はらり。

 じり。


 そして、警察官の動きが再び静止した。

 己の得物の間合い、その一歩外。

 舞い散る葉桜を挟み、両者の眼前の空気が濃密に凝縮していく。

 滴る汗の一つ、衣擦れの音一つですらが発火点となりかねない緊張感。

 妖しの光が靄を払い。

 それを再び黒靄が呑み込む。


 警察官の瞳が全裸の青年の瞳を映し、その奥に自らの瞳を見た。


 刹那。


 その全てが掻き消えた。

 轟音。

 爆風。

 葉桜の幻影と黒々とした靄が吹き飛ぶ。

 その中心で、二人の男が鍔迫り合いをしていた。


 全裸の青年が握るブラジャーには、黒々とした靄がまとわりつき、まるで鋼の芯を得たように硬質化し、妖しの光を放つ忍者刀を正面から受け止めている。

 両者の腰は低く沈み込み、互いに相手をかちあげようと地を踏みしめている。

 額に青筋が浮き、噛みしめた歯から唾の泡が浮く。


 先にそれを崩したのは警察官だった。

 ひと際の剛力を込めて均衡した力場を僅かに押し、その反動が戻る隙を狙って、青年がブラジャーを握り締める拳の甲を取った。

 捻りを加えて体勢を崩し、がら空きとなった首筋へ凶刃を奔らせる。


 青年はその動きにあえて逆らわず、自ら転げて窮地を脱した。

 すかさず追撃した警察官の踏み出した足に、ブラジャーの肩紐が絡みついた。

 そのまま足を引かれ、今度は警察官が地に転がる。

 再び硬質化したブラジャーがその脳天へ振り下ろされる。


 空振り。

 確かに捕らえたはずの警察官の頭は、いつしか葉桜の塊となり、ブラジャーの一撃でそれを爆散させた。

 妖刀の持つ夢幻の異能。

 視界を塞がれた青年の死角から、妖しの刃が刺突となって迫る。


 青年の尻から伸びる黒靄が独りでに動きそれを防ぐ。

 ブラジャーが横薙ぎに振るわれ警察官を追い払う。

 再び、間合いが開く。

 両者の視線が火花を散らす。


 一体なぜ、この二人は闘っているのか。

 前の人がそういう流れにしたからである。

 なぜ青年は全裸なのか。

 前の人がそういう設定にしたからである。

 なぜブラジャーで匣の力を御すことができるのか。

 前の人がそんな伏線を張ったからである。


 後ろの人に責任を投げるなら、後ろの人からそれを投げ返されることもあるのである。

 これはそういう異次元空間なのだ。


 妖しの刀が光を増し、葉桜の幻影が嵐となって吹き荒れる。

 全裸の青年はおもむろにブラジャーを頭に被り、黒靄を纏わせた拳を握り締めた。

 二人は同時に咆哮を放ち、空中で激突した。


 ……。

 …………。







「いやいや。いやいやいやいや」


 待って待って。

 意味が分からない。落ち着いて。落ち着いて状況を確認しよう。

 僕は矢場杉栄吉。街の印刷屋さん。映画マニア。好きなものは革ジャンと巨乳のちゃんねー。趣味はweb小説投稿。

 OK正常だ。僕の意識は正常だ。


「栄吉さん? どうかしましたか?」

 優しい顔つきの女性が、心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。

 この人は……ミカン・サク――違う。チエコさんだ。野々原チエコさん。

 舞台女優。役者殺しと呼ばれる奇妙な演劇の主役を任され、それに備えて僕に練習相手をお願いしてきた。


 ここは、ワイズプロジェクトの拠点……じゃない。

 彼女の所属する劇団の稽古場だ。


 ……記憶がごちゃまぜになっている。

 落ち着こう。情報を整理しなくては。


 僕は映画を見た。

 傑作だったが、どこか奇妙な物語。

 その後で、僕はチエコさんと出会い、意気投合した。

 そして僕は、彼女に演劇の練習相手をお願いされた。

 その理由は、主演女優をことごとく狂わせてきたという曰く付きの芝居の練習を一人でするのが不安だったから。


 彼女と別れてから、僕の記憶は一度途切れている。

 朝起きた時には、尻の穴に疼痛。

 チエコさんとの練習当日、その演劇に使うナイフを見せてもらったところ、僕の意識は謎のSF空間に飛ばされ、変形する巨大戦車に乗せられディスプレイのスイッチをタップするだけの簡単な仕事を任された。


 次に意識を取り戻した時には、チエコさんが先に見た映画のキャラクターになっていて、僕はまたしても謎の空間に飛ばされた。

 僕は知らない間に尻穴に埋め込まれていたというカタツムリを摘出され、世界を救う魔法少女になれと言われた。


 そして言われた通りのコスチュームでデパート屋上のヒーローショーに出演させられたところ、突如現れたヤーブス相手にちゃんばらをする羽目になった。


 さあ。記憶は掘り起こした。後はこれをまとめるだけだ。

 そうだ。情報をまとめ、現状を把握し、何をすればいいか考えるんだ。

 情報をまとめ……。

 まと、め………………られるか!!!


 なんだこれは。

 脈絡がなさすぎる。どこに話が向かってるんだ。登場人物が多すぎる上に場面場面で役割が違うせいで全然相関図が作れない。

 あと、みんなして僕の尻穴狙いすぎだよ!

 なんだよ歯ブラシって。どう使うつもりだったんだよ!?


 あまりに脈絡がない。

 そうだ。これは現実じゃない。アンコック・ヘミュオン効果?

 潜在意識の逆転現象?

 そうなのかもしれない。けど、そんな名前の現象、それ自体が幻だったとしたら?

 これじゃまるでマトリックスの世界だ。

 何が現実リアルで、何が虚構フィクションなのか。


「あの、栄吉さん? 本当に大丈夫ですか? 顔色が……」

「え? あ、ああ、大丈夫です。すいません、ぼーっとしちゃって」

 チエコさんの声に、僕は精一杯の虚勢を張って返事を返す。

 華奢な体つき。小柄な背丈。不安げな表情。

 きょとんと小首を傾げた彼女(かわいい)は、虚構だろうか。


「あの、チエコさん」

「はい?」


 今、確かなことは。

 ここにいるチエコさんはミカンサ・クーラでもワイズプロジェクトの一員でもないということだ。

 もしも。

 仮に。

 が基準点なのだとしたら、この場にあって異常なものは二つ。

 役者殺しの物語と、その小道具たるナイフだ。

 

 役者殺しの異名の所以。主演を務めた女優が次々と気を狂わせたというエピソード。

 それが、もし僕がいま直面している現象と関係があるのだとしたら?


「その。さっきのナイフ。もう一度見てみてもいいですか?」


 これはただの小道具だ。

 けど、これがこのリレーのようにつながる奇妙な物語の鍵を握っているのは間違いない。

 物語は終わらせなければならない。

 どんなに荒唐無稽なストーリーでも、終止符は必要なのだ。

 きっと、今まで気を病んでしまった女優たちは、失敗したのだ。

 連綿と続く意味不明の物語に翻弄され、呑み込まれた。


 僕に、それを覆すことが出来るだろうか。


「え、ええっと、それはいいですけど……」

 チエコさんが恐る恐る差し出す小道具のナイフを、今度は確かな意思を持って握った。

 葉桜。CA。ヤーブス。指からビーム。ヘミュオン。ロリコン。ノーブラ。陽炎。なっつん。ミカンサ。魔法少女。カタツムリ。忍者。ハルカ。子供用下着。ワセリン。ダイナーK。重力子砲。歯ブラシ。LAGERたん。アヤカ・カズーノ。ワイズプロジェクト。70AA。

 万華鏡のように広がる幻想の世界。

 僕はそこへ、自ら飛び込んでいった。

 

 やってやるさ。

 誰にも言ったことはないけど、僕の趣味は、小説書きなんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

矢場杉栄吉の挑戦 lager @lager

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ