宇宙時代の何気ない運び屋生活の一コマ(宇宙の超常現象編)

和泉茉樹

宇宙時代の何気ない運び屋生活の一コマ(宇宙の超常現象編)

       ◆


 俺はサイレント・ヘルメスの操縦席で、いつものように電子端末を弄っていた。

 とにかく、エイティエイトの賭博で、だいぶ財産が増えたはずが、その稼ぎのほぼ全部はヘルメスのオーバーホールで消えることになる見通しだった。

 リキッドクリスタルの密輸の仕事の報酬は、船そのものと違法改造をした業者への月賦で消える。

 つまり、俺たちの自転車操業の運び屋稼業は、一〇〇万ユニオなどあっという間に飲み干してしまう。

 ブランクブルーに掛け合って、今、貨物室には銃器が満載されたコンテナを積んでいる。

 銃器の製造と販売は免許制で、またも密輸ということになる。

 俺としては最低限の荷物があり、自由になる船があり、誰も知らない航路があればいい、ということなんだが、今、航路に関してはややこしいことになっている。

 賭博で負けた腹いせだろう、ブランクブルーは本来の航路ではなく近道を選ばないと、配達先には間に合わない期日を設定してきた。

 今、ヘルメスは自動航行で、問題の宙域に飛び込んでいた。

 小惑星帯で、輸送船の墓場、などと言われている。

 俺がここに来るのは初めてだが、噂では、最初こそ普通の小惑星帯に見えるが、それからは怪現象が頻発するらしい。

 この時代、さすがに怪現象など、とっくに絶滅していると思っていた。

 ヘルメスが自動で小惑星を避け、すり抜けていく。密度はそれほどでもないな。

 単調なので、見ているのにも飽きて、また電子端末を見始めた。

 一瞬だった。

 明かりが消えて、静寂。

「なんだ?」

 思わず声に出す。手元の電子端末は動いている、モニターが光を発しているので、周りはぼんやりと見えた。

 ヘルメスの主電源が落ちている。スクリーンは透過状態になり、すぐ目の前に小惑星の一つがあり、こちらへ向かってくる。

 悲鳴をあげたいのをこらえて、緊急時のバッテリーを起動するペダルを踏みつける。

 がくんと船が揺れ、電源が回復する。

 電子端末は放り出して、操縦桿を掴んで捻り、ペダルを踏み直すことで、際どく小惑星を避けることができた。

 安堵するよりも早く、また明かりが明滅する。

 なんだ? 何が起こっている?

 片手が始動キーを捻る。主機関、反応なし。いや、あるが、ぐずついている。反応が悪すぎる。ここまでポンコツにはなっていないはずだ。

「何している?」

 背後から相棒の声がして、奴は落ち着いた様子で副操縦士席に腰掛けた。

「いきなり具合がおかしくなった。原因は不明」

 そうか、と言いながらテクトロンは次々と計器を確認し、幾つかの装置の反応をテストしている。俺も同様のことをしていた。両足、それとチラと向ける視線で、ヘルメスに小惑星を回避させながらだ。

 唐突に警告音が鳴り、船外に通じる気密ハッチが開放されている、とスクリーンに表示が出た。

「おかしな誤作動だな」

 手元のスイッチを繰り返し弄って、相棒が言う。

「見てきてくれよ、テクトロン人。何か入ってきていると、あんたの出番だ」

「こんな宇宙で生き物などいるものか」

 言いながらも、テクトロン人はその巨体をシートから上げて、「すぐ戻る」と出て行った。

 その間も警告音は鳴り続けている。表示が変化し、通路側のハッチも開放されたようだ。

 おいおい、何が起こっている?

 そこに何がいるんだ?

 船内にカメラなどないから、目視するしかない。

 主機関はまだぐずついて、立ち上がらない。緊急バッテリーの残量は半分を切った。

 仕方がないので、手頃な小惑星を探すことにした。一度、そこに着陸するしかないだろう。こんな小惑星帯のど真ん中で整備が必要とは、我が船もとんだポンコツだ。

 そっと着陸させるのには、何の問題もなかった。

 まだ警告は続いている。

 俺は席を立って、通路へ出た。すぐそこのリビングスペースへの入口の先の隔壁が降りているのがわかった。そうか、ハッチが開いているのだから、そうしないと空気が漏れる。

 隔壁には強化ガラスの覗き窓があり、それで通路の様子を覗くことはできる。

 そのガラスが結露しているので、服の袖でぬぐって向こうを見た。

 相棒が立ち尽くしている。船外活動服を兼ねた作業服を着ていない。さっきと同じ服装だ。

 気密は破れていないのか?

 なら何で隔壁を閉めている?

 不自然なもの、不可解なものを感じて、俺は壁に埋め込まれている端末を操作して、船内の状態をチェックした。

 ハッチは開放されていると表示されている。

 しかし船内の空気が流出してるとは表示されていない。

 ちぐはぐだ。

「へい、エルネスト! 聞こえるか!」

 隔壁のこちらで怒鳴ってみるが、返事はない。

 思わず隔壁を何度か叩いていた。それどうこうなる構造ではないが、それで相棒が振り向いた。

 無表情にこちらを見ている。

 その背後に何か立っている。

 テクトロン人と比べると、極端に小さい。

 子供?

 しかし、どこから来た?

 性別がわからない。髪の毛が長いため、表情も見えない。

 その目がわずかに光った気がした。

 閃光が瞬き、その強烈な光に俺は反射的に手で目をかばい、一歩、二歩と後ずさった。

 隔壁はそこにあるが、強化ガラスにヒビが入っているのが目についた。

 おいおい、そこも修理かよ。

 それにしても、さっきの光景はなんだ?

 相棒が無事なのか、急に不安になった。

 壁に近寄り、曇っているガラスの向こうを見ると、少女はもちろん、テクトロンもいないじゃないか。

 まさか何かの事故で、ハッチから外へ吸い出されたのか?

 本当にハッチが開いているなら、あり得るが、空気が流出していないなら、ハッチは開いてない。

 そうなれば、どこへ消えるのか。

 わからん。まったくわからん。

 いつまでもこうしてはいられないので、俺は端末でもう一度、状況に変化がないことを確認し、思い切って隔壁を開放した。空気が漏れていない、という表示を信じたのだ。

 こういうのも賭けというのか。

 そう思っている目の前で、隔壁は開き、壁に収納された。

 空気の流れは、ない。

 さっきまで相棒と小さな誰かが立っていたところははっきり見えるようになった。何もない。誰もいない。痕跡もない。

 恐る恐る、外へ通じるハッチのある場所へ歩み寄った。床にあるので、そろそろと近づき、覗き込むようにするが、少し離れていてもどうなっているかはわかった。

 床と一体の蓋は閉じている。

 やはりハッチが開いているなど、センサーの誤作動なのだ。

 それでも念のため、床の小さな蓋を開けてハッチを管理する端末で状態をチェックした。不具合もなく、ハッチは内側も外側も閉まっている。

 視線を奥へ向けると、その先にある隔壁が閉まっていたのが、開き始めた。

 厚い扉の向こうにはテクトロン人の巨体があった。

 訝しげな顔で奴がこちらを見て、歩み寄ってくるが、俺としても不愉快だ。

「テメェ、からかうのもいい加減にしろよ」

 そう声をかけると、ますます不審そうに、相棒が俺を見下ろした。

「からかうってなんだ。お前こそ、俺が貨物室にいる間に隔壁を閉じて、なんのつもりだ?」

「貨物室だと?」

 お前はハッチを見に行っただろう、と言いかけて、思わず口を閉じたのは、目の前の相棒が本当に困惑しているように見えるからだ。

「俺は」

 なんとなく舌がもつれるが、俺は確認せずにはいられなかった。

「俺はお前が、操縦室で、ハッチを見に行くのを見送った」

「俺は操縦室に行っていない」

 笑い飛ばすこともできたが、混乱し、それさえもうまくできなかった。

「ならどこにいた? 相棒」

「ベッドに横になっていて、急に船が揺れた。操縦室にいるお前に、積み荷が気になるから貨物室へ行く、と音声通話で伝えると、お前は軽く返事をしただけだった。貨物室に入って荷物を確認していたら、隔壁が封鎖された。そして今だ」

 何を言うべきか、まったくわからない。

 何か壮大な、ドッキリ企画か何かか? そんなもの、とっくに廃れているが、古いアーカイブにあることはある。

 しかし、この巨漢がそんなくだらない遊びやジョークを好まないのは知っている。

「本当に操縦室に来ていないのか?」

「もちろんだ。何があった?」

 まさか自分は幻覚を見た、とは言えないので、なんでもない、ともごもご答えるのは、不本意ながら、今の精一杯だった。

 操縦室へはテクトロンも付いてきた。

 俺は操縦士席、奴は副操縦士席に座る。

 装置を全部チェックすると、先ほどまでの不具合は全部が消えていた。

 始動キーを捻ってみると、主機関も始動する。

「何があったんだ? 相棒」

 主機関の出力が上がり、船も万全で、俺がそっとヘルメスを小惑星から離れさせた時、隣の席の相棒が疑問を口にするが、俺は答えるべき言葉がなかった。

「聞こえないのか、ユークリッド人」

「わからん」

 そう答えた時、ヘルメスはついたった今まで張り付いていた大きめの小惑星を回り込むように飛び、さすがの俺も短く悲鳴をあげていた。

 その小惑星の、ヘルメスが張り付いていたちょうど反対側に、ぐしゃぐしゃに潰れた貨物船が張り付いているのが見えたからだ。

 こちらは本当に張り付いている。ぺしゃんこで、乗組員がいたとすれば全滅しただろう。

 無言でその光景を見ていると、衝突警報が鳴り、俺は気を取り直して操縦桿を操作した。別の小惑星をやり過ごし、そうしているうちに不運な貨物船は見えなくなった。

 隣の席で、テクトロンの野郎が珍しく忍笑いしている。

「テクトロンは浮ついたことが嫌いな人種だと思ったがな」

 そう言ってやると、奴はやはり珍しいことに、嬉しそうに言った。

「お前みたいな理屈ばかりのユークリッド人でも悲鳴をあげるのは、世紀の発見だ」

 俺はもう何も言わず、ヘルメスを走らせた。

 とにかく、こんな不気味なところとは、さっさとおさらばしたい。

 相棒はまだ横の席で笑っていた。

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